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2008年8月

2008年8月13日 (水)

閉鎖、申し訳ありませんでした

SwingSwingSwingをご愛読くださっていた皆様、8月7日に突然のサイト閉鎖という事態が生じ、せっかくいらしていただいても「アクセス禁止」という恐ろしいメッセージが現れ、大変申し訳ありませんでした。
さぞご不審に思われた方もいらっしゃったかと存じます。私自身、何をしでかしたのかと、おろおろいたしました。
皆様に何のお知らせもできないまま(これが一番つらいことでした)、管理画面に入ることもできず、問合せに対する返信を待ちながら、ただ悶々と時を過ごしておりました。
やっと届いた返信によれば、原因は、負荷がかかりすぎたということらしいのですが、直接閉鎖の引き金となったものが何なのかはわかりません。
そこで、このたび、SwingSwingSwing part2として新たにブログを開設いたしました(ここに至る状況についてはpart2に詳述しております)。今後は本ブログ同様、part2をよろしくご愛読いただければ、こんな嬉しいことはございません。
なお、本ブログは、本日8月13日午前10時から再開の運びとなりました。ただし、12時までの2時間に負荷を減らす努力をしなくてはなりません。泣く泣く記事や写真の一部を削除いたしましたが、それでもまだ負荷削減が認められない場合は、再度閉鎖の憂き目にあうことになっております(できるだけコメントを頂いていない記事を削除したかったのですが、どうしても2本、コメントとともに削除せざるを得ませんでした。これらの記事については、part2へ移行し、コメントもご紹介するようにいたします。ご了承くださいませ)。
シンデレラのような気分ですが、2時間の努力が実ることを切に祈っております。もし継続が可能になりましたら、本ブログも閲覧していただけるよう、時々更新して残していきたいと思っております。もし努力が水の泡に終わったら、再度、再開の努力を続けるつもりでおります。
本当に申し訳ございませんでした。
今後とも、どうぞくれぐれもよろしくお願いいたします。

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2008年8月 5日 (火)

幻の4番

さっき、同世代の友人からメールがあって、「1チャンで阿久悠やってるよ」。別に特別阿久悠が好きなわけじゃないし、今さら~とは思ったが、せっかく教えてくれたから、ややあってTVをつけてみた。
阿久悠、特別に好きなわけじゃない。でも好きな歌の多くは阿久悠の作詞だった。阿久悠のすごいところは、あらゆるジャンルの歌が書ける(大塚博堂にまで書いている)だけでなく、何年にもわたって大ヒット曲を飛ばしていることだ。いわゆる歌謡曲を私は好きだ。だって歌詞がドラマになっている。歌を聞いていれば、状況が目に浮かぶ。
その中で私が一番秀逸だと思い、大好きなのは「ざんげの値打ちもない」。北原ミレイという稀有な歌い手を得て、この歌は鋭く私の胸に突き刺さった。自分とはまったく異なる環境にいる少女の気持ちが激しく私の胸を揺さぶった。
この歌のドラマは暗い。暗いけれど、しめっていない。怨念に捉われていない。だから好きなんだと思う。
歌詞には出てこないけれど、私の目にはこの歌の主人公である少女が独房の片隅に蹲って孤独に耐えている姿がいつも見えるようだった。ところが、今日、幻の4番というのが歌われた。もともと5番まであった歌詞だが、直接的で過激だからという理由で4番が省かれたのだそうだ(当時はそうだったのかなあ)。その4番は、鉄格子から月を見上げているというような内容で、19で男を刺した少女が20歳を過ぎた頃のことである。まさに私が見ていた少女の姿が(蹲っているかどうかはわからないけれど)そこにあったのである。阿久悠の優れた詞が、歌われなかったそれを想像させたのだ。私は北原ミレイの歌を聞きながら、ちょっぴり泣いた。
そういえば、昔、映画「瀬戸内少年野球団」(阿久悠原作)を見て、出演者の1人、佐倉しおりという女の子の脚があまりにまっすぐできれいだったのに感激したっけ。

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2008年8月 3日 (日)

