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2008年3月

2008年3月31日 (月)

待ってました、すっきり勝利

330日 対新潟アルビレックス戦(埼玉スタジアム、1603キックオフ、46.962人)→30で勝利
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リーグ戦、ホームで勝ったのは去年の大分トリニータ戦以来、この時は駒場だったので埼スタでの勝利は去年の930日、奇しくも同じ新潟戦を最後として、実に半年ぶりになる。
予報どおり、これから出かけようという時間になって雨が降り出し、もう着ることもないだろうと放置してあったダウンのコート(クリーニングに出す前でよかった)を着込み、レインポンチョに膝掛け、手袋と、真冬なみの装備で、ああおっくう、行きたくないなあとぼやきながら、それでもチケット買っちゃったし、監督が変わって初のリーグ戦ホームだから…。
ところが、実に面白い試合だった。負けたら気分はよくないだろうけれど、多分負けたとしても試合は面白かったと思えただろう。今までは、勝っても試合自体がつまらなかったのだ。だからほとんどいつも仲間に対する義務感みたいのもので埼スタに通っていたのだ。ところが後でわかったことだが、仲間の1人も去年はいつも「行きたくないな」と思いながら来ていたという。私だけじゃなかったんだ。
いつも待ってボールを取ろうとするから途中でインターセプトされパスがつながらないレッズが、積極的にボールを奪いに行き、走り、シュートを試み、気合が入っていた。とくに永井は最後までスピードが衰えず、おおまだやれるではないの、と嬉しく思った。
闘莉王が高い位置に上がり攻撃参加しているから、あれれと思って遅ればせながらメンバー表を見たらMFで起用されていた。DFに堤をもってくるなど、新監督エンゲルスもなかなかやるねえ。その闘莉王は3点が入って、少なくとも勝利は大丈夫だろうと思われる頃になると後ろに下がり、そういうあたりにもオジェック時代との違いを感じた。
途中交代の梅崎は、小柄ながらスピードに溢れ、ボールコントロールがうまい。梅崎のプレーも見ていて楽しいものであった。そのほか、相馬がよかった。待望の1点目を決めて、気分を楽にしてくれたし。
しかし雨中の観戦はやはりきつい。昨日は座席がかなり前で、ギリギリ屋根が切れるあたり。たくさん着込んだ上にレインポンチョをかぶって身動きが取れない。おまけに、我が皮下脂肪をもってしても寒さがしみてくる(去年みたいな寒い試合内容だったら絶対風邪をひいてるな)。そんな中、新潟側の何人かは上半身裸で応援していた。そんなアツさも実らなかったけど、新潟の応援団とはずっと前にいい関係で観戦したことがあるし、けっこう成績が気になっている。次はぜひ勝利してほしいな(新潟のシュートが失敗に終わり、もう逆転はなさそうだというとき、ラインまで出て選手に声をかけていた新潟の監督がくら~い表情で俯いてベンチに戻ってきたのがひどく印象的だった)。
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今日の大旗は、スタジアムの外に。
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何年後かには花見&観戦セットが楽しめそう。


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2008年3月30日 (日)

桜競演

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時計と桜(3月27日池袋日之出町公園)
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夕陽と桜(3月26日飛鳥山)
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水面に映る桜(3月27日地元)
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仲見世の桜(3月29日浅草、本当は伝法院の桜)
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玉ねぎと桜(3月29日靖国通りから)
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コントラスト(3月29日千鳥ケ淵)
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舟遊び(3月29日千鳥ケ淵)
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風に舞う花びら(3月29日靖国鳥居、だいぶひらひら落ちていた。明日の天気次第では…)
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狛犬も花になごむ(3月29日靖国神社)

おまけ
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千鳥ケ淵緑道に入るのに田安門の手前あたりから30分近くも行列した。去年も辛抱強く並んだことを思い出した。

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2008年3月29日 (土)

近頃とみにオバ化現象・1

今流行りの「おバカ」ではない、「オバ化」、つまりオバサン化現象です(ま、私の場合、大して変わらない)。あ、元々オバサンだから、むしろ「オバ強化現象」か。
オバ化シリーズ第1弾は…
「竹橋」と「竹芝」がごっちゃになった。

地下鉄で見た国立公文書館の広告。面白そうだな、ところでどこにあるの?と見てみると、竹橋と書いてあった。へえ~、あんなところにあるんかいなと、東京湾岸の建物を想像したものの、ん?ちょっと変だぞ→それは竹芝じゃっ!!
この間約4~5秒。やっぱりかなりオバ化、いや、おばぁ化している

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2008年3月28日 (金)

上川隆也の39年愛

326 「きみがいた時間 ぼくのいく時間」(サンシャイン劇場)

キャラメルで最初に見た芝居「クロノス」の続編である。愛する人が事故にあって死んでしまう。どうしてもそれを回避させたい、ひとえにその思いを抱いて、タイムマシーンに乗って過去へ行き、愛する人を救う。そんな強い愛の物語「クロノス」が、役者さんの大熱演もあって面白かったから、キャラメルのファンになった。そのクロノスシリーズの作品なんだから、ととても楽しみにしていた。期待に違わず、笑わされ、泣かされた。以下、少々ネタバレします。
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クロノス・ジョウンター>という機械は、その人が行きたい過去の時と場所へ運んでくれたけれど、その時間にいられるのはほんのわずかな時間、そしてそれが過ぎると、その人は何年もあるいは何十年も先の未来へ弾き飛ばされてしまう。だから物語はハッピーエンドでもあり、悲しい結末でもあるのだ。
今度の<クロノス・スパイラル>はジョウンターをもっと進化させたマシンではあるが、遡れる過去は39年前。秋沢里志(上川隆也)は新婚の妻紘未(西山繭子)を死から救うため、39年前の時代にタイムスリップする。その時代、もちろん、まだ紘未は生まれていない。里志だって本当は生まれていないんだけど、2009年に30歳代前半という年齢のままの里志が1970年の横浜に突然現れるというわけ。里志は辛抱強く、その時代で働き成功し、紘未の誕生から成長まで見守る。39年間も2009年、年老いた里志はもう1人の若い自分と紘未の結婚を見届け、息を引き取る。紘未は年老いた里志の心が通じて事故にあうことはなかった。そしてきっと、この先末永く里志と幸せに暮らす。
里志の思いが実るまでには危うく個人の歴史が変わりそうな事態に陥りかけたり、里志自身の事件に巻き込まれたり、紆余曲折がある。それでも常に変わらないのは里志の紘未に対する愛なんである。39年の愛なんである。
主演がキャラメルに3年ぶりに復帰した上川隆也であるためか、平日昼間だというのに、横だけでなく縦の通路にもびっしり補助椅子が出るという盛況。私は上川隆也は(顔が)ほとんど好きでなく、普通にキャラメルの芝居を見に行っただけなのに、この芝居でコロっと転向してしまった。テレビで見るよりず~っといい男で、演技もさすがにうまい。最後なんかぼろぼろ泣かされた(客席のあちこちからすすり泣きの声が聞こえてきた)。
こうなると、もちろんコクーンの「表裏源内蛙合戦」(井上ひさし作・蜷川幸雄演出、上川隆也主演)は見に行くつもりだし、パルコ劇場の「ウーマン・イン・ブラック」も守備範囲に入ってきた…マズイ。上川さん、キャラメルには少なくとも年に
1回は出てください。
しかし、前作もそうだったが、タイムスリップものを舞台化する巧みさには感心する。今回は里志の妹(岡内美喜子)が兄の体験談を語るという形で狂言回し的な役どころに設定されている。彼女はほとんど出ずっぱりで、時には出来事を解説し、時には観客と同じ気持ちになって(ツッコミ的に)出来事の中に入り込み、下手をすればややこしくなるところだが、脚本がうまいのだろう、とてもわかりやすかった。携帯もパソコンもない時代に、里志のノートパソコンがもたらす波紋も興味深い。
<上演時間>第165分、休憩15分、第270
おまけ1カーテンコールは4回。2回目に、この日が誕生日だというメンバーの1人、小林千絵さん、客席も一緒にHappy birthday to youを歌ってお祝いをした。この小林千絵さんはとても小柄で、セーラー服がぴったり似合う中学生時代の紘未を演じていた。それが「31歳になりました」というので、客席にどよめきが。
おまけ2キャラメルは前説も楽しいのだが、今回は場内放送による当たり前注意事項のみ(携帯の電源とか、カメラ禁止とか)。それでもさすがキャラメル、客席に笑いを起こしながらの注意放送だった。
おまけ3その場内放送の最初に、ビッグニュースとかが知らされた。「オペラ座の怪人」の続編制作が決定したんだとか。アンドリュー・ロイド=ウェーバーはもう既に作曲を終わっているんだそうだ。「本日午後1時頃発表がありました」ということでした。

おまけ4休憩を挟んでの2部構成は、キャラメル始まって以来初めてのことだそうだ。

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2008年3月27日 (木)

ぶらり都電の旅

本日3月26日のぶらり旅は王子駅前⇔東池袋四丁目。目的地はサンシャイン劇場。連日の観劇です
まずは車窓からの目を楽しませてくれる飛鳥山の桜。

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飛鳥山停留所。

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「筆談によりご案内いたします」というのが、都電ぽくて温かい。パスモも使えるよ。
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路線図。庚申塚、鬼子母神、面影橋(美しい名前で、昔から好き)といった停留所名--線路ギリギリに建つ家屋に囲まれたこの路線にふさわしい気がする。
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直線。

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曲線(拡大するとわかります)。

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滝野川一丁目停留所。長閑に見えるが、車内は意外に混雑して、停留所ごとの乗降も頻繁で、ベストスポットを確保できない。何年ぶりかで乗る懐かしい電車に1人はしゃぎ気味の私は周囲の好奇の目をものともせずカメラを構えていたものの、窓という窓には何かが貼ってあり、おまけに思ったよりスピードも速く、いい写真が全然撮れなかった

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東池袋四丁目。目的地最寄の停留所。

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ご自由にお持ちください、って。サンシャインへ行く途中にて。

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山手線が止まっているとか遅れているとかで都電にしたのだが、おかげで楽しかった。チンチン電車の名の由来となったチンという音も健在でした。

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2008年3月26日 (水)

感涙:ヤマトタケル

325日 「ヤマトタケル」(新橋演舞場千穐楽)

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初日の右近さん、そして千穐楽の段治郎さん、それぞれのタケルを見ることができて幸せだった。

先にカーテンコールの話をしてしまうと、毎回見るたびにそうなのだが、帝のそばに跪いて帝の手をしっかり握るタケルの姿に、涙が溢れてしまう。カーテンコールにまで物語性をもたせてこんなに客を泣かせるなんて、舞台づくりの巧みさに感じ入る。
客席の拍手は幕が降りても鳴り止まない。場内もまだ暗い。期待をこめて手を叩き続けていると、また幕があいた。あれ、右近さんがいない。ってことは…。高まる期待に胸がドキドキしてきた。そして、思ったとおり、タケルの墓から右近タケルがず~んと上がってきた。右近さんに敬意を表する段治郎さん、兄貴分の貫禄で互いの健闘を称える右近さん。2人タケルの固い握手に、またまた感動の涙が湧いてきて、私は泣き笑いしながら精一杯手を叩いていた。
そして3回目のカーテンコール。やっぱりやっぱり、予想どおりというか、期待どおりというか、猿之助さんが舞台中央に。猿之助さんの両側に跪いた2人のタケルは、まるでおとうさんに慈しまれる息子たちのごとく、ここでもまた涙が滲み、深い感動が胸に渦巻いた。
う~む、こうなったら、名古屋の千穐楽が見たいゾ~。

