カテゴリー「演舞場」の記事

2008年6月19日 (木)

しっとり新派

618日 「婦系図」(新橋演舞場)
新派たるものをつい先日初めて見たばかりの私が何を軽々しくほざくかと自分でも思うが、独断と偏見を百も承知で言えば、この「婦系図」に「ああ、新派の世界を見た」という気持ちになった。以下、ネタバレしますが、有名な作品だから…(なお、役者さんの敬称は、その時の気分で)。

固定観念:まったく毎度恥ずかしいながら、日本文学は教科書に載っていた作品に毛の生えた程度しか読んでおらず、「婦系図」が泉鏡花だとは知っていても、鏡花といえば去年歌舞伎で見た幻想文学という固定観念に捉われていた。あるいは「婦系図」といえば、お蔦・主税、真砂町の先生、湯島の白梅、別れろ切れろは芸者の時にいうことば、といった、ごく断片的かつ表層的な、これも固定観念に捉われていた(しかも、2人が別れるところまでしか知らなかった)。
そして普段はプログラムを読んで粗筋を頭に入れたりはしないのに、なぜか「鹿鳴館」で先に筋書きを読んだために、自分の感覚が筋書き寄りになって失敗したから、今回はその轍は踏むまいと決意して臨んだ(大げさな)。
覆った先入観:というわけで、主税は愛する女よりも真砂町の先生(酒井先生)をとった意気地なしの青白き文学青年で、お話はドロドロの泥沼と単純に思っていた。それに、ポスターやチラシの仁左様の苦汁に満ちたお顔を見ると、やっぱりそんな感じをもってしまうのよねえ。それが今回、なぜ、主税が先生をとらざるを得なかったか、よくわかったし、意気地なしだとばかり思っていた主税が実は男気あふれるカッコいい青年だった、とも初めて知った。そして話もドロドロではなかった。
実は仁左様は最初からカッコよかった。青白き文学青年どころか、べらんめえ(静岡出身だけど)の男っぽさ。酒井先生のお嬢様・妙子の縁談相手が身元調査をしていると知って「好きなら好きで一緒になればいいじゃないか。家柄がどうの、と調べるなんぞ気に入らねえ」って、はじめから言ってたんだし。ちょっと意外な気分だったのに、そのときはまだ、ドロドロなんだろうと思い込んでいて、主税の真実を見抜けなかった(私、オトコを見る目がないねえ)。
お蔦と別れた主税が静岡に帰ってしまうと、それからしばらくは女たちを中心とした芝居になる。仁左様は歌舞伎座と掛け持ちだし、もうこれで出てこないのかぁ、なんか中途半端だなあと勝手に決め付けた私はなんてバカなんだろう。
静岡に引っ込んだ主税は大詰で再び登場するや、河内山かと見紛うほどの(ちょっと大げさに言い過ぎた)小気味よさ。妙子の縁談の相手である河野家の秘密を暴き、その虚栄を地に落とすのだ。でも…河野家は一家そろって最低な奴だし、妙子を救うための策としては格好の材料が揃ったのだし、仁左様はカッコよくて小気味よかったのは間違いないけれど、それなのに、なぜかこのやり方にあまり後味のよい思いはしなかった。
女性たち:久里子さんはいつもに増して勘三郎さんによく似ていて、とくに主税と幸せに暮らしている間、どうしても勘三郎さんと重なってしまい(顔、物言い、仕草、すべて似ている)、ちょっと調子狂った。しかし、主税と別れてからは、勘三郎さんから抜け出し、はかなげできれいで哀れさが感じられた。
今時とても考えられない世間知らずのお嬢様、妙子役の紅貴代、はじめは「え~、お嬢様ぁ~?」とかなり違和感を覚えたが、芝居が進むに従って、だんだんそれらしく見えてきたから不思議である。お嬢様っていうのは赤姫と似て、無謀に積極的だったりもするもんだなあ、と面白く思った。紅貴代さんは清楚で愛らしさもあり、その無謀さが妙にとぼけていて、微笑ましい。
八重子、芸者役がぴったり合っている。粋で哀しくて、でも八重子さんの表情には、そういうものすべてを呑み込んで自分なりに生きていますっていう大らかさみたいなものがあって、私はそういう部分は好もしく思っている。
不可解な先生:自分は芸者に子まで生ませながら、その芸者もちゃんと自分を弁えているのに、なぜ、主税とお蔦の仲を引き裂いたのか、よくわからない。お蔦の人間性も知らないじゃなかったのに。それに、自分の娘の縁談相手がどんなヤツか知らなかったのだろうか。この先生が周囲の人間すべてを不幸にしているような印象を受けた。そのせいか、はじめは重厚な感じだった先生がだんだん安っぽく見えてきた。安井昌二は好演していたが、第四幕で二言三言にプロンプターがついて、どきっとした。
笑いどころ?主税の「月は晴れても心は闇」の有名なセリフのときに、どっと笑いが起きた。それから、酒井先生のお嬢様が実は八重子扮する芸者・小芳の娘であり、名乗りたくても名乗れない、つらく切ない思いの小芳とお蔦が「わたしたちって因果だねえ」と声を揃えて嘆くと、これまたいっせいに笑い。もう1箇所、何だか忘れたけれど、ここ笑いどころ?と疑問に思うような笑いが湧いた。
印象的な場面:妙子がお蔦を訪ねてくる場面。お蔦が住んでいる魚屋の家をやっと探し当てた妙子のそばを子守がとおりかかる。年齢は同じくらいなのだろう。子守は背中の子をあやしながら、お嬢様をちらちら見る。妙子はそれに気付かない。身分、置かれた状況の違いを子守がどんなふうに感じているかが伝わってくる。些細な場面だが、印象的だった。

「鹿鳴館」でもそうだったが、新派を見た後は、なんとなくしっとり気分になった。

<上演時間>序幕・第二幕50分、幕間30分、第三幕45分、幕間20分、第四幕・五幕・大詰115

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2008年6月14日 (土)

