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2008年2月

2008年2月29日 (金)

ZUMAなズボラ

3月から、ってことは明日からだけど、仕事がかなり忙しくなる。来週に入れば、観劇も続々控えている。月半ば以降はサッカーも始まる。
だから、今抱えている仕事はさっさと今日明日じゅうに片付けちゃおう、と固い決意をもっていたのに、あ~ズボラな私。集中力が続かない。だって、まだ締め切り前だしな~、と固い決意をぐらつかせる声がどこかから聞こえてくる。
ついつい、ZUMA(ズーマ)のアイコンをぽちっと押し、しまいには1年ぶりくらいでフリーセルにまで手を出した。ZUMAは私のお気に入りゲームで、何百回やっても飽きない。今では自分なりの美学をもって挑戦している。
あ~、ZUMAの誘惑に勝てない。
仕事、仕事、仕事しろ~っ(これが私の正しい声)

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2008年2月28日 (木)

巡業、巡業

松竹のサイトに、待ち遠しかった亀治郎さんの巡業情報がアップされたことを友人情報で知り(昨夜見た時はまだなかった、と思う)、おおおと早速アクセスしてみると…
もうでございますよ、亀鶴さんとの亀×亀「操り三番叟」。そして「弁天娘女男白浪」。ずっと見たいと思っていた亀治郎さんの弁天小僧がやっと見られる 早く日程を知りたいものです。

巡業は、亀治郎さんの東コースと同じ時期に中央コースの錦之助さんがあり、また7月は忙しくなりそう

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お見事っ

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こんなことを言ったら一生懸命働いている方には申し訳ないけれど、工事現場って、本当に面白い。見ていて飽きない。
そういえば、杭打ちって、昔は必ず打ち込む大きな音がしたものだが、今はぐいぐいとねじ込んだりするらしい。ここの工事もそういう方法らしい。

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2008年2月27日 (水)

クレーンの朝

おやすみクレーン
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おはよう、クレーン
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お目覚めクレーン
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働くクレーン
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2008年2月26日 (火)

無理すんなって

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ギャル曽根かぁ
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無事、完食できたかなあ。

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わらしべ夫婦追記:藤山直美のお辞儀

藤山直美って、お辞儀がとても綺麗だと思う。古き良き時代の美しいお辞儀が身についている。これにはいつも感心する。
大仰なタイトルにわずかな中身でスミマセン

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笑って笑って笑いまくった「わらしべ夫婦双六旅」

225日 「わらしべ夫婦双六旅」(新橋演舞場千穐楽)
客席内に入ると、いつもなら下りている幕がなく、舞台には演台くらいの高さのサイコロが2つ、向かって右は1、左は6の目を正面に向けて並んでいる。その後ろには、昔の広告を貼り合わせたような大きなパネルが立っている。右上には「わらしべ壽娯録」と縦書きの文字が。よく見ると、パネルの中には「ふりだし」「一回休み」などという文字や矢印も見える。ああ、そうかこのパネルは双六になっているのか、壽娯録はすごろくか、とやっとわかる始末。
まあ、鈍いもんだねと自嘲しているうちに、舞台真ん中には大きなスクリーンが下りてきて、大正時代の映像が流れる。登場してきたバイオリン弾きが言う。地味な印象の大正だが、わずか15年の間に第一次世界大戦、関東大震災と大きな出来事が2つもあった、と。
六助(勘三郎)・いち(藤山直美)夫婦の物語も、第一次大戦終戦間近の大正7年、時代の波に乗って快調な生活を送っているところから始まり、震災で絶望のどん底に落ち、また這い上がろうというところで終わる。
去年の「殿のちょんまげを切る女」は、藤山直美の魅力を活かしきれていなかったし、勘三郎との絡みも少ないという不満が残ったが、今回はそれがばっちりクリアーされていて、息もぴったりな2人の演技を堪能。しかもそこに上島竜兵が絡んできて、どこまでが台本通りでどこまでがアドリブなのか、とにかく笑った笑った。
時代背景としては第一次大戦、米騒動、労働運動(これだけ、ちょっと浮いていた。まあ成熟しない運動として出したのか)、博奕、関東大震災と盛りだくさん、そしてギャグも満載。
上島竜兵(幸平)は、いきなり頭に豆絞りと赤フンひとつの花道の出。博奕でスッて身ぐるみ剥がされた、という姿だ(うわっ、見たくない。でも、よく知らないけどこのスタイルも<豆絞り男>というキャラ?)。負けた金を払えと追いかけてきたいかさま博奕打ちとすったもんだの末、相手の帽子を取り上げて、裸のまま例のギャグ。おお、ナマ<くるりんぱ>、だ!! 上島竜兵のギャグは2幕目にたっぷり見られる。勘三郎さんがさんざん振って、フェ~フェ~おじさん、かっくん坊や(この2つ、知らなかった)、おでんネタ(これには藤山直美も加わって爆笑モノ)を立て続けに披露。勘三郎さんは上島竜兵のファンだということだが、このギャグのためだけに取った時間だから、相当な入れ込みようだ。勘三郎さん自身も一人の観客になってギャグを楽しんでいるような様子が見られたし
ほかにも「やりたくない」と言って、周囲が「俺がやる」「俺がやる」と手を挙げると「じゃ、オレもやる」と手を挙げ、結局皆が辞退して自分がやることになるという、お馴染みのギャグもナマで見たゾ。「訴えてやる」もあったかな。千穐楽バージョンでこんなに見せてくれたのかなと思ったが、藤山直美が「
1カ月やってもひとつもウケへんだったじゃないですか」と突っ込んだところを見ると、毎日やっていたのかもしれない。今日は実際、上島竜兵のギャグを知らない人にはあまりウケていなかったようだ。私自身は別に上島竜兵がそれほど好きってわけではないけど、竜ちゃんが多分内心張り切ってやっているであろうギャグをナマで見られて、ちょっと満足。
さて、このおふざけでボコボコにされている幸平を助けてくれたのが、いち。いちがいくら制止しようとしても、ボコボコ中の連中には聞こえない。そこでいちは、目の前の小さな神社の鈴を思い切り鳴らす。すると鈴を吊るしていた紐が切れる。いちはその紐をもって、鈴をぶんぶん振り回す。今度は紐が切れて鈴が幸平の頭に飛んで……。藤山直美らしいこの一連の騒ぎに、もう客席大爆笑。