「ヤマトタケル」は3年前にも見ているのだけど、正直言って段治郎さんのタケルはあまり記憶に残っていない。それだけに、今回はとても楽しみにしていた。段治郎さんは姿美しく、体が大きいから動きも大きくてカッコいい。セリフも一言一言が素直に心に入ってくる。第1幕は段治郎さんの魅力に圧倒された。
ところが、2幕目になって右近さんのタケヒコが出てくると、ちょっと感覚が変わってきた。段治郎さんはタケヒコのほうが合ってるんじゃないか、と思い始めてきたのだ。段治郎さんのタケルが悪いとか、右近さんのタケヒコが悪いっていうのでは決してない。いや、11つの演技は段治郎さんのタケルのほうが好きかなあと思うのに、全体として見たときにタケルは右近さん、タケヒコは段治郎さん、となってしまうのだ。自分でもその感覚をうまく分析できないのだけど、バランスってことなのかなあ。って言うより、単なる好みの問題に過ぎないか…
しかし段治郎さんは踊りがとても上手になったと思う。女装して080325enbujo_2 熊襲のところで踊ったときなど、見ていて本当に楽しかった。
今日は宙乗り小屋のすぐ近くの席だったので、段治郎さんのお顔がとてもよく見えました。滞空時間もかなり長かったし、体が大きいから迫力もあった。でも、肝心のときに小屋からドライアイスの煙がぼわ~っと出てくるので、せっかくのお顔が時々隠れちゃったのがちょっと残念。

泣きどころ:欠点という意味ではない。泣けた場面という意味。熊襲の最期(少し泣いた。ヤマトタケルで私が気に入っているのは、タケルの名を熊襲からもらうところだ。征伐した敵が小臼の命の強さに感服して自分の名前を与えるというのも面白いし、それを喜んで受け入れるというのも大らかで面白い。真の勇者は互いに尊敬しあうという精神もあるのだろう。そういう部分に感動するのだ)。弟橘姫の入水。息を引き取った後の、タケルの微笑みを浮かべた穏やかな顔。兄橘姫の「私には待つというさだめしかなかった」というセリフ。ヘタルベの号泣(猿紫さんからは、弘太郎さんのように全身でタケルへの敬愛を表すという爆発力みたいなものは感じなかったけれど、この最後の号泣にヘタルベの気持ちのすべてが現れているような気がした)。等々。
おまけ1:舞台写真入りの筋書きが出たかと期待したが、今月は写真は入らないのだそうだ。ということは、来月以降入る可能性があるってこと? 2階で売っていた舞台写真
は欲しいものばかりだったけれど、資金不足のため諦めた(実を言うと、猿琉さんの写真2枚買っちゃいました)
おまけ2:二十一世紀歌舞伎組の「新・水滸伝」(仮題らしい)のチラシが出ていました。8月18~31日、於・テアトル銀座。8月の予定一つ決まり

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2008年3月24日 (月)

豪華、弥生の歌舞伎

223日 三月大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)
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え~、今さらながらなんですが、今月の出演者って超豪華なんだわ~と、ふと気付きました。いつもと同様、当たり前のように見に来たのに、おお、人間国宝が
5人も!! 凄い!!
080323suzugamori ということで、まずは人間国宝2人がカッコよく対峙する「御存鈴ケ森」。段四郎さんの飛脚・早助、最初の威勢はどこへやら、雲助どもに身包みはがされてからの情けなさが剽軽で、かわゆ~い。左団次さんと彦三郎さんとの3人のだんまりも楽しくて。3人並ぶと段四郎さんが小柄に見えて、それもまたかわゆい(時々、お顔や動きが亀治郎さんそっくり、と思った)。段四郎さん、前にテレビで見た俳優祭版ベルばらのダンシロフ公爵夫人役で胸毛がどうとか言っていたのを思い出し、ついつい失礼ながら胸元を見て、胸毛を確認してしまいました。私って、歌舞伎見に行って何やってんだろ…
白井権八の芝翫さん、前髪立ちの若者がよくお似合いで、違和感なく、びっくりした。立ち回りは前回見たときは、わっエグい!と思ったけれど、今回はそれなりに面白く見ることができた。富十郎さんがまた親分らしい貫禄で、人間の大きさを感じさせた。
080323dojoji_2 「京鹿子娘道成寺」。道成寺モノの人気が高いのがよくわかる。最近では私もいろいろな方の演じるいろいろな道成寺を楽しみにしている。まずは所化さんたちのお喋りが楽しい。「まい尽くし」は愛之助さん。時々セリフを忘れそうになって、一生懸命思い出しながらの「~まい」「~まい」には、客席揃ってがんばれ~と応援していたような雰囲気が漂った(と思う)。花道に並んだ所化さんたちの渡りゼリフによる「とう尽くし」は、この日でなければ出ない「とう」がひとつあった。「大相撲千穐楽、朝青龍の優勝おめでとう」というもの。客席に「おお、朝青龍優勝したんかいな」という空気が流れた(と思う)。
山門に現れた花子を所化がみんなで見に行った後、誰かが「そういえば山城屋さんに似てますなあ」→すると所化の1人が翫雀さんを指して「そういえば、貴僧にも似ておられますなあ」→翫雀さん「愚僧も鏡を見ているようであった」ってなことを遣り取りする。乗りやすい私はこういうお客様サービスにきゃっきゃっ喜んでしまう。
それにしても、藤十郎さんのあまりの若さ、美しさにただただ恐れ入った。見とれた。藤十郎さん、どんどん若返っていっているような気がする。見た目の若さ、美しさはもちろんだが、動きだって、とても喜寿とは思えない。これが藤十郎さんの道成寺なんだ、って感じ入った。
押し戻しは今回初めて見た。こういうの、好きです。團十郎さんの荒事の立派さに満足。最後に藤十郎さんが段の上で見得を決めるのだが、普通3段のところを藤十郎さんは女方だから遠慮して2段なのだそうだ。藤十郎さんの化生というのも初めて見た。化生にしてはちょっと華奢なというか、やわらかさがあるような気がしたが、元々女性なのだからそれでいいのかもしれない。蛇の尾で逆立ちしている人を抱え上げていた鱗四天さんが苦しそうで、舞台はもっと見ていたいけれど早く幕を閉めてあげて~、なんて気の毒になってしまった。
ところで、虎之介クンがあまりに成長しているので驚いた。セリフもしっかりしていたし、踊りがとても上手だ。この世代、踊りの上手な子が多くて、先が楽しみだ(それまで生きていられたら)。
080323sasiti 「江戸育お祭り佐七」。賑やかで楽しげなお祭り風景の幕開きが、あんな結末になるなんて。お祭りの芝居(劇中劇)の時、田之助さんが清元を一緒に口ずさんでいたのが長閑でよかった。鳶の一団に松也クンがいるから見ようと思っていたのに、芝のぶちゃんに見とれちゃって、ついに気付かずじまい
佐七は、倉田伴平(團蔵)に追われていた小糸(時蔵)を助けたときなんて、いなせですごくいい男、ヒーロー的な人間像かと思っていたのに、しかも演じるのが菊五郎さんときたら、そりゃあ素敵な江戸っ子ぶりと期待するじゃない。なのに、あれあれあれ、ちょっと違う。意外と小心者ではないの。小糸に再会するために出かけるところなど、え~とあれは何の心中モノでしたっけ、なよなよ男が花道でぐずぐず迷う図とソックリ。江戸っ子ならビシッと会いに行きやがれ、と内心ハッパをかけてやりました。小糸に対する思いも、はじめは何となくあっさりしていてカッコよかったけれど、猜疑心の塊になったりして、なんだい男らしくないやね。おまけに小糸を殺した後、小糸が残した手紙に自分の悪口が書いてないかどうか気にするなんて、がっかりな男だ。だけど、鳶の頭(仁左衛門)だってだまされてしまうのだから、小糸の養母・おてつ(家橘)の悪がよほど長けていたのだろう。菊五郎さんはそういう小心な男の気持ちをよく表していたけれど、やっぱり私にとって菊五郎さんはカッコいいヒーローなので、自分の中でそのギャップの折り合いがうまくつかない。
時様はきれいでした~。はかなげで、タチの悪いおっかさんから逃れられない心細さが哀れだった。
人間の心の裏側を見るような思いもしたが、話としてあまり後味のいいものではないなあ。
細かいツッコミ:小糸が倉田伴平の手から逃げたとき、追う伴平は佐七に脅されてすごすごと退散して、威張っているだけの悪人といった感じだったのに、2度目の対決ではちゃんと戦っていた。芝居を見ているときは、さっきのはなんだったんだ、と思ったけれど、今考えるに、あれは佐七の心の変化によって伴平が恐れを感じなくなっていたのかしら。つまり、1回目は正義感からワルをやっつけるという強さがあったけれど、2回目は後ろめたさが佐七を弱くしていた…考えすぎかな。
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上演時間>「鈴ケ森」43分、幕間30分、「道成寺」76分、幕間15分、「お祭り佐七」85
幕間ツッコミ:513分からのお食事タイムはいくらなんでも早すぎる。花かご膳をいただきたかったのに、おなかがすかず、諦めました。

ミーハー的おまけ:扇千景さん、富司純子さんがいらっしゃいました。ほかにもどなたかいらしたかもしれないけれど、気付かなかった。お2人だけでも豪華です。

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2008年3月23日 (日)

一度は泊まってみたい「プリズンホテル」

321日 「プリズンホテル」(三越劇場1530分の部)

