カテゴリー「文化・芸術」の記事

2008年8月 3日 (日)

和楽器堪能、囃子の会

82日 囃子の会(歌舞伎座)
08080301hayasi去年三響会に行かなかったし、今年東京では三響会はないし、囃子の会の案内を見て、出演の囃子方、歌舞伎俳優さんが豪華だし、お能のことはわからないけれど、このレベルならきっとお能のほうもすごい方たちなんだろうと(後で聞いたら、お能は、ありえないような豪華メンバーだそうで…)、そういう出演者が一同に会するこんな豪華なチャンスはめったにないだろうとチケットを取った。
素晴らしかった、行ってよかった。こちら関係、まったく知識がないので、とんちんかんになるかと思いますが、以下、視覚的感想(囃子の会、なのに)を簡単に。
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2列目だったから、花道は諦めていたが、幕が開いてビックリした。あの舞台が能舞台に変身していたのだ(能舞台を模した、と言うべきですかね)。半分より上手寄りに舞台、下手側半分に橋が設えられ、床が黒く塗られていた(or黒い布?)ため橋が浮き上がって見え、時々本当に水面にかかっているかのような錯覚を覚えた。舞台後ろの松は、幹は本物の葉を使っていたのではないかしら。もう、この作りを見ただけで、気分はそういう世界へと誘われる。
最初は「三番叟」23分)。江戸時代、「三番叟」で舞台を清めてからその日の公演を行っていたという芝居小屋の慣わしにのっとり、この会もまずは「三番叟」から。藤間勘十郎さんの三番叟は、躍動感にあふれ、「操り」とか「舌だし」とか「種蒔き」とか、そういうバリエーションでない「三番叟」もこれほど魅力的なものなんだ、と思った。勘十郎さんは、82日付の東京新聞夕刊伝統芸能欄のメイン記事に取り上げられています(まだ28!!)。
「鶴亀」20分)。梅玉、梅丸、梅枝、萬太郎による長唄の舞踊。梅枝クンはもうすっかり自信がついたのか、清楚ながら堂々たる舞いぶり。萬太郎クンは昨年錦之助さんのお祝いの会で一度舞いを見たことがあるが、格段の進歩だ。もちろん、まだまだではあるが、若い子って進歩が目に見えるので面白い。梅丸クンはいつもながら、そのうまさに舌を巻く。若い3人を帝の梅玉さんがやわらかく貫禄で見守るという感じだった。
「小袖曽我」12分)。「曽我物」の1つで、シテ梅若六郎、ツレ観世銕之丞。面も衣裳もつけない素踊りで、意味はよくわからなくてもドラマ性が感じられて、引き付けられた。こういう演目なら能でもイケるな、と思ったのだけどプログラムを見ると「舞囃子」と書いてある。これは能ではないのかしら。
「静と知盛」26分)。富十郎さんの素踊り。「船弁慶」ですよね。で、やっぱりダメでした。頑張って見ていたのだけど、陥落しました。
「羅生門」20分)。これも素踊り。吉右衛門さんの渡辺綱。この曲に振り付けが施されるのは今回が初めてだそうだが、曲は勇壮だし、踊りもわかりやすくて楽しめた。
「楊貴妃」40分)。シテ観世清和、ワキ宝生閑。これは<>。何とか努力したけれど、寝てしまった。お能を見る自信が完全に潰えました。
「老松」20分)。黒の衣裳が映える玉三郎さんの美しさを堪能。リラックスして踊っているように見えた。
番外・獅子」5分)。亀井忠雄さん一家に笛の福原寛さんが加わった演奏。これまでの演目はついつい踊りのほうに注意がいっていたが、この会は「囃子の会」なのだった。もちろん、演奏も素晴らしくて、鋭い笛の音(これが鳴ると、空気が変わる気がする)や澄み渡る鼓の響き(狐忠信を思った)、ぐっと盛り上げたりしめたりする太鼓、そこに加わる三味線、謡に長唄--演奏だけでも十分楽しいし、いっそ目を瞑って聞いてみたい気もしたくらい(もったいないから、そうはしなかったけれど)。そういう気持ちを満足させてくれたのがこの番外「獅子」。打楽器は決してリズム楽器なのではなくメロディーをも演奏するということが実感できた。獅子が毛を立てて舞い狂っている様が目に浮かぶ。それだけでなく、私自身が獅子になって狂い舞いしたくてたまらなくなる。わずか5分という演奏、終わるのが惜しくて、もっともっと聞いていたかった。一家でこういう演奏ができるなんて、ここへ至るまでの道の厳しさを思いながらも羨ましい気持ちになった。幕がおりてからも拍手をする手は止まらず、6人が1列に並んだカーテンコールで心からの賞賛を送った。
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上演時間>各演目の時間が本文に記載。「三番叟」から「静と知盛」までは各幕間5分。後半との間に40分の幕間。「羅生門」と「楊貴妃」の間は5分、「楊貴妃」と「老松」の間は10分、最後の幕間は3分。
追記1歌舞伎役者さんが登場するとさかんに大向こうがかかっていたが、歌舞伎とは違ってそぐわない気がして、声がかかるたびにドキっとした。とくに富十郎さんのときにそれを強く感じた。
追記231列目の客が前かがみになると、舞台がほとんど見えなくなる。私も時々31列に座り、十分気をつけてはいるつもりだが、後ろでそれを実感したから、今後はさらに留意しようと思った。
もう一つ、周囲のお喋りの声がやや大きいのが気になった。
おまけ1前後半の間の長い幕間が終わる少し前、スーツ姿の梅枝クンを発見。ずいぶんためらった後に、おばさんの図々しさで意を決して近寄り、巡業お疲れ様でした、牛若素晴らしかったです、今日の舞も素敵でしたと気持ちを伝えた。なんて素直な、感じのいい青年なんでしょう。ちゃんと丁寧に聞いてお礼を言ってくれました。ミーハー的満足感もバッチリでした。
08080303whisky_3おまけ2サントリーウイスキーの試飲会をやっていた。ウイスキーは普段ほとんど飲まないけれど、試飲会っていうのにはちょっと心惹かれる。でも、たとえ一口でも飲んだら絶対寝る。普段の歌舞伎興行でもビールやワインを飲む人がいるけれど、眠くならないのかなあ。


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2008年6月 7日 (土)