幸平の妻・幸江(余貴美子)。どうしてこんな綺麗な人が、とまったく不思議なのだが、この幸江、幸平にゾッコンなのだ。余貴美子って、ドラマで1回しか見たことないのだが、とてもミステリアスな感じがして気になる女優さんだった。喜劇でこんな体当たりな演技が見られるとは思わなかった。とっても性格の可愛い奥さんで、でも最後ダメ亭主の過去のせいで、かわりに間違って刺されちゃって、花道で幸平におぶわれたまま息絶えて…涙がたくさん出ました。
収拾つかない長さになりそうだから、かなり端折ります。
商才のある六助(ボタンに目をつけたところへ、軍服のおかげで儲けたんだそうだ)は事情があって店の権利を商才のない兄に譲らざるを得なくなる。このときの遣り取りが可笑しい。病床について口もきけなくなっている父親がなんと小山三さん。表情だけで笑いをとるのはさすがの演技だ。その父親のまわりで、母親が口ベタな長男に、ああ言えこう言えと教え込む。もちろん、船場吉兆のパロディだから、客席も大受け。
ここのところ話題になった社会現象を使った笑いは、ほかに蘇民祭、中国餃子、ちょっと古いが東国原知事の「どげんかせんといかん」と宮崎地鶏。
六助夫婦はサイコロで出た目の数だけ先へ進むという旅をしながら1本のわらしべ(わらしべの事情は省略)を物々交換していくのだけど、京都では舞妓さんを手に入れる。映像のみで登場するこの舞妓、誰かと思ったら柄本明だった(こわ~い)。友情出演とか特別出演ってヤツですね。
この芝居ではもう1回映像が使われていて、これが実に効果的。東京近郊に戻ってきた六助が泊まった旅館で、幸平をボコボコにしたいかさま博奕打ちと1回きりのサイコロ勝負をする。相手はいかさま師だから、サイコロに仕掛けがある。ところが、なんとどんぶりに入れられたサイコロの1つをコロンと転がして目を変えてしまうのが、六助の亡くなったおとうさん。上から下りてきたスクリーンの中で頭に白い三角巾をつけ、すっとぼけた表情の小山三さんがちょいと手を出すと、スクリーンの下の勘三郎さんが勝ってしまうという仕掛け。もう小山三さん、サイコウっ 思わず手を打って笑った。
芝居として言いたいこと、伝えたいことがあったのはわかるけど、それより芸達者な出演者たちの演技があんまり可笑しくて、笑って笑って涙が出るほど笑っただけでいいや。
<上演時間>第一幕65分、休憩35分、第二幕70
おまけ1六助が泊まった旅館の女将が河合盛恵さん。松也クンのおかあさんだ。「寝坊な豆腐屋」で20何年ぶりかで舞台に復帰したそうだが、それを知ったのはもうそれを見た後の松也クンのブログだった。印象には残っていたが、それでもそういう意識で見ていないから、明確さには欠けた。今回はしっかり拝見しました。お顔は松也クンとやっぱり似ているなと思うところがある。新派の女優さんらしいな、という感じ(私のイメージですが)。
おまけ2いっぽう役者2世の2人もいる。伊東四郎の息子・伊東孝明クンと橋爪功の息子・橋爪遼クンだ。2人とも、役名が伊東・橋爪とそのまんま。勘三郎さんが芝居の中で2人のおとうさんの名前を紹介したから、客席は「ほう~っ」。
おまけ3天才少女歌手として矢口真理が出ていた。ちっちゃくて可愛い。藤山直美が矢口真理と一緒に「LOVEマシーン」のさわりを歌い踊ったのには大拍手。「♪ニッポンの未来は~wow wow wow wow」って歌です。
おまけ41幕目の終わり、日本が国際連盟に加入したという号外が花道を走る号外売りさんの手から撒かれた。私は花道に近い席だったのだけど、残念ながら花道から23つ目くらいの席までしか届かなかった。実際に印刷されたその号外を手にした人は、「漢字が多い~」と言っていた。
おまけ5芝居の最後に全員が舞台に並んでお辞儀して、幕が1回下りて客席も明るくなって、それから幕が上がって出演者が拍手を受けて、幕が下りて、もう終わりかと思ったけど鳴り止まない拍手にもう一度幕が開いて。この時は役者さんたち引っ込みかけていたのを急いで戻ったような感じだった。客席も帰りかけた人たちが通路に立ち止まって見ているから、舞台の一部が隠れちゃった。でも藤山直美が一段高いところに上って愉快な踊りをサービスしてくれた。

おまけ6周囲の声によれば、七之助さんが見に来ていたらしい。
おまけ711時半開演、1420分終演というのは手頃(?)で助かる。また休憩が35分というのも余裕をもって食事できてありがたかった。
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こちらはもうひとつの千穐楽。一幕見で何か見られるかなと思ったけれど、タイミングが合わなかったし、すぐに帰宅しなければならなかったから、通りの向こうを眺めるだけで別れを告げた。また3月に~。
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2008年2月25日 (月)

祝アカデミー:ピアフのマリオン

アカデミー賞には毎年それほど関心があるわけではなく、今年も朝のニュースショーで浅野忠信とCHARAの2ショットインタビューを見て、ああ今日かと思う程度で、演舞場の千穐楽に出かけたからそのまますっかり忘れていた。
それが帰路、なんとマリオン・コティヤールが主演女優賞をとったというではないか!! 思わず「おおお」と叫びそうになってしまった。
心が震えるほどの感動を覚えた、あのエディット・ピアフ。ほかのノミネート作品は見ていないから何とも言えないが、まさにピアフそのものであったマリオンの受賞は嬉しい。それに、最近あまり洋画見ないから、自分が見た作品の主演女優が賞をとったっていう意味でも、とても嬉しい。
淡々とした受賞者が多い中で、体を震わせていたマリオンが印象的だったというレポートを聞き、その姿が映画の中のピアフと重なった。
おめでとう、マリオン。
浅野忠信は残念だったね。カンヌ映画祭の常連みたいな感がある彼だけに期待していたんだけど。

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2008年2月24日 (日)

亀戸にて博多座を思う

昨日は博多座の千穐楽。はるか遠くから応援すべく、亀戸天神に行ってきた。なぜ亀戸かといえば、亀ちゃんにひっかけたわけ。あんなに風が強くなかったら、先に湯島にも寄って行きたかったけれど、地上を走る電車が軒並み止まっていたこともあり、地下鉄駆使で直行した(半蔵門線の錦糸町駅から徒歩15分)。
博多座は、昼も夜も立ち見が出たそうで、千穐楽バージョンのアドリブも飛び出し、カーテンコールは舞台・観客一体となって思い切り盛り上がったとのことだ。
その熱気とは裏腹の冷たい強風の中、境内を歩いた。
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「呉服枝重」という品種らしい。
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紅梅殿。御本社と時を同じくして寛文2年(1662)に太宰府天満宮のご神木「飛梅」の実生を勧請し、社殿前に奉斎したのを起源とし、昭和63年に現在地に再建される。と札に書いてある。勘太郎さんの元気いっぱい梅王丸が思い出された(千穐楽は、客席に飛び込みそうな勢いで花道から登場したそうです。亀鶴さんはカーテンコールの後、実際に客席に飛び込んだんですって。ステキ)。
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鹿児島紅。真紅の花が目に鮮やか。

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2008年2月23日 (土)

低気圧

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宮廷生活を垣間見る:ルーヴル美術館展

221日 ルーヴル美術館展(東京都美術館)