浅田次郎にはまるきっかけとなったのが「プリズンホテル」4部作である。泣いて笑って、とても電車の中で読めるものではない。だから私にしては珍しく自宅で夢中で読んだ。その作品が芝居になるというのだから、張り切って取ったチケットは2列目といういい席が当たった。
それが実際はなんと、2列目が1番前になっていて嬉しいような照れくさいような(最前列で役者さんと対峙するのって、何となく気恥ずかしい)。それに、三越劇場は狭いから、正直なところ、もう少し後ろでもよかったかな、なんて本当に私って我儘で贅沢。
プリズンホテルというのは、奥湯元にあるその筋の方が経営するその筋専門のホテル(本当は「あじさいホテル」という歴とした名前がある)なんだけど、どういうわけか、ワケありの一般の人たちが泊まりにくる。そして何ともはちゃめちゃな従業員たちの心のこもったもてなしを受け、癒されて帰っていく。
今日到着した客は、任侠小説の売れっ子作家木戸孝之介(野沢聡)と秘書・清子(渡辺志保)、そして救急病院の看護師・阿部マリア(根本りつ子)。美人女将・チエ子(多岐川裕美)、番頭・黒田(真夏竜)をはじめとするコワモテの従業員、フィリピン人の仲居たちが3人を迎える。チエ子は本当は孝之介の母親で、事情があって9歳の孝之介を夫のもとに置いたまま家を出てしまっていた。ホテルのオーナーでありかつ孝之介の伯父である仲蔵親分(草薙良一)が孝之介を呼び、28年ぶりに母子を対面させようというのだった。ところが孝之介はどうしようもないジコチュー人間。母親恋しさ、恨めしさのあまり、精神は9歳の子供のまま成長が止まってしまっていた。子供を捨てた形になったチエ子はチエ子で1日たりと息子を忘れたことがない、常に罪の意識に苛まれている。その2人の再会は…。そして、そこへ孝之介の継母・富江(山口果林)までやってきて…。
場面はホテルの1階ロビーだけ。そこで過去が語られ、今のすべての出来事が起こる。登場するのは善意の人たちばかり。孝之介も我儘放題暴れまくりだけれど、愛する人たちへの愛情表現がちょっとねじれているだけ。そういう善意の人たちの優しさが少しずつズレて複雑に絡まりあい、でも最後にはすべてが解ける。けっこうベタなんだけど、これが案外泣けるのである。
チエ子を演じる多岐川裕美は首のあたりに年齢を感じるものの、顔が小さく、ほっそりとして、とても綺麗。私は彼女の声が割と好きで、舞台で生で聞くと心地よい声だなあと、より強く思った。結果として子供を捨てなければならなかった母親の苦悩にも感じ入った。
山口果林には驚いた。じみ~なくたびれたおばさん役が見事にはまっていたから(役作りがうまい)。このおばさんにも男からラブレターをもらった時があったのだ。おばさんは、それを生涯の宝物にしている。その男とは、女房に逃げられた後の孝之介の父親だ。おばさんが語るその幸せにじ~んときた。そして今、孝之介が自分を育ててくれたこの、もう1人の母に乱暴な言葉を浴びせながらも実は愛情を寄せていることがわかり、ああこのおばさん、どんなにか嬉しいだろうと思ったら、又泣けた。
孝之介の野沢聡は初めて見た。なかなかいい男系かな。体も顔も大きく、多岐川裕美が半分くらいに見えてしまう。そのどうしようもない大きな駄々っ子が最後にとうとうチエ子に「おかあさん」と呼びかけ、照れくささを隠すように身を翻してホテルを出て行ったときには、チエ子と一緒に私も嬉し泣きした。この野沢聡、芝居が終わってから知って思わず「え~~っ」と叫んでしまったのは、なんと、あの野沢那智の息子さんだったのだ。ナチ・チャココンビのパック・イン・ミュージック抜きに私の受験時代は語れない(トシがわかるぅ。ま、今さらいいか)。その後も私は声優としての野沢那智にけっこう入れ込んでいた。ナッチャン、一体いつ結婚したんだろ? それにしてもナッチャンは細身でやや小柄だったと思うから、こんなガタイのいい息子がいるとは思いもしなかった。そうと知っていたら、舞台を見る目がまた違っていたかな。
1部はどうしても人物や事情の説明になるから多少くどい感じがしたが、それは私が原作をすでに読んでいて知っていたせいだろう。それを差し引いても、チエ子と孝之介の心情を強調するあまりに、同じようなセリフが繰り返されたような気がして、ちょっと引いてしまったところもあったけれど、全体に脚本は複雑な人間関係をよく整理して、わかりやすかった。第1部を45分と短くしたのは正解だったと思う。
また、原作で何組も登場するホテルの泊り客(孝之介関係は別として)を阿部マリアと、終末医療に携わる医師・平岡(嶋本秀朗)に絞ったのもよかった。この2人は片方が瀕死の病人・けが人を救う立場ならば、もう片方は手の施しようのない患者を安楽死させたために刑務所入りかもしれないという立場にある。しかもこの2人は相思相愛の仲である。平岡のプロポーズを2度も断ったマリアの潔さがちょっとかっこいい。
演技の上手な役者さんが揃っていたから、安心して見ることが出来たし、ベタに泣けたんだと思う。一度は泊まってみたい「あじさいホテル」である。
ま、そんなわけで、この後、夜のとば口の日本橋に佇んだというわけであります。
<上演時間>第145分、休憩25分、第280

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2008年3月22日 (土)

彼岸

墓参りに行った。芝居ばかり見ていたのではご先祖さまに申し訳ない。爽やかな午後だった。
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森林浴
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古木の幹に咲く命
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足…

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起点に立つ

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これが日本橋の中央に埋められているらしい(これはもちろん複製)。日本の道路はここから始まる
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お江戸日本橋七つ発ち~、なんて歌はもう知らない人のほうが多いのかな。
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夜はそれなりに綺麗だったが、きっと昼間見たら、川の上の蓋は息苦しさを覚えさせるんだろうな。ちなみに、反対側の欄干はライトアップされていなかった。
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橋名は徳川慶喜の揮毫によるらしい。
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おお~っ、と思わず声を上げた。缶詰でお馴染みの国分株式会社ビルでした。

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2008年3月21日 (金)

哀しみ漂う舞台:覇王別姫

220日 「覇王別姫」(シアターコクーン14時の部)
080320cocoon 映画も見ていないから、まったく予備知識なしで見た。全篇、哀しみの漂う物語だった。

開演前の舞台には左右に天井からカーテンが吊るされているだけで装置や大道具は何もなく、78人の男性が回転ジャンプや逆立ち、ストレッチなどをしている。リラックスして楽しそう。舞台奥の扉が開いており、その向こうは駐車場なのか車が数台止まっている。バイクが出入りしたり、車も移動しているのが見える。機材の搬入口なのだろう。
やがてそのドアは閉められ、上から黒い幕が下りて、バックテンなどの稽古していた人たちもいつの間にか姿を消し、芝居の始まる雰囲気ができてくる。ニナガワの芝居のときは、客席にスモークがたかれたように靄って見えることが多いのだが、今回は客席ではなく舞台のあたりがもやもや見えた。
京劇の銅鑼(?)の音が鳴り響くと、先ほどまでリラックス気分が広がっていた舞台が急に緊張に包まれる。遠くから子供が走ってくる。誰かに追われている。手に刀を持った大人だ。2人はスローモーションで追いつ追われつ、前に走ってくる。先日の「千の目」で、蜷川さんは「覇王別姫」のオープニングは子供のスローモーションで客の心を摑むと言っていた。スローモーションそのものはニナガワがよく使う手であり、目新しくはない。しかし、刀を手にした大人に追われ必死の形相で逃げまくる子供というのはちょっとショッキングだ。しかも、ついに子供は捕えられ、ああ殺されると思った瞬間、刀は子供の手に振り下ろされた。絶叫する子供。その子供にやさしくマントをかけ、手を引いて、来た道を戻る大人。
しかし大人は子供を置き去りにし、子供はどこかの集団に入る。みんなにいじめられた子供をかばう1人の少年。子供はマントを火で燃やす。やがて男たちの群舞が始まり、それが終わると京劇の楽屋が登場する。
息も継がずに眺めていたここまでの場面、セリフらしいセリフは一言もない。この楽屋の場面に程蝶衣(チョン・テイエイ、東山紀之)が登場して、自分のこれまでの人生を独白で語る。それが、今までの場面の説明にもなっている。
「覇王別姫」とは京劇の芝居の1つで、項羽と虞姫の悲劇を描いたもの。東クン演じる程蝶衣は虞姫を演じる京劇の女方なのである。程蝶衣は娼婦の子。娼館で生まれた女児は娼婦になるが、男児は娼館にいられない。母は程蝶衣を京劇の養成所に売ろうとしたが、程蝶衣には指が6本あった。それで冒頭の衝撃的な場面になるわけである。あの母親が振り下ろした刀は幼い程蝶衣の1本多い指を切り落としたのだ。
長じた程蝶衣は、子供の頃から自分をかばってくれた兄貴分の段小樓(トアン・シャオロウ、遠藤憲一)との共演で「覇王別姫」のトップスターになる。程蝶衣は段小樓を愛していたが、段小樓は娼婦である菊仙(チューシェン、木村佳乃)と結婚する。程蝶衣は傷つくあまり、京劇の庇護者である袁世凱(西岡徳馬)と深い関係になる。
程蝶衣の生い立ち、そして段小樓に対する報われない愛、太平洋戦争~国共内戦~文革と時代に翻弄される京劇が哀しい。文化大革命の時、段小樓は保身のために程蝶衣のことも、菊仙のことも裏切る。比較的最近読んだ中国現代史の本が思い出された。誰彼となく三角帽をかぶせ自己批判を強要する文革の恐ろしい嵐。その痛ましさを思えば、段小樓のことを卑劣な男だと謗ることなど出来はしない。段小樓の裏切りは菊仙が、そして程蝶衣が自ら命を絶つという悲劇を招いたが、命を永らえた段小樓のほうがずっと苦しむのだ。段小樓は覇気も正気も失ったかのように老いていく。
自分の国の優れた伝統文化を否定する運動は哀しい。
そんな哀しみを思っているうちに、舞台では冒頭のシーンが繰り返されていた。追われる子供、マントを焼く子供、京劇の群舞、程蝶衣が演じる「覇王別姫」。この繰り返しは何なんだ。ニナガワの「最終的には夢だったんだろうかと幻の演劇を見たような」感覚に仕上げたいという意図のあらわれだろうか。

この芝居はミュージカルとは謳っていないけれど、ミュージカルといってもいいくらい歌が使われていて、それが物語の重苦しさを少し救ってくれる気がする。哀しみは涙が溢れるという悲しさではなく、心の奥深くに食い込んでくるような哀しさで後味の悪さはない。
話題としても東クンの女方は興味をひくところだが、テレビでちらっと見たとき「んん~?」と思った印象は舞台を見てもあまり変わらなかった。京劇の女方ってどういう感じなのか知らないが、意外と美しくないのだ。化粧した顔より素顔のほうがよほど美しい。思うに、東クンってかなり男っぽいのだろう。顔が小さくスタイルは抜群でかっこよかったけれど、ちょっとそこは期待と違っていた。演技はものすご~くうまいとは思わなかったけれど、哀しみがずっと漂っていたから、やっぱりうまかったのかもしれない。京劇の踊りはまったく知らないので歌舞伎の踊りを見る感覚で言えば、動きになめらかさが足りないなあと思った。というか、やっぱり男なんだよなあ、という感じ(東クンはかっこいい<>なんだってこと)。ただ、一つ言えることは、ヘタをすればいやらしさが出そうな袁世凱との愛の場面にしても、くどくなりそうな段小樓への愛情にしても、東クンの清潔感がそれを哀しみに変えているようなところがあるってこと。これは大事なことだと思う。
京劇に対する理解や知識がないため、見方が間違っているところもあるかもしれないが、京劇という文化とそれにかかわる個人の人生が歴史の波とともにうまく描かれていて、全体にとても面白かった。
<上演時間>120
おまけ1楽屋の使われ方が面白い。ここでもニナガワお得意の鏡がさりげなく効果を見せている。上半身を映す程度の鏡が楽屋の横幅ほぼいっぱいに置かれ、そこに東クンの背中が小さく映るのだ。これがなんだかいいのよね。