階段百段の~ぼった

67日 源氏物語×百段階段(目黒雅叙園)
ルーヴルDNPのイスラム芸術を見に行って(こちらのレポは後日)、帰りに思わぬおまけがついた。今やDNPの後の定番となった目黒川沿い散策。気持ちのいい風に吹かれて、でもけっこう車の通りが多くて端に寄りながら目黒新橋まで歩き、雅叙園のテラスでお茶でもと思ったその時、「百段階段公開」のポスターが目に入った。去年からずっと見たかった百段階段。その公開がなんと明日まで。これぞ神の与え給うたチャンス(そんな大げさなものじゃないけど)、お茶などしている場合ではない。早速チケットを買った。
080607gajoen1 080607gajoen2_2 雅叙園は去年もレポしたが、どこもかしこも、これでもかという装飾だらけ。螺鈿の豪華なエレベーターで何階だか(3階らしい)に運ばれ、そこから先は靴を脱いで上がる。雅叙園に唯一残された木造建築なのだそうだ。百段もある階段はどんなに壮観 かと思ったら、あまりに見物客が多いせいか(元の広さが体感できない)、あるいは階段のステップそのものの高さが低いせいか、はたまた踊り場がおおいせいか、圧倒されるような感じはない。1つの階段は8段から1213段くらいでできており、よく磨きこまれた木の段々をそれぞれ上がった先を右へ行くと(建物南側)、実に豪華な日本間が設えられている。「十畝の間」「漁樵の間」「草丘の間」「静水の間」「星光の間」「清方の間」(最後のは鏑木清方が作った部屋らしい)、どの部屋でも、飾り柱、天井画、欄間と実に手の込んだ細工が施されている。
今回の公開は源氏物語の世界を組み合わせたもので、「十畝の間」には辻村寿三郎の手になる源氏物語のジオラマとでもいおうか、代表的な場面を再現した世界が広がっていた。小さな人形たちの顔には目鼻はないが、状況や心理がよく表現されていた。六条御息所の生霊が夕顔を取り殺してしまう場面など、迫真の恐ろしさ哀しさが見えた。
「漁樵の間」の室内はなんと、すべて純金箔、純金泥、純金砂子で仕上げられているとか。それほど金ぴかという感じは受けなかった。むしろ天井画や巨大な床柱の絢爛な彫りに驚いた。ここは黒漆塗りの回り廊下があって、時代を感じさせる。
この後のどの間でだったか、多分映画「千年の恋」で使われた衣裳を試着・撮影できるとかで、女性の行列ができていた(撮影禁止の館内で、ここだけは撮影可。でも私はこの前の間で、携帯で撮影しているオジサン見ちゃったぞ。注意できなかったけどdespair)。
頂上に着くと、「頂上の間」というのがあって(雅叙園のあるところって、坂になっているから、上へ上っても上っても1階のような感じがする)、これは昨年オープンした資料室だということだ。螺鈿細工の作り方の解説が興味深かった。漆の塗った上に薄~くそいだ貝(あこや貝とかあわびとか、真珠貝タイプのもの)で美しい模様を作り、それを漆にのせて、再び漆をぬっていくというもの。この貝の細工が見事。と、ふと思ったのだが、これっておおまかな手法は「ちりとてちん」で見た若狭塗り箸と一緒? 一緒でないにしても似ている。
資料室にはフランス語版の「源氏物語」本もあった。ああいう微妙な世界をどのように翻訳したのか興味あるところだ。フランスの宮廷社会も恋愛事情は似ていたかもしれないが、風情などは全然違うから…。
ところで、会場のあちらこちらに辻村寿三郎の人形が置かれている。お市の方、朝日、千姫、おなか、おね、おごう、秀吉、信長、犬千代(前田利家:川津祐介の犬千代さまを懐かしく思い出した)、明智光秀、蜂須賀小六等々。面白いのは美人の誉れ高いお市の方があまり美人でなく、とてもオデブさんで(おねも太目だった)、女性の中で私が綺麗だと思ったのはおごうだけという感覚。だけど、おなかは、らしかったな。
お土産品売り場で思わぬ買い物をしてしまった。なんと辻村さんご本人がいらしていて(普通のいいおじいちゃんという感じでしたcoldsweats01)、買ったものにサインをしてくれるという。なんてったってミーハーな私、それほど辻村作品に関心があるわけでもなかったのに、つい、布モノを2点(手拭と大風呂敷。細長く斜めに走っている文字がサイン)も買ってしまった。どちらも耳のなが~いウサギで、福を呼ぶのだそうだ。
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さて、階段は本当に100段あるのか。上りに数えていたら、途中途中で各部屋の見学をしたためにわからなくなってしまった。それで帰りにもう一度数えた。99までは間違いなくあった。
ところで、百段階段の公開は時々やっているみたいで、今回の辻村・源氏物語とのコラボは明日まで、ということらしい。

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2008年5月15日 (木)

「能楽と歌舞伎」展

せっかく国立劇場に来たので、「能楽と歌舞伎展」が行われている伝統芸能情報館にも寄ってみた。能にはほとんど関心がなくて、な~んにも知らない私だけど(歌舞伎も見て楽しむばっかりで、知識はちっともない)、歌舞伎の演目には能からきたものが数多くあるからには、そのまま通りすぎるってわけにはいきますまい。
まずは「道成寺の世界」。能の「道成寺」は重い演目であったが、鐘が落ちてくるという派手な演出、また物語がわかりやすくて大衆向けということもあり、早くから舞踊化が進み、やがて様々な道成寺ものが歌舞伎舞踊として作られるようになったそうだ。その集大成が1753年、初代中村富十郎によって演じられた「京鹿子娘道成寺」ということだ。なるほど、そういう流れを知れば、あんなに色々な道成寺があることにも頷ける。
展示品として、3代目豊国による市村座「二人道成寺」の錦絵(1840年、天保11年)が目を引く。描かれているのは初世翫雀と三世家橘。おお翫雀さんの初代かいな、と思わず唸ってしまった。白拍子花子の持ち物も興味深い。鞨鼓、鈴太鼓、振り出し笠とおなじみのものが目の前にある。蛇体となった清姫の打杖もあった。

次は「石橋と獅子舞踊」。「いしばし」って読んでいたら「しゃっきょう」だった。そうだそうだ、そういえば「しゃっきょう」だったよ、1人でよかった、誰かといたら声に出して周りの失笑を買っていたかもcoldsweats02。当初の歌舞伎舞踊は女方のみによるものだったそうで、1734年初演の「相生獅子」「枕獅子」は女方向けだったという。18世紀後半に立役向けに「石橋」、明治に入って「新石橋」「連獅子」「鏡獅子」ができた。
展示品は「連獅子」の手獅子。口の中に赤い把手がついていて、ああ、これでいろいろ操作して動かすのかと納得。「春興鏡獅子」の手獅子は桐製で、その見事な彫りに感心した。また同じ「春興鏡獅子」の蝶は、竿の上につけてある鯨のヒゲのばねを利用してひらひらさせるそうで、ちょっと自分でもやってみたいという誘惑に駆られた。
「紅葉狩」。能の前シテにも合うという女性の装束(紅白段替四季草花に苫屋模様唐織。長い!!)、前場で使われる更科姫の衣裳(赤綸子流水鳳凰紅葉縫振袖。これも長い。しかしまさに文字通りの模様なのだ)が豪華で美しい。増女の面は前シテの高貴な女性用。更科姫の扇(鏡獅子扇)がけっこう大きくて重そう。これを2本もつのだから、大変だなあ。蒔絵の提げ重セットも豪華。変身前の鬼さんたちの舞を酒を口にしながら眺めるっていうあの場面が頭に浮かぶ。
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11月、国立劇場「紅葉狩」の舞台写真は、團十郎さんとジャッキー。
「松羽目物のさまざま」。「船弁慶」「土蜘」「二人袴」「吹取妻」「枕慈童」などの錦絵や舞台写真が展示されている。「吹取妻」と「枕慈童」は知らない。ホント、能からきた狂言ってたくさんあるのね~。
「安宅と勧進帳」。入口を入ってすぐの「道成寺」の向かいにあったのに、全然気付かず、最後に目に入った。歌舞伎と能の2種類の弁慶の衣裳が展示されていて、比較してみるのも面白い。能のほうは、大格子の内着に縞の表着、上から篠懸をかける。歌舞伎でもはじめは能と同じ衣裳をつけていたが、昭和初期に現在のものに落ち着いたのだそうだ。金剛杖、笈、勧進帳の巻物、そして刺高(いらたか)の数珠という、能と歌舞伎の2種の数珠。歌舞伎のほうが球の数が多くて、だから数珠の輪も大きい。明治20年の天覧歌舞伎(このときは九世團十郎の弁慶に、へええ富樫は初世左團次だった)の錦絵を見て、去年だったか團菊が120年ぶりに天覧「勧進帳」をやったことを思い出した。1840年「勧進帳初演番付」っていうのもあって、五世海老蔵(七世團十郎)が弁慶、二世市川九蔵が富樫、義経は八世團十郎であった。
百聞は一見に如かずというが、実際この目で見るeyeってことは大切なのかもしれない。知らなかったことも、何となく知っていたことも、こういう展示で実感をもって頭に入ってくる。こぢんまりした展示はとても楽しめた。
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国立劇場そばのお宅に咲いていた花

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2007年10月29日 (月)

笑って泣いて――鹿芝居

1027日 中席千穐楽その2(国立演芸場)