和楽器堪能、囃子の会

82日 囃子の会(歌舞伎座)
08080301hayasi去年三響会に行かなかったし、今年東京では三響会はないし、囃子の会の案内を見て、出演の囃子方、歌舞伎俳優さんが豪華だし、お能のことはわからないけれど、このレベルならきっとお能のほうもすごい方たちなんだろうと(後で聞いたら、お能は、ありえないような豪華メンバーだそうで…)、そういう出演者が一同に会するこんな豪華なチャンスはめったにないだろうとチケットを取った。
素晴らしかった、行ってよかった。こちら関係、まったく知識がないので、とんちんかんになるかと思いますが、以下、視覚的感想(囃子の会、なのに)を簡単に。
3
2列目だったから、花道は諦めていたが、幕が開いてビックリした。あの舞台が能舞台に変身していたのだ(能舞台を模した、と言うべきですかね)。半分より上手寄りに舞台、下手側半分に橋が設えられ、床が黒く塗られていた(or黒い布?)ため橋が浮き上がって見え、時々本当に水面にかかっているかのような錯覚を覚えた。舞台後ろの松は、幹は本物の葉を使っていたのではないかしら。もう、この作りを見ただけで、気分はそういう世界へと誘われる。
最初は「三番叟」23分)。江戸時代、「三番叟」で舞台を清めてからその日の公演を行っていたという芝居小屋の慣わしにのっとり、この会もまずは「三番叟」から。藤間勘十郎さんの三番叟は、躍動感にあふれ、「操り」とか「舌だし」とか「種蒔き」とか、そういうバリエーションでない「三番叟」もこれほど魅力的なものなんだ、と思った。勘十郎さんは、82日付の東京新聞夕刊伝統芸能欄のメイン記事に取り上げられています(まだ28!!)。
「鶴亀」20分)。梅玉、梅丸、梅枝、萬太郎による長唄の舞踊。梅枝クンはもうすっかり自信がついたのか、清楚ながら堂々たる舞いぶり。萬太郎クンは昨年錦之助さんのお祝いの会で一度舞いを見たことがあるが、格段の進歩だ。もちろん、まだまだではあるが、若い子って進歩が目に見えるので面白い。梅丸クンはいつもながら、そのうまさに舌を巻く。若い3人を帝の梅玉さんがやわらかく貫禄で見守るという感じだった。
「小袖曽我」12分)。「曽我物」の1つで、シテ梅若六郎、ツレ観世銕之丞。面も衣裳もつけない素踊りで、意味はよくわからなくてもドラマ性が感じられて、引き付けられた。こういう演目なら能でもイケるな、と思ったのだけどプログラムを見ると「舞囃子」と書いてある。これは能ではないのかしら。
「静と知盛」26分)。富十郎さんの素踊り。「船弁慶」ですよね。で、やっぱりダメでした。頑張って見ていたのだけど、陥落しました。
「羅生門」20分)。これも素踊り。吉右衛門さんの渡辺綱。この曲に振り付けが施されるのは今回が初めてだそうだが、曲は勇壮だし、踊りもわかりやすくて楽しめた。
「楊貴妃」40分)。シテ観世清和、ワキ宝生閑。これは<>。何とか努力したけれど、寝てしまった。お能を見る自信が完全に潰えました。
「老松」20分)。黒の衣裳が映える玉三郎さんの美しさを堪能。リラックスして踊っているように見えた。
番外・獅子」5分)。亀井忠雄さん一家に笛の福原寛さんが加わった演奏。これまでの演目はついつい踊りのほうに注意がいっていたが、この会は「囃子の会」なのだった。もちろん、演奏も素晴らしくて、鋭い笛の音(これが鳴ると、空気が変わる気がする)や澄み渡る鼓の響き(狐忠信を思った)、ぐっと盛り上げたりしめたりする太鼓、そこに加わる三味線、謡に長唄--演奏だけでも十分楽しいし、いっそ目を瞑って聞いてみたい気もしたくらい(もったいないから、そうはしなかったけれど)。そういう気持ちを満足させてくれたのがこの番外「獅子」。打楽器は決してリズム楽器なのではなくメロディーをも演奏するということが実感できた。獅子が毛を立てて舞い狂っている様が目に浮かぶ。それだけでなく、私自身が獅子になって狂い舞いしたくてたまらなくなる。わずか5分という演奏、終わるのが惜しくて、もっともっと聞いていたかった。一家でこういう演奏ができるなんて、ここへ至るまでの道の厳しさを思いながらも羨ましい気持ちになった。幕がおりてからも拍手をする手は止まらず、6人が1列に並んだカーテンコールで心からの賞賛を送った。
<
上演時間>各演目の時間が本文に記載。「三番叟」から「静と知盛」までは各幕間5分。後半との間に40分の幕間。「羅生門」と「楊貴妃」の間は5分、「楊貴妃」と「老松」の間は10分、最後の幕間は3分。
追記1歌舞伎役者さんが登場するとさかんに大向こうがかかっていたが、歌舞伎とは違ってそぐわない気がして、声がかかるたびにドキっとした。とくに富十郎さんのときにそれを強く感じた。
追記231列目の客が前かがみになると、舞台がほとんど見えなくなる。私も時々31列に座り、十分気をつけてはいるつもりだが、後ろでそれを実感したから、今後はさらに留意しようと思った。
もう一つ、周囲のお喋りの声がやや大きいのが気になった。
おまけ1前後半の間の長い幕間が終わる少し前、スーツ姿の梅枝クンを発見。ずいぶんためらった後に、おばさんの図々しさで意を決して近寄り、巡業お疲れ様でした、牛若素晴らしかったです、今日の舞も素敵でしたと気持ちを伝えた。なんて素直な、感じのいい青年なんでしょう。ちゃんと丁寧に聞いてお礼を言ってくれました。ミーハー的満足感もバッチリでした。
08080303whisky_3おまけ2サントリーウイスキーの試飲会をやっていた。ウイスキーは普段ほとんど飲まないけれど、試飲会っていうのにはちょっと心惹かれる。でも、たとえ一口でも飲んだら絶対寝る。普段の歌舞伎興行でもビールやワインを飲む人がいるけれど、眠くならないのかなあ。