おまけ2プログラム2000円はちと高い。豪華版ではあるけれど…。

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2008年3月20日 (木)

亀ちゃん面白インタビュー:日経ビジネスアソシエ

またまた亀治郎さんの話だけど、18日発行の「日経ビジネスアソシエ」(4月1日号)に掲載されている亀ちゃんのインタビューが面白い。羽根拓也という人が聞き手で、質問がちょっとユニーク。
「お風呂に入ったらどこから洗うか」から始まり、「ある日突然死んだとして、天国と地獄の分かれ道で、亀治郎の生涯の中で一番善い行いはと神様に聞かれたらなんと答えるか」「では、一番悪い行いは」とか、「首相に亀治郎改革として何でも好きなように日本を改革していいといわれたら何をするか」とか。
それに対する亀ちゃんの答えから、羽根さんが市川亀治郎という人物、その考え方を分析し、そこからさらに話は広がり、歌舞伎役者としての亀治郎像が具体的に浮き彫りになる。
ミーハー的なインタビューも含めてこれまで私が触れてきた亀ちゃんの歌舞伎に対する考え方は、まったくぶれていない。羽根さんも、万華鏡のような亀治郎さんの話の基盤になる元絵はまったくぶれていない、と言っている。この若さでそんな芯をもっている亀ちゃんに対して、いいトシした私はぷらぷらと何もかもが定まらない。羽根さんによれば、私みたいなのはSSS(Spiritual Small Stones)というのだそうだ。独自の思考法や強い価値観が定着している人はSBB(Spiritual Backbone)の状態にあり、亀治郎さんのSBBは「破開力」(破壊力ではない)なんだと羽根さんは分析している。
「日経ビジネスアソシエ」は月2回発行(630円)。ほかの記事はまだ読んでいないけれど、今号には「タイツくん」という付箋がおまけについていた。SSSの私は、ちょっと得したような気になった

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2008年3月19日 (水)

時代劇スター・カメ

メンテナンス中管理画面にアクセスできず、情報が遅くなってしまいましたが、三谷幸喜さんの映画「ザ・マジックアワー」の亀治郎さんの役が発表になったようです。
往年の時代劇スター・カメ
何とも三谷さんらしい 思わず吹き出してしまいました。と同時に、「高田馬場」のあの亀ちゃんのとぼけた演技が思い出され、ちょっと昂揚しました。
6月7日の封切が待ち遠しい~。

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2008年3月18日 (火)

命がけ2

す、すげえ、再びです(第1弾は当ブログ2月20日)
見上げているだけで、足がガクガクし、心臓が縮みました。
自分がいる2階でさえ、ひどく高いような錯覚に陥った。
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無事帰還に思わずそっと拍手をしてしまいました。
それにしても鉄塔に張ったロープ、どうやったのだろう。その場面を見たかった。

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2008年3月17日 (月)

蜷川×亀治郎:千の目

316日 「千の目」(さいたま芸術劇場)

「せんのまなざし」というタイトルの対談である。蜷川さんが隔月でゲストと約1時間語り合う。今日はその第13回目、ゲストは亀治郎さんなんである。1時開始、12時半開場というのに、12時過ぎにはもう30人近い列ができていた。後で見たら補助席も出ていたみたいだった。

さて、ホスト役の蜷川さんに名を呼ばれて会場に姿を現した亀ちゃんは、一見学生さんみたいな若々しさ。ジーンズにストライプのシャツ、紺のジャケット、白のとてもお洒落な靴という、ナチュラルな中にもセンスのよさを光らせている。蜷川さんは向かって左側、亀ちゃんは右側に座る(椅子に腰掛けた脚があまり細く見えて、羨ましいと思う前に心配になった)。
蜷川さん(も若い)がいきなり「歌舞伎の人って、普段洋服だよね」と始めたのは、この2人のことだから難しい芸術論かなにかを戦わせたらついていけないかもなあと多少不安だった私を一気に安心させた。亀ちゃんによれば、和服は普段の手入れが大変だし、着ていれば職業を意識するし、座っているときに姿勢を崩せないなどで、洋服が多いそうだ。菊之助さんなんかも思いっきり派手なズボンで現れたりするとか。

以下、思い出すままに対談の一部を(ほとんどメモを取らなかったので記憶違いがあったらごめんなさい)。
蜷川さんは歌舞伎の稽古期間の短さに驚いたそうだが、亀ちゃんが言うには、そもそも歌舞伎は稽古するものでなくて、全部役者の中に入っているのだ、と。だからいきなり代役をふられてもすぐできる、ってことなのだ。「十二夜」は稽古期間が2週間弱あったようだが、蜷川さんはとてもそれじゃムリだと思ったらしい。それで、最初の稽古までにみんな頑張って7割がたセリフを覚えていたということだ。左団次さんが前の月の芝居の合間に台本を真面目に読んでいたという珍しい(?)姿もみられたそうで、新作であんな膨大なセリフよく覚えられるものだ、と最初から感心しっぱなしだった私は、それを聞いて失礼ながら大いに微笑ましく思った。稽古場は今は東劇にいいのができているそうだが、以前は歌舞伎座の場合は売店のあるロビー、演舞場は食堂を充てており、蜷川さんはこれにも驚いたらしい。
対談の会場が映像ホールであることを活かし、「十二夜」のごく一部、向月台のある庭で坊太夫をやりこめようという悪だくみをする場面が映写された。亀ちゃんははじめ麻阿をどう演じたらいいか蜷川さんにきいたら、好きなようにやっていいと言われ困ったそうだ。しかしシェークスピアのマライアは「食べて飲んで、いない人の悪口を言ってという女なんだよ」という蜷川さんの言葉で、一気に解決した。つまり、歌舞伎の女方がやってはいけないということをすべてやればいい。で、自分でも面白かったのは、それをやることによって新しい女方の型が出来上がったということ(これは、パリでも言っていた)。
それから、初演ではきちんと着物を着ていたが、再演では少し着崩した。これは、きちんと着ておいてから四股を踏むのだそうだ。そうすると、襟のあたりが崩れて、下品さが出るのだと。また鬘も一筋乱れた髪を入れることによって麻阿の人間像を表現したそうだ。四股って、と思わず笑ってしまったが、どなたかだか(お名前失念)もそれをやっていると言うから、役者さんの間では別に可笑しくも何ともないことなのだろう。でも、美しく決めた着物姿での四股は想像するとやっぱりちょっと笑ってしまう
役者さんはふつう、物陰に入るとちょっとほっとして休むのだそうだ。そのつもりで「十二夜」の向月台の陰でちょっと気を抜こうとしたら、うわっ、全部鏡に映ってる~と慌てたという話には大笑い。ちなみに亀ちゃんたちはあそこを「プリンの間」(場? だったかも)と名づけていたそうだ。うまいことを言う。たしかにプリン形だ、向月台は。
浅草で亀ちゃんが演じた雪姫は、亀ちゃんが雀右衛門さんに師事したことが話題になったが、この人に学びたいと思ったら自分で電話して教えを請うそうだ。先輩諸氏の教え方にも個性があって、雀右衛門さんは、こちらからどんどん質問していかないと「けっこうでした」で終わってしまうそう。雪姫が最後花道で、抜いた刀に自分の顔を映す場面、若いときの雀右衛門さんは、躓いた拍子に鞘から出た刀身を見るという演技、お年を召されてからの雀右衛門さんは躓かずに自分で鞘から抜くという演技、どちらがいいのでしょうという亀ちゃんの質問に、躓いてください、と。年齢によって難しくなってくる演技も、芸の工夫でまた1つの型になるんだなあ、と私は雀右衛門さんの心意気に感じ入った。
芝翫さんは丁寧に細かく指導してくれる(亀ちゃんが教わっている間、お弟子さんが一所懸命メモを取るそうだ。本人は実地指導を受けているわけだからメモは取れない)。菊五郎さんは「(教えることなんか)なんにもねえよ」。藤十郎さんは自分が魅力的に見えるようにやっている。多分、紙屋治兵衛の花道の出のことだと思うけれど、「私がここに出てきましたよ。みなさん、拍手ですよ」という気持ちで出てくるのが藤十郎さんなんだそうだ。これは役者として大事な心持ちだと私は思う。そうか、それが藤十郎さんのこの出を出色のものにしているのか、だから藤十郎さんはいつもあんなに若く魅力的なのか、と納得する思い。今度藤十郎さんを見るときは、そういう意識で見てみよう(今月夜の部「道成寺」、まだ見ていないから楽しみ)。
亀ちゃんは「風林火山」では演出もやるわけだが、予算や劇場そのものが課す制約があって、そうそう思うようになることばかりではなく、そういう意味での苦労も経験しているようだ。
蜷川さんによれば、オープニングで客の心をつかむことが大事なんだという。だから蜷川さんはそこにかなり心を砕いているみたいだ。「十二夜」では定式幕が引いてあるのを見た客に、なんだニナガワも普通の歌舞伎をやるのかと思わせておいて、幕があけば舞台は鏡張りで客自身も映っている、これで客の度肝を抜き、心をつかむ。それが見事に成功したわけだ。亀ちゃんも「風林火山」では、相当ド派手なオープニングを計画しているようですよ。
今後の抱負の一つとして、亀ちゃんは、ニナガワの「お気に召すまま」(男優のみの芝居)のように、歌舞伎でない女方もやってみたいと言っていた。近いうちに、ニナガワ+亀治郎の芝居が見られる可能性はかなりあるのではないかしら。っていうか、絶対見たい。
最後に、演出家として灰皿ならぬ靴の投げ方が、煙草を吸わない亀ちゃんにニナガワから伝授されて対談は終わり。
私はさいたま芸術劇場の会員でありながら、「千の目」はこれまで一度も観覧したことがなかった。藤原竜也クンや小栗旬クンなんかもゲストに出ていたのに全然興味をもたなかった。今日の対談を聞いたら、難しい話は一つもなかったし、蜷川さん自身の話も大変面白く、またゲストからの話の引き出し方も巧みで、これまでのことが非常に残念に思われた。今後は時々観覧希望のハガキを出してみよう。
おまけ:映像ホールから情報プラザの脇を通ったら、ガラス屋根の通路に出た(ガレリアというらしい)。その通路の両側の壁に、さいたま芸術劇場やその他の劇場で上演された芝居のポスターがずらっと展示されている。自分が見たもの、見たかったもの、ポスターを眺めながら軽い興奮状態になった。こういうスペースがあるなんて、今までまったく気付かなかった。

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2008年3月16日 (日)

ひ・か・り

オジェック解任! これを待ち望んでいたサポーターも少なくはあるまい。私もその1人。
エンゲルスが昇任するそうだ。日本に長くいて、言葉もある程度できるし、Jの監督経験もあるし、これで少し光が見えてきたのかな