0710274engei 「芝浜革財布。鹿芝居と芝居の題名がいっしょになって、つい「鹿浜」と言ってしまいそうになる。元々は落語の「芝浜」だから、噺家さんが演じて面白くないわけがない。配役は次のとおり。

魚屋政五郎:金原亭馬生

女房おたつ:林家正雀

桶屋梅吉:金原亭世之介

大工勘太郎:古今亭菊春

錺職金太・若い者:金原亭馬治

豆屋八兵衛・若い者:金原亭馬吉

指物師源次・若い者:林家彦丸(彦丸さんは落語は馬吉さんと日替わり。26日が彦丸さんだったらしい)

家主半兵衛:蝶花楼馬楽

財布を拾った政五郎が自宅へ戻り、女房といっしょに中を見ると、二分銀ばかりがぎっしり入っている。政五郎は「お前、数えておけ」と言って、自分は着替えだかなんだかする。おかみさんは床に薄い布を敷いて、その上に二分銀をあけ、「ちゅうちゅうたこかいな」と数え始める。そのあまりの金額におかみさんの手はぶるぶるぶるぶる震えている。

ふふふ、どこかで見た情景でしょう。へっへへ、つい1週間前、歌舞伎座で玉様がやっていたことですよ~。私、嬉しくなって、きゃっきゃっ笑ってしまった。

鹿芝居だから、間にお楽しみもある。政五郎が五十両を拾って長屋の連中に大盤振舞いをする場面、まずは馬治さんと彦丸さんの踊りがあり、それが終わると、なんとビリーが登場。もちろん本物のビリーなわけはない。大工勘太郎のはずの菊春さんが顔を黒く塗って体操着っぽい扮装で、ブートキャンプの中でもお馴染みの運動を長屋の連中にいくつか指導。菊春さんのあまりのおかしさに客席はみんな笑い転げている。

しかし、「芝浜」の話に洋モノは合わない、何か江戸前の芸をということになり、じゃあっていうんで世之介さんが三味線を取り出し、ちちんしゃんと弾き出したと思う間もなく、別の音楽が流れてきた。三味の手を止め、その音楽に合わせて歌いだす世之介さん。歌は、かの「千の風になって」。朗々と気持ちよさそうに歌う世之介さんの上手いこと。ひょっとして秋川雅史の声に合わせた口パクかと思ったくらい。そのほかに使われたギャグは「そんなの関係ない」と「欧米か」。「欧米か」は歌舞伎でも聞くことがあり、使いやすいギャグなんだなあと改めて思った。それにしても、「千の風」は太田光をはじめとして今やお笑いネタの定番になってしまった感がある。

大盛り上がりした後、これも恒例(?)、客からのお題で解く謎かけ。私は「亀田」って叫ぼうかと思ったけどちょっと下品なお題かなとためらっているうちに、後ろのほうから「赤福!」という声が。一同苦笑する中、早くも世之介さんが「ママさん合唱団と解きます」。その心は「どちらも<こおらす>」。ママさん合唱団という時に、はじめ世之介さんがなんか回りくどい言い方をしていたから「ママさんコーラスでしょ」と心の中でツッコンでいたら、心が<こおらす>じゃあ、<ママさんコーラス>とは言えないな、と納得。菊春さんは解くことができず、世之介さんだけで終わりかと思ったら、酔って居眠りしていたはずの政五郎(馬生さん)が手を挙げ、「国会議事堂の中」と解く。心は「いろいろな<あん>でもめています」。

もう一つお題を、といって「年金」という声がかかったのに、なぜかそれは誰も解かず終わってしまった。

2幕目。立派なお店を構えるようになった魚屋で、下働きの若者たちが一口駄洒落小噺合戦みたいなのをしているところへ世之介さんが登場。先ほどお客様からお題をいただいたのに放ったらかしにしたのは噺家にあるまじき行為と怒られた、とかで「年金とかけて国立演芸場と解く。その心は<老後の楽しみ>」。私も、もう老後かもな。

と、そこへ今度は白塗りの菊春さんが出てきて、「自分も何か役をやりたい。團十郎で与三郎をやる」と。まあ團十郎さんの特徴を捉えていないではないが、そこは菊春さんのことだから。で、世之介さんが、團十郎さんは与三郎はやらないが、やるならこうだろう、と手本を見せる。世之介さんの團十郎は菊春さんのとは微妙にちがって、やはりそれらしくて上手い。この後、菊春さんが同じ与三郎を海老蔵式、猿之助式でやり、團十郎さんと海老蔵さんはほとんど同じだから、そのヘタクソぶりを世之介さんに叱られる。世之介さんが猿之助で与三郎の手本を見せたが、猿之助さんをあまり見ていない私にはこれはよくわからなかった。

とまあ、こうしたおふざけが終わったあと、芝居は佳境へ。おかみさんが政五郎に、3年前五十両拾ったのは夢だったと思わせるウソをつき、ずっと騙し続けてきたことを詫びる場面。正雀さんのしみじみした熱演に自然と涙が溢れてくる。そして女房のおかげで心を入れ替えまじめ人間になった政五郎の「逆にオレが礼を言わなくちゃならねえ」といったセリフを聞きながら、後から後から湧き出す涙を拭いていたら、折りよく鳴った鐘の音に、正雀さんが「お前さん、六つの鐘だよ」。すると馬生さん、くっくっ笑いながら「ありゃ、六つの鐘じゃねえよ。除夜の鐘だろ」。間違いに気付いた正雀さんが、慌てて「そうだそうだ、除夜の鐘だ」と言い直し、場内大笑いになってしまった。馬生さんは、芝居が終わってからもこのことをしきりにつっこんでいた。

はじめに思ったとおり、やっぱり噺家さんだから、こういう芝居はとてもよい。馬生さんは、前回の「七段目」の大星由良之助よりずっと合っていたし、3年後の姿なんかカッコよかった。馬楽さんの大家さんも、温かい人柄がよく出ていて、姿形からも適役。正雀さんのうまさは言うまでもない。「芝浜革財布」は、お話そのものも後味がいいし、鹿芝居の演目として実に相応しいものだったと思う。

おまけ:定式幕がしまりかかったとき、馬生さんがそれを止めて、全員でのご挨拶。その後手拭撒きがあったが、今回は最前列だから、最初から期待していなかった。正雀さんが11月に風間杜夫とコラボするらしく(風間杜夫は正雀さんと対談をした後、自身落語もする)、風間杜夫の手拭も撒かれていた。いいなあ。

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2007年10月28日 (日)

今度も笑って笑って――落語

1027日 中席千穐楽(国立演芸場)

0710271engei 三響会を敢えて諦めてこちらを採ったのは、思い切り笑いたかったから。今年2月に見たのと同じメンバーによる中席千穐楽である。お目当ては鹿芝居だけど、まずは落語から。

今回は前座はなく、最初が金原亭馬治さんの「強情の灸」。はじめのうち、周囲がざわついているのが気になって集中できず、何の話か全然わからず退屈しかけていたら、ふと「灸」という言葉が聞こえてきて、それで内容がわかった。すると俄然、話は面白くなる。ただ、この話はどちらかというと、聞くよりは見るものかもしれない。強情な男がたどんのようなもぐさを腕に載せて、やがてそのモウレツな熱さに耐えられなくなるという、その表情やら動きやらに声を立てて笑った。サゲは「石川五右衛門はさぞ熱かったろうな」。