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装飾品中心の美術展である。数年前「フランス王家3人の貴婦人の物語展」というのがあったが、それにちょっと通じる企画のように思った。3人の貴婦人とは、ポンパドゥール夫人、マリー・アントワネット、ジョゼフィーヌであるが、今回は革命で終わっているから、ジョゼフィーヌは出てこない。
また、今回は装飾品展であるから、絵画は少ない。その少ない絵画の中で、非常に印象的な絵が1枚あった。ヴェルトミュラー描く「狩猟服を着た王妃マリー=アントワネット」1788年)。大きめの鼻、広い額を特徴とし、本人を忠実に描いたとされているらしい。穏やかな笑みをかすかに浮かべてこちらを見つめている王妃はとても生き生きとしていて、そのやわらかそうな頬の温かみまで感じ取ることができる。フランス国家をダメにしたのは彼女のせいばかりではあるまい。浪費はもっと前の時代から続いていたのだ。それを止めなかった罪はあるかもしれないが、こういう肖像画を見ていると、無邪気なオーストリア王女だったマリー=アントワネットの運命の無惨さが胸に突き刺さる。
そう思うのも、ポンパドゥール夫人の優雅な贅沢趣味を目の当たりにしたからである。その時代、ロカイユ形式が主流だったそうで、食器など食器というよりは手の込んだ美しい装飾品である。ポンパドゥール夫人はセーヴルの磁器産業を保護し、その振興に努めたり、高級家具職人なども育てたようだが、こうした芸術には、なんともお金がかかるものですなあ。私など、どう考えたって鑑賞用といった趣の食器で実際に食事が供されたら、食欲すら湧きそうにない(中性洗剤のない時代、後で洗うのも大変そう)。貴族には絶対なれないな、と1人苦笑した。
国王の食卓には次から次へと食事が運ばれるので、食堂のドアは開けっ放し。見事な5曲の屏風が展示されていたが、屏風はそういうときの風よけにもなり重宝されたらしい。あ、これは音声ガイドの受け売りです。ガイド役は、ルイ15世とポンパドゥール夫人の主治医であったヴィクトール・リケッティ・ミラボー侯爵(フランス革命時代の王党派ミラボーの父)。はじめにこのガイドさんの肖像画があったが、ルネサンス以降、肖像画には職業を表すものが描かれることが必要になったとかで、ミラボー侯爵のまわりにも本だのなんだのが置かれていた。
カリヨン付き置時計だったかしら、たしか時計は犀の背中に乗っていた。パリの人が犀を実際に見たのは1749年のことだそうだ。ポンパドゥール夫人が頭角を現してきた頃だろうか。犀はその後ヨーロッパじゅうを巡回させられたそうだ。犀を初めて見た人たちの驚きを想像して微笑ましく思い、その一方で犀には気の毒なことだなあと同情し…。
やがて、時代が下るとロカイユ形式は非理性的・非道徳的と非難されて姿を消し、新古典主義が台頭する。装飾品も面白いくらいガラッと様相が変わっている。ロカイユ形式がいかにゴテゴテと凄まじかったことか。それまでの「うわ~綺麗、むむ見事」の感嘆詞はどこへやら、まるで厚く塗った化粧を落としたかのような解放感を新古典主義のシンプルさから得て、ほっとした気持ちになった。とはいえ、それだって王家や貴族の持ち物である以上、豪華ではある。
「ドン・キホーテの物語」の連作タスピリー。これは、ドン・キホーテの物語の絵を納めた額を吊るしてあるというデザインの織物で、額の中の絵の下絵よりも額の外側を飾る花や飾り紐の下絵のほうが職人の報酬が高かったのだそうだ。
マリー=アントワネットの旅行用携行品入れは興味深い。19×82×48.5cmという大きな箱で、王妃の日常の化粧や洗面に必要なものがたくさん入るようになっている。箱の装飾も中身も豪華。革命時、オーストリアへ逃れる旅にもこれを持っていったという。
さまざまな装飾品の中で、日本人として目を惹かれたのは蒔絵の製品。日本の漆器にパリで金や銀、ブロンズの装飾を施したポプリ入れ、香入れ、水差しなどは一見の価値ありだろう。
まあ、それにしても宮廷生活というのは、なんとまあ華やかで豪華なことでしょう。それを彩る11つのどんな小さな装飾品にも込められたアートの精神を、私も私なりに感じ取ったのではないだろうか。装飾品の歴史におけるポンパドゥール夫人の存在の大きさがあらためてわかったし、装飾品から時代をちょっと覗いたような気分にもなって、面白かった。
なお、土日はかなり混雑するようなので、興味のある方は、できたら平日に行かれることをお勧めします。
詳しくは公式HPをどうぞ。

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2008年2月22日 (金)

上野の町の足跡たち

上野駅公園口からJR線路際を下へ降りていく歩道の出だしに、動物の足跡が。
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こうしてみると、動物って、土踏まずがないのが多いのかな。
この足跡に注意を払う人がほとんどいないのが残念。

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2008年2月21日 (木)

上野の空気

上野の東京都美術館でルーヴル美術館展を見た。帰りに少しだけ上野の山の空気を吸ってきた。
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梅もやっとほころんだところなのに、桜とは、さすがせっかちな私です。でも着実に蕾は膨らみつつある。あと1カ月以上かかるだろうな。
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国立西洋美術館の隣にあるお気に入りのカフェ。夏は照りつける太陽の下で飲むビールがおいしい。 今日は疲れたから甘いホットココアにした。
これが悪かったか、この後、洟ぐしゅぐしゅ、くしゃんくしゃん。油断しました。
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カフェの上空。

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小さな踊りの名手現る

220 二月大歌舞伎:初代松本白鸚二十七回忌追善夜の部(歌舞伎座)
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先にちょっと不満を。まずは、三階席、暑すぎる。あまりの暑さに、目がだんだん閉じてくる。もっとも、室温の感じ方は人それぞれだから、私が暑いだけだったかもしれないけれど。それに、暖かい空気は上に流れる、下の席のことを考えたらやむをえないか……。
もう一つは、私語がやたら多かったこと。最近、わりとお喋りが多いなあと思っていたが、昨日はちょっとひどかった。幕があいてしばらくは芝居のうちでないと思うのか、ぺちゃぺちゃ。セリフのない間(ま)にもぺちゃぺちゃ。音楽やツケで盛り上がると、その音に負けずぺちゃぺちゃ。時には芝居の最中に荷物整理はじめちゃって、がさがさ(クラシックの演奏会なんかで、荷物の音をめぐって客どうしがケンカすることがある、という記事を見たことがある。私は、ケンカをふっかけるつもりはまったくないです。しょうがねえなあ~というくらいの気持ち)。お喋りは1カ所だけではなく、あちこちから聞こえてきました。うちでテレビ見ているような感覚でお喋りしたくなる気持ちはわからないではないけれど…。

080220taimen 「寿曽我対面」。これまでこの芝居は上から見たことがなかったけれど、一列に並んだ登場人物の全体が見渡せて、今回は大正解。しかしまわりで寝ている人が多かった。たまたま食堂で同席してお話した方も「眠かった」と。私は、こういう大仰な動きの様式的なお芝居は大好きだし、11人の動きがきれいで、見ていて楽しい。ただ一つ困惑したのは、拍手のタイミング。下の席だと、花道の出がはじめから見えるから、ちゃんと拍手できる。でも、3階では足音はすれど姿は見えず(五郎の勢いよい足音だけが響いてくる)、で拍手のタイミングがばらばら。やっと見える七三にきたときには、下の拍手はおさまっているし。私は下の拍手に合わせて手を叩いたけれど、何となくしっくりこなかった。
しかし、この芝居は大仰だけどドラマチックで本当に面白い。大仰さにナンセンスツッコミを一つ。十郎に酒一杯飲ませるのに、そんなに手間取るか~!! 大磯の虎が静々と工藤祐経から盃を受取り、静々と十郎に渡し、それから長柄銚子をもった化粧坂少将がおもむろに席を立ち、又静々と注ぎに行く。ああ、楽しい。
工藤祐経の富十郎さんは足がお悪いのか、最初から最後まで台座(?)に座ったままだったけれど、その存在感の大きさはさすがだ。兄弟が盃をいただいている間じっと見ているその姿に、いろいろな思いが表れているような気がした。
歌昇さんの小林朝比奈は初役ということだが、声もよく姿もよく、好きです。三津五郎さんが若々しい五郎で、形も綺麗。小柄な三津五郎さんがあんなに大きく見えるとは、芸の力だと改めて感銘を受けた。
080220kojo 「口上」。父は派手なことが苦手だったので、こうして親類5人のみの口上となりました、という幸四郎さんの言葉だったが、身内だけの口上も温かみが感じられ、けっして寂しいとは思わなかった。下手から、吉右衛門、染五郎、幸四郎、松緑、雀右衛門という並び。
白鸚さんはとてもやさしい方だったと、幸四郎さんは何度も強調された。幸四郎さんが披露されたご両親のエピソードは微笑ましく感動的だ。もう白鸚さんが病床から起き上がることもできなくなっていた頃、みんなで白鸚さんの手をさすりながら、お母様の思い出話を聞いていた。「巡業中バレンタインのチョコをあげたことがあったけれど、あれはどこだったかしら」。すると、それまで眠っていらしたかと思った白鸚さんが「松江だよ」と一言。その時のお母様がとても嬉しそうだった、本当にやさしい父でしたと。
また、麻酔なしで手術をしたときに「痛かったでしょう」と訊くと「わからん」。人間の我慢できる痛みがどこまでかわからん、という意味だったそうで、英雄役者の片鱗をみせるエピソードであるなあ、と白鸚さんのお人柄が偲ばれた。
染五郎さんが昔(16歳の時って言ってたかしら?)「春興鏡獅子」を踊ったときに、二代目松緑さんが「高麗屋にも弥生を踊れる役者ができたな」と言ったそうで、幸四郎さんはこれを語るとき、相好を崩していた。この話は以前「生活ほっとモーニング」でもしてらしたから、よほど嬉しかったのだろう。松緑さんの言葉どおり、後で見た染五郎さんの弥生は素晴らしかった。
口上の舞台を飾る襖絵は、白鸚さんの筆になる松をもとにしたもので、原画は二階のロビーに展示してある。この絵も含めて、心温まるいい口上だった。
080220kumagai 「熊谷陣屋」。だいぶ寝ました。いや、はじめは調子よかったのだ。食後なのに、これならイケるなと思っていたのに、徐々にきました。多分、きっかけはセリフが聞き取れなかったことだと思う。病気の芝翫さんにかわって福助さんが演じた相模は、全体によかったのだけど、なぜかセリフが聞き取りにくく、そこへもってきて幸四郎さんの熊谷もセリフがあまりはっきりせず、だから、割と早くに陥落してしまった。義経登場までの長きにわたり、うつらうつら。藤の方(魁春)が熊谷に切りかかる場面とか、ところどころは覚えている。
梅玉さんは、やっぱり義経役者だ。源氏の武将としての品も格も、ピカ一だと思う。段四郎さんの弥陀六がとてもよかった。セリフもはっきりしていて、気持ちがよく伝わってきた。
最後、僧形の熊谷の幕外の引っ込み。ここの送り三重はご贔屓栄津三郎さん。ゆっくりと抑えた三味線の音色がこれまでのすべてのドラマを飲み込むようで、先日の大物浦の法螺貝を思い出した。ここの熊谷の気持ちは素直に伝わってきた。幕外の引っ込みって、観客にとってはやっぱりカタルシスになるんじゃないかな。
080220kagamijisi 「春興鏡獅子」。とても良いと聞いていたので、お待ちかねって感じ。飛鳥井は歌江さんが印象に残っているのだけど、吉之丞さんも好きです。