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2008年3月15日 (土)

や・み

3月15日 対名古屋グランパス戦(埼玉スタジアム、14:04キックオフ、54,482人)→0対2で敗戦
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惨憺たるものですなあ。なんか、負けて気分が悪いとも思わないし、腹も立たなくなっている自分がこわい。
でもさ、せっかくのホーム開幕戦で54,000以上の観客を集めたのに、みっともなさすぎるよ。先が見えないよ、今のチームには。
私、ピクシーのこと、かなり好きだよ。ほかのチームと対戦するときは頑張って欲しいと願ってる。でもさ、やっぱりレッズには勝ってほしかったよな。
てなわけで、これから<反省会>という名の飲み会にいってきま~す。

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2008年3月14日 (金)

才能の集合、身毒丸

313日 「身毒丸」復活公演(彩の国さいたま芸術劇場)
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見たい見たいとずっと楽しみにしていながら、ほとんど何の予備知識ももっておらず、ただ「摂州合邦辻」を頭においていた程度。そうしたらぜ~んぜん違っていた。1つの泉から引っ張ってきた水は流れ方も味も全然違う、って感じでしょうか。以下、寺山修司の原作は知らないから、私にとってこの作品はニナガワの作品として見るのみである。
舞台上方に渡された手すりの数カ所で激しい音とともに火花が散る。はじめ勢いのよい線香花火かと思った(線香花火が何かを小腸していて、それを強調したのかと思った)ら、そうではなかった。グラインダーか何かの放つ音と火花だった。やがて舞台奥から異様な人たちがぞろぞろ湧いて出てくる。スローモーションのような動きで、舞台先端まで出てきて、また奥へ帰っていく。その集団の中を身毒丸(藤原竜也)がさまよっている。幼い頃に死んだ母が恋しくて毎日のように町をふらふらとさまよっているらしい。身毒の父親(品川徹)は、両親に子供が揃って初めて「家」というものが成り立つと考えており、母を売る店(この発想に驚いた)で身毒の新しい母親を買うことにする。沢山いる売り物の<>の中で身毒丸とある女の目が合った瞬間、父親は彼女を選んだ。撫子という名のその女(白石加代子)には、せんさく(中曽根康太、渡部駿太のダブルキャスト。今回は渡部駿太)という連れ子がいる。せんさくは無邪気に身毒を兄として慕うが、身毒は撫子を母親と認められない。そのことに撫子も苦しみ、もちろん身毒も苦しむ。
継母との愛の物語だというけれど、芝居の大半は憎しみと葛藤だ。だけど、その憎しみと葛藤の底に愛があるんだと思う。すなわち、撫子と身毒の愛は、2人の目が合った瞬間から、この物語の通奏低音としてあるのだ。
白石加代子の演技はすごい。母として、家庭を求める女として、生身の女として、鬼女として、そのそれぞれに異なる情念を見事に表現して、ただただ圧倒される。藤原竜也もすごい。初演時15歳、しかも演劇はまったくのシロウト。ニナガワの教えを砂にしみこむ水のように吸収したんだろうな。そういう天性があったということだ。ロンドン公演で激しい腰痛のために1日だけ代役を立てたというくらい、激しい竜也クンの演技(あの若さで腰痛を起こしたのだ)。入浴シーンでは、客席に向かって一糸まとわぬ姿を見せる度胸のよさ。明るい童顔と、その陰に潜む昏い男の情念は、まさに身毒丸そのものである、と思った。池袋でスカウトされなかったら、藤原竜也の身毒丸は誕生していなかったのだろうか。いや、天才はきっと必ず見出されていたに違いない。
白石加代子も藤原竜也だけでない、ニナガワも今さらながらすごい。いや、これまでいくつか見てきたニナガワ作品の中で、これが一番「すごい」と思ったかも。映画でなければ表現できないんじゃないかと思うような心理描写も、夢幻の描写も地獄の描写も、すべて生の舞台で表現されているのだ。猥雑で混沌としていて官能的で、私は一連のフェリーニ作品を思い出してしまった。そうかと思えば、身毒が撫子に目をつぶされるところなんか、オイディプス王を意識させる。擬似家族団欒の図は寺山の原作にあるならば、寺山が当時すでに現代を予言していたとも言えるのではないか(寺山もすごい)。
面白いと思ったのは、これって義太夫じゃんっていう音楽が多く使われていたこと。音楽そのものは歌謡曲のような昔の流行り唄(ってどういうものか知らないけれど、イメージ的に)のような感じで義太夫とは違うんだけど、使われ方が義太夫的なのだ。それに合わせた動きも歌舞伎を想像させないとも限らない。「十二夜」よりずっと前に作られたこの作品(1995年初演)にそういう要素があったということは、これはもうニナガワが歌舞伎の演出を手がけるようになったのも必然と言っていいのでないか。

それにしても、母親の存在というものが男の子の人間形成に与える影響の大きさに、粛然とした気持ちにならざるを得なかった。もう二度と上演されることがないかもしれないこの芝居を見ることができて、よかった。
<上演時間>100分

おまけ:プログラムには泣かされる。表紙が赤と青の2バージョンあって(中身はまったく同じ)、赤には青のトートバッグが、青には赤のトートバッグがついている。トートバッグのデザインは赤と青で違う。私の知る範囲では、青のトート×赤の表紙のほうがよく売れていた。私は、赤の表紙には赤のバッグだと勘違いして、赤の表紙がほしかったから「赤をください」と言ったら赤のバッグを渡された。なんで、こんな2種類作るのさ~。なお、中身の紙質は光るものを使っていて、黒地に赤文字、赤字に黒文字というページは非常に読みづらい。

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2008年3月13日 (木)

競演

二人道成寺?
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関係ないけど、今日は花粉がきてるぅ~

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2008年3月12日 (水)

哀しい家族愛

311日 芦屋道満大内鑑:第72回歌舞伎鑑賞教室(国立劇場)

080311stage 「歌舞伎の見方」の最後に、この演目の解説があった。私は2度ほど見ているけれど、保名が葛の葉と一緒になる前のことは詳しく知らなかった。「保名」という舞踊(ずっと目を開いたまま見たことがない)で、保名は恋人に死なれ、正気を失っていたはずなのになあ、あの保名とこの保名はどういう関係なの?と疑問に思っていた。それが解けた。保名には確かに恋人がいた。榊の前というその恋人はやはり死んだのである(自殺だって、可哀想に)。哀しみのあまりさまよう保名は信田の森の中で葛の葉に出会い正気に返った。ということだった。しかも葛の葉はその死んだ恋人の妹なんだって!

種太郎クンと芝雀さんの夫婦って、母子に見えるんじゃないかと危惧していた。ところが、姉さん女房に見えるのは仕方ないとして、意外にもそれほどの違和感はなかった。種太郎クンは、丁寧に一生懸命演じていてとても好感がもてた。まだ10代(この4月から大学生になるそうだ)の若さの種太郎クンに義太夫狂言の味や、保名のはんなりとしたやわらかさを求めるのは酷というものであろう。そういうものには確かに欠けるけれど、優しく1本芯の通った夫像というものが私にはよく伝わってきた。とくに最後、童子を抱えて「狐を妻にもったりと、笑う人は笑いもせよ、われはちっとも恥ずかしからず」と言い、「童子の母や~い」と狐の葛の葉を求める声には強い愛情と深い悲しみが籠っているように感じられて、思わず涙が出た。
涙が出たのは、種太郎クンの悲痛な声が胸に沁みたからではあるけれど、それまでの芝雀さんの葛の葉がよかったからでもあると思う。初々しい若妻といった風情の葛の葉だったけれど、保名や童子に対する愛情が、芝雀さん独特の哀切な口調で語られ、哀れをもよおした。童子の子役ちゃんもとても愛らしかった
そんなわけで、意外にいい「葛の葉」だったな、と思った。
観劇の高校生たちにはどう映っただろうか。題材としては比較的わかりやすいのではないだろうか。早替りや、曲書き(「信田の森乃」は左手で、「葛葉」は口に筆をくわえて)には歓声が湧いていたし、幕が閉まってからも拍手がしばらく続いていたところをみると、高校生の胸に何か残したものがあるのではないかと期待したい。

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阿国のタイムスリップ

311日 ようこそ歌舞伎へ:第72回歌舞伎鑑賞教室(国立劇場)

080311rakubi チケット売り場の機械でネット予約をしたチケットを受取り、劇場入り口に行くと「本日千穐楽」であった。えっ、そうだったの? 最近、ぼんやりしていて、演舞場の初日も初日という意識がなかったし、今日なんてホント驚いた。2日初日の10日間興行だったのだ。もっともこの後、6日間の沖縄公演がある。
観客には高校生が目立った。開演前に先生が携帯の注意をしている。「マナーにするか電源切るか」と聞こえたけど、まさか、ね。そう聞こえただけだから、ちゃんと「マナーでもだめ」って言ってたかもしれない。
さて、幕が開くと、舞台中ほどに黒い幕がかかっている。そこへ宗之助さん登場。こういう素顔の宗之助さんは珍しいかも。「歌舞伎の起源をお話します」で、上からパネルがおりてきた。出雲の阿国が京都北野神社で踊っている図である。当時は野外で観劇していたなどと解説するうちに、場内の照明が突然落ち、雷鳴が鳴り響いた。停電か?と慌ててみせる宗之助さん。間もなく明かりがつくと舞台の上に1人の女性が倒れている。阿国さんだ。パネルの阿国の姿のところにぽっかり穴があいていた(セロか、って言うの)。
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年後の世界に飛び込んで来て驚く阿国を誘って宗之助さんは現代の歌舞伎を見せる。国姓爺合戦、和藤内(吉五郎)の虎退治。これを見ながら義太夫(舞台の両脇に電光掲示字幕板が設えられている)と黒御簾の解説があった。珍しいのは黒御簾の中をあけて見せてくれたこと。時々御簾の隙間から狭い空間に何人もの人影がかすかに見えることがあって、うわあ狭くて暑そうとそのたび思っていたが、阿国さんも「まあ狭いこと」と気の毒がっていた。この時は前に三味線3人、後ろに太鼓が1人だったが、後になったらもっと人数がいたように思う。人間の姿をしているけれど実は狐、というときにかかる音楽(曲名は忘れた)の演奏があった。この音楽は後の「葛の葉」で再び流れることになる。
さて、今度は国立の広い舞台が全容を見せた。盆(回り舞台)がまわり、楽屋がせりあがってくる。京紫さんが支度をしているという風景で、頭はまだ羽二重のまま。女性の衣裳さんが着付けを終えると、なんと金髪の床山さんがやってきた。阿国さん、すかさず「欧米か!」のツッコミ。床山さんが鬘をかぶせ、京紫さんの支度は完成。京紫さんが女方の特徴を解説して(膝を曲げて内股になって、肩を落として鎖骨をくっつけるようにして云々)、その後鷺娘を踊った(ぶっかえりもあるし)。
いちおう、これで歌舞伎の解説は終わり。400年前に帰れなくなった阿国さんは、俳優協会に入って京妙さんという名前の歌舞伎役者さんになったようだ。
京妙・阿国さんの軽妙さと真面目な宗之助さんのテンポがちょっとかみ合わないこともあったような気がしたが、全体的には面白い企画で、高校生たちにもけっこうウケていたようだ。