0710272engei_2 以下、メモしてないので覚えている範囲で。

次は馬吉さんの「米揚げ笊」(または「笊屋」?)。「米を揚げる米揚げざる~っ」という売り声を聞いたあるお店の主人が笊屋を呼び入れる。実は主人は相場に凝っていて、この「あげる」という文句が気に入ったのだった。笊屋は事前に番頭に「下がるというような言葉は絶対使ってくれるな」と釘を刺される。このザル売り、少し足りないような男に思えたが、実に調子よく、喋る言葉がすべて「上がる」に関連する。店に入るのに暖簾が邪魔になったら「暖簾を上げて入ります」。お前さん、兄弟はと聞かれれば末っ子と言わずに「上ばっかし」。生まれは下谷と言わず上野のどこそこ(忘れたけど、これにも高いという音が入っていた)。などなど、上・高づくしで会話するから、主人が大喜びして、いちいち小遣いをあげ、最後は財布ごとやってしまうというサゲ。この話は元々上方落語らしく(「ちりとてちん」でそのうちやるかもね)、話はまだまだ続き、したがってサゲも違うらしい(ザル売りはそのうち失敗して「つぶれる」という言葉を使ってしまう。しかしうちのザルは「つぶれるような品もんと、品もんがちがいます」)。今回はわずか15分ながら江戸の町の様子が生き生きと語られ、目に浮かぶ。テンポのよい上・高づくしが聞きどころ。

世之介さんは落語もやったのだけど、物真似目当てだったので、話のほうは忘れてしまった。出から始まる物真似はまずは彦六師匠。いやあ、そっくりそっくり。「死ぬ3日前お師匠です」とか言うから、涙が出るほど笑った。志ん生師匠については高座に上がって居眠りしてしまうという有名なエピソードを実演。そして前回もやった談志さん。腰を屈め斜に構え、顎をさすりさすり。それだけで場内爆笑である。

古今亭菊春さん。「九段目」という話ではないかと思うのだけど、内容は七段目だったような。素人芝居で「五段目」をかけることになったところ、全員が勘平をやりたがる。で、舞台に鉄砲をかついだ勘平がずっら~っと並び、「勘平(観兵)式だね」。このあと、大事な出演者が1人欠けてしまい、代役として白羽の矢が立った男と頭取のやりとりになる。この男は七段目をやったことがあるとかで、その話をするのだが、ひどく訛っていて、頭取がいちいち考えないと内容がわからない。というやりとりに面白味があるのかな。サゲは忘れた。

次は、待ってました、林家正雀さん。枕なしでいきなりの「七段目」落語家って仮名手本がよっぽど好きなのね。ていうか、仮名手本モノのだしものが多い。今の菊春さんのもそうだし、正雀さんは前回も「四段目」をやったし、そういえば前回は馬楽さんと菊春さんの茶番「五段目」もあったし。「四段目」は芝居好きの小僧さんの話だが、「七段目」は芝居好きのお店の息子。父親に怒られた返事も芝居調。ますますいきり立つ父親をなだめ番頭が息子を二階に上がらせたものの、二階でも独り芝居をやっている。父親は注意させに番頭を遣わせる。ところが、この番頭も実は芝居好きときていたのである。となれば二階は一気に芝居の舞台へとはや替り。平右衛門(おかるの兄)を気取った息子が熱の入ったあまり本物の刀を抜き、慌てた番頭が逃げて階段を転がり落ちる。てっぺんから落ちたのか。「いえ七段目でございます」がサゲ。

正雀さんは、床も座布団も濡らすほどの大汗で大熱演。落語の後「どんどん節」も踊ったし、これから鹿芝居があるっていうのに、今からこんな熱演で大丈夫?って心配になるくらい(って、こっちが本業でした。失礼しました)。

次の馬楽さんごめんなさい、寝ました。それが奇妙なことに、前回も馬楽さんの時に意識を失っている。面白いなあと思っているうちに、いつの間にか睡魔が忍び寄っている。なんでだろう。踊り「深川」はちゃんと見ました。

最後は真っ赤な羽織で登場の馬生さん。私、どうやら正雀さんで力つきたらしく、全然寝てはいなかったのに、そして大いに笑いもしたのに、話、覚えてない。ごめんなさい。馬生さんは、大きな拍手をもらうと踊るということで、落語の後、客席から思い切り大きな拍手が起こった。嬉しそうに踊ったのは「こうもり」。

このあと、恒例(見に来たのは2回目なのに、恒例って言っちゃったりして)の世之介さん・菊春さんの獅子舞。口に入れたみかんやバナナのむいた皮を口から出したり、動きもなかなか見事。今回は、素早くチケット申し込みをしたおかげか、なんと席が最前列だったので、ご祝儀をあげて獅子に頭を噛んでもらいました。このお獅子は、丸いお金だとおなかをこわすんだそうだ。

おまけ1今回初めて気付いたこと。噺家さんって、マクラの途中からマクラが終わるあたりにかけて、後ろにすべらかすようにしてさりげなく羽織を脱ぐ。それに気付いたら、何となくちょっと面白かった。

おまけ2出演者はわかるのだけど、だしものの題名もどこかに表示してほしいなあ。たまにしか落語を聞かないド素人の私は題名がわかれば有難いのです。
0710273engei

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2007年8月 3日 (金)

素敵な素踊り:一心會

82日 一心會(日本橋劇場 夜の部)
6回を迎えた藤間勘十郎、田中傳次郎さん主宰の一心會は、毎回立ち見が出るくらい盛況だそうで、より多くの人に見てもらえるよう今回は昼夜2部制という形を取った、ということである。私は梅之さんが「茶壺」[操三番叟]「船弁慶」に出演されるというのに惹かれ、とくに夜の部は2演目に出られるので昼の部の「茶壺」は諦め、こちらを選んで見に行くことにした。

ところが、この日、私は仕事の山を越えたせいか、疲れがピークに達し、とにかく1日じゅう眠くて眠くて、自宅で仕事を開いていてもいつの間にかコックリしているし、電車でも爆睡、1駅乗り過ごしたくらい。この体調で踊りは大丈夫かよ~、と不安を抱えて劇場へ。
4時半開場で、全席自由席だからと4時過ぎには着くようにしたのだが、もう既に30人ほどが並んでいた。歌舞伎感覚で時間を計算して行った私は、まだ中から演奏の音が聞こえているのに、驚いてしまった。昼の部が終わったのが415分。その間、並んでいる人たちのお喋りのかまびすしいこと。中の音楽がこちらに大きく聞こえてくるのだから、外のお喋りも中に聞こえてしまうのではないかと心配した。でも、日本橋劇場の扉は厚くしかも二重になっていたし、多分外の音はシャットアウトされるように出来ているのだろう。中は清潔で明るく、こぢんまりとしていながら花道もちゃんとあり、なかなか立派な劇場である。私は前から2番目のほぼ中央の席を取った。

最初の演目は「五條橋」。弁慶が中村松江さん、義経が子息の玉太郎クン。玉太郎クンは覚えたとおりに一生懸命踊っており(あの幼さでよくこれだけのことが出来るものだ、と凡人の私は感心しきり)、じつに可愛らしい。見得がずいぶん上手になったし、舞台に立つことでそのたび成長しているんだなあと実感した。松江さんは玉太郎クンのことを心配しながらだったろうけれど、力の入った大きな踊りで表情もよく、気持ちのいい弁慶であった。

