カテゴリー「ミュージカル」の記事

2007年11月 4日 (日)

夢の世界、宝塚

112日 「マジシャンの憂鬱」(東京宝塚劇場 1330分の部)
宝塚を見るのは5回目になる。1回目はもう30年も前のことだから、ほとんど覚えていない。2回目と4回目はコネのコネでチケットを入手したもので、2回目が「鳳凰伝」(宙組)、4回目が「ジャワの踊り子」(花組)、どちらもコネコネのおかげで、ほぼかぶりつき状態。3回目は「傭兵ピエール」(宙組)。これは小説を読んでいたから絶対見たくて自分で取った。ために遠い席であった。「鳳凰伝」は和央ようか・花総まりのコンビ(宙組)で、トゥーランドットをベースにしたミュージカル。レビューの「ザ・ショー・ストッパー」とともに、エンタテインメントとしてのレベルの高さ、あれだけの激しい動きに息も切らさぬセリフと歌、美しい姿勢と踊り。それまで何となくもっていた宝塚に対するいわれのない偏見が一気になくなった。

そして今回の「マジシャンの憂鬱」。大好きなクロースアップマジシャン、前田知洋さんがマジック指導をしていることを前田さんのブログで知り、ず~っと狙っていたのだ。でも先行販売ではずれ、一般販売でもいい席はなく、チケットが取れさえすればよいと、2階席で見ることになった。宝塚劇場の2階席はかなり角度があり、銀橋(ジャワの踊り子は銀橋のない劇場で見たので楽しさ半減。やっぱり宝塚には必要不可欠)もしっかり見えたし、セリフはピンマイクか何かで劇場じゅうに届くし、全体を見るには十分であった。ただ、私は宝塚のスターさんは自分がこれまでに見た和央ようかさん、花総まりさん、春野寿美礼さん以外ほとんど知らないから、主演が誰と言われてもピンとこない。そういう意味では、前のほうの席で出演者のお顔をしっかり確認できたほうがよかったのかもしれない。しかし、今回の公演は人気が高いらしく、立ち見も出ており、隣の席の男性ファン(!!)が「この前は1階席が取れたのに、今回はこんな席しか取れなかった」とぼやいていたほど。

まずはMAHOROBA 遥か彼方YAMATO。今回はショーのほうが先。イザナギ・イザナミによる天地創造から、ヤマトタケルの昇天までを、民族舞踊と洋楽をコラボさせた感じで描く(津軽三味線の上妻宏光さんが一部音楽を担当している)。実は前日ほとんど寝ていなかったので、大半意識を失っていたのだが、熊襲の火踊り、弟橘姫の入水など、スーパー歌舞伎とは違った味わいのショーを楽しんだ。

私のようなシロウトは、宝塚のショーといえば背中に大きな羽をつけたスターたちを思い浮かべるが、それはグランドフィナーレなんでしょう。だから「MAHOROBA」ではやらなかった。先に言ってしまうと、「マジシャンの憂鬱」の最後にフィナーレがあったのだが、ショーでのそれに比べると、華やかさや盛り上がりの点で物足りない気がした。

「マジシャンの憂鬱」。しょっぱな、マジシャンのシャンドール(瀬名じゅん)が、客がサインしたカードをトランプの束の中に入れ、指を鳴らすとそれが一番上に持ち上がってくるというマジックを見せたが、これは前田さんお得意のネタ。客がカードを選ぶと「いいカードですね」と必ず言う。それをシャンドールも言ったものだから、私は思わずニンマリ(前田ファンじゃなければわからないだろうな、というのが残念。それともマジシャンの常套句なのかな)。

物語はミステリー仕立てで、ある国の皇太子妃が交通事故で死んだのだが、それがどうも反対派の謀略によるものではないかとして、その真相を探るというもの。こちらも時々意識を失っていたので、明確ではないのだが、その交通事故が男性と一緒で、トンネル内で起きたと聞こえた(たかトシ風に「ダイアナか」)。