得しちゃった「鹿鳴館」ゲストコーナー

幕が降りて、普通に拍手が起こって、そのままカーテンコールを求めるでもなく拍手はやんでしまった。あれ、もう終わり? そういえば、日替わりゲストって、私が気付かない形でどっかで出てきた? なんて席を立とうか立つまいか迷いながら、でもじっと座っていたら、幕が再び開きました。主な出演者がずらりと並んでいる。
八重子さんが新派120年についての挨拶と観劇御礼を述べ、続いて團十郎さんがご挨拶。天然の團十郎さんは「市川家は新派が始まったときからご縁があって」と言おうとして「市川県」と言ってしまい、ご自分でも苦笑しながら言い直していた。西郷輝彦、波乃久里子、安井昌二と挨拶が続く。そして安井昌二により、新幹部に昇格した川上彌生が紹介された。林与一の姪だそうで、きれいな人。
080613rokumeikan そして、お待ちかね、ゲスト登場。プログラムには呉汝俊(ウー・ルーチン)と書いてあったが、劇場内には呉汝俊・井上尭之と出ていた。ちょっと横道にそれるが、昨日のゲストが嘉島典俊・笹野高史で、「うぉ~っ、昨日がよかったよ~」なんてちょっと残念な思いがした。
閑話休題。まずは井上尭之さん。なんで、新派に井上尭之が?と不思議でしょうがなかった、そのわけがここで明らかになる。なんと、清原久雄という重要な役を演じた井上恭太は尭之さんの息子さんだったのである。これには思い切りビックリした。顔も似ていないし、まさか元スパイダースの息子が新派にいるなんて、思いもしなかった。恭太クンが新派に入ったのは15年前だそうだ。西洋音楽をやっている自分だが、日本の心を伝える新派を見て、自分もそういう音楽を世界に発信していきたい、というようなことを尭之さんは語った。照れくさそうに並ぶ親子は、鹿鳴館コスチュームの恭太クンに対し、尭之さんはラフでお洒落なジーパン姿と、その対比が微笑ましい。
次は、手に楽器を持って勢いよく登場した呉汝俊さん。新派との接点は聞き漏らした(「鹿鳴館」の音楽演奏していた?)。スピーカーから流れてくるオーケストラにあわせて、その楽器を演奏してくれた。後で八重子さんの説明で知ったのだが、京胡という楽器だそうだ。初めて見た、初めて聞いた。私の席はスピーカーの音量がきつくて、せっかくの音色が消されがちではあったが、ソロになってはっきり聞こえてきたらこれが素晴らしくよくて、さっきの「昨日でなくて残念」は現金にもどこかへ吹っ飛び、「ああ、今日でよかった」「もっと京胡を聞きたいわ~」などと余韻に浸ったのでありました。京胡とともに初めて知った呉さんはなかなかの美形で日本語も達者。と思ったら、京劇の女方でもあるんだそうだ。日本にやってきたのは7年前と言っていたように思う。呉さんのHPはココ
毎日それぞれの個性がみられるゲストコーナーなんだろうが、ホント、今日は得した気分で帰ることができた。でも本当は、井上尭之さんと呉さんのコラボが聞きたかったなあ、なんて、それは欲張りすぎですか。

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團十郎さんの目力:鹿鳴館

613日 「鹿鳴館」(新橋演舞場夜の部)
子供の頃に12度見たことがあるが、大人になってからの本格新派は初めて。「鹿鳴館」も原作すら読んでいない。三島は「金閣寺」をやっと読んだ程度だからえらそうなことは言えないけれど、三島の人間観みたいなものが感じられるような気はした。ただ、はじめのうち、新派独特のリズム(どこがどうと明確には言えないが、これまでに見た色々な芝居とはちょっと違う気がした)になかなかついていけなかった(実は、やや眠気を誘われたということです)。普段なら食後の幕は眠くなるのに、今回は後半ばっちり。
そもそも今月の新派を見ようと思ったのは、昼なら仁左様、夜なら團十郎さんが出るからで、その伯爵・團十郎登場は2幕目から。正直、團十郎さんのセリフはイマイチで、少々危なっかしい場面もあった。しかし、團十郎さんにはそれを超える魅力がある。妻・朝子(水谷八重子)、若い久雄(井上恭太・さわやか青年)相手に次々繰り出される負の論理のパンチは圧倒的で、本来八重子が主役なんだろうに、こりゃ團十郎の芝居じゃないか、と思うほど。冷酷さを表すためか、常にほとんど無表情に近いが、強い目力がそれに代わり、時として頼りなげな様子が垣間見られる。強大な政治力をもち、冷静に卑劣な陰謀を企てる一方で、その目の表情がとても人間臭さを感じさせる。あの悲劇は伯爵の「愛情が、嫉妬が起こした」という言い訳にも頷ける気がするのである。っていうか、この人が登場して間もなく、なんかそういう黒い感情が透けて見えて、ああやっぱり、と思ってしまった。ちなみに、嫉妬というのは、単に妻の心が昔の恋人・清原に(西郷輝彦)あるということに対するものではなく、それもあるだろうが、2人の間に歴然と通い合う信頼に対する嫉妬らしいのである。それって、わかる気がする。
水谷八重子は、後半の鹿鳴館の場での洋装より前半のお引きずりの着物のほうが可愛らしくて似合っていた(登場人物は洋装の朝子をベタボメだったけれど)。何度も演じているからだろうか、朝子という女性の性格・心情をきっちり摑んでいる演技だったと思う。昔愛しながら引き裂かれた清原への思いにもおっとりとした清らかさが感じられたし、その清原の元へ置いてこざるを得なかった2人の間の息子・久雄に自分が母親であることを打ち明ける心情にも切々としたものが感じられたし、だけどもそうそう過去ばかり振り返ってうじうじ生きているわけではないしたたかさもあったし。夫の陰謀を知って、自分の気持ちをたたきつける激しさ(先の影山の愛情・嫉妬云々のセリフに対し、「あなたの口から出ると汚らわしい」と痛烈に非難する)は、それまでの受けの演技から攻めの演技に転化し、誇り高い明治の女ぶりがかっこよかった。
明治女のかっこよさといえば、英太郎(大徳寺侯爵夫人)も際立ってよかった。歌舞伎における吉之丞さんや歌江さん的な感じをちょっと受ける。品もよく、セリフも美しく、包容力がある。新派唯一の女方として貴重な存在だ。
影山家の女中頭・草乃役の波乃久里子は、朝子の八重子が陽なら陰といったところだろうか。しかし芯の強さが感じられ、伯爵の愛を受け入れるときにやや自己主張をみせたのが印象的だった。
清原永之輔の西郷輝彦は清潔感があり、理想に燃える政治家を好演していたが、政治的に影山に負けたのが團十郎さん自身の大きさに屈したのと重なって見えた。
原作も読んでいないし、他の役者さんでの公演も見ていないから何とも言えないが、少なくともこの芝居では冷血であるはずの影山の人間性が案外魅力的であった。しかし、ハイソはいつの時代も豪勢ですなあ。
以下、ゲストコーナーへと続く。
付記:宮村陸軍大将役で、おひげをピンと両頬に張らせた新蔵さんがなかなかユーモラスな演技を見せている。
<上演時間>第一幕40分、幕間15分、第二幕55分、幕間30分、第三/四幕90