次は梅之さんの「操三番叟」。翁の出てくる場面は省略で、三番叟が箱から出されるところから始まった。後見は中村東志也さん。これはまず最初に三番叟と後見の息がぴったり合わないととんでもないことになってしまうから、それだけでも難しい演目だと思う。私は伯母のような気持ちで見ており、そういうことが心配にもなったが、東志也さんと梅之さんはバッチリ呼吸が合い、あとは安心してみることが出来た。梅之さんはジャンプも思い切り高く(客席からほお~っという感心の声が上がった)、汗びっしょりになりながらの熱演であった(見せ場では拍手喝采)。操りの糸がもつれて、三番叟がぺたっとうつ伏せになるところでは、額から滝のような汗が舞台に落ち、大丈夫かしらと又心配になっちゃった(私は目に汗が入るとその痛みに飛び上がるが、役者さんたちはそういうことはないのだろうか)。操三番叟は何回か見たことがあるが、こんなにエネルギッシュな踊りだったんだ、と改めて思い、糸が緩んだときの姿にもうちょっと人形らしさが欲しかった気もするが、素踊りだから化粧なしの表情だけで人形を演じるというのも一つの見せ場であったなあと、今楽しく振り返っている。
次は市川左字郎さんの「浮かれ坊主」。踊り上手な左字郎さんにぴったりの演目。柔らかい動きで楽しませてくれた。けれど、ごめん、途中で陥落。
「雨の五郎」は梅玉さんの部屋子・中村梅丸クン。梅丸クンの素顔は初めて見たが、意外と凛々しくてびっくりした。可愛らしいんだけど、きりっとした動きが決まっていた。これも途中何度も……。
「狐火」。簡素ながら幻想的な舞台が美しい。最初に中村梅秋さんが手に持った狐の人形を踊らせ、怪しげな雰囲気を醸し出す。八重垣姫は藤間紫恵悠さん、忍武士として澤村國矢さん。
「船弁慶」。亀寿さんの弁慶は声もよく透り滑舌もいいから、静御前を連れて行かれないというその事情がよくわかった。義経の男寅クンを見ていると、もしかしたらニンはおじい様やお父様とは違ったものになるんじゃないかと思った(もっとも、私は左団次さんはもちろん男女蔵さんの子供時代も知らないのだから、先はわからないけれど)。静と知盛の霊は亀三郎さん。静のときはやや白めに顔を塗り、髪も茶色にしていたように思う(髪の色は知盛のときに、さっきより黒いなあ、という気はしたけれど、本当に違いがあったかどうか自信はない)。また表情も動かぬながらやさしげで、歌舞伎の能面のような無表情さとは違って親しみがもてた。知盛のほうは舞台も小さいし、花道と客席の間隔もあまりないから暴れにくかったと思うが、これまた化粧がないおかげで、おどろおどろしさというよりは知盛の苦悩が強く感じられた。舟長で勘十郎さんが出ていらしたが、セリフもよく、何よりもさすがに動きが違うものだなあと思った。
他に、亀井六郎・中村東志二郎さん、片岡八郎・梅之さん、伊勢三郎・中村蝶之介さん、駿河次郎・中村蝶三郎さん、舟子に大谷友右衛門さんのご子息・廣松クンと廣太郎クン。梅之さんはもう立役をやられることはないかもしれないとのことだが、ちょっともったいなあという気はやっぱり残る。
こぢんまりした劇場での踊りはなかなか迫力があり、また途中だいぶ意識が抜けはしたが、素踊りの良さというものを十分楽しめた会であった。

おまけ:終演後、ロビーにスーツ姿の松江さん発見。玉太郎クンとお嬢さんをお連れになり、美しい奥様が寄り添っていらした。玉太郎クンはお父様にぴったりくっついて甘えている。私は東京新聞に一時連載されていた松江さんの育児日記を愛読していたから、松江さんが玉太郎クンを慈しみ育てている様子を思い出し、微笑ましいこの光景に思わず笑顔になってしまいました。
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←地下鉄半蔵門線・水天宮前駅

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2007年4月14日 (土)

厳粛と睡魔と

414日 法相宗の慈恩会その2(国立劇場)
さて、ここからは実際の法会になるが、長いし、文を読むだけではやっぱり退屈かも。
★夢見の儀
解説のお坊様が去られると、薄暗い舞台中央に何か掛け軸があり、その前に赤い法衣の僧とその手伝いみたいな僧が座っており、その向かいに白い装束の僧が立ってお数珠をたぐりながらさかんにお辞儀をしている。やがて、白い僧が赤い僧のそばに寄り、赤い僧が袖に隠して問題を白い僧に渡した(らしい。私の席からはその様子はよくわからなかったが、客席にちょっと笑いが起きたし、状況からそう察した)。白い僧は再び立ってお辞儀を繰り返す。これが<夢見の儀>か。
★入堂
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ここで、薄い幕があき、祭壇がはっきりと現れる。真ん中の掛け軸に描かれているのは慈恩大師の御影だろう。左右 Photo_48 に縁台のような長い台(以降、便宜的に縁台)が置かれ、 向かって左の一 番手前には1人の僧が座っている。この方が註記というお役目の僧らしく、法会のすべてを取り仕切る。実際の法会の間は司会のような役割で、一つ一つ大きな声で法会の進行について指示を出すと、少綱(しょうごう、侍とも言う)がそれを繰り返すとともに、その指示に従って灯明(本当の蝋燭です)や儀式に必要なものを運んだり講の終了の鐘を鳴らしたりする。だから少綱さんはかなり忙しい。
2本の通路から、それぞれ白丁(白装束に烏帽子をつけた人、金属の杖みたいなものを持ち、その先端についた輪をかすかに鳴らして歩く)を先頭に僧侶が67人ずつ入堂する。僧侶たちの一番後ろには小学生くらいの子供の僧がいて驚いた。それぞれの列の僧は舞台に上がると真ん中で入れ替わり、各1人を除いて左右に設えられた縁台みたいな台に座った。座らなかった2人は祭壇の両側の高座に登った。向かって左の高座が講師、右が読師である。
★四箇法要
僧侶たちは少綱から底に赤、緑、白の紐が垂れている皿みたいなものをもらい、縁台から降りて、唄(ばい)、散華(さんげ)、梵音(ぼんのう)、錫杖を行う。さっきの皿のようなものに薄い経典か何かが載っていて、それをめくりながら、歌うように読み上げるのだ。これが実にいい声で何を言っているかわからないけれど聞き惚れる。途中でみんな、ぱっと何かを撒いた。後でわかったのだが、撒かれたのは花で、これが散華だったわけだ。声明というのだろうか、この法要には面白い節回しもあり、音楽的にもなかなか興味深かった。しかし、私のまわりでは寝ている人たちがかなり多くみられた。註記さんもひどく眠そうで、必死で堪えているように見えたけど、まさか、ね。でも、他にも眠いお坊様だっていらしたのではないかしら???
★講問論義
講師が慈恩会の目的や趣旨、慈恩大師の業績などを読み上げる。私はもう後半になってから、舞台両脇に字幕が出ているのに気付いた。慈恩大師の業績というのは比較的聞き取りやすかったが、もっと早く気付いていればよかった。ただ、私の座席は字幕を見るには前過ぎて、少し身体を左後ろにずらさないと見づらかった。
その後講師がさまざまなお経や仏の名を読み上げている間に探題が入堂する。梅杖(梅の葉っぱのついた枝)を持った僧、探題箱を持った僧が探題を先導する。梅杖は祭壇に立てられる。探題は向かって右側の縁台の一番奥に座られた。
講師はよく透るいい声でず~っといろいろ読み上げており、その肺活量には感心する。読師はほとんど出番がなかったが、正式な儀式ではもっとあるのだろうか。講師と読師が高座を降りると、全員で般若心経を唱える。
★番論義
論匠が番論義の主旨を詠み込んだ漢詩を詠唱し、問者と答者の名を呼ぶ。呼ばれた者は通路から駆け込んでくるのだが、驚いたことに最初に現れたのは子供の組。さっき一番最後に入堂した子たちだろうか。舞台中央床に敷かれた円座に蹲踞し、まだ幼いといってもよさそうな子供たちがむずかしい論義をする。字幕が出るので何についての問答かはわかるのだが、その内容はよくわからない。問者の問いに対し、答者が「まいちど(もう一度)申せ」と何度も繰り返すのがご愛嬌で、客席からも笑いが起こった。問者は呆れて「何度言ったって同じだ」みたいなことを言っていたように思う。それでもやっと答者が返答したようで、この組は終了。2組目は大人の僧で、同じように円座に蹲踞し、これもむずかしい内容の問答をする。けっこう早口でやりとりするのでよけいわからない。番論義は献花を以って終わる。
★竪義
いよいよお目当ての口頭試問だ。呼び出しにより竪者が入堂し、探題箱を開けて、竪義の論題の書かれた短尺を見る。そのとたん、あまりのむずかしさにぐらっとよろけるのだが、夢見の義で問題を見せてもらったんじゃなかったっけ? 竪者は向かって左の高座に上がり、自分はこれから論題に答えていくという意思表示をする(竪者表白)。そして一つの論題に対し問者が5問出し、竪者が答え、精義者から矛盾点の追及があり、竪者は自分の解釈を曲げることなく最終解釈を述べ、精義者がさらに難問を出して、竪者は「自分は未熟者だが、一生懸命答えます」というようなことを言い、問答が続く。あまりのむずかしさ、早口に私はついていけず、一番楽しみにしていたここの部分でついに睡魔に襲われた。ところどころ聞いてはいたが、結局泣き節はわからなかった。残念!! 最後に精義者が合否の判定を下す。たしか、今日は1問は合格、もう1問は吟味の余地ありだが、竪者はよく研鑽を積んでいた、と褒めていたように思う。竪者が高座から降り、すべてが終わる。