08080304kabukiza

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2008年8月 2日 (土)

また新しい遊びが…

urasimaru様のところで、とても面白いサイト(幕末古写真ジェネレーター)を教えていただき、かなりはまりかけています。
早速やってみました。
08080201sepia1
元の写真は↓
08080202original 
色々試してみましたが、いい感じに出来上がるのと、そうでないのとあって、どんな写真が適するのか考えるのも楽しいものです。都電は素材としてはベタすぎて面白くないかもしれないけれど…

urasimaru様が教えてくださった元はココ。素晴らしい写真がいっぱいです。

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2008年8月 1日 (金)

7月最後は巡業ハシゴ:竹三郎さんバンザイ

731日 巡業中央コース千穐楽昼の部(板橋区立文化会館)

同日   巡業東コース千穐楽夜の部(練馬文化センター)
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左:板橋         右:練馬
怒涛の
6月なんて思っていたら、7月のほうがもっと怒涛だった。その怒涛を象徴するような巡業千穐楽のハシゴ
中央コース(錦之助さん)は当初の予定には入っていなかったのだが、初日に拍手し足りなくて、モヤモヤしていたから、何とかもう一度行こうと思っていた。千穐楽なら池袋を中心に、昼の部は東武東上線、夜の部は西武池袋線と、なかなか便利。間に1時間以上余裕があったので、本日最初の食事をビールとパスタで摂ることもできたし(夏は1人でもだぁ)。
中央コースは、やはり地味感は拭えないけれど、大向こうは盛んにかかっていたし(よっぽど私も声かけちゃおうかと思った。どこかで女の人の声がかかっていたら、やってしまったかも)、今日はバッチリ拍手もできたので満足。
さて、ここから確信犯的超こじつけ比較。「橋弁慶」「操り三番叟」。後者はもちろん、後見が三番叟を操るのであるが、時としてどちらが操られているのかと訝しむような場面もあり、それが面白い。前者は、弁慶が牛若丸を侮って操ろうとし、逆に操られ降参する。と考えれば、なんか似ているじゃない。
踊りは両方ともとても楽しかった。初日もそうだったが、弁慶は舞台が狭いため、やはり動きが制限されてしまうのだろう。とくに花道ではない花道での動きは工夫して大きく見せているものの、やはりきびしそうだ。後ろの壁に弁慶の影が大きく写って、案外それがいい効果を出していたように思う。
三番叟は、細かい足踏みと音が揃っていないような気がしたが、どうだろうか。今日は3回目にして初めて前のほうの席に座れたが、こと三番叟に関しては、後ろで全体が眺めたときのほうがよかったかもしれない。というのは、前で見ていると、亀鶴さんと亀治郎さんの距離が妙に遠く感じてしまうのだ。1つの視野に入ってこないからなんだろうと思う。そのため11人はいいのに、2人の連携にイマイチ物足りなさを感じた。
「毛谷村」「弁天娘女男白浪」。前者は男装の麗人、後者は女装のイケメン。いずれもバレて…あ、似ているのはそこだけか。この企み、あえなく失敗。いや、もう一つ思い出した。手拭の存在である。前者はお園が六助の胸元からひょいと手拭を抜き出し、姉さんかぶりする。後者は、鳶頭が投げた手拭を弁天が頬かむりする。それだけのことでした。
錦之助さんの六助は変わらず真面目なんだけど、初日に比べてずいぶんこなれている感じを受けた。わたし、この六助、とても好きです。今日の時様、錦之助さんにお顔がとても似ていた。東蔵さんは初日はあまりピンと来なかったが、今日はよかった。子役ちゃんがかわゆい。