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2008年2月26日 (火)

わらしべ夫婦追記:藤山直美のお辞儀

藤山直美って、お辞儀がとても綺麗だと思う。古き良き時代の美しいお辞儀が身についている。これにはいつも感心する。
大仰なタイトルにわずかな中身でスミマセンcoldsweats02

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笑って笑って笑いまくった「わらしべ夫婦双六旅」

225日 「わらしべ夫婦双六旅」(新橋演舞場千穐楽)
客席内に入ると、いつもなら下りている幕がなく、舞台には演台くらいの高さのサイコロが2つ、向かって右は1、左は6の目を正面に向けて並んでいる。その後ろには、昔の広告を貼り合わせたような大きなパネルが立っている。右上には「わらしべ壽娯録」と縦書きの文字が。よく見ると、パネルの中には「ふりだし」「一回休み」などという文字や矢印も見える。ああ、そうかこのパネルは双六になっているのか、壽娯録はすごろくか、とやっとわかる始末。
まあ、鈍いもんだねと自嘲しているうちに、舞台真ん中には大きなスクリーンが下りてきて、大正時代の映像が流れる。登場してきたバイオリン弾きが言う。地味な印象の大正だが、わずか15年の間に第一次世界大戦、関東大震災と大きな出来事が2つもあった、と。
六助(勘三郎)・いち(藤山直美)夫婦の物語も、第一次大戦終戦間近の大正7年、時代の波に乗って快調な生活を送っているところから始まり、震災で絶望のどん底に落ち、また這い上がろうというところで終わる。
去年の「殿のちょんまげを切る女」は、藤山直美の魅力を活かしきれていなかったし、勘三郎との絡みも少ないという不満が残ったが、今回はそれがばっちりクリアーされていて、息もぴったりな2人の演技を堪能。しかもそこに上島竜兵が絡んできて、どこまでが台本通りでどこまでがアドリブなのか、とにかく笑った笑った。
時代背景としては第一次大戦、米騒動、労働運動(これだけ、ちょっと浮いていた。まあ成熟しない運動として出したのか)、博奕、関東大震災と盛りだくさん、そしてギャグも満載。
上島竜兵(幸平)は、いきなり頭に豆絞りと赤フンひとつの花道の出。博奕でスッて身ぐるみ剥がされた、という姿だ(うわっ、見たくないng。でも、よく知らないけどこのスタイルも<豆絞り男>というキャラ?)。負けた金を払えと追いかけてきたいかさま博奕打ちとすったもんだの末、相手の帽子を取り上げて、裸のまま例のギャグ。おお、ナマ<くるりんぱ>、だ!! 上島竜兵のギャグは2幕目にたっぷり見られる。勘三郎さんがさんざん振って、フェ~フェ~おじさん、かっくん坊や(この2つ、知らなかった)、おでんネタ(これには藤山直美も加わって爆笑モノ)を立て続けに披露。勘三郎さんは上島竜兵のファンだということだが、このギャグのためだけに取った時間だから、相当な入れ込みようだ。勘三郎さん自身も一人の観客になってギャグを楽しんでいるような様子が見られたしsmile
ほかにも「やりたくない」と言って、周囲が「俺がやる」「俺がやる」と手を挙げると「じゃ、オレもやる」と手を挙げ、結局皆が辞退して自分がやることになるという、お馴染みのギャグもナマで見たゾ。「訴えてやる」もあったかな。千穐楽バージョンでこんなに見せてくれたのかなと思ったが、藤山直美が「
1カ月やってもひとつもウケへんだったじゃないですか」と突っ込んだところを見ると、毎日やっていたのかもしれない。今日は実際、上島竜兵のギャグを知らない人にはあまりウケていなかったようだ。私自身は別に上島竜兵がそれほど好きってわけではないけど、竜ちゃんが多分内心張り切ってやっているであろうギャグをナマで見られて、ちょっと満足。
さて、このおふざけでボコボコにされている幸平を助けてくれたのが、いち。いちがいくら制止しようとしても、ボコボコ中の連中には聞こえない。そこでいちは、目の前の小さな神社の鈴を思い切り鳴らす。すると鈴を吊るしていた紐が切れる。いちはその紐をもって、鈴をぶんぶん振り回す。今度は紐が切れて鈴が幸平の頭に飛んで……。藤山直美らしいこの一連の騒ぎに、もう客席大爆笑。