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2008年3月11日 (火)

ニナガワ vs 亀ちゃん

映画「蛇にピアス」に亀治郎さんが出演する、ということは聞いていたが、その役が明らかになった。刑事役だそうだ。私、原作を読んでいないので、刑事が何をするのか、ぜ~んぜん知らない。それだけに、どんな刑事になるのか、楽しみ。
この映画には、ほかに唐沢寿明、小栗旬、藤原竜也と、ニナガワお気に入りお俳優が顔を揃えている。
となれば、ですよ。いずれ亀ちゃん主演の舞台を蜷川さんが打ち出す、とか

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2008年3月10日 (月)

待ちに待った日程発表:巡業東コース

おおお、ついに日程が発表になりました。
 東コース

これで東コースなの?っていう感じもするくらい、亀ちゃんが全国を駆け回る。亀ちゃんの秋田はないのかあ。
これからゆっくり計画を練るつもり。

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ハマの花粉にカモにされるの巻

昨日は普段の行動半径にない所へ行ったせいか、いいカモがきたとばかりに花粉が鼻を襲いさんざんだった。ここのところ頭はぼ~っとしても鼻の症状はたいしたことなかったので油断していた。目黒を過ぎるあたりから突然鼻の奥がむずむずいいだし、ヤバイ状態。
ティッシュを出そうとする手に偶然触れたマスク。以前に予備として入れておいたものだ。ラッキー。これで、この危機はしのげる。と喜んだのも束の間、ランチにマスクはあり得ない。案の定久しぶりに会った友人の前でティッシュを鼻に当てることしばしば
横浜で取りつかれた花粉は帰宅後も私を悩ませ続け、鼻の皮はむけるわ、ついでに周辺組織もひりひり痛むわで、いくら点鼻薬をつけても遅かったとみえ、一晩中、鼻水と闘ったのでありました。

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友よ

昨日、大学時代の友人3人とランチをした。場所は新横浜。駅の周辺にはほとんど畑しかなかった、そんな時代に学生であった私たちは、屹立する高層ビル、工事中の回廊風歩道橋(?)などを目にして、今さらながら隔世の感に浸った。
女のお喋りはつきない。ましてや何年ぶりかで4人が揃ったのだ、空白の期間を埋めるかの如く、たくさん喋った。気がついたら4時間もたっていた
みんな学生時代そのままにスリムだし(太ったのは私だけ。ガラスに映った4人の姿を見て、私は南海キャンディーズのしずちゃんになった気分がした)、落ち着きの中にも若々しさが溢れていて、とてもその年には見えない。はずむ話も若い。だけど、その内容は徐々に年齢に応じたものになり、やっぱりトシなんだよなあと可笑しくなってしまった。
学生時代、よく遊びよく遊んだ友も、よく遊び適度に勉強した友も、よく学びよく学んだ私も(ウソだ~)、みんなそれぞれに自分の人生を一生懸命生きている。胸がキュンとするほど、それが嬉しい。
遠方から来て新幹線で帰っていく友の後姿は、ン十年前とちっとも変わっていない。それを見送りながら涙が出そうになった。大学という未知の世界で1人心細い思いをしているときに、何百人という中からめぐり合った3人は私にとって一生の友である。会いたい会いたいと思っていてもなかなかもてなかった機会を実現させてくれた友への感謝の気持ちでいっぱいである。
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階からの眺め
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開幕戦の負けが…
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階の逆さ井戸

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2008年3月 9日 (日)

春、歌舞伎

37日 三月大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)
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なんだかんだとやることがいっぱいあって、感想がすっかり遅くなってしまった(最大の原因は、ラブレターにはまったことだったりして)。昼の部ははじめ演目が何となく気乗りしなかったのだけど、案外悪くなかった。最初は絶対眠くなるなと警戒した踊り
3題。
080307harunokotobuki_3 「春の寿」まずは三番叟。幕があくと、舞台中央から翁(我當)、千歳(進之介)、2人の三番叟(歌昇、翫雀)の計4人がせりあがってくる。これだけで、明るくおめでたい感じ。前半の儀式ばった格調高そうな静かな舞は、やっぱりちょっと瞼が垂れ加減になってしまった。でも三番叟の踊りになったら躍動感が出てきて、楽しかった。同じ三番叟でも歌昇さんはキリッとして、翫雀さんにはほのかなやわらかさを感じたのは気のせいか。
次は萬歳。居所がわりで、背景が松から紅白の梅にかわる。ますますめでたいのう。登場したのは若衆の拵えがよく似合う梅玉さん。赤ん坊を抱いたり、ソロバンで計算したり、蛤を取ったり、そんな楽しい振りを見せてくれる。そして最後は花道スッポンの引っ込み。このとき、後見の梅之さんも本舞台をつつつと去り、再び下手袖で控えてそれを見守る。後見のお仕事は、師匠の姿が観客の前から消えるまで続くのね。
最後が屋敷娘。再び居所がわりで、今度の背景は桜。あでやかじゃのう。花道から宿下がり中の2人のお女中(扇雀、孝太郎)が登場。ごめんなさい、扇雀さんは元々ちょっと苦手でして…。孝太郎さんって、ため息が出るくらい綺麗な時と、あちゃという時とあるが、今回はめちゃくちゃ綺麗でしっとり愛らしかった。
080307jinmon_3 「一谷嫩軍記:陣門、組打」。花道から駆けてくる小次郎直家。藤十郎さんのなんと若く初々しいことか。この役は年配の方が演じることが多く、それだけ難しいのだそうだが、それにしたって見た目が若くなくては興ざめというものではないか。それが藤十郎さんは役者絵のような若武者ぶり。まず、そのことに惹きつけられた。
一方の團十郎さんの次郎直実のドえらく立派なこと。仰け反りそうなくらい堂々たる拵えで、面白いなあと思った。というのは、「一谷嫩軍記」の次の段の熊谷陣屋で苦悩しまくる熊谷とはずいぶん違うんだもの。歌舞伎の人物表現の妙であろう。
遠見は、浪布の中央あたりで、2人の子役が刀を相まじえ(可愛らしくて、この残酷な物語にちょっと微笑みをもたらす)、やがて互いに刀を落とし素手で戦うというところで浅葱幕が下りてくる。それが振り落とされると舞台中央に赤い幕が張られており、それも取り払われると、熊谷・敦盛(実は小次郎)がせり上がって来る。藤十郎さんの静かで毅然たる態度に思わず涙が出た。團十郎さんはやっぱり声が明るいというか、開放的なんだなあ。どうしても声に鷹揚さを感じてしまう。だけど、ぎょろっとした目と声のところどころに深い哀しみがこもっているように思った。
小次郎が後ろへ倒れると、黒子さんが作り物の首をさっと出し、小次郎の首がなくなったと思われるあたりに馬につけていた幌の布をかけるのだけど、その辺の手順が丸見えで、客席から笑いのようなどよめきが起こってしまった。
敦盛の妻・玉織姫の魁春さんもやはり若々しく、優雅さと哀れさがにじみ出ていた。敦盛の首と思って抱いたまま息絶える、その手がとても綺麗。それから、市蔵さんの平山季重がとても良い。藤十郎さんにも團十郎さんにも負けず、敵役としての存在感十分。
政岡は目の前で幼い我が子が苦悶の末に死ぬのを平然を装って眺め、松王は我が子の死を首実検という形でやはり平然を装って受け入れ、熊谷は我と我が手で息子を殺す。どれが一番残酷なんだ。いや、子供を主君のために差し出さなくてはならない残酷さに順位などあるまい。だけど、やっぱり自分の手で子供の命を奪う親の無惨さは心に切り込んでくる。ああつらい、いやだと泣きながらも、直球型のこの段はわかりやすくて、私は「熊谷陣屋」の緊迫した心理描写より好きかもしれない。先月「熊谷陣屋」を見たばかりだが、どうせなら順番どおりに、しかも続けてやってくれればいいのに(そうできない事情はあるのだろうけど)。去年の澤瀉屋の「傾城反魂香」の例もある。「陣門・組打」と「陣屋」を一度にやってくれたら「陣屋」も居眠りすることなく見ることができるのではないかしら、などと我儘なことを考えたのでした(逆に重苦しすぎるかしら)。
ちなみに、作者の並木宗輔は元僧侶だったとか。
080307onnadate_3 「女伊達」。くら~い気持ちになった後カレーライスを食べて、さらにアッツアツの鯛焼きを頬張って(食後にどうしても甘いものがほしくなる)、寝ちゃいそう、というとろ~っとした脳内ムードをスカッと吹き飛ばしてくれたのが菊五郎さん。この踊りって、こんな面白かったんだ。原作は大坂だそうだが、まさに江戸の女といった伊達っぷりが小気味よい。権十郎さんとご贔屓秀調さんの男伊達も粋だし、大勢の若い者を相手の立ち回りも気持ちよく楽しめる。「おとわや」と書かれた番傘がとても効果的に使われていて、これは一見の価値ありです。実に密度の濃い20分だった。
080307kuruwa_2 「廓文章」。とろ~り脳内ムードがここで戻ってきてしまって、せっかく久しぶりの仁左様なのに、ほとんど状態。仁左様は落ちぶれたとはいえ大家のお坊ちゃまらしい鷹揚さと愛嬌があり、「ここまで女に入れ込んでしょうがねえなあ」と微笑ましく見ていられる。とくに夕霧に会いたくて、奥へ小走りに向かう姿がかっわゆ~い。ここの場面は、舞台上の実際の距離はもちろんそんなにないからほとんどその場で足踏みをしているだけなのだけど、広~い座敷をいくつも通り抜けるという心。その後姿が微笑ましいのだ。
夕霧の福助さんは綺麗だった。が、福助さん登場あたりから、意識を保てなくなってきた。仲居の梅之さんが福助さんに打掛をかけるっていう場面を見逃したら大変、と必死で目を開こうとするのだけど、ムリだった。でも、梅之さんは出てきたときから見たし、大事なお仕事もきっちり見ました。知らないで見ていると、ただ掛けているだけの動作なのだが、その一つ一つにも仲居らしく見えるよう、手際よく着せられるよう、などというご苦労があるようだ。また、仲居の着物の裾さばきが案外難しいそうで、それはお引きずりの裾の着付けが薄いかららしい(以上、梅之芝居日記から)。そういえば、玉三郎さんもいつかTVで、裾に重みや厚みがあったほうが捌きやすいと言っていた。薄いと「ペラッペラッして歩きにくい」のだそうだ。そういう目で見るのもちょっと興味深くて面白かった。
あんまりぼ~っとして見ていたので、最後に千両箱が運び込まれるまで、夕霧って死んでいるものだとばかり思っていた。いろんな夕霧ものがごっちゃになっていたのだ。道理で廓の主人(左団次)や女房(秀太郎、かすかな記憶では、これぞおかみ)が哀しげな表情を見せなかったわけだ。ハッピーエンドっていうのは春らしくていいものですなあ。
とはいえ、は脳内とろ~りのせいもあるけれど、結局こういう和事って私の肌に合わないのかもしれない。というか、和事の良さ、面白さが私にはまだ全然理解できていない。