酒場の場面、店員が柳原かな子風喋りで、受けた(でも、観客はあまり笑っていなかったようだったなあ)。歌舞伎では時々あることだけど、宝塚でもあるんだあ。

シャンドールとヴェロニカ(彩乃かなみ。なぜか、女性であるヴェロニカが男性であるシャンドールを警護する)のデュエットがとても素敵だった。

むずかしかったのが拍手のタイミング。割と整然と拍手の送りどころが決まっているような感じを受けた。ちょっといいところで思わず拍手をしかけて、まわりが誰もしていないのに気付き、おお危ないという瞬間も23度。宝塚は掛け声も禁止みたい(むか~しは、声掛かっていなかったけかなあ)。

私自身は宝塚にはまることはなかったけれど、はまる人の気持ちはわかる。ステージはきれいだし楽しいし、オーケストラの生演奏も嬉しいし、夢の世界であることは間違いない。

写真は、日比谷の町で。
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2006年11月22日 (水)

テイストが多すぎて--白蛇伝

11月21日ミュージカル「白蛇伝ル・テアトル銀座)

出演者:阿部なつみ(白素貞/白娘)、彩輝なお(白蛇族の女王・羅美亜)、横井美帆(白素貞の助っ人・瑪瑙)、福田花音(白素貞の助っ人・青魚)、以上白蛇族。市川右近(島の長・雄佐/海を治める神・須佐)、市川喜之助(雄佐の弟・許仙)、桝川譲治(修行者・法界)、仁科有理(島の巫女・那妓/妖魔・胡媚)、相沢真紀(許仙の許嫁・桔梗)、幸村吉也(半分妖魔半分人間の憂波)、以上人間界と妖魔。他

夢のデート(当ブログ9月9日)のお相手、右近さんが出るというだけで取ってしまったチケット。まあ、なんと言ったらいいのかよくわからない、という出来でした。主演は阿部なっち。当然、観客はなっちファンの男・男・男と男がかなり多い。

入り口で、荷物検査とまではいかないけれど、カメラのチェックをしていた(ってことは、ロビーの様子も撮影できない)。それに館内放送で、上演中写真撮影や録音しているのを発見したら、上演を中断または中止する、なんておっそろしいことを言っている。イヤに厳しいな、と不審に思ったのだが、そうか、なっちオタの中には不届きな輩もいるかもしれないからか、と勝手に納得。ふふ、こんな雰囲気はじめて。

幕が開くと、舞台からスモークが客席に流れ、両腕をツタのような植物に縛られた右近さんが登場。まさか掛け声も掛けられず、心の中で「澤瀉屋っ」。ストーリーも何も知らないで行ったので、右近さんがなっちの相手役かと思ったら、違ったのね。右近さんは天界の神と、その神が人間界に降りた時の姿である島の長。恋する若者の役はお弟子さんに譲っちゃったのね。それがちょっと残念(「狸御殿」の相馬織部はステキでしたもの! でも、相手がなっちじゃ、さすがに似合わないかも)。右近さんの喋りは、ここでもやっぱり猿之助調。

物語は大筋はわかるのだが、意外にも入り組んでいて、細かい部分がなかなか摑めない。ただ、白蛇の精・白素貞(なっち)と人間の男・許仙(市川喜之助)の恋を中心にした場面はわかりやすいし、この時のなっちはとても可愛くて、好感がもてた。大抜擢の喜之助さん、けっこういい男じゃないの(けっこう、なんて言ったら喜之助ファンに怒られそう)。途中で、ちょっと退屈になったので、なっちオタ観察をしちゃった。少し前にスッゴク座高の高い男がいて(後ろの人かわいそう)、これが熱烈なファンらしく、何かの曲では、手拍子だけではなく、なっちと一緒に手のフリまでやっていた(うわ~…、でもこういう人たちに支えられてるのよね、アイドルって)。途中で「なっちっ」とか合いの手が入るかと思ったけど、芝居の最中は意外にもみんなおとなしかった(モー娘のショーじゃないんだからぁ)。