幸平の妻・幸江(余貴美子)。どうしてこんな綺麗な人が、とまったく不思議なのだが、この幸江、幸平にゾッコンなのだ。余貴美子って、ドラマで1回しか見たことないのだが、とてもミステリアスな感じがして気になる女優さんだった。喜劇でこんな体当たりな演技が見られるとは思わなかった。とっても性格の可愛い奥さんで、でも最後ダメ亭主の過去のせいで、かわりに間違って刺されちゃって、花道で幸平におぶわれたまま息絶えて…涙がたくさん出ました。
収拾つかない長さになりそうだから、かなり端折ります。
商才のある六助(ボタンに目をつけたところへ、軍服のおかげで儲けたんだそうだ)は事情があって店の権利を商才のない兄に譲らざるを得なくなる。このときの遣り取りが可笑しい。病床について口もきけなくなっている父親がなんと小山三さん。表情だけで笑いをとるのはさすがの演技だ。その父親のまわりで、母親が口ベタな長男に、ああ言えこう言えと教え込む。もちろん、船場吉兆のパロディだから、客席も大受け。
ここのところ話題になった社会現象を使った笑いは、ほかに蘇民祭、中国餃子、ちょっと古いが東国原知事の「どげんかせんといかん」と宮崎地鶏。
六助夫婦はサイコロで出た目の数だけ先へ進むという旅をしながら1本のわらしべ(わらしべの事情は省略)を物々交換していくのだけど、京都では舞妓さんを手に入れる。映像のみで登場するこの舞妓、誰かと思ったら柄本明だった(こわ~い)。友情出演とか特別出演ってヤツですね。
この芝居ではもう1回映像が使われていて、これが実に効果的。東京近郊に戻ってきた六助が泊まった旅館で、幸平をボコボコにしたいかさま博奕打ちと1回きりのサイコロ勝負をする。相手はいかさま師だから、サイコロに仕掛けがある。ところが、なんとどんぶりに入れられたサイコロの1つをコロンと転がして目を変えてしまうのが、六助の亡くなったおとうさん。上から下りてきたスクリーンの中で頭に白い三角巾をつけ、すっとぼけた表情の小山三さんがちょいと手を出すと、スクリーンの下の勘三郎さんが勝ってしまうという仕掛け。もう小山三さん、サイコウっscissors 思わず手を打って笑った。
芝居として言いたいこと、伝えたいことがあったのはわかるけど、それより芸達者な出演者たちの演技があんまり可笑しくて、笑って笑って涙が出るほど笑っただけでいいや。
<上演時間>第一幕65分、休憩35分、第二幕70
おまけ1六助が泊まった旅館の女将が河合盛恵さん。松也クンのおかあさんだ。「寝坊な豆腐屋」で20何年ぶりかで舞台に復帰したそうだが、それを知ったのはもうそれを見た後の松也クンのブログだった。印象には残っていたが、それでもそういう意識で見ていないから、明確さには欠けた。今回はしっかり拝見しました。お顔は松也クンとやっぱり似ているなと思うところがある。新派の女優さんらしいな、という感じ(私のイメージですが)。
おまけ2いっぽう役者2世の2人もいる。伊東四郎の息子・伊東孝明クンと橋爪功の息子・橋爪遼クンだ。2人とも、役名が伊東・橋爪とそのまんま。勘三郎さんが芝居の中で2人のおとうさんの名前を紹介したから、客席は「ほう~っ」。
おまけ3天才少女歌手として矢口真理が出ていた。ちっちゃくて可愛い。藤山直美が矢口真理と一緒に「LOVEマシーン」のさわりを歌い踊ったのには大拍手。「♪ニッポンの未来は~wow wow wow wow」って歌です。
おまけ41幕目の終わり、日本が国際連盟に加入したという号外が花道を走る号外売りさんの手から撒かれた。私は花道に近い席だったのだけど、残念ながら花道から23つ目くらいの席までしか届かなかった。実際に印刷されたその号外を手にした人は、「漢字が多い~」と言っていた。
おまけ5芝居の最後に全員が舞台に並んでお辞儀して、幕が1回下りて客席も明るくなって、それから幕が上がって出演者が拍手を受けて、幕が下りて、もう終わりかと思ったけど鳴り止まない拍手にもう一度幕が開いて。この時は役者さんたち引っ込みかけていたのを急いで戻ったような感じだった。客席も帰りかけた人たちが通路に立ち止まって見ているから、舞台の一部が隠れちゃった。でも藤山直美が一段高いところに上って愉快な踊りをサービスしてくれた。

おまけ6周囲の声によれば、七之助さんが見に来ていたらしい。
おまけ711時半開演、1420分終演というのは手頃(?)で助かる。また休憩が35分というのも余裕をもって食事できてありがたかった。
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こちらはもうひとつの千穐楽。一幕見で何か見られるかなと思ったけれど、タイミングが合わなかったし、すぐに帰宅しなければならなかったから、通りの向こうを眺めるだけで別れを告げた。また3月に~。
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2007年12月26日 (水)

冬のひまわり≒サウンド・オブ・ミュージック

1225日 「冬のひまわり」(新橋演舞場千穐楽)
どう見たって、トラップ一家の物語だ。もちろん、時代背景も場所も人物設定も違うけど、ベースは間違いなくトラップ一家だ。母親をなくした6人の子供たち、厳格な父親、身分も気位も高いその婚約者、自然体で子供たちに対峙する家庭教員(家庭教師)。五十嵐渉(西郷輝彦)はトラップ大佐であり、福田あかね(藤山直美)はマリアであり、渉の婚約者・三浦松子(鶴田さやか)はエルザ男爵夫人なのだ。
ああ、ここはあの場面、と映画が甦る。とくに前半、あちらこちらに「サウンド・オブ・ミュージック」を思わせるエピソードが鏤められている。

<サウンド・オブ・ミュージックとしての「冬のひまわり」>
いちいち挙げたらキリがないけれど、たとえばあかねが家庭教員先の五十嵐家の裏口の前で、あまりの豪邸ぶりにひるみ、でも次の瞬間自分に気合を入れて裏口を入るところ。マリアがI have confidence in meを歌いながらトラップ家に乗り込む場面が重なる(でも、そこは喜劇。あかねは自分の腰のあたりをバンバ~ンと叩いて気合を入れる。場内爆笑です)。
長女蘭子(木崎メイ)はまさにリースルだ。
あかねが子供たちと枕投げをしているところを、子供たちの父親であるおっかない旦那様に見つかってしまうところは、さしずめ池だか川だかで子供たちもろとも舟から落ちてずぶ濡れになるマリアか。
「冬のひまわり」は「サウンド・オブ・ミュージック」と違ってミュージカルではないけれど、劇中歌が何曲か歌われる。渉とあかねの「デュエット」はSomething good。テーマ曲ともいえる「ヒマワリの歌」はSound of musicでもあり、My favorite thingsでもあり、Climb every mountainでもあり、Edelweissでもあり、そしてDo-Re-Miでもあると言っていいだろう。
1920
年代の横浜にナチスに追われるような息詰まる深刻さはまったくないけれど、この一家にも試練と新たな希望への旅がちゃんと待っている。