染ちゃん、はっとするほどの美しさ。これまでも23回(かな)女方を見ているけれど、この弥生を見て、これまではお人形的な美しさだったような気がしてきた。それほど、この弥生は血が通っていた。踊りの表情(顔の表情ではない)も豊かで、見ていて楽しかった。勘三郎さんが後見座につくとき、ちょっとそっくり返り気味だなと思っていたら、染ちゃんは、もっとそっくり返っていて、私1人でウケた。
獅子になってからの染ちゃんはパワー全開。赤い牡丹(梅之さんのブログによれば、後見さんが運ぶあの牡丹って相当重いみたいだ)にぶつかって、そのたび後見さんが直すんだけど、それでもぶつかる。ジャンプも思い切り高く、足踏みも勢いがいい。毛振りは、連獅子の時のあの調子。まさに獅子身中の虫に狂わされている。いや~気持ちのいい踊りでした。
この演目で瞠目したのは胡蝶さんたち。梅丸、錦政の愛らしいコンビで、体の大きさに差はあるけれど(梅丸クンがだいぶ大きい)、ぴったり息が合い、何しろ「うまい!!」教わったとおりに動いているという踊りではない。胡蝶になりきっている。錦政クンって誰? 初めて見る名前なのに、こんな素晴らしい舞いができる子がいたなんて。これは今後要チェックです。梅丸クンも成長著しく、とにかく胡蝶の踊りからは一時たりとも目が離せなかった。
肝心の白鸚さん当り役の熊谷で寝てしまったのが悔やまれるけれど、終わりよければすべて良し。本当に見事な「鏡獅子」でした。
おまけ1:今日は出遅れて、歌舞伎座着が414分になってしまった。ところが、歌舞伎座前にはまだ人が大勢たまっていて、開場していない。おお助かった、と思うと同時に、これで4時半に幕が開くんかいな、と危ぶんでいたら、スゴイな歌舞伎って。415分に夜の部の客を入れ始めて、ちゃ~んと15分で開演しちゃった。その分、曽我対面の幕開きがざわついていたということもあるけれど。
おまけ2:先日の新聞で、子役の出演時間規定で、夜9時以降は出せないのが演劇界ではけっこう足かせになっているという記事を見た。そういえば、キャラメルに福田麻由子ちゃんが出たときも、カーテンコールには出られなくて、等身大の写真パネルがかわりに拍手を受けていた。梅丸・錦政クンも時間ギリギリの出演だ。開演時間をずらすわけにはいかないわけだ。

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2008年2月20日 (水)

命がけ

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い、いつの間に…。今朝はまだ頭巾をかぶっていた。頭巾を取るところを見逃した(くそぅ、でございますよ)。よく見ると、人が張り付いているではないか。
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す、すげぇ…
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命がけのお仕事だなあ。今日は天候が穏やかだからいいけど、上空はどうなんだろう。

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気になる演舞場

本当なら今日は4月演舞場のチケット発売日で、モノによってはソワソワと10時を待っているところだけど、どうしちゃったんだろう、4月の演目は。早々と12月が決まっているかと思えば、未発売直近の月が決まっていないとは。とても気になります。

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ロブ=グリエの死に我が年齢を感じる

アラン・ロブ=グリエ氏が亡くなった。

学生時代、ストーリーのない小説があまりに難解でついていくのが大変だったくせに、ヌーヴォー・ロマンという言葉のかっこよさに、表面だけわかったような顔をして「快楽の館」とか「消しゴム」とか、読んだような記憶がある(何しろ、すぐかぶれるタチですから。こうした本もかぶれて買ったのだけど、多分、読み始めてすぐにイヤになったと思うから、「読んだ」とは言えないか)。
映像ならわかるかしらと、「去年マリエンバートで」を見た。ほとんどわからなかった。それでも活字よりはいくらか親しみやすかったように思う。
どこかへ押し込んでしまった本たちとともに、私の中のロブ=グリエもとうにどこかへ消えてしまっていたけれど、訃報を目にして、何とも懐かしい学生時代が脳裏に甦ってきた。恩師の死といい、こうして昔を思い出させることが続くと、つくづく年を感じますヮ。

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2008年2月19日 (火)

博多座ごあいさつ篇

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16日のご挨拶は、昼の部勘太郎さん、夜の部愛之助さん。偶然にも、私が浅草で当たったご挨拶とまったく同じ組み合わせ。亀鶴さんのご挨拶を聞きたかったなあというのが正直なところだけど、せっかくのご縁だし、浅草とどのように違う面を見せてもらえるかという楽しみもあった。
まずは勘太郎さん。「ようこそいらっしゃいました」だったかな。そんな第一声がマイクで響いた。あれ、舞台のどこにも勘太郎さんの姿は見えない。まさか今日は声だけ? と思ううちに、もの凄い大音響の掛け声が聞こえ、オイサッオイサッの掛け声とともに頭に赤い鉢巻を巻いた勘太郎さんが威勢よく走りながら花道から登場。「山笠は僕も大好きなんです」とのこと。舞台に立つと、鉢巻を取る。紋付姿に黒縁の眼鏡をかけている。
浅草のメンバーで博多座で歌舞伎をやりたかった、実現して嬉しい。昨日はお休みだったので、前日温泉(どこだか聞き取れなかった)に泊まり、昨日は太宰府に行ってきた。梅王をやるので。というような内容であった。
客席に三社祭スタイルの女性が2人いらして、勘太郎さん、とても喜んでいた。