結局ストーリーは後半になってやっと理解できたのだが、どこに焦点を当てて見たらよいのかは最後までわからず、それなりに面白くはあったものの、先週見た「リトルプリンス」とはずいぶん違うものよな~と、ため息が出た。というのも、この「白蛇伝」は、スーパー歌舞伎のテイストあり、宝塚のテイストあり、アイドルもの、コスプレ、そして学芸会のテイストあり、とさまざまなテイストがあるのはいいのだが、それらがうまく噛み合っておらず、ここは宝塚、ここはセーラームーン、ここは学芸会、とシーンごとにテイストが変わり、物語の流れがそのたびに途切れるような気がしたのだ。その中で喜之助さんだけが、普通のテイストだったためか、ちょっと浮いてしまったというか、味が薄いような気がした。

元宝塚の2人(彩輝なお、仁科有理)と元四季の桝川さんはさすがに歌がうまい。澤瀉屋の3人(猿四郎、龍蔵、喜昇)は芝居に安定感を与えるだけでなく、味がある。とくに女形で登場した喜昇さんは、あの個性的な顔立ちとコミカルな演技力を存分に発揮しており、笑わせてもらいました。歌は全般に、意外と広瀬香美風ではなかったように思うが、恋のバラードはやっぱり彼女のテイスト(いい曲です)。

最後まで乗れないまま、カーテンコールに。やっと「なっち!」の野太い声があちこちからかかる。私のお隣さんも叫んでました。それでも、この掛け声って、ショーなんかに比べるとかなり控えめなんだろうなあ。

でも、ま、たまにはこういうミュージカルを見るのも悪くはないだろう

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2006年11月15日 (水)

王子よ永遠に

1114日 ミュージカル「リトル・プリンス」東京芸術劇場中ホール)
P1030005_1 話はいきなりカーテンコールから始まる。いったい、何回カーテンが上がったことだろう。あちこちから「ブラボー!」の声も飛び交う。こう言えば、どんなに素晴らしいステージだったか、想像がつくでしょう。
主役の野田久美子が実にうまい。私は原作を読んで、この王子のいじらしさにいつも心が熱くなるのだが、私のイマジネーションをまったく裏切ることなく、愛おしくて抱きしめてあげたい衝動に駆られた。

小さな小さな星に住む王子。ある日1輪のバラが咲き、王子は夢中で世話をするが、やがてわがままなバラとの間に心のすれ違いが生じて、星を飛び出してしまう。

感動的な狐との出会いと別れ。毎日少しずつ距離を縮めて友達になる。狐と友達になったことで、王子は特別な絆で結ばれたものがかけがえのないものになることを知り、自分のバラがどれだけ特別な存在かを理解する。そして王子と狐にやがて別れがやってくる。2人が別れた後、狐は自分にとってこれまで何の意味ももたなかった麦の黄金色の穂が風になびくのを見るのが楽しみになるだろう。なぜって、麦の穂は、王子の髪を思い出させるから。有名なセリフ「肝心なことは目に見えない」は別れの時に狐が王子に贈る言葉。

もう一つとくに感銘を受けたのが、王子が最後に飛行士にプレゼントするもの。それは王子の笑い声。悲しいとき、君が空を見上げれば、どこかの星に僕がいて、笑っている。だけど僕の星はとても小さくて、君にはどれだかわからない。だから君が空を見上げるとき、どの星も笑っていることになるんだ。王子がそう言うと、ステージだけでなく、客席の上にも無数の星が瞬く。こんな哀しくてステキな別れのプレゼントがあるだろうか。私はこのとき、すっかり飛行士に同化して、王子との別れに涙し、客席の上で輝く星に王子の笑い声を聞き、悲しみを喜びに換えたのだった。

大好きなお話「星の王子様」。昔々、まだ勉学意欲に燃えていた頃(あの頃キミは若かった~)、機会あって、原語で読んだことがある。教えてくれる人がいたからなんとか読み通せたのだが、いきなり意味不明の言葉に出会ってつまずいた。

ille milles という言葉。フランス語でmille1000という意味。だからここは、「1000 何千」? なわけないじゃない。どうしてもわからない。日本語訳も出ているのだからアンチョコを見てしまえば早いのだが、私は内藤濯さんの訳本を読んだことすらなかったし(未だに日本語訳は読んでいない)、なんだか悔しいので、一計を案じ、英語訳を見たのである。なんとガクッとくることに、そこの部分にはthousand milesと書いてあるではないか。つまり2番目のmillesはマイルだったのね。辞書と何度もにらめっこしながら、わからなかったとは、自分の視野の狭さを認識したことでした。