<人情喜劇としての「冬のひまわり」>
しかしこの作品は、ベースはサウンド・オブ・ミュージックでありながら、ちゃんと日本の人情喜劇としてのドラマトゥルギーももっている。1幕目の幕がおりた後、しばらくの間客席に笑いがどよめいていた。こんなこと初めてじゃないかしら。2幕目は逆に涙ぼろぼろというところで幕が降りてきちゃった。鼻水たらし、目は真っ赤。こんな顔で場内が明るくなってうらめしい。
周囲の目も気にせず、本当に自然に泣いたり声をあげて笑わされたりした。脚本も、主役も、脇もよかったからだろう。あかねは大阪出身だけど、横浜で化粧品店を営む伯父夫婦の許に身を寄せ、実の娘のように可愛がられている。この伯父夫婦と店の番頭が小島秀哉、大津嶺子、小島慶四郎とくれば、松竹お得意の人情喜劇が展開されるのも頷ける。そしてここに、サウンド・オブ・ミュージックには絶対いない人物が1人いる。それはあかねの婚約者・後藤清太郎(国広富之)である。あかねに五十嵐家の家庭教員の話がまわってきたとき、周囲の反対を説得してあかねにチャレンジさせたのは、ほかならぬ清太郎だった。それが清太郎の悲劇を生む。でも彼はあのとき自分の運命が決まったのだと、それを受け入れる。
一方の渉の婚約者・松子も「妻になれても子供の母親にはなれない」と諦め、自ら身を引く。
こんな哀しい事情の上に主人公の幸せがあるというのも、人情喜劇に必要な1つの要素だろう。

<役者さんたち>
子役がうまい、可愛い(下の3人はダブルキャスト)。何度も泣かされた。笑わされた。とくに、ヤンチャな次男(家庭教員に悪さばかりするのだが、あかねは負けていない。その髪型から「キノコ!」とあだ名をつけやり返す)は藤山直美が本当に可愛がっている感じを受けた。寡黙で花を育てるのが得意な三男も、複雑な心境を巧みに演じていた。この子も、オネショに悩む三女も、みんな可愛いのだ。上の3人もよかった。
鶴田さやか、久しぶりに見た。昔、鶴田浩二の娘が女優デビューと騒がれたときのイメージしかなかったから、そりゃあおばさんになったとは思ったけれど、気位高く美しい、しかし婚約者の愛情を得られず苦しむ役柄によく合っていた。
鶴田さやかの乳母・入江若葉がイメージを180度変え(エライ!)、お嬢様大事のモーレツオバサンをオーバーに演じている。ちょっとがなりすぎかな~ってこともあったけど。
西郷輝彦は前半ほぼずっと気難しい顔をしていなければならず、藤山直美の演技によく噴き出さないでいられるなあ、と感心した。だって藤山直美の共演者はたいがい笑いをこらえるのに必死になっているんだもの。上流社会の生活が本来の自分の性格とかけ離れていることに気付いた西郷輝彦が藤山直美に惹かれるのはいいとして、骨がきしんだり(本当の恋をすると、骨がきしむのだそうだ)、熱いまなざしで見つめたりするのが、いくら直美ファンの私でも可笑しかった。片や大真面目、片やコミカルというズレの醸し出す可笑しさだろう。口ひげを生やした西郷さん、カッコよかったです。ただ、歌は元歌手の割にはイマイチで…。私、デビューしたての頃の西郷輝彦はかなり好きだったのですが…。
ロマンチック・コメディー以上に大笑いしたのはやっぱり藤山直美の才能によるものだろう。表情ひとつ、動きひとつで笑いを取れる。でもただ笑わせるのではない、喜びも哀しみも悩みも苦しみも、全部笑いの中に表現されている。ホント素敵な女優さんです。珍しいドレス姿も見られたし(西郷輝彦とのダンスの場面でやたらくるくる回ったとき、綺麗なおみ足まで拝見)、「狸御殿」以来の歌も聞けたし、藤山直美の魅力、堪能しました。
そのほか、横浜らしく外国人が何人も登場し、英語などのセリフが飛び交う。プログラムを見たら、出演者の数がびっくりするほど多い。総勢60人だとか!!
カーテンコールは西郷輝彦と2人だけで出た1回しかなくて残念。2人の短い挨拶の後閉じた幕は、再登場を促す拍手が続いているにもかかわらず、ついに上がらなかった。他の共演者、子供たちも出てくるかと期待したんだけどなあ。でもまあ、そういう余韻も残しての舞台ということだろうか。演舞場1年の締めくくりに、心温まる「冬のひまわり」を見られて、満足満足。

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2007年11月26日 (月)

大感動の「ナツひとり」

1126日 「ナツひとり」(新橋演舞場昼の部)

仲間由紀恵ちゃんが好きだから、その由紀恵ちゃんを最前列でしかも千穐楽に見たい、という思いだけで取ったチケット。少々風邪気味で迷ったけれど、最前列を空席にしたくなくて行った。行ってよかった。見なかったら損していた。とかくこの手の芝居は敬遠しがちな私は、由紀恵ちゃんじゃなかったら絶対見なかっただろうけど、実によくできた作品で、意外にも今年見たこういう演劇の中で一番よかったかもしれないと、大いに感動し興奮してしまった。

橋田壽賀子の原作もTVドラマ(「ハルとナツ」)も知らない。だから原作が優れているのか、脚色・演出のマキノノゾミがうまいのか、わからない。多分、両方とも良いのだろう。橋田ドラマはほとんど「おしん」しか見ていないが、それより後のドラマに漂う説教臭がキライで、この「ナツひとり」もそういうにおいが感じられたらイヤだなあと思っていた。ところが、そんな部分はまったくなく、何よりストーリーや登場人物の造型、心情がわかりやすく、入っていきやすい。とくに、人物の最初のセリフでその人の性格が摑めるというのはマキノノゾミの腕の見事さだろうか。以下、ストーリーをごくごく簡単に。

戦前の北海道での生活の厳しさに見切りをつけてブラジルに移民するナツの一家。だが、トラホームにかかっているとわかったナツは、入国拒否されるからと、出発直前、たった1人船を下ろされてしまう。昭和12年、ナツ12歳のことである。それまで一家が身を寄せていた父の兄のところに1人戻されたナツだが、伯父の家にも余裕はなく、伯母(沢田雅美)や従兄弟たちはナツを厄介者扱いして何かとつらくあたる。14歳になったある日、ナツは伯父の家を逃げ出し、行き倒れになったところを、北王牧場の場主、徳治(徳じい、宇津井健)に助けられ、そこで娘のように可愛がられながら一緒に暮らすことになる。