<上演時間>「春の寿」43分、幕間15分、「陣門・組打」89分、幕間30分、「女伊達」19分、幕間15分、「廓文章」74

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2008年3月 8日 (土)

みっともない

いよいよJ開幕だ。
自宅にいるとサッカーを90分じっくり見ることはほとんどない。今日もTVの音を聞きながら仕事して、うわ~んと場内が盛り上がると、TVを見に席を立つという、<ながら観戦>ならぬ<ながら聞戦>。
高原、エジミウソンという<凄い>FWを擁しながら、1点も取れず。しかも後半相手が10人になり(この、相手の2枚目のイエローは理由がよくわからなかった。だけど10人になった時点で勝ちはないなと思ったさ)、さらに2人のFW田中・永井を投入したというのに、0点ってどういうこと ま、レアルにしたって、各国の超代表を集めながら勝てなかったりしたけどね。

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♪わっかるかなわっかるかな♪

何が隠れている?
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わかるかな?
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 ↓
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博多から消えたと思ったらこんなところにいたのかぁ。な~んて。チュイルリー公園です。
この蜘蛛、分身の術を使うようで、ココにもいます。

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2008年3月 7日 (金)

ライバル多し

はなみずきさんのところで教えていただいた「歌舞伎役者からのラブレター」coccoさんからの孫引きです)。さっそくトライ。そうしたら、はなみずきさんとライバルになってしまいました。私は下のようなお手紙をいただきました。右近さんが浮気者なんです  でも、それでもいいわ~。私も気が多いし、一目惚れしていただけて、幸せ 今日の歌舞伎は、どこからともなく漂う<をぢ臭>に悩まされたので、余計うれしいわ。

SwingingFujisanちゃん

SwingingFujisanちゃんに初めて会ったのは銀座三越だったね。
あの時は一目ぼれでした。
SwingingFujisanちゃんのその笑顔に本気でほれちゃったんだ。
今までで3回告白したんだよね。。。
でも、その度に振られちゃってさ・・・。タイミングが悪いんだよなぁ俺・・・。
俺が凄く忙しくて困ってる時にかけてくれる優しい一言、体調が悪くて苦しい時に心配してくれる心・・・。
あきらめようと思ってもSwingingFujisanちゃんのこと本気で好きになっちゃうんだ。
中村福助や中村勘太郎が、SwingingFujisanちゃんの事を好きだって聞いちゃって、取られなくないって思って4度目の告白。。。
さすがにしつこいって思ってるよな。。。
でもいいんだ。
俺はSwingingFujisanちゃんの事を想い続けてるよ。
SwingingFujisanちゃんにもらった、てぬぐいがいつまでも俺の宝物。
いつか俺に振り向いてくれる時がきてくれると信じてる。

市川右近

本名では苗字入りと苗字抜きでやってみました。苗字入りではラブリン、抜きでは亀鶴さん。しかも、どっちも三角関係になっているらしい 笑いが止まりませんなあ。

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朝の30分

外出する日の朝ったら、なんて忙しいんだろう。
通常の朝だって忙しいけど、それ以上に忙しい。ズボダラな私だけど、これでもかなり用心深いほうで、当日の持ち物などはちゃんと前日に用意しておくし、朝無駄なことは一切していないつもりなのに。時間が切られていることが精神的な焦りを生じているのかもしれないな。とくに、出かける直前の30分。あっという間に過ぎてしまう。絶対、30分の半分くらいしかない、と確信している。
ってわけで、今日は歌舞伎座昼の部へ。事前に寄り道するから、少し早いけど、いざ出発

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2008年3月 6日 (木)

巡業中央コース日程

錦之助さんの巡業日程が発表になっていた。
  ↓
 中央コース

秋田の康楽館で3日もやるんだぁ。秋田は母の故郷だから、康楽館に1回くらい行ってみたいけれど、無理だろうなあ。母が元気なうちに連れて行かれればよかったなあ。でも私が歌舞伎に嵌ったのが遅かったから…

亀ちゃんと日程的にはぶつかるから、早く東コースも知りたいわ~。
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2008年3月 5日 (水)

思い切り拍手しました:ヤマトタケル

35日 「ヤマトタケル」(新橋演舞場初日)
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カ月半も前にとったチケットだから、今日が初日なんて昨夜チケットを確認するまですっかり飛んでいた。そっか、初日を取ったんだ。4カ月ものロングランのまさにスタートだもの、自分で取っておきながら、ラッキーな気分。だけど花粉のせいか頭の中に霞がかかっていて(鼻や目よりも最近頭の霞のほうがつらい。きっと花粉が血流に乗って脳に付着しちゃってるんだろう。そんなことあるか!!)、大丈夫かなという不安もちょっぴり。
いやあ、そんな不安はいきなり吹き飛び、霞のかわりに感動・感激の渦が脳を直撃した。
ヤマトタケルは3年前の演舞場と中日劇場で見ているが、細かいところはけっこう忘れており、半分初見みたいな楽しみ方をした。
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スペクタクル的見どころ>
1。大碓と小碓の闘い。はや替りがめっちゃ早い!! 大きな柱の陰に入ったとき、2人が入れ替わるのだけど、剣を交えているわけだから、モタモタしたら興がそがれる。それが、エッ! と信じられないような早さ。これは見ものです。
熊襲の宴会と闘い。熊襲兄弟も兵士たちも一緒になって見るからに楽しそうな歌と踊り、酒の宴会が、女装した小碓の策略で破壊と血の海に一変する。2階建ての館の壁がバラバラと崩れ、酒樽(?)が何個も飛び交う中、それをよけながらの立ち回りには見ているほうも力が入る。酒樽が1つ、勢い余って客席に飛んでいった。熊襲弟の最期が潔い。
2。なんと言っても、火のシーン。炎を表すダイナミックな群舞には目を奪われる。タケヒコの振る炎の旗(タケヒコがかっこいいんだ、また)に合わせたバックテンは京劇の方だろうか、文字通り目にも留まらぬ早さで回転する。こんな早いバックテンは初めて見た。
嵐の場面。浪布による荒れ狂う海の表現は息をのむような激しさ。海の神に生贄として捧げられる弟橘姫のために24枚の畳を波に敷くところは、よく見ていたつもりだったけれど、一瞬にして浪布の畳の貼り付けられた(描かれたかな)部分が現れ、その瞬間を見逃した。
3。伊吹山の神々との闘いは、前回見たときのほうが衝撃的だったような気がする。それでも、荒涼たる岩場での白猪との闘いは迫力がある。
天翔けるヤマトタケル。これを見たくて3階の下手寄りの席を取ったのだ。それこそ私目掛けて飛んでくるようだった前回の名古屋公演と比べれば今日は宙乗りコースからやや離れていたものの、右近さんのあの美しい瞳はあの時と変わらなかった。右近さんは、白い羽をゆったり動かしながら、気持ちよさそうに飛んでいた。バックしたりして、滞空時間はけっこう長かった。
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ご贔屓的見どころ>
ダブルキャストのヤマトタケル、今日は右近さんバージョン。今回は帝もヘタルベもダブルキャストが組まれている。右近さんのときは帝が金田龍之介さん、ヘタルベが弘太郎さん。段治郎さんでは、帝が猿弥さん、ヘタルベがなんと大抜擢、猿紫さんである。弘太郎さんのヘタルベはもうタケルへの憧れが全身から発散されていたが、あの優しげな猿紫さんがどんなヘタルベを見せてくれるのか、次の観劇が楽しみである。
またこちらも抜擢、犬神の使者を猿琉さんが演じている。猿琉さんは、「愛、時をこえて」や「獨旅五十三驛」で少しずつ頭角を表してきているが、今回この役を得たのは猿琉さん贔屓としては本当に嬉しい。大きな演技でユーモラスなところもあり、今日はついつい双眼鏡を離せなくなってしまったが、次回は全体的に見てみたい。
女性陣として私は弟橘姫(春猿)もみやず姫(笑也)も前回あまり好感をもてなかったような気がする。しつっこい女は嫌いだし、奔放すぎる女も苦手だ。ところが、今回はこの2人がとても愛らしく見え、共感も覚えた。ただひたむきな乙女だった弟橘姫が、愛する人のために海の神の妃になろうという決意する、そこに誇りとけなげさが現れており、涙が出た。いっぽうの兄橘姫(笑也2役)には、大人の女性としての落ち着き、弟橘姫やみやず姫のように奔放にはふるまえない宿命を受け入れる哀しさと大きさが感じられた。愛する人の子供を得て女性の強さかもしれない。
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ヤマトタケルの思い>
熊襲や相模国造がヤマトタケルに向かい、自分たちは大和に馴染まない、自分たちの文化に従って生活しているだけなのに鉄と米が自分たちの文化と生活をこわした、というセリフは心を打つ。熊谷達也の「まほろばの疾風」(アテルイを主人公とした宮城の蝦夷の滅びる様を描いた小説)を読んで以来、心のどこかにいつもひっかかっていることだ。ヤマトタケルはそういう彼らにどういう答えを用意していたのだろう。タケヒコたちに、大和朝廷の繁栄といったことではなく、もっと大きなことを求めているのだ、と言っていたように思う。その大きなこととは、戦いのない世界を作ることなのだろうか。現在の私たちはそこから流れる歴史の上に立っているということを時には思い出したいと思う。
前回はヤマトタケルの父帝への思いが強く心に訴えかけてきたが、今回はそういう思い以上に、彼が何のために戦ってきたかということが心に残った。
とはいえ、ヤマトタケルと父親の葛藤はつらい。天翔ける魂の右近さんの表情にはすべての苦しみから解放された穏やかさが漂っていたが、カーテンコールで、右近さんが跪いて金田さんの手を取ったときには涙が出た。ああ、ここでやっと素直に自分の気持ちを父に伝えられたのだ、と。前にもそう感じたことを覚えている。カーテンコールでこういう感動を味わうことなど、そうないのではないだろうか。
思い切り拍手しました。
<上演時間>第165分、休憩30分、第270分、休憩25分、第380

おまけ11階売店脇と2階ロビーに、猿之助さんの芝居色紙絵が展示されている。ヤマトタケルや獨旅五十三驛、義経千本桜、新・三国志等の登場人物を描いた作品たちで、表情には優しさと力強さが同時に感じられる。自画像に近いのかしら(猿之助さんのことはよく知らないので)。役者さんっていい絵を描くんだなあ。
おまけ2花道を写すモニターが今日は作動していなかった。この公演では写さないのかしら。私は2列目だったけど、普通に座っていたのではほとんど花道は見えない。ちなみに、宙乗り小屋は座席番号でいえば7番から12番まで。今度は、段治郎さんが私目掛けて飛んでくる…って、また勝手にそう思っています。

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2008年3月 4日 (火)