そんな苦い思い出もあるこのお話、無謀にもいきなり原語で入ったのが逆によかったのかもしれない。自分の感情と言葉で原作を捉えた私は、その原作にハートをぐ~っと捉えられた。芝居にはまるようになって以来、どこかでやっていないかと張りめぐらせたアンテナがキャッチしたのが、このミュージカルであった。

これまでにこういう演劇集団の公演をいくつか見てきたが、今回の「リトル・プリンス」ほど手の込んだ美術は初めてのような気がする。今までのものはだいたいがセットは地味で、出演する役者さんたち自身が道具を片付けたり出したりするか、セットは変化させないまま舞台が進行するケースが多かった(それぞれの創意工夫は見事)。今回は朝倉摂さんが美術担当だとかで、豪華というわけではないのだが、さすがにスーパー歌舞伎まで手がけた方の面目躍如である。砂漠の表現が素晴らしく、幻想的でもある。渇きの果てについに水を見つけたシーンは美しかった。最初の飛行場面では、舞台背景に町の航空写真を配置し、前面のスクリーンに雲の動きを投射して、背景の町にかぶせるという手法で、これに飛行機のエンジン音が唸れば、観客も1人乗り飛行機から下を見下ろしている気分になり、ワクワクする。

余談になるが、入り口で渡された配り物は、分厚い広告の束ではなく、なんと公演プログラムであった(太っ腹)! 

さて、役者さんは、主演の野田久美子以外の主な配役はダブルキャスト。舞台に感動しながらも、私は不届きにもユニークな顔立ちの役者さんに、似たタレントを重ねてしまった。狐役はココリコ田中と松田龍平を足して2で割った感じ。星を数える実業家はルー大柴を思わせる。うぬぼれ屋さんも誰かに似ているのだが、思い出せない。

この「リトル・プリンス」はミュージカルだから、歌も主役の一つである。1幕目の最後に歌われたアストラル・ジャーニー(だったと思う)を聞いて、休憩時間に即CDを買ってしまった。初演の復刻盤ということで今回のキャストではないのが残念だが、ナンバーは同じだから。

一夜明けた今でもなお、王子の涙、笑顔、笑い声が私の心を温かくしている。P1030005

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2006年9月29日 (金)

ニンニン--「壁抜け男」本篇

P1020625 <駆け足で物語>
★第1幕:1947年のパリ。モンマルトルのアパルトマンに住む郵政省苦情処理係のデュティユルは、地味で真面目で、バラの手入れと切手集めだけが趣味。ある晩、帰宅すると停電になる(当時、停電はしょっちゅうだったらしい)。その時彼は、自分が壁を通り抜けて部屋を出入りしていることに気付く。気が狂ったのだと思った彼は、精神科医のところに行く。この医者はナチスシンパだったと誤解されて、今は患者もなく、アルコールに浸る毎日。医者は当たり前のように長ったらしい病名を言い、「壁を抜けることに疲れたら、飲むように」とある薬をくれる。「女にはくれぐれも気をつけて」という言葉とともに。

デュティユルは、特殊な能力をもったことに自信をもち、宝石を盗んだり、銀行の貸金庫に入り込んで、人々の秘密を覗く。そんな彼は、嫉妬深い夫に監視されて外出もままならない人妻イザベルに恋をしていた。銀行の貸金庫で警官に見つかった彼は、イザベルに自分の恋心を知ってもらいたいため、マスコミを呼ぶことを要求する。

★第2幕:壁抜け男の正体が明らかになると、隣人や職場の同僚たちが彼の解放を求めてデモをする(職場の同僚は、彼をずっとバカにしてきたにもかかわらず、である)。彼は刑務所を抜け出し(なんてったって「壁抜け男」ですから、刑務所に入れること自体無意味だと思うんだけど)、イザベルの窓の下に立つ。イザベルは彼がいるのを知らずに、彼への思いを歌う。思わず彼が恋心を打ち明けると、彼女は<現実>に怯え、拒絶する。彼は刑務所に戻る。やがて裁判。検事はイザベルの夫である。死刑を求刑した検事に対し、デュティユルは貸金庫で見つけた検事の秘密書類を暴露する。検事は法廷を逃げ出し、デュティユルとイザベルは人々に急かされたて、結ばれる。幸せ一杯、「もう一度」とやる気まんまんの彼女とは対照的に、デュティユルは疲れきった様子。そこであの薬を思い出し、飲む。そして再び壁を通り抜けて彼女のもとに戻ろうとすると・・・・・・