夜は愛之助さん(夜の部っていうけれど、開演は315分。浅草みたいに第二部といったほうが違和感ない)。浅草歌舞伎をいつかどこかでやってみたい、博多なんかいいよねとメンバーで話していたら実現した。だけど、入らなかったらどうしようとの不安もあった。それが連日大勢いらしてくださってありがとうございます(この日も補助席が出ていたし、昼は気がつかなかったが、夜の部は「満員御礼」の立て札が出ていた)。
演目の解説になると、まず、「義太夫を聞いてほしい。登場人物の気持ちや、状況がよりよくわかるから」(このお言葉に、私、普段よりもしっかり義太夫を聞くよう努めました。これまで、どうせ意味がわからないや、と聞き飛ばしていた部分も少しずつわかってくるから不思議)。そして「亀ちゃんと話しているときに、早替りが早すぎて亀治郎さんとわからない人もいるようだから、挨拶で言っておいたほうがいいということになった」とかで、「あの6役は全部亀治郎さんなんですよ」。
最後に拍手が役者を盛り上げてくれるから、と拍手の練習をした。いいと思ったところでは遠慮なく拍手をしてくださいね、とはいつも役者さんが言うことだが、定番の拍手場面とは別に、舞台に共感して、あるいは感動のあまり、期せずして客席全体が熱狂的に拍手をすることがある。拍手が役者さんを盛り上げるだけではなく、役者さんの演技が自然に拍手を湧かせるのだ。これぞ、まさに舞台と客席の一体感。だからと言って練習なんかしなくたって、とヘソを曲げることはない。練習も案外一体感を味わわせてくれたから。
感動溢れる浅草歌舞伎にしても博多座のこの歌舞伎にしても、若手の演技がすべて当代世代にかなうとは思わない。しかし、真摯に役に立ち向かい、丁寧に演じている姿を見ると、それを補って余りあると思うし、年々びっくりするくらい力をつけているのも確かだろう。第一、若手にはオヤジ様世代には絶対ない「若さ」がある。自分が年をとっているせいか、彼らの若さが瑞々しくて羨ましくてしかたない。どの舞台も全力でいいものを見せ、観客に楽しんでほしいという姿勢が強くうかがえるのも若さの証の一つかもしれない。そういう芝居を見たいからこそ、遠方からも足を運ぶのだ。
ただ一つ心配なのは役者さんの健康だ。亀治郎さんの蜘蛛なんか、本人が思い切り楽しんで演じているようには見えるけれど、体力をどれだけ必要とすることか。いくら若さに恵まれているとはいえ、皆さん油断せずに千穐楽まで健康を維持して、さらに次の舞台でもいい芝居を見せてくださいね~。
と、これにて博多座レポートは完。
註:写真は太宰府の梅、と言いたいところだけれど、自宅の梅です。綻びし蕾を見て、梅王を桜丸を思い、私もまた博多へ飛んでいきたいわ~と梅に語り掛けました。

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夜の部2題:車引、鳴神

216日 「車引」「鳴神」(博多座夜の部)
<車引>
この前、歌舞伎座で見たばっかりやん、というところなんだけど、若手には若手のハツラツとした良さがある。梅王丸の勘太郎さん、めったやたらに声を張り上げ、めったやたらに動きが派手で大きい。だけど、たしか梅王というのは子供の心で、だったように記憶しているから、勘太郎さんの梅王もいいんじゃないかしら。とにかく一度勢いがついたら止まらない。そりゃあもう、微笑ましいくらいの勢いで、私はけっこう好きです。
亀ちゃんの桜丸は、自らの不祥事から菅丞相を苦境に陥れたことの苦しみがよく表現されており、賀の祝で自害する運命にあることが思われて、哀れを感じた。それが一転、藤原時平の車に出会ったことで怒りを呼び起こされた桜丸の暴れぶり(もちろん梅王に比べれば大人しいけれど)。彼もまた男の子だったんだなあ、とこれまた微笑ましく思った。
松王の獅童さん、時平の男女蔵さんは、ごめん、あまり印象に残っていない。少々眠かったので。杉王にいてうさんが抜擢されていて、やっぱりいてうさんは成長株なんだなとニンマリ。杉王ってけっこう大変だと思うのは、右手(で間違いないと思うけど)を拳にしてずっと腕を伸ばしたまま肩の上のほうに上げていなくてはならない。あれって、疲れるよなあ、っていつも気の毒になる。
それはともかく、全体に何となく爽やか感が漂う印象を受けた「車引」であった。
<鳴神>
愛之助さんのこれまでの役柄からすると、前半の雲絶間姫とのやりとり部分が本領のような気もするが、むしろ後半の怒りの部分のほうがよかった。ついこの間、海老ちゃんの素晴らしい「鳴神」を見た後だからどうしても比較してしまうのだが、海老蔵さんは大らかさの一方で闇に沈むような暗さを併せ持つ。それが海老蔵さんの色気なんだと思う。それに対して愛之助さんの色気は明るさと愛嬌ではないかしら。個性の違いだからいい悪いの問題ではない。ただ、酒と女に溺れる場面と怒りの場面の対比を考えると、鳴神には大らかさと暗さが共存しているほうが、合うような気がした。で、愛之助さんの明るさと愛嬌は本来なら前半に活かされているんじゃないかと思うのに、ここは私の好みで荒々しいラブリンがいいのだ(わがままな観客だ)。
七之助さんの雲絶間姫は「俊寛」の千鳥の時に感じたロボットのような動きほどではなかったが、連続した動きがやや硬い。清潔な色気や知性はあるが、したたかなコケティッシュさに欠ける気がした。しかし、竜神を解放して雨を降らせるという大役を果たし終えた達成感が、花道の引っ込みのときによく表れていて、「よくやった、えらいっ」と声をかけたくなった。
この「鳴神」にはこの「鳴神」の良さがあるのだけれど、海老ちゃんのあの鳴神を見てしまった後ではどうしても物足りなさが残る。仕方ないか。
このあと、ごあいさつ篇に続く予定です。

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楽しい舞踊二題:高坏、団子売

216日「高坏」「団子売」(博多座昼の部)
<高坏>
芝居の世界に変革が起こってきたころ、歌舞伎界でも六代目菊五郎が何か新しいことをやりたいと、宝塚の振付師でもあり作者でもあった誰とかさん(お名前忘れました)と考案したのが、この高坏だそうだ。タップダンスの要素を取り入れたのだという。そこまで解説を聞いて、私、もしかしたら「高坏」は初見かも、と思った(見たことがあるような気もするのだけれど、よく覚えていない)。話の内容は、落語の「末広がり」(扇のこと)から取ったそうだ。先代勘三郎が演じたとき、踊りでは名手六代目にかなわないのでタップの数をふやしたとか。で、それを勘太郎・七之助兄弟が初役で演じるのだそうだし、タップダンスは大好きなので楽しみにしていたけれど、なんと残念ながら旅の疲れに勝てず、肝心のタップのところで意識を失ってしまった。
亀鶴さんのお大名は上品で美しく、軽妙さもあってよかったが、主人らしさというものがあまり感じられなかった。

私は昼は二階席後方(歌舞伎座の三階席にあたるだろうか)で見たのだが、隣に、何度か歌舞伎を見たことがある風な女性と彼女に連れられてきた初めて歌舞伎を見る風な男性のカップルがいて、その男性が時々女性に話しかけてわからないことを訊く。いつもならお喋りをうるさく思うのに、初めて歌舞伎を見てくれるんだもの、なんて鷹揚な気持ちになってしまった。で、その彼が「太郎冠者と次郎冠者ってどう違うの?」「太郎冠者のほうが偉いの?」などと質問している。ちょうどその時、イヤホンで「冠者は元々若い男性という意味だけど、ここでは家来を指す。先に雇われたほうが太郎冠者である」と解説していた。おお、なんというタイムリーさ。思わず、そう教えてあげそうになってしまい、慌てて言葉を呑み込んだ。
勘太郎さんの次郎冠者はとぼけた味がぴったりで、好対照をなす七之助さんの高足売りの抜け目なさもぴったり。これが逆の配役だったらどんなかなあと思わないでもなかったが、きっとこれほどの面白さはないかもしれない。 
居眠りしたとはいえ、國矢さんの太郎冠者も含め、大名、次郎冠者、3人の踊りはたのしかった。