徳じいの死、戦争に引き裂かれた恋、2度の結婚、ダメ息子、事業の成功とともに失ったもの……第3部では賞味期限切れ問題まで生じる(<白い恋人>事件を思い出させるこの場面は原作にあるのかしら。「賞味期限切れ」というセリフに観客が反応して苦笑が起きていた)。

波乱万丈のナツの生涯を支えてきたのは、1人ナツを置いていってしまった家族への思いだった。ナツは姉のハルと手紙の遣り取りをする約束をしており、毎月手紙を出していた。だが、姉からは1通も手紙が来ない。やがてナツは、自分は家族から捨てられたのだと思うようになり、それをバネに事業を興し、拡大させていった。

だが、実は、姉はちゃんと手紙を出していたのである。その手紙は伯母が隠していたためにナツの手に渡らなかった。いっぽうでナツからの手紙もまた、父親の移民先が出発前に知らされていた所とは別の場所になってしまったため、姉に届かなかったのである。

由紀恵ちゃん好きとはいうものの、実際に見たドラマは「トリック」(TVも映画も)と「ごくせん1」だけ。初舞台の「スター誕生」は見そびれちゃったし、由紀恵ちゃんはどちらかというと映像向きかなと思っていた。ところが、どうしてどうして立派な舞台女優である。素直でのびのびとした演技の中にコメディエンヌとしての面目躍如たるユーモアを漂わせたかと思えば、そこはかとない哀しみ、苦しみがにじみ出る。由紀恵ちゃんの魅力の一つは、いじらしさだと私は思っているが、由紀恵ちゃんのナツは本当にいじらしい。年をとってからだって、いじらしい。由紀恵ちゃんが泣くたび、私も泣いた。

由紀恵ちゃんは14歳から76歳までの女性を演じたわけだが、さすがに老け役には無理がある。若すぎる。でも、ヘタにシワなど描いたりせずに髪の毛の色と口調、歩き方などで年齢を表現したのは正解だったと思う。70を過ぎたナツがハルを思って「おねえちゃん」と泣く場面や、最後にやっとハルと携帯電話で言葉を交わすことができた場面での顔の若さは12歳のナツと重なって、そのほうが違和感がないのだ。

この、ハルとナツの携帯による会話という方法は秀逸だ。ハルの声に森光子を充てたのであるが、森光子のハルが優しく温かく、ナツを大きく包むようで、ナツが船を下ろされたときから60年以上も張ってきた気が解け、自然に甘えるようになるのがよく理解できる。声だけでこれだけの感動を与えられるのは見事だと思った。

徳じいの宇津井健。TVのバラエティーなどで見ると「年とったなあ。舞台大丈夫か?」などと思ったものだが、まったく失礼しました。もちろん若い役ではないけれども、意外にも若々しく――今朝たまたま聞いたラジオで渡辺えり(えり子改め)が、「役者って、年をとるといろんなこと忘れちゃうけど、せりふだけは絶対覚えるのよ」と言っていたことを思い出した――、ナツの父親がわりとしての愛情と包容力に泣けた。きっと宇津井健は本当に由紀恵ちゃんを娘のように可愛がっているんだろうな(そういえば、「ごくせん」ではヤンクミのおじいちゃんだったっけ)。ドラマでの宇津井健って今まであまり見たことがないけれど、とてもいい味を出していた。

ナツの初恋の人、中内金太は生瀬勝久。へ~~、「トリック」でも「ごくセン」でも由紀恵ちゃんとぶつかる役という意味でいいコンビだった生瀬さんが恋人かあ。役者というのはたいしたものだ、TVだといっつも鼻をふくらませてへ~んな顔の生瀬さんが、とってもステキに見える。学生服も似合っていたし。生瀬さんって、「ロマンス」でもよかったし、舞台のほうがいい男に見える。でも、中内金太の人生って、何だったんだろう。戦争によって恋も酪農への夢もなくし、結婚もせずに(ナツをずっと愛していたのだ)最後は胃癌で死んでしまう。前半の剽軽真面目ぶりとはがらっと変わった戦後の複雑な心境を抱えた生瀬さんの演技にも泣けた。

ナツの2度の夫、川村勉(福士誠治)。あんなに好きだったナツと結婚したのに、だんだん心が離れていってしまう。福士誠治は、都会で大会社の副社長という地位にはそぐわない、自分の身丈にあった牛飼いの仕事のほうを愛する、そういう純朴な青年を好演。けん玉をするシーンがあるのだが、これが上手で、見事な技に客席から思わず拍手が。

ナツにつらくあたる伯母は沢田雅美。さすがにうまい。なんて意地悪なオバサンだと憎らしくは思うものの、やりきれない経済的な苦しさが心をすさませるのでもあろうと思い遣るほどの分別が私にもある。それでもやっぱりハルからの手紙を隠したのは憎らしい。60年もたってからナツに母の所業を詫びる、母親とは反対に優しい気持ちの娘(すなわちナツの従姉妹)として同じ沢田雅美が登場したのもうまい演出だと思った。母にかわり腰を低くして詫びるその同じ姿かたちを見れば、ああ、あのオバサンもつらかったんだな、と何となく許せてしまい、観客として後味の悪さが残らないのだ。

3時間の芝居のどこひとつとして飽きさせないストーリー展開(「おしん」パターンが似ている)に、役者さんたちの見事な演技。各部が終わり客席が明るくなるたびに、周囲はみんな目を赤くしている(泣いたまま明るくなると、ちょっと恥ずかしくて困るのよね)。2回のカーテンコールでは、熱烈なスタンディングオベーションが起こった。2回目には「仲間由紀恵初座長公演」との垂れ幕も降りてきて、さらに拍手は大きくなる。座席がやや上手寄りだったため、花道がよく見えなかったのと(花道を部屋に見立てている場面がけっこうあった)、カーテンコールの時由紀恵ちゃんが少し遠かったのが残念だったけど、私の目の前には生瀬さんがいた。この一座に私も大きな拍手を送った。

<上演時間>180分、休憩30分、第260分、休憩15分、第340
おまけ:2月歌舞伎座のチラシがあった。松本白鸚27回忌追善公演だそうだ。昼の部は「小野道風青柳硯」「車引」「積恋雪関扉」「仮名手本:祇園一力茶屋の場」、夜の部は「寿曽我対面」「口上」「熊谷陣屋」「春興鏡獅子」。幸四郎、吉右衛門、芝翫、富十郎、雀右衛門ほか錚々たる出演者。
今日の歌舞伎座