面白かった。よくできたステージで、歌も心地よく響き、十分楽しめた。しかし、パリの町の雰囲気が私のもっているイメージとちょっと違うかも(誤解のないように言っておきますが、あくまでも、私のイメージですから)。印象的だったのは年老いた娼婦役の丹靖子さん。今じゃ誰も私を買ってくれない、とぼやくことしきり。とっても<らしかった>し、一番パリっぽいと感じられた。あと、怪しげな精神科医の寺田真実さんも個性的でよかった。
みんな楽しげに歌い演じ、壁抜けの技法もマジックみたいで、前半はとっても楽しかった。四季のレベルの高さがよくわかる。ところが、壁抜け男が自分の恋を成就させるために有名になろうとするあたりから、どうもついていけなくなってしまった。歌舞伎にもしょっちゅう理の通らないストーリーというのはあるから、そういうことには慣れているのだが、なぜかそこで躓いてしまった。そのためか、2幕目の前半は記憶がない。歌があまりに心地よかったせいもあるかもしれない(本当にきれいな発音で、声量もたっぷり、音響もよかったのです)。気がついたら、検事が逃げ出すあたり。もったいないことをしました。

「女に気をつけろ」という医者の言葉があとで効いてくるのが面白い。イザベルという女性は、なんだかよくわからないが、抑圧されていた夫との生活から解放されると途端に積極的になりだして、「おおお」と呆れるくらい、デュティユルに迫っていく。彼が疲れて薬を飲みたくなるのもわかるわかる(本当はどうして疲れたのか知らないけど)。

私は基本的にストーリーは知らずに芝居を見るので、ラストは意外だった。いや、物語の結末は予測していたけれど、そのあと、ラストのラストが予想外だったのだ。まあ、それはここでは言わないことにしておきましょう。

主軸となるストーリーに、娼婦や新聞売り、画家などの生活ぶりが絡んでいくのだが、面白いのは、役所の様子。なんにも仕事をしないで、5時になったら即帰る。また苦情処理も、「貴殿からいただいた苦情の手紙は、あちこちの部署を回されている間に行方不明になり、今ではどこかの倉庫にあると思われます」って。いかにも役所、それもパリの役所ならさもありなん、という無責任さが皮肉で愉快。

さて、お楽しみのカーテンコール。何回あったか数えなかったが、拍手が絶えず、56回? 78回? そのうちただお辞儀をするだけでなく、12名の出演者が全員で、僕の人生は平凡だけど、人生は素敵、というナンバーを歌う。「皆さんもどうぞ」って。そういえば、入り口で楽譜のコピーを渡されたっけ。でも、ほとんど誰も歌っていない。そうしたら、次だったか次の次だったか、何度目かの登場で「もう一度歌います。皆さんも是非ご一緒に」という時になって、やっと遠慮がちな歌声が客席からも聞こえてきた。私? 珍しくも私も小声で口ずさみました。しかし、毎回毎回、こんなに何度もカーテンコールがあるんでしょうかね。楽譜が配られるくらいだから、きっとあるんでしょうね。(驚)

とまあ、こうして楽しく見られたのではあるが、う~ん、敢えて言わせてもらえば、私の「ニン」ではない(誤用だとしても、今はそうとしか表現しようがない)。子供の時からず~っと外国かぶれで、小説映画も洋モノ、受験科目も西洋史を選んだ私なのに。どうしてこんなに変わってしまったのだろう。年をとったということなのだろうか。若いときに見ていたら、はまったのだろうか(今日見て、四季にはまる人がいるのは十分理解できた)。23年前に見た「そして誰もいなくなった」もなにかピンとこなかったから、四季だから合わないというわけでもないだろう。あるいは日本語で演じられる洋モノが苦手なのかとも思うが、蜷川の「間違いの喜劇」は文句なく面白かった。この疑問を解くために、もう一度四季の何かを見てみようかと思う。「壁抜け男」は何人かがダブルキャストだから、これをもう一度見てもいい。