<団子売>
亀ちゃんと愛之助さんの息もぴったりな夫婦。あんまり楽しくって、あっという間に終わっちゃった。え、もう45分たったの? ウソでしょ、ちょっと端折ってない? そんな気がするくらい、時間のたつのが早かった。
亀ちゃんのお臼は愛らしく色っぽく、愛之助さんの杵造との仲のよさが微笑ましい。2人で頬を寄せ合うところなど、なんとも言えないほのぼのアツアツで、ついついニコニコしてしまう。「蜘蛛絲」でも番頭新造が私には一番好ましく感じられたように、亀ちゃんはやっぱり女方が断然いいなあと思う(信玄公には申し訳ない)。亀ちゃんの踊りは、いつまでも見ていたい。一連の動きに途切れるところがなく、やわらかく、心地よい。手の動きが実に美しい。
いっぽうの愛之助さんも、今度楳茂都流の家元後継者になるだけあって、表情豊かな楽しい踊りを見せてくれた。
美男美女、2人とも色っぽくて、これ以上ないカップルのようにも思えたけれど、勘太郎さんと亀ちゃんのコンビで見てみたいかも。

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2008年2月18日 (月)

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博多座ご報告はちょっと一休み。
又々、こんな鉄塔を見つけた。
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今度は頭巾かと思って近くへ寄ると、
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この通り、全身でした。
どうやってかぶせるのか、一度見てみたい。

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ストレートに伝わる哀しみ:義経千本桜

216日 「義経千本桜渡海屋、大物浦」(博多座昼の部)
知盛の印象的な最期の場面から、私はこの物語は知盛の話だとずっと思ってきたが、この日初めて、いやこれは典侍の局の物語じゃないかと思い直した。もちろん、知盛の話であるのも間違いないけれど、典侍の局がよくなかったら、知盛のあの壮絶な最期だってちっとも盛り上がらないような気がしたのだ。
七之助さんの典侍の局は、去年の浅草に続いて2度目だから、しっかり手に入っているという感じだった。渡海屋というのは、今で言う郵船会社だそうだ(昼の部だけイヤホンを借りた。小山觀翁さんの博識な解説が心地よい)。その女房お柳が漁師や船頭を束ねるおかみさんにしては、ちょっと品が良すぎるのも、実は平家の女官だから。七之助さんはおかみとしての愛想や勝気なところと女官としての品のバランスもとてもよく、義経一行に敵意を抱いていたとしても、この先の運命を思うと今から胸が痛む。
典侍の局になってから、さらに本領発揮の七之助さん。平家の誇りと滅びる無念さ、安徳天皇への愛情が全身から迸り出て、身を切られるような思いが私の中にも湧いてくる。作者は典侍の局に建礼門院を重ね合わせて書いている、また実際に壇ノ浦ではこういう状況だったのだろう、という觀翁さんの解説に、目の前に展開される悲劇がよりリアルに感じられる。イヤホンガイドを聞いていると、時として思い入れをリードされてしまうようなことがあるが、七之助さんの心のこもった熱演に素直に感動した。典侍の局は七之助さんの一生の当たり役になるのではないかしら。
安徳天皇は宮永歩海・田中詠麗奈のダブルキャストで、この日は宮永歩海ちゃん。そのあどけないながら典侍の局とともに入水する覚悟を決めるの格と愛らしさ。この役は、子役のやる中でも相当に技量を求められるのではないだろうか。まず、役者さんが抱き上げている時間がけっこう長い(途中、高い台の上にのせるけれど後ろから支えているし)ので、体が小さいことが必須条件だろう。となると、あまり年齢が高くてはむずかしくなる。歩海ちゃんも姿だけ見ていると本当にちっちゃくて、セリフなんか言えるのかしらと心配になるくらいなのに、堂々たる天皇ぶりで、感心した。その安徳天皇をあの世でお待ちすべく、覚悟を決めて次々と海へ飛び込む女官たち。実際の壇ノ浦を思い、その哀れさに涙を誘われた。
いっぽうの知盛(獅童)もよかった。怒りや哀しみが実にストレートに伝わってくる。「船弁慶」の音楽が少なくとも2度は使われているようで(恥ずかしながら、これまで知りませんでした。でもこのたび1回はイヤホンでそう聞く前に、私も「あれ、ひょっとして」と気付いた)、逆にこの激しい感情こそが船弁慶でのあの亡霊につながるのか、と納得もした。獅童さんも去年の浅草で同じ役をやってとてもよかったし、本公演でも知盛ができるくらいになってほしいなあとつくづく思った。
亀鶴さんと愛之助さんの剽軽コンビ、とてもいいコンビで好きです。曲げられた刀を石で叩いて伸ばし鞘に納めようというとき、愛之助さんが何気なく「入るかどうかわからないけどな」と呟くのが、アドリブかなあという感じで笑えた。この芝居の平氏側はみんな「○○、実は△△」という人で、この2人も実は平家の勇士、その後の壮絶な最期を思うと、この場面のお2人の軽妙さにけらけら笑いながらも重みが感じられた。
義経は去年は勘太郎さんだったのが、今回は亀治郎さん。「義経千本桜」というのは面白い題名だ。それぞれの段で義経が主役ということはほとんどなく(じゃない?)、ここでもとくにしどころがあるわけではない。だけど義経をめぐるお話なんだから、登場した以上、ただそこにいればいいってものではなく、軸としての存在感や風格がなければいけないわけでしょう。と言って突出しすぎても白けそうな気がする。去年の勘太郎さんもその点優れていたし、今回の亀治郎さんもぴったり。典侍の局の潔い死、知盛の壮絶な最期を見届けて、滅びゆく平家への敬意が表れていたのが印象的だった。

觀翁さんの解説で、新たにわかったこと。それは、弁慶(男女蔵)が寝ている渡海屋娘お安をまたごうとすると足が痺れる、弁慶はそれを不思議なことに思う、という場面。実は、義経は渡海屋の正体を感づいていて、お安のことも安徳天皇でないかと疑っている。それを確かめるために、弁慶にまたがせてテストをしたんだそうだ。なるほど、そう考えると、弁慶がそのままどこかへ行っちゃったのも何となくわかる気がする(いったい、どこへ消えちゃったのかなあと去年は不思議に思っていた)。今頃わかるなんて、ちょっと恥ずかしいかな。弁慶は出番が少ないけれど、大事なのは最後に1人残り、平氏鎮魂の法螺貝を吹く短い場面。ここでコケたらこれまでの感動が台無しになる。男女蔵さんは平氏への思いを十分滲ませて、だけに余計法螺貝の音は心に沁みた。
もう一つ、今頃知ったなんて恥ずかしいけれど、浅葱幕のこと。空気を表すと言われている浅葱幕が、なぜああいう色なのかなと何となくスッキリしない思いでいたのだ。觀翁さんによれば、昔の人の目には空気は青い色に見えていたのだそうだ。たとえば、山の空気は今でも青さを感じるが、そういうことらしい。昔はそれほど空気が澄んでいたのだろう。
昼の部最初の演目が2時間というこの重い大作で、博多に到着した途端これかよ~なんて不安を感じていたのがどこへやら、時間のたつのも早く、何度も演じられるこの芝居の良さが摑めたような気がした。

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2008年2月17日 (日)