お寺や仏像を見て歩くのは好きだが、仏教の実際といえば、お葬式や法事程度でしか触れたことはない。また私は仏教徒ではないし、わざわざお寺にまで行ってこの儀式を見たいほどの関心は正直持ち合わせない。したがって、近場でこれを見る機会を逃さなかったのは我ながら上出来であった。
お経を読み上げるお坊さんの声は朗々として素晴らしいといつも思っていたが、慈恩会では声明や問答だけでなく、呼び出しなどにもなんとも言えぬ節回しがあり、全員が唱和したときにはそれぞれの声が微妙なハーモニーとなって、大変心地よく聞こえた(だから、こっくりこっくりしてしまうのね)。
口頭試問は現在では自分で考えて答えるのではなく、いわゆる過去問から選ばれた論義を丸暗記するのだそうだが、それでも古語の長文だから大変難しいらしい(もちろん、素人である私には聞いていてもほとんどがチンプンカンプンだ)。竪者の21日間の修行も、私みたいなユルい生活をしている人間には想像を絶する。それだけの修行に耐えたのだから、もうそれだけで合格させてあげたくなってしまう。
儀式というのはとかく退屈なものだが、劇場での慈恩会は正式な儀式を約半分に凝縮させ、ある意味ショー化したといってもいいのだろう、それだけに重要かつ興味深いエッセンスは伝わったのではないだろうか。
檀家を持たないお寺というのは資金集めに苦労するようだ。高名な薬師寺や興福寺にしても事情は同じらしい。薬師寺の写経セットを売っていたが、私は何年か前、どこかのデパートで行われた薬師寺展で絶対やりもしないくせに買ってしまったため、今回は遠慮した。最後に下世話なことを申しました。

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慈恩会ってなあに?

414日 法相宗の慈恩会その1(国立劇場)
Photo_41 Photo_42  
「ほっそうしゅうのじおんね」と読む。薬師寺と興福寺が合同で行う儀式である。あぜくら会の会報で見て、何だかわからないけどなんとなく面白そう、と思って買ったチケットは、前から2列目のセンターよりやや花道寄り。居眠りするには最前列では申し訳ないし(って、最初から寝る気でいたりして)、いいお席が空いていた。で、今日行ってみたら、花道は使わず、2カ所の通路のところに舞台に上がる階段がついていた。そして私は下手側通路際の席。ラッキー♪
薄暗い舞台には4本の柱が立てられ、祭壇(っていうのかな、以降便宜的に祭壇)が設えられていた。開演5分前に「開演でございます」というアナウンスはあったが、その後何もないまま気がつくと舞台にお坊様が1人出ていらっしゃるところだった。祭壇に一礼したお坊様の影で、舞台にうす~い幕がかかっていたことを知った(ただでさえボンヤリな私は視力もあまりよくない)。そのお坊様が8分間、慈恩会の説明をされた(「8分間」というところで客席は笑いに包まれた)。以下に、その解説とプログラムを参照して、慈恩会について少し触れるが、ちょっと退屈かも。
★慈恩会の歴史

慈恩会は元々、玄奘三蔵法師の高弟かつ法相宗の宗祖である慈恩大師(窺基とも言うらしい、632682年)を追悼する法会であったが、これに学問的要素が加わり、竪義(りゅうぎ、僧の昇進資格試験のこと)が一緒に行われるようになった。幕末から明治期の神仏分離政策期には中断されていたが、現在は慈恩大師の命日である1113日に、1年交代で興福寺と薬師寺を会場として実施されている(はじめは法隆寺がこれに加わっていたが、法隆寺は昭和25年に法相宗を離れた)。慈恩会を寺で正式に行う場合は45時間かかるが、今回は劇場公演ということで2時間弱にまとめたものである。
★竪者の修行
私が関心をもったのは僧の口頭試問であるが、これを受ける僧は竪者(りっしゃ)と言われ、21日間加行部屋(かぎょうべや)に閉じこもり、不眠・無言・不過中食(ふかちゅうじき、正午以降何も食べてはいけない)を守るという。ただし無言を守るというのは、毎朝のお参りなどで加行部屋を出たときのことである。不眠は、座しての居眠りは許されるとのこと。しかし7000余巻の経典のどこから問題が出るかわからない。そのため必死で勉強しなくてはならない。非常にきびしい修行であるから、最後には意識がもうろうとしてくる。すると竪者は夢を見る。試験問題を作る探題大僧正(現在は薬師寺管主)が夢の中で問題を教えてくれる。それも袖の下からそっと問題を書いた紙を渡してくれる。そこから「袖の下」という言葉ができたとか。これは実際にそうやって渡されるそうだが、慈恩会においては<夢見の儀>と呼ばれている。竪者は答えを必死で暗記するのだが、その答えを精義者に次々と追及され(そういう追及する僧を精義者という)、答えに窮して喋りながら泣くのだそうだ。これを泣き節といい、他にも「指声(さしごえ)」、「切声(きりごえ)」などが猿楽などの芸能に伝わったそうだ。

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2007年3月30日 (金)

歌舞伎の未来

328日 長谷部浩講演会「歌舞伎の新しい波」 (日本文化会館)

7_3 18時半からの講演会は東京芸大の長谷部浩氏が講師で、亀治郎さんが特別出演の予定である。30分以上も前に着いたが、講演会の行われる小ホール前にはもう45人の人が並んでいた。このホールの外では亀ちゃんの写真展も行われていた。といっても、7点だけの写真展示だが、どれも長塚誠志さん撮影による素晴らしい作品で、ああ1枚でいいからほしいわ~、とため息が出た。展示されていたのは、合邦・玉手御前(02年)、一条大蔵卿(04年)、角力場・

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吾妻(04年)、寿式三番そう・三番そう(04年)、弥生の花浅草祭・悪玉(?年)、鷺娘(06年)、そして私の大好きな八百屋お七(06年)。6点はひとつの壁に並べて展示されていたが、別の壁にかけられているお七だけがちょうど順番待ちの行列の人の陰に隠れてしまい、多くの人の目に触れないのが残念に思えた。

1820分になってやっと中に入れそうな雰囲気になったのに、どうしてフランスっていう国はしゃきっとしないのだろう。係員が2人でああでもないこうでもない、という感じで額を寄せ合って、なかなか入れてくれようとしない。せっかち日本人おばさんである私がこの国で耐え難いのは、こういうところである。たった23分のことにすぎないのではあるけれどね。

小ホールは階段教室になっていて、ただし前3列は段差がない。私たちは事前に3列目あたりに陣取ろうと話していたのだが、中に入ると23列目は招待席であった(あとでわかったのだが、新国立劇場の舞台監督だという方や、現代演劇の作家らしい方たちがいらしたようだ)。さすがに最前列は遠慮して、4列目に決めたのだが、誰しも同じことを考えるらしく、すでに4列目は入り口に近い方から埋まっていた。それでも真ん中より向こうに空席がみつかったので急いで確保。これは結果オーライであった。だって、後から合流した亀ちゃんの顔がバッチリ私の正面だったんだもの。