最後に、デュティユルの石丸幹二さん、ステキでした。笑顔がとってもチャーミング。イザベルの坂本里咲さん、大胆に見せられた白いおみ足が生ナマしくて、ドキドキしてしまいました。

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方向音痴、初めての場所へ行くの苦労譚--「壁抜け男」座席まで篇

劇団四季を見るなんて何年ぶりのことだろう。ン十年前に加賀まり子・北大路欣也(だと思った)で「オンディーヌ」を見たのが最初で最後。以来、「キャッツ」だ、「ライオンキング」だ、「オペラ座の怪人」だという世の人気にも興味を示さずここまできたけれど、「壁抜け男」は数年来の関心事。何年か前に、山手線のドア硝子に貼られていた宣伝を見て、ずっと心に引っ掛っていたのだ。念願かない、ついに本日「壁抜け男」さんに出会うことができました。
3 場所は劇団四季・自由劇場。JRが苦手な私はゆりかもめで竹芝駅へ。劇場までの距離も竹芝駅が一番近いから、道に迷ったところで、開演時間(1330分)に遅れるということもあるまい。何しろ私には方向感覚というものがほとんど備わっていない。だから地図も印刷し、駅でもまた地図をしっかり見たにもかかわらず、一歩駅の外に踏み出したとたん、脳内プチパニックに陥ってしまった。本当は行き方は実に簡単で、ゆりかもめの高架に沿って新橋方向へ少し戻ればいいだけなのだが、まずは新橋がどちらだかわからない。落ち着け落ち着け、と深呼吸して一度駅に戻り、「今こっちから来たから、こっちが新橋ね」と確認。新橋方向に少し歩き出した。
さあ、そこまではいいが、今度は、どうやって下の道に降りるかがわからない(駅は高い位置にあり、そこから2方向のビルの2階だか3階だかに通路が走っている)。あ、エレベーターがあった。ちょっと怪しげで怖かったけれど、とりあえずボタンを押して呼ぶ。やたら時間をかけて上がってきたエレベーターに乗り込み、やたら時間をかけて降りるエレベーター内で不安な気持ちになったが、無事に道路に到着。ほっとして高架下をしばらく歩くものの、それらしい建物が見えず、又不安になる。ちょうど向こうから歩いてきた女性に尋ねると、高架を挟んだすぐ斜め前が四季の建物だと言う(こういうときって、本当にバツが悪い。ほとんど目の前にあるのにね)。
まあ、おかげさまで安心してそこへたどり着くと、そこは自由劇場ではなかった。「春」とか「秋」とかいう劇場(後で見たら、どうやら1つの建物に2つの劇場があるようで、「春」ではかの「ライオンキング」、「秋」では「コーラスライン」を上演中でした)。その劇場の前に「自由劇場」の案内板が立っていたので、それに従ってさらに進むと、やっとたどり着きました、バンザイ。四季フリークさんはもちろん、そうでなくても普通の感覚をもっている人なら、簡単な道のりなのに、方向音痴とはかくもまあ、目的地に到達するのに苦心するものなのですよ。
劇場の建物は、いい感じ。まわりも静かだし、こぢんまりして、パリの路地の奥にある美術館みたい。
劇場内も落ち着いたたたずまいで、狭いロビーにはもう人がたくさん集まっていた。無事着いたことでほっとして、急に空腹感が自己主張し出してきた。私は通常朝食はほとんど摂らないので、さすがに何か口にしなくては、上演中におなかが鳴りそう。そこで劇場内のカフェでホットドッグを買う。400円也(高っ)。味はおいしかったです。トイレにも行き(ここのトイレは一方通行。出口から入ろうとすると、係員に注意されます)、やっと座席へ。私の席は前から8列目。歌舞伎座だと「とちり」ではあるが、私にとってはちょっとキツイかなという感じ。でも、ここは小さいので、ちょうどよさそう。上を見ると、2階席もかなり前方まで張り出していて、見やすそう(休憩時間に探検してくればよかった)。
さあ、あとは開演を待つばかり。   (本篇に続く)

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