笑って哀しい「人間合格」

33日 「人間合格」(紀伊国屋サザンシアター昼の部)
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月の観劇がスタートした。まずはこまつ座から。
井上ひさしによる伝記モノを見るのは、小林一茶、吉野作治、チェーホフに続いて4人目かな。しかし、こんなに笑ったのははじめて。太宰の作品は教科書に載っていた「走れメロス」「富嶽百景」は別として、「斜陽」と「人間失格」しか読んだことがないと思う。そしてそれ以上に、太宰についてほとんどな~んにも知っちゃいなかったということを、このたびよく知った。
開演前の舞台には、原稿整理の赤字が入れられた太宰の「人間失格」の原稿第1ページを中心に、太宰の作品と発表年が書かれた幕が下りている。その幕が上がると、6枚の大きな写真パネルが置かれている。3枚は本物の太宰(これが、「人間失格」の書き出し「私はその男の写真を三葉見たことがある」の3枚なのだろう)、あとの3枚はこの芝居の太宰である。6人の俳優が写真の後ろから1人ずつ出てきて写真を簡単に説明する。口開きのセリフ「私はその男の写真を六葉見たことがある」を聞いただけで、私はもうこの作品の世界に引きずり込まれた。
太宰の物語は、昭和5年、津島修治(太宰の本名)が東京帝大に合格して、都内のとある下宿屋に到着した時から始まる。津島はここで、新劇研究生の山田定一、非合法活動の活動家佐藤浩蔵と知り合う。津島は青森の大地主の六男、佐藤は山形の水呑百姓の息子、山田はセルロイド会社社長の息子だったが会社は倒産、両親は自殺という事情をもつ。地主の子でありながら父を告発する文を書いていた修治だから、2人の運動にすぐに同調する。別の道を辿ってきた3人が一緒になり、やがてそれぞれまた別の道を辿りながら、それでも友情は時代を超えて続いていく。
戦前から戦後まで、一時は太宰自身もそれに身を投じた非合法運動という暗い時代の一面を中心に据え(場が転換するごとに、舞台にスクリーンが下りてきて、その時代背景を簡単に紹介するのが、理解を助ける)、反戦思想をしっかり投じながら、これでもかというくらい笑わせて、でも、最後はあとをひく哀しさに厳粛な気持ちにさせられて。井上ひさしって本当にすごい人だと、あらためて思った。笑いを起こすひとつの要素は、太宰の守り役・中北芳吉を配したことにあるだろう。
太宰をとても愛していて、大酒飲みで、俗物で、時代の変化に合わせて自分もさっさと軍国主義から民主主義へと変化できる愛すべき中北のおっちゃんは、ご贔屓辻萬長さん。プログラムによれば、萬長さんは初演から三演まで佐藤浩蔵を演じており、年齢的にこの役がムリになったらそこで完結しようと思っていたそうだ。それが五演目の今回、中北の役を振られたことにとまどったらしい。萬長さんが面白いことを言っている。役者というのはどんな名優の舞台でも客席で見ていると自分ならあそこはこうやる、と思うものなんだそうだ。だから自分にその役がくればそれを引き継げる。ところが初演、再演、四演ですまけいが演じた中北については、まったくそういうところがない。それで大変だということになったんだ、と。
このおっちゃん、バリバリの津軽弁である。萬長さんは九州出身だからどうしても籠った感じが出せず、豪快になってしまうし、すまけいのような軽妙な喜劇性も出せない、んだそうだ。言われてみれば、確かに豪快なおっちゃんだったし、すまさんの中北は見てないからわからないけれど、萬長さんの味は軽妙さではない、と私も思う。それでも私にとって中北は萬長さんであり、こういうおっちゃん、いたかもしれないなあと頷けるのである。
この芝居の出演者は6人。津島修治は元男闘呼組・オカケンこと岡本健一。息子が同じくジャニーズで活躍するような年齢になったオカケンはやっぱりいい男で、暗いものを秘めながら明るくハチャメチャな津島を大熱演。私は太宰は軟弱な人かと思っていたが、何度も警察という権力に立ち向かったらしい。この人にとって、中北みたいな変わり身の早さがどんなに汚いものに見えたんだろう。図太さもあるけれど繊細で心が純粋すぎたんじゃないか。津島修治のセリフにはいい言葉がたくさんある。井上ひさしの描く太宰に岡本健一はぴったり合っていた。
佐藤は山西惇。実直で、警察に追われながらも自分の信念を貫き通し、だけどそれが周囲の善意の人々に迷惑をかけていることに深く傷ついているという人物像がよく出ていた。この佐藤って人、使う偽名は赤川、赤岩、赤沢、仙台の旅館の料理人として身を潜めているときに出す料理は赤貝、赤かぶ、赤身の刺身、筋子、海老の塩焼き、と赤尽くしなのが可笑しい。
山田は甲本雅裕。佐藤と違って、運動を真剣には考えていなかった。新劇を目指す学生にとっての流行みたいな形で捉えている軽薄さが感じられる。演劇人として成功を収めた山田だけど、座員の反感を買って逃げられる。逃げられてみてはじめて、あ、この人も真剣に生きてきたんだな、と思わせるそういう哀しさもある。
この男性3人に対し、女性の馬渕英俚可、田根楽子は各8役を演じ分ける。田根楽子がうまいのは当然として、馬渕英俚可もよい。私の好きなひたむきさやいじらしさが感じられる。
今回は、萬長さんと田根楽子以外はこまつ座初出演。井上ひさしは、初演の20年前と時代はまったく変わっても、新鮮な俳優が演じることによって、優れた戯曲であれば時間の腐食に耐えられると書いている。なるほど、ですなあ。
<上演時間>第185分、休憩15分、第285

ところでオニのようなスケジュールを立ててしまった3月、観劇等、仕事、家事等の鼎立はできるのかしら。もう既に自信がなくなってきた。
おまけ:こまつ座今後の公演予定は「父と暮らせば」(61322日)、「闇に咲く花」(81531日)、「太鼓たたいて笛ふいて」(1112月)。すべて紀伊国屋サザンシアター。どれも見ていないから、見に行くだろうなあ。

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2008年3月 3日 (月)

夜梅と天神

先日亀戸天神の梅を見たら、やっぱり湯島にも行きたくなり、夜梅見物と洒落込んだ。日曜日だし、昼間はさぞ賑わったことだろう。亀戸とはまた違った趣の湯島の白梅はしかし、まだ少し早いと見えて、全体には意外に寂しかった。梅祭りは8日まで。
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幻想的に浮かび上がる本殿の後ろはマンションか。
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男坂、女坂とは別に、春日通りから境内に上がる門。

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2008年3月 2日 (日)

泣き笑い春猿さん

春猿さんが「いつ見ても波瀾万丈」に出ていた。朝、新聞を見て頭の中にチェックを入れておいたのにすっかり忘れ、友人がメールで教えてくれて慌てて見たから、最初の15分ほど見逃してしまった。
こういう番組のノリっていうのはどちらかというと嫌いだから普段は見ないんだけど、歌舞伎役者さんだと、ついつい見てついつい泣いてしまう。春猿さんの「Dのゲキジョー」もそうだった。役者さんはあまり素の姿や努力を表に出さないほうがいいと考える人もいるだろうが、ミーハーを自認する私は役者さんがこれまで歩んできた道やある程度プライベートな部分を知るのが好き。その人の人間性が窺えるようで、ますます応援したくなるのだ。
大きな役を楽々とこなしているかのように見える梨園の御曹司にも御曹司の悩みや努力がある。あの海老蔵さんにして、重圧に耐えかねて逃げ出したことがあるという(このときも泣いてしまった)。
一方の養成所出身の役者さんには芸の基礎だけでなく、環境や空気がないという、決定的なビハインドがある。春猿さんがこういう番組で語る血の滲むような努力やご苦労は、ひとり春猿さんだけのものでなく、そういう役者さんたちすべてが通ってこられた道なのだ。春猿さんのような地位が築けるということは、そういう役者さんたちにとってどれほど励みになることだろうか。そう思ったら、又泣けてきた。
春猿さんが玉三郎さんにとても憧れていて、共演していても一ファンの目で見てしまうというのは、わかるような気がした。玉三郎さんは、芸を教えるときに、これまで自身で増やしてきた芸の引出しを出し惜しみなどせずにすべてあけて、すべてを伝えようとするのだそうだ。それを聞いていたら、また涙が出て、本当になんだかずっと泣いていた。
歌舞伎役者さんはただ立っている姿、ただ座っているだけの姿でさえ美しいが、春猿さんからは独特のはんなりした優しさがにじみ出ている。首の傾げ方、手の動きなどがそういうものを醸し出すのかもしれない。女方が自分を指差すやり方を若い娘、年増、おばあさんと分けてやって見せたけれど、それを真似する本物の女性よりはるかに優雅だ。テキパキきりっとした女性も素敵で憧れるけれど、こういう立ち居振る舞いを見ると、何かほっとしたような気分になるのも事実である。
春猿さんは今年、歌舞伎役者として初の舞台に立ってから20年を迎えるそうだ。春猿さんに限らないが、梨園の出でないという立場からスタートして、また新しい<>ができる可能性だってなくはないのではないか。この先ずっと続いていくであろう歌舞伎の歴史、伝統の出発点の一つを私たちは見ているのかもしれない。

おまけ:芝のぶちゃんが春猿さんの親友としてプライベート話を披露していた(ライト飛ばしすぎ)かなり編集されていて物足りなさがあるけれど、2人の仲のよさが伝わってきて、嬉しい気持ちになった。

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ズボちゃん主婦の小さな悩み

毎朝、悩んでいることがある。な~んて、そんなご大層なことではない。悩みというほどでない悩みの内容は、洗濯機から出した洗濯物を干す前に畳むかどうか、ってこと。
あるときまで、私の頭の中には畳んでから干すなんていう発想はまったくなかった。それがず~~っと前、あるお宅でそういう姿を見て、ただ驚くだけでなく、ひどく落ち着かない気分になってしまったのだ。正しい洗濯のあり方を見たような気がして、洗濯機から出して絡まったままの衣類やタオルをそのまま干し場に持っていっていたこれまでの自分がひどくだらしない人間に思えた。内心、すごく恥ずかしかった。
以来、それを真似して、きちんと畳んでから干すようにしたが、歳月は人を元に戻す(?)。だんだんズボラな本性がこう囁くようになった。「どうせ、干すときにきちっと広げるんじゃない。おんなじことだよ」。
たしかに、すぐに干すときはそうなのだ。ベランダでビシッバシッ、パンパンとやるんだから。第一、せっかちな私のこと、そういう手順を踏むこと自体面倒くさい。だけど、どういうわけか、先に畳んでおいたほうがずっと綺麗に干せる気がする。だから、そこが悩みなのよ~。
で、最近では原則として「ちりとて」に合わせて洗濯を終わらせ、「ちりとて」を見ている間に畳むという方式をとっている。
いずれにしても、ズボちゃん主婦には家事は精神的重労働ですわ。
写真は、霧に包まれるパリの朝。
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