亀蜘蛛にノックアウト:蜘蛛絲梓弦

216日 「蜘蛛絲梓弦」二月花形歌舞伎(博多座夜の部)
まずは、客席が(いや、客席もそうだけど、私自身が)興奮の坩堝と化した夜の部最後のこの演目「くものいとあずさのゆみはり」から(興奮のあまり記憶違いもあるかもしれないけれど乞御容赦)。
行ってよかった。迷いを断ち切り、思い切って出かけて本当によかった。ほとんど、これが目的で博多座行きを決めたのだ。話に聞くだけで見ずじまいでは一生後悔が残る、そんな気持ちになるほど見事な芸とエンタテインメントの融合だった。

源頼光の館。物の怪に取り憑かれて病の床にある頼光。四天王のうち碓井貞光(獅童)と坂田金時(亀鶴)が、主人を守り宿直をしている。獅童さんは白い装束で貴公子然として美しいし、亀鶴さんは赤ッ面のぽっちゃり系だけど、これまた亀鶴さんの端整さを損なうことなく美しい。そこへ現れるのが女郎蜘蛛の精(亀治郎)。童、薬売り、番頭新造、座頭と次々姿を変えて、登場する。そのたび貞光と金時をだましだまし、頼光の寝所に近寄ろうとするが、2人に阻まれる。そして…、といういわゆる蜘蛛モノ。
貞光と金時の美しさに見とれているうちに、場内を怪しい空気が漂い、どこからともなく童が現れる(各変身キャラの登退場がどこかは、最後にご紹介します)。童の亀ちゃんはおかっぱ頭がどうも馴染まず、いかにも怪しい(浅草でもそう思った)のだけど、貞光、金時を巻き込んで馬貝の遊び(子供の遊びなんだそうだ)を踊っているうちに、その動きがあまりに生き生きと楽しそうで、本当に童に見えてきて、やがて全然違和感がなくなってしまった。いたずらっぽく微笑みながら踊りまくる童、ちょっと武張った貞光、金時はあやかしの者が放つ空気に踊らされているという感じ。3人の踊りは実に飽きさせない。童が時折見せる蜘蛛の本性が怖い(子供のそういう表情って、大人より怖いところがある)。
薬売りは思いがけないところ登場する。舞台中央に出てきた薬売りの肩に、振り分け型の大きな薬箱が上から降りてくる。薬売りの出番は短いけれど、手にした頼光のための薬の袋(「くすり」と大きく書いてある)を舞台上から客席に見せて歩くサービス。亀ちゃんの動きにつれて、歓声も右から左へと移る。にんまりしながらさっと消えてしまった薬売り。
あら、と思ったらもう登場してくる番頭新造。その早替りのあまりの早さに、思わず客席口々に「はや~い」と感嘆の声を漏らす。私ももちろん。黒い衣裳を身につけた番頭新造の、姿も動きもしっとり色気があって、なんと美しいこと。私は6役の中でこれが一番好きかも。
ところで貞光と金時は、蜘蛛の精が寝所へ入るのは防ぐが、結局のところいつも取り逃がしてしまう。そこで、この2人、舞台に手をついて、「いずれもさま、面目次第もございません」と観客に詫びを入れる。ホント、いい加減怪しげな人物に気がつけよ、ってなツッコミは入れるまい。なんともユーモラスなこの2人がまた、いいのよ。同じ武士でも獅童さんからはやや角ばった感じを受け、亀鶴さんにはそこはかとないやわらかみが漂う。2人ともニンに合っていると思う。とくに、浅草ではちょっと役に恵まれなかった感のある鶴亀さんが博多ではなかなかで嬉しい。また、獅童さんは押し出しもよく、華も色気も備えた独特の個性が光る。歌舞伎での月日を重ねるごとによくなっているのがわかるだけに、現代劇もいいけれど、歌舞伎でもっともっと芸を磨いてほしい。貴重な人材だと思うんだけどなあ。
さて、面目丸つぶれの貞光と金時ったら、又簡単にだまされてしまう。次にやってきた座頭が奥州座頭だと知って、お国名物の仙台浄瑠璃を所望するのだ(ほら、又ぁ~、そんな簡単にだまされちゃって~)。座頭が三味線を弾きながら浄瑠璃を語る場面だが、ここの亀ちゃんはエアー三味線、エアー語り。本物は本物の常盤津さんにおまかせ。この辺の呼吸もよく合っていて楽しい。しかも踊りや動作は座頭だからず~っと目を閉じたまま。花道での踊りも目を閉じている。なかなか高度な技術だと思う。しかしこの座頭、もちろん本当は目あきで、貞光と金時に悟られぬよう、時々くわっと目を見開く。気付かぬ2人はここでも取り逃がす。まったく揃いも揃ってダメな2人ねえ。
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人が蜘蛛を探しに去ると、舞台中央の御簾が上がって、頼光(勘太郎。頼光さんはここで初登場)の寝所の中。傾城薄雲が頼光のそばに寄り添っている。鬘といい顔つきといい、ちょっと凄みのある風情。頼光としっとり踊る薄雲の姿に、私は再び雀右衛門さんと歌右衛門さんを見た。亀ちゃんが意識していたかどうかは知らないが、京屋の薫陶はしっかり亀ちゃんの中で生きている、と思った。本性を表し豹変した薄雲に頼光は斬りつける。騒ぎに気付いた卜部季武(七之助)、渡辺綱(男女蔵)が駆けつけ、3人は妖怪の後を追っていく。
さっと一面に蜘蛛の糸が描かれた幕がおりる(振りかぶせっていうのかな)。それを見て思い出したが、そういえば、たしか座頭と薄雲の衣裳の裾あたりに蜘蛛の巣が描かれていた。他はどうだっただろう。
ここで、上手端に三味線の足載せ台が置かれる。おお大薩摩だね、とわっくわく。その大薩摩が演奏されている裏側では一生懸命舞台づくりをしている様子(初日はこの間がかなり長かったそうだ。舞台はやっぱり進化していくものだ)。
やがて幕が振り落とされた舞台中央、右に4人左に4人の蜘蛛四天たちを従えた亀蜘蛛がセリあがる。と思ううち、蜘蛛四天が一斉に糸を投げる。蜘蛛の隈を取った亀ちゃんは、猿之助さんを彷彿とさせる。9人の蜘蛛たちが頼光主従と戦ううち、揚幕の奥から野太い声が聞こえる。あれ、まだ誰かいたっけ??と考えていると、あっそうだ、ラブリンを忘れていた。あの声は愛之助さんだぁ。頼もしい平井保昌が花道から登場。七三で立ち止まり、「博多座に召集をかけられ来てみれば、信玄に似た化け物がいるではないか。鹿児島の篤姫に代わったからには、きりきりと消えてしまえ」というようなことをのたまい、客席に笑いと拍手を起こす。
ということで、さすがの蜘蛛もやっつけられてしまうのでありました。飛び交う蜘蛛の糸、そして舞台の上からも蜘蛛の糸が何百本も(多分)雨のように下りてきて、その視覚的効果に、もう客席は歓声と拍手の渦。定式幕が引かれた後も客席の拍手は鳴り止まず、それに惹かれるように幕が再び開くと、7人が舞台に並び、観客のスタンディングオベーションを受ける。私も今回は立ちました。しっとりした舞いもあれば、早いリズムの踊りもあり、2回の海老反り、激しい足踏み、高いジャンプ、低いジャンプ、うさぎ跳びみたいなジャンプ、亀ちゃんのもつ舞踊の技術・表現力、そして身体能力フル稼働。早替りで5人のキャラを演じ分けるその見事さ。獅童さん、亀鶴さんとのトリオの楽しさ、ふんだんに糸を使った大勢での立ち回りの派手な豪快さ。あまりの素晴らしさに立たずにいられなかった。
幕が閉まってしまうのがもったいない。いつまでも余韻に浸っていたい、そんな最後でした。都内での上演だったら、毎日通っちゃいそう。博多はやっぱり遠い。一夜の夢として大事にしておきましょう。