110席、全10列くらいだから約100人のキャパはほぼ全部埋まったらしく、予約をしないで来た人たちなのか、78人が階段に腰掛けさせられていた。聴衆は日本人とフランス人半々か、やや日本人が多かっただろうか。

正面にはスクリーンがあって「歌舞伎の新しい波 Conference La nouvelle vague du kabuki」の文字が映し出されている。その下に講師席が設けられ、我々から向かって一番左、マックのパソコンが置かれた席に長谷部氏、その右隣に通訳の女性がすでに座っていた。やがて館長挨拶が始まった。フランス語で行われた挨拶の内容は、この講演会のパンフレットに書かれた程度の歌舞伎の説明、長谷部氏・亀治郎さん、長塚氏の紹介であった(招待席には長塚氏ご夫妻もいらしていた)。

講演は長谷部氏が現代歌舞伎の課題を3つに絞って解説し、その後亀ちゃんが加わってさらにこれを掘り下げていった(通訳は一文一文ごとに入る)。少し長くなるが、この講演およびディスカッションの模様をお伝えしたい。

長谷部氏はまず、「上演演目の固定化」というところから話を始められた。現在歌舞伎の上演演目は約200、たまに上演されるものも含めると300あまりになり、創作が出てくる余地が少ない。最後の歌舞伎作者は岡本綺堂(18721939)、真山青果(18781948)、宇野信夫(190491)、三島由紀夫(192570)であり、1950年代くらいで大きな作品は途絶えている。古くて良い作品をやっていればいいという考え方もあるだろうが、新作を作り出せなくなった演劇は博物館行きと言ってよい。この10年、歌舞伎ではそれを打開しようという試みが単発的に行われてきた。ちなみに、17世紀から続いた演劇が現在も興業として成り立っているのは歌舞伎とインドのカタカリくらいなものであり、歌舞伎の興業状況(毎月全国で3座の興業、歌舞伎座だけで2000席、年間250日)は奇跡に近いのだそうだ。

さて、こうした歌舞伎の変化のきっかけとなったのは、二代目松緑(191389)、十七代目勘三郎(190988)、六代目歌右衛門(19172001)、七代目梅幸(191595)の4人の名優の死である。この中で歌右衛門は、この人が生きていれば歌舞伎の新しい波は起こらなかったといわれるほど、その存在が歌舞伎の規範を作っていた。そこで、現代歌舞伎の3つの課題である。

①古典の再解釈(型の再検討)

六代目菊五郎の呪縛:六代目のそばで育った梅幸(六代目の養子)、松緑、勘三郎により、六代目の型が支配的になった。今後は六代目以外の型をやっていかなくてはならない。

上方の型の復活:東京の菊五郎型に対して上方の型を復活させようという動きは絶えずある。

現代の演出家による再演出の可能性:従来の型にとらわれない演出。たとえば1949年武智鉄二の「野崎村」「熊谷陣屋」では文楽の原本を尊重する方法がとられた。また1988年、猿之助の「ヤマトタケル」は歌舞伎をまったく新しいエンタテインメントとして作り変えた。亀治郎の家系は歌舞伎の主流・権威(六代目菊五郎、団十郎家)があるとしたら、それにノンと言い続けてきた家系である。面白いことに、後に長谷部氏は、海老蔵さんは革命家である、歌舞伎に野性を入れようとしていると評価した。ただし市川家だから許されているような部分もあるが、と付け加えて。

②現代演劇の作家・演出家との共同作業

日本では現代演劇と歌舞伎はまったく別のジャンルだと考えられていた。現代演劇の俳優が歌舞伎に出ることはきわめて稀。それが変わりつつある。蜷川、串田、野田、三谷による新作あるいは新演出が続いた。ここで、これまでにない演出として、スクリーンに「高田馬場」のDVDから、安兵衛が酔っ払い小野寺右京が嘆く場面、堀部ホリの口説きの場面が流された。しかし、ここだけ流されても、従来の演出を知らなければピンとこないのではないか、と私はちょっと疑問に思った。

③劇場空間の問い直し

歌舞伎の舞台は、広い本舞台に直角の花道という特徴的なもの。これを備えた専用劇場でないと上演できなかった。それがコクーン、平成中村座などで変わりつつある。

歌舞伎の未来には以上の3つのことがすべて必要であろう。フランス人の方は日本に来られたら是非現地で歌舞伎を見てほしい。そうすれば、より幅の広いものが見られるであろう。

ここで亀ちゃん登場。ピシっとスーツに身を固め、「二代目亀治郎です。皆さんにお会いできて嬉しいです」とフランス語で挨拶した。その後は日本語で、自分は亀治郎の会というものをやっているが、これは亀治郎のリサイタル公演であり、歌舞伎を新たに創造し直すという試みもあるが、もっと重要なのは自分がやりたいことをやるということだと述べた。以下、長谷部氏と亀ちゃんのやりとりをかいつまんで再現しよう。

長谷部:亀治郎さんが新しい演目をやるときは、部屋じゅうに資料を並べて勉強するそうです。

:歌舞伎は難しい演劇である。何をもって歌舞伎とするか、誰も答えられない。自分が知る限り、歌舞伎が何たるかについて書かれた本はない。一言で言えるような簡単な演劇ではないのだ。だから様々な問題が生じる。一番の問題は、歌舞伎があまりに時代性を帯びていることである。歌舞伎は江戸時代に生まれた、その時代の現代演劇である。その時代の文化、風俗すべての影響を受けており、それが歌舞伎をむずかしくしている。

:三津五郎さんは、「歌舞伎役者がやるものすべてが歌舞伎だ」と言っているが。

:それは究極的な答えですねえ。(テーブルに置かれた水を例にとって)中に入っている液体が歌舞伎なのか、入れ物を含めて歌舞伎なのか、あるいは入れ物を置いたテーブルも含めて歌舞伎なのか。捉え方によって歌舞伎は違ってくる。本来の歌舞伎を演じるならば、劇場空間も含めてすべて変えなければならない。役者も江戸時代と同じ生活をして、歩行も右手と右足を同時に出すようにしなければならない。そんなことは不可能であり、現代の我々が正統な歌舞伎を守っていると声高には言えない。

:原点主義だけが意味をもつものではない。歌舞伎からあらゆるものをはぎとっても、歌舞伎俳優がもっている歌舞伎の味のようなものが歌舞伎の本体ではないか。亀治郎さんは若いが身体に歌舞伎味がある。

:子どもの頃からそこの環境に身を置くこと、その空気を吸うこと。これが歌舞伎の大事な要素である。ただ、型は変わってよい。名優が残した型を絶対視することは危険である。ある時代まではその型が一番よいとしても、それ以上の型が出てくることもある。しかし型を作るのはむずかしい。一つの型を壊すには世の中に残された型をすべて知らなくてはならない。(→ここで部屋じゅう資料だらけというところに結びつくのでしょうね)

ところで、作品の問題だが、ギリシア悲劇やシェークスピアは普遍的であるのに対し、歌舞伎の演目で普遍的なものはあまりない。悲劇というものは人間 vs 世界であり、世界に呑み込まれる人間が悲劇なのである。近松の悲劇もそれに則って書かれてはいるが、世界が当時の大阪に限られている。社会と作品が結びつきすぎており、当時の社会を知らなければ理解できない。客が歌舞伎を見に来るのは役者を見に来るのであり、それも大事な要素ではあるが、作品自体で客を魅了するという努力がなされていない。

:亀治郎さんの心配はよくわかる。役者を見に行くのも大事だが、3本に1本は作品も見てほしい。現在のレパートリーでそういうものは少ないが、たとえば合邦は「フェードル」に似ており、ドラマとしても感動できる。しかし国際性をもつには新作が必要。国際的には、歌舞伎は高度に洗練されてはいるが日本の民族舞踊として見られているのではないか。