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2007年10月19日 (金)

町と人と:寝坊な豆腐屋

1018日 寝坊な豆腐屋(新橋演舞場夜の部)

3丁目の夕日」から4年後、東京オリンピックの2年前(昭和37年)の話である。内容は、母と子の葛藤・情愛を軸に、町の再開発を巡る住民の姿をからめて描いた人情モノというのでしょうか。母子の情愛には何度もしんみりきたけれど、私は再開発問題のほうに、より興味をひかれた。

というのも、私は年齢のせいか、古い町に心惹かれ、だんだんそういう古さがなくなって町の姿が変わっていくのを寂しく感じているからだ。だけど、そういう感傷が、観光客あるいは他所からの訪問者(生まれ育った町も、離れてしまえばよそ者だ)としての身勝手なものであることもよくわかっている。私がなくなってほしくないと思っている町は、住んでいる人にとってみれば時代に取り残された不便な存在かもしれない、といつも思っている。

だとしても、お金も絡む再開発が地元に複雑な問題を生じることは当然察しられる。この物語でも再開発すなわちマンション建設か、あるいは現状維持か、で町が二分する騒ぎになる。子供の頃くぐって近道をした工場の塀の穴、そこの前に立てば戦死した悪ガキ仲間の姿が今でも甦る。マンションが建ったら、その穴はなくなってしまう。そう言ってマンション建設に反対する豆腐屋(勘三郎)の気持ちは、私の心に強く訴えるものがあった。

町の様相が変わったら、町の人の心も変わるんだろうか。再開発にはお金の問題もからむから、やっぱりこれまでと同じ、というわけにはいかないのかもしれないな。といって、町の姿もいつまでも変わらないわけにもいかないだろう。この物語でも、そういう含みをもたせている。

町の住人、建設会社の社長、金貸しのオバチャン(森光子)の世話をするオバチャン、脇の役者さんたちがみんな生き生きとして、当時へのノスタルジーを掻き立てる。そして「いつでも夢を」「上を向いて歩こう」、懐かしい歌が流れてくると、心がキュンとなる。ただ、時として説教くさいセリフがあるのが気になった。メッセージ性を含ませるのはいいのだけど、こういう芝居ではその含ませ方がむずかしいのかもしれない。それを表に出されちゃうと、少し引く。

さて、ここからはミーハーになります。

森光子さんが若い!! 肌がきれいだし、ほっそりと小柄できれい、そして何より可愛らしい。私は若い頃の森さんってあまり好きでなかったし、ある程度お年になってからはジャニーズ系とどうのこうので、これもあまりいい感じはもっていなかった。でも、今日見て、天性の愛らしさに魅了された。気風のいい役柄もぴったり合っていたと思う。ちょっとお年を心配するような部分もなくはないが、いつまでも可愛らしく素敵で元気な女優さんでいてほしい、と心から思った。

波乃久里子さんの存在感はバツグン。こういうオバチャンいるいる。

勘三郎さんは前にも時代劇でない姿を舞台で見ているが、他に歌舞伎役者さん5人(弥十郎さん、扇雀さん、亀蔵さん、勘太郎さん、仲之助さん)も一挙に現代劇姿で見られるのって、ちょっと珍しいんではないかしら。

電気屋の倅・扇雀さんがとてもよかった。若々しい夢をみる当時の青年の姿がよく伝わってくる。土建会社の社員・弥十郎さんも会社に対する実直さと下町の人情の板ばさみになるつらさを可笑し味とともに出していた。畳屋の亀蔵さんがやっぱりもったいないなあ。いいキャラなんだから、もっと活躍させてほしかった。でも、みんなで剽軽な踊りを踊る場面では、亀蔵さんは案外シャイなのか、ちょっと照れくさそうな感じがした。反対に扇雀さんはノリノリで、私は顔はにやにや、あまりの楽しさに腹の中で大声で笑ってしまった。勘太郎さんは、新聞配達の役だったが、勘三郎さんとお約束のようなやりとりをして(「親の顔が見たいね」「親は人に見せられるような顔じゃない」って)、花道脇のお客さんに23部新聞を配って引っ込んで、それっきり。これもちょっと寂しいけど、反対に特別出演的な観客サービスと考えればいいのかも。

豆腐屋の勘三郎さんは、ステテコ姿のしがない独身42歳っていう役でも、そこはかとない色気がある。ラスト近く、夕陽を寂しそうに眺めていた母親(森光子)を見つめる目がとても優しくて愛に満ちていて、私はその目を見た途端、涙が出てきた。実は、そばに途中から激しく泣いている観客がいて、おかしなものだけれど、私は泣きそびれてしまったのだ。それでもこの場面は泣かずにいられなかった。

<上演時間>170分、休憩30分、第290

この芝居を見た帰り道、奇しくも木原光知子さんの死を知った。東京オリンピックで日本中を沸かせた美しきスイマーの死はあまりに早すぎる。

おまけ1 扇雀さんの「いつでも夢を」が聞けます!! ステキです。

おまけ22階で販売中の舞台写真。「文七元結」での小山三さんの写真も数枚あって、かなり心惹かれたけれど、結局買わないでしまった。ごめん、小山三さん。なお、確認したほうがいいとは思うけれど、筋書きの舞台写真は20日から入るとのこと。

おまけ3休憩時間に音無美紀子さん発見。どなたかとご挨拶してらしたが、温かい笑顔はテレビで見るとおり。

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2007年9月21日 (金)

やっぱりイマイチ「憑神」

920日 「憑神」(新橋演舞場1630分の部)

浅田次郎にしては珍しくはずしたな、という感じだ。映画がイマイチだったから、原作を読み始めたけれど、途中で挫折し、真ん中あたりで止まったまま。芝居なら面白いかな、と期待して見た割には、やっぱりイマイチだった。

題材も物語の展開も面白くないわけがない。それなのになんでだろう。最大の問題は、主人公たる彦四郎という人物に私が魅力を感じないことにある。別所彦四郎は、徳川慶喜が敵前逃亡した卑怯者だと知っても、家康公の影武者であったご先祖様以来の由緒ある家柄の人間として、敢えて最後まで幕府に殉じようとする。時代を読めない、いやわかっていても武士の本分に生きようとするピエロであり、ドン・キホーテである。ピエロには、ドン・キホーテには、おかしみとともに物哀しさがつきまとう。それなのに、私にはそれが感じられなかったし、浅田次郎が言いたいことはよくわかるのに、この人物の思いに対する共感とか、わかるわかる、ってものがないのだ。もしかしたら、浅田次郎描く典型的江戸っ子とはキャラが違うせいなのかもしれない。