弁天では、亀鶴さんに大きさを感じた。澤五郎さんの番頭が、後で悪事がばれることを知っている目には、いかにもといった印象だ。竹三郎さん、実はこの前の口上でとても感動的な場面があったので、それがオーバーラップしたのか、呉服商なら当然お金にシビアなところがあってしかるべきなのに、弁天たちに対する表情が慈悲深いような哀しいようなものに見えて、印象に残った。
「口上」。中央コースは初日とほとんど変わらない内容で、オーソドックスなものであった。そこで東コースだけご紹介する。まず口を開いたのは亀ちゃん。暑さとの闘いだったが1人も欠けることなく千穐楽を迎えられた。巡業が終わると、巳之助クンはすぐ舞台。8月は「1部も2部も3部もすべて出ますから、1部も2部も3部も見てください」と強調して笑いを誘った。亀ちゃん自身は9月は演舞場と歌舞伎座、10月はNHKのドラマで、白塗りでなく素顔で出ます、と。そして昭和7年生まれ75歳の竹三郎さんのことになった。自分はこのまま帰ってしまおうかと思うこともあったりしたが、70過ぎての巡業はとても大変なのに竹三郎さんは弱音を吐かず頑張ってこられた。自分が子供の時明治座で共演し、まだ幼くて顔のことができない自分の顔をやってくれたのが竹三郎さんだった。関西歌舞伎の竹三郎さんには喜寿でぜひ「河庄」の紙屋治兵衛をやってほしい、そうしたら自分が小春をやる(それ、絶対見に行きます)。それから、「これは無理だと思いますが、私より先に死なないでほしい」と。
すると竹三郎さんがしきりに顔を拭き出した。私は亀ちゃんにいじられてテレて汗をかいているのかと思ったら、なんと、竹三郎さんは涙を拭いておられるのであった。口を開いたとたん、「今の亀治郎さんの言葉で…泣くまいと思っていたのに泣いてしまいました」と声をつまらせた。ああ、竹三郎さんって、なんて純粋な方なんだろう、それに比べて私のスレていること。私は自分を愧じるとともに、竹三郎さんの心と亀治郎さんの心の温かさにぐっときて、うるうるしてしまった。竹三郎さんは、自分たちも大変だったが、トラックの運転手さんや裏方さんはどんなに大変だったことかと思いやり、そのやさしさが又ぐっとくる。元々好きだった竹三郎さんがますます好きになった。浜松屋幸兵衛は初役だが、役者は生涯修行とおっしゃる。そして「巡業はこれで最後にしたい」と又泣かれた。
亀鶴さんはご自分の役を紹介する程度の簡単なご挨拶。桂三さんは「やっとお江戸に戻ってきた。巡業は楽しかった。竹三郎さんもご一緒に永遠に続くといい」と笑わせる。巳之助クンは「あしたからは8月の稽古にはいる。竹三郎さんを見ていると、弱音は吐けない。今日はいつも通りに、いやいつも以上に頑張ります」。段四郎さんは「75歳の年齢で38歳の気力をもつ竹三郎さん、18歳の巳之助クンのパワーに支えられ、62歳の自分も頑張れた」など、ちょっとカミながら話したところが好もしかった。竹三郎さん、本当にみんなに気力を奮い起こさせるもとになっていたんだなあ。
亀ちゃんによると、北は北海道から南は丸亀まで、27日間で48公演だった、11000人が見るとすれば48,000人の人が見てくれたことになるということで、そういう数字を出されると、巡業って大したものだなあと思う。
中央コースは梅玉さんの「神田祭」が、キレよく華やかに最後をしめた。
両コースとも、皆様暑い中、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。
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