:蜷川や三谷が作品を提供するという外的要因によって俳優が変わらざるを得なくなった。歌舞伎は世界遺産になったことで、世界演劇にならざるを得ない。世界を舞台に活躍するには改革が必要。今はまだ、日本民族がやる日本の民族演劇である。それこそが歌舞伎だという人もいるが、我々は先祖に呪縛されることは一切ない。歌舞伎は現代に生きてこそ歌舞伎である。したがって、このオペラ座公演は大変意義のあるものである。演出も多少変わっているし、花道もない、それでも歌舞伎である。団十郎、海老蔵、亀治郎を知らない人が見ている、それでも歌舞伎である。口上をフランス語で行った、それでも歌舞伎である。歌舞伎が何なのかを問いかける非常に重要な公演である。

:歌舞伎では女形は立役の一歩後ろに立つ。しかし菊之助さんは「十二夜」のセリフはそれでは喋りにくい、ちょっと前に出た方が喋りやすい、と言っていた。

:シェークスピアの世界を完全に理解することも歌舞伎で完全に表現することもできないが、「十二夜」で演出家が言ったのは、シェークスピアの世界で重要なことは貴族というものはいやらしい話が好きで、2人寄れば酒を飲んで人の悪口を言う。「十二夜」ではそこにマライアが加わる。それがシェークスピアの世界だ、ということ。しかし自分には女形のご飯の食べ方が見つからなかった。歌舞伎では女形が物を食べるということはあり得ない。日本女性は昔は人前で食事をしなかったし、男性が食べ終わるまで食べなかった、そういう時代に生まれた歌舞伎ではシェークスピアは演じられない。そこで自分は女が物を食べる型を作った。シェークスピアを歌舞伎でやることによって、新しい型が生まれたのである。

:歌舞伎の未来についてだが、能や文楽のような形で存続すればいいとは思わない。亀治郎、海老蔵、菊之助が変えていくことを期待する。その道は、古典の再解釈、新作、どちらなのか。

:新作と古典、両方やる必要がある。守りと攻めという二つの意識をもたなくてはならない。守りというのは、変わらないように守るのではなく、古い作品を現代の視点で解釈し、古典に新しい命を吹き込むことで守るのである。攻めは、シェークスピアやモリエールなどに取り組む。これによって、役者が豊かになり、その役者が再び古典をやるのである。

以上が講演会の内容だが、その後の質疑応答(主にフランス人の質問を受け付けた)で今回の「勧進帳」について亀治郎さんは、再解釈ではない、伝統に従っているが、作られた当初とは微妙に異なっており、現代におけるクラシックといえるだろうか、と説明していた。意味のない美辞麗句は省略して多少短くもなっているとのことである。

また今回のオペラ座での注目点は、「照明を明治時代の明かりに近くしたことである。それによって、よりクラシックになった」そうである。(そうなんだあ。オペラ座独特の雰囲気というか暗さというか、そういうものに気をとられて、気づかなかった)
お二人の話を聞いていて、自分がこれまでぼんやり疑問に思っていたことが形になって現れ、それがいいのか悪いのかはともかく、一つの方向性が示されたような気がした。それと同時に、長谷部氏が挙げた3人だけでなく、新しい歌舞伎の波を起こそうとしている、あるいはもう起こしている役者さんは他にもたくさんいることが思われた。それにしても亀ちゃんの頭の良さには脱帽する。論旨があきらかであり、ディスカッションでも、自分でどんどん問題提起して長谷部氏の意見を引き出したり、一般人にわかりやすいように比喩を多用したり、通訳が訳しやすいように一息で喋りすぎることなく言葉を区切ったり、その喋りもメリハリがきいている。よく勉強をしていることも窺える。本当に魅力的な役者さんです。帰宅してもう一度「高田馬場」のDVDを今度は副音声で聞くと、亀ちゃんがこの芝居に出て、どんなに刺激を受けたかが分かるようで、実に興味深かった。

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2007年2月22日 (木)

マジ、見事な七段目--鹿芝居

220日 中席千穐楽(国立演芸場)
Pict0054 休憩後、いよいよお目当ての鹿芝居。だしものは仮名手本の七段目。おつ、義太夫は若い女性です。

大星由良之助:金原亭馬生(「主役しかやらない座長」と仲間から冷やかされていた)

大星力弥:金原亭馬吉(これが、若くてかわゆ~いのよ。私、演芸場の掲示を見て彦丸さんだとばかり思っていたんだけど、もらったチラシを見たら馬吉さんと書いてあった。白塗りになると、素顔がわからない~)

斧 九太夫:古今亭菊春(本気なんだかふざけているのかわからない演技で、義太夫のおねえさん方もこらえきれず吹き出していた)

鷺坂伴内:古今亭世之介(前の日に見た鷺坂伴内の面白メーク通りだった。当たり前か)

幇間:金原亭馬治、林家彦丸

寺岡平右衛門:蝶花楼馬楽(ぜ~んぜんいい男じゃないし、カッコもよくないんだけど、巧い!)

おかる:林家正雀(声も仕草も、まさに女形。巧い、しかも泣き方が巧い!! さすがにさっきの落語で四段目を演じただけのことはある。っていうか、これだけの力があるから、四段目の噺が見事だったのか)
幕があくと、ちゃんと一力茶屋の部屋が作られていて、走りこみのところにある幕(部屋の奥、役者さんが登場したり引っ込んだりするところ)が一気に振り落とされると、茶屋の向こう側の景色が描かれていたりもする、かなり本格的な舞台装置。上手には一段高い座に義太夫さんがいる。附け打ちさんもちゃんといて、ほぉっ、っと感心した。

場面は、力弥が花道ならぬ通路から現れ、酔って寝ている由良之助に顔世の密書を届けるところから始まる。力弥が去ると、斧九太夫が登場。もうここからはハチャメチャ。馬生さんなどすでにアドリブを飛ばしまくっていたが、さらに菊春さんのキャラが十二分に生かされ、もう恥ずかしいくらい声を上げて笑ってしまった。

幇間の見立ては、元禄忠臣蔵の手ぬぐい(去年、3カ月完走の客に配られたのと同じものらしい)で。鳩が出てくる手品では、一瞬ホンモノの鳩かとだまされた。

由良之助がひっこんだあと、鷺坂伴内が現れて、「武士の命である大小を忘れて行くとは、由良之助に敵討ちの意思はないな」というようなことを言うんだけど、その伴内自身も刀を忘れ、笑わせる。その後、九太夫が縁の下に隠れるまでが大騒動。予算の関係で縁の下が作れなかったといって、舞台下客席の隅っこに菊春さん用特別スペースが設えられ、豆電球のイルミネーションまでつけられている。菊春さん、稽古のときに隠れていて居眠りしたことがあるらしい。

鹿芝居っていうのは、こうやってずっとドタバタ、はちゃめちゃな喜劇で進行するのかな、と思っていたら、寺岡平右衛門とおかるの絡みになって様相がガラリと変わった。緊迫度も高く、真面目な芝居に、もう笑いは起こらず、私はただただ馬楽さんと正雀さんの巧さに目を丸くして、引き込まれていた。でも、噺家さんの芝居なんだからどこかに笑いが入ってほしかったなあ、という気持ちもある。

最後、再び由良之助と九太夫が登場して、またちょっと笑いを誘いながら真面目に幕。始まったときは気付かなかったけれど、最後は定式幕が引かれた。

そのあと、<大歌手>馬楽さんの「隅田川」に合わせて、馬生さんと正雀さんが踊り、総踊り「並木駒形」があって終わり。総踊りは力弥の馬吉さん(or彦丸さん?)が前列真ん中。若いのにいい位置にいるなあと思っていたら、やっぱり踊りが一番上手だった。馬生さんも「一番若いのが一番うまい」と自嘲を込めて言っていた。

今回私が大いに感銘を受けたのは、正雀さんの芝居のうまさ(定評があるらしい)と馬楽さんの才能だ。とくに、お客からお題をもらって「○○とかけて何と解く」っていうヤツ、見事だったなあ(って、中身メモっておけばよかった。忘れてしまった)。      <おまけ>へ続く

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