ただ、映画にも舞台にもなったということは、彦四郎に魅力を感じる人が大勢いるということでもあろう。だから、私が彦四郎を理解できない、というだけである。私にとって、彦四郎の超ちゃらんぽらんな兄・左兵衛のほうがよっぽど面白い。現実主義の兄嫁も良い。

芝居はいきなり、彦四郎(橋之助)の立ちション(下品な言葉遣い、失礼)から始まる。リアルに音まで入れちゃって、後ろのオバチャンたちが「いや~」と言って喜んでいた。このオバチャンたちは非常に反応が良く、いちいち受けてきゃぴきゃぴ笑っているのが可愛らしい。小用を済ませた後、土手から転がり落ちるその落ち方はちょっとわざとらしい。だいたい、最初に見たとき、ずいぶん高い土手だなあ、これじゃ墜落じゃないの?と思っていたのだ。やっぱり滑り落ちようとするには無理があったようだ。

落ちた先で三巡神社を見つけ、手を合わせると、場面は一気に250年以上遡り、別所家のご先祖さまが活躍した大坂夏の陣になる(後でこの場面が何のことか明らかにされるが、物語を知らない人にはわかりづらいかも)。家康がちと貧相。橋之助演じるご先祖様のほうがよっぽど貫禄がある。ご先祖さまが家康公の影武者として見事果てると、ゲートフラッグ(2本の棒で支えられた大きな幕)が登場する。「憑神」と書いてある。映画のタイトルみたい。

舞台は、一部、初めて見たらわかりにくいかもなあと思う部分もなきにしもあらずだが、まあまあよくまとめていたと思う。人物Aが人物Bに過去の出来事を説明するとき、現在の場面を置いたまま、Aが同じ舞台で進行する過去に赴き、そこで出来事が起こる。「~いうわけでござる」ってな感じでAは現在に戻り、Bはその出来事を<まるで眼前で起こったように>わかる、という手法は面白い。その一方で、右見て左見て、また、右見て、っていう感じで目まぐるしくもある。

それに、物語が進むに連れて、男優陣の声の大きさに疲労を感じるようになってしまった(音響ではボディソニック効果を感じたけれど、がなり声じゃあ芝居に入っていけない)。しかも、ず~っとドタバタ喜劇のようにして進行してきたのに、戦が始まったとたん、ありきたりな感動もの風になって、これも思い入れできない原因のひとつだったかも。

葛山真吾さん(榎本釜次郎、後の榎本武揚)は意外とよかった。意外と言っては失礼だが、昼ドラに出てきそうな二枚目ぐらいにしか思っていなかったから。これが、なかなか骨もあり、おかしみもあり、かつさわやか。兄・左兵衛(デビット伊東)は、映画の佐々木蔵之介が私は気に入っているが、デビも悪くはない。兄嫁(秋本奈緒美)がこれまた良い。これがあの秋本奈緒美か~?と思うくらいTVで見る顔と絶対違う。

日和見主義の臆病者・青山主膳は笠原浩夫さんだったが、最初、金成公信(吉本のお笑いコンビ、「ハローバイバイ」の1人。日テレ「ロンQハイランド」のプープー星人)かと思った。思わずプログラムで名前を確認したくらい。って言ったら怒られちゃうか。

貧乏神・疫病神・死神は映画のインパクトが強く、升毅さん、コング桑田さん、鈴木杏ちゃんはそれぞれ、う~ん…決して悪くはないけど~。原作とも映画とも違うのは、死神の扱い。舞台ではほとんど最初から登場したので、驚いたけれど、特別な違和感はなかった。死神は自分の使命に反して彦四郎を死なせたくなくなるから、その気持ちに唐突感を与えないために、早くから登場させたのかもしれない。年齢も映画では幼い女の子だったが、ここでは1516歳の娘という感じで、ドライな今どきの女の子風。

橋之助さんは出ずっぱりで、大汗かいての大奮闘。顔からも頭からも汗の粒がひっきりなしにぽたぽた落ちる。剽軽な動作が勘三郎さんの仕草にそっくり。誰かが「橋之助さんは、やっぱりさわやか系よね~」と言っていたが、どうでしょうか。

今日はハプニングが3つもあった。まず、死神・おつや(そう、死神お名前はおつや。含みがありますねえ)が遊んでいた毬が客席に転げ落ちたこと。次に、上から下りてくる大道具の塀と蕎麦屋の屋台がぶつかったこと。屋台の位置の目測を誤ったんだと思う。最後に、カーテンコールで役者さんの手から刀(鞘に入っていた)が客席に飛んでいったこと。色々あるものですなあ。

<上演時間>175分、休憩35分、第270

おまけ:来年1月演舞場は海老ちゃんの「鳴神」通しだあぁ(成田山開基1070年記念「雷神不動北山櫻」)!!

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2007年4月28日 (土)

出待ち

1_9 帰りに演舞場の楽屋入り口付近の公園で人だかりがしていた。おお、小道具の人力車が2台と自転車(春団治がまだ若い頃の自家用車)があるではありませんか。そして藤浪小道具の人たちが2台のトラックに小道具を積んでいる。春団治は5月博多座、6月松竹座に行く。小道具はもう博多に向けて出発というわ2_7 けだ。私は写真をバチバチ撮りながら、初めての出待ちっていうのを10分ほどした。ただし私が待っていたのは白い人力車。そりゃ、内心、藤山直美とかジュリーが出てきたらどうしよう、なんて半分ドキドキしてはいたけどね。待ってる間に化粧を落とした役者さんが何人か出ていらした。その中の1人は小島秀哉さんで、舞台より若く見えた。役者さん3_8 が出てくると、通路で待っている人たちが拍手する。なるほど、出待ちって、そういうことするのか。結局白い人力車はちっとも出てきそうにないので、諦めてそこを離れ、愛する歌舞伎座前を又通って、地下にある銀座四丁目郵便局に寄って(その存在をつい先日知った)、少しノンビリした気持ちで帰路に着いた。
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