<蜘蛛の精の登場・退場>
童:花道スッポン→黒御簾へ飛び込む
薬売り:常盤津の山台の中→スッポンへジャンプ
番頭新造:花道→ぱっと返った下手襖の向こうへ
座頭:正面階段の中(だと思う。実は花道揚幕のチャリンという音にだまされた。はっと気付いて前を見ると、階段のところから出てきたようだった)→正面御簾内の火鉢(かな?)の中へ
薄雲→最初から御簾内にいる→御簾中央で糸を投げ、御簾がおりて姿が見えなくなる

<後見さん>段之さん、蝶紫さん、澤五郎さん、いてうさん、翫政さんの5人だったが、その忙しいこと。とくに亀治郎さん付きの段之さんは、道具や糸を渡したり、糸を巻き取ったり、仕事がたくさん。他の方も、頼光主従に絡まった糸を取り去るのに微妙なタイミングをはかったりしてご苦労の多いことだと思う。段之さんは亀治郎さんに合わせて坊主頭だから、後見の時には鬘をつけて出る。それが茶髪系の書生風なんだけど、最後の場だけ、なぜか鬘が黒髪に変わっていた。ちょっと気になる。

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とらぶるジャルと博多行き

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昨日、無事に日帰り博多座行き、遂行しました。
いきなり行きに不安が
2つ。
まずは、搭乗口付近で偶然お会いした亀治郎後援会の会員さん。あらぁ、あんてお互いにびっくりし合っていたら、今日は着物の日だってお聞きした。そういえば、彼女、美しいお召し物姿。うわああ、私ったら思いっきり普通の格好だぁ。せめてワンピースにすればよかった。しかしこんな格好でも入場拒否されることはあるまい。劇場に入っちまえばこっちのもんだぁ、なんて図々しいオバサン根性で気を取り直す。
それは私の問題だったけど、私じゃどうにもできない問題が続いて起こった。朝
8時発の便が10分遅れだというのだ。滑走路の混雑が原因。慣れない場所では余裕をもって到着しておきたい私 080216nakasukawabataeki は、たった10分の遅延にかなり焦りました。シートベルトサインが消えるなり、荷物が1つという気楽さも手伝って、とっとと出口に向かい、走って地下鉄駅へ。結局走らなくても同じだったけれど、30分前には博多座に到着。
周りを見ると、意外にも着物の方は少ない。むしろ普通に洋服のほうが多いような。浅草の着物の日は行ったことがないけれど、噂に聞くそれを想像していたから、拍子抜けのような、安心したような。
開演までに
30分近くあったから、イヤホンガイド、プログラム、食事の手配、コインロッカー、トイレ、すべてが順調にいった。
さて、昼の部を楽しんで、夜の部のためにいったん外へ出ながら携帯の電源を入れると、見慣れぬ差出人が。開いてみたら、うわっあ、
JALからのお知らせメール。なんと帰りに予約していた便が欠航になるという。
機体の手配がつかないため、という理由だったが、そんなことって!! どうしてくれるのよ。慌てて
JALに電話したが回線混雑でつながらない。博多座の方に事情を話し、福岡空港のJALカウンターの電話を調べていただいた。そこはつながったが、用件は済ませることができず、別の番号にかけなくてはならなかった。つながりはしたけれど、私はマイル交換のタダ券だという理由で、そこでもダメ。最後にかけたマイル会員用の電話、ここも回線混雑でかなり待たされた。「このままお待ちいただくか、しばらくたってからおかけ直しください」って、絶対「このままお待ちするぞ」と独り言で突っ込む。やっとつながり、最終便を確保。これで心おきなく夜の部に入れる、とほっとした。まったくもう、欠航が行きじゃなくてよかったよ、と再び心の中で毒づく。
結局欠航の原因は、札幌が雪で飛べず、その機体を福岡行きに回すはずだったのが回せなくなった、というようなことらしい。東京と福岡の天候ばかり心配していた足元をすくわれた感じだ。そういうこともある、という一つの勉強にはなった。
それにしても、最近のこういう電話は、オペレーターにたどり着くまで何回も操作がいる。用件の番号を押したり、会員番号、パスワードを入力したり。父など一人では銀行に電話できない。
ああ、話が逸れました。
博多座では舞台写真は2階で売っている。はじめ1階の売店スペースがモーレツに混んでいたので、写真コーナーに人が群がっているのかなと思ったら、そうではなかった。
2階の写真売り場は意外にも人が少なく、十分吟味することできた。どの写真もほしかったけれど、それには資金不足(ブロマイドは500円、舞台写真は550円)。それでも何枚か、手にして満足。
080216hakataza_2 去年も感じたが、博多座はいい劇場だ。2階席後方
からでも花道七三は十分見えるし、舞台の声もよく聞こえるし、座席もゆったりしている(歌舞伎座の3階席ではエコノミー症候群になりそうだった)。食事の種類も豊富だし、トイレも回転が早いし。それにアクセスがいいし。
とまあ、ここまでは舞台には関係ない話。
現在報告書作成中であります。どういう形でご報告できるかわからないので、上演時間のみ先に。休憩が短いし少ないので、舞台写真やお土産は開演前に探したほうがいいかも。
<上演時間>
昼の部:「義経千本桜--渡海屋、大物浦」
120分、休憩30分、「高坏」30分、休憩10分、「団子売」45
夜の部:「車引」30分、休憩20分、「鳴神」80分、休憩30分、「蜘蛛絲梓弦」65
おまけプログラムがとっても可愛い。ピンクの表紙に梅の花を散らし、その中の7つが小さな窓になってあいている。そこには、出演者7人の顔がちょうどはまっていて、表紙をめくればスーツ姿の7人が(獅童さんだけブレザー)。お洒落なデザインです。

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2008年2月15日 (金)

3週間近くぶりの歌舞伎

214日 二月大歌舞伎:初代松本白鸚二十七回忌追善昼の部(歌舞伎座)
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月初歌舞伎です。もう3週間近くも歌舞伎を見ていなかった。ここ2年ほどではこんなこと初めてなんじゃないかな。久々に歌舞伎座の匂いの中にどっぷり浸かって来ました。
080214tofu 「小野道風青柳硯柳ケ池蛙飛の場」60年以上も前(昭和21年)に上演されて以来というこの作品、案外面白かった。小野道風なんて、三蹟の1人であることと、まさにこの演目にある<柳に飛びつく蛙>のエピソードしか知らなかったけれど、思うように昇進できなくて鬱々とした感情もあったらしい。そのせいかどうか、三筆の1人である空海の書にケチをつけたんだとか。平安京の東の三つの門額は嵯峨天皇、北三門は橘逸勢、南三門は空海が書いたのだそうだが、道風はそのうちの朱雀門の「朱」が「米」に見えると嘲ったのだという。そのため天罰が下り、中風になり、手が震えるようになった。「弘法の投げ筆」に対して「道風の震え筆」とも言われているとか。これは一つの伝説に過ぎないのだろうが、当時の道風の置かれた状況が垣間見えるような気もする。
また、<道風>とは<ひやかし>の意味もあるんだそうだ。その心は「買わず(蛙)に見とれる」。ってこれ、イヤホンガイドの藤野さんの<ものわづけ>じゃないよね? とまあ、イヤホンガイドを借りる一つの理由は、こんなお楽しみトリビアを聞けることだ。
で、この演目だけど、道風が角力が強いってことになっていて、それが道風(梅玉)の見た目とギャップがあって可笑しい。差し金の先のカエルに客席から軽い笑いが。でもこの蛙可哀想に、一生懸命しがみついた柳の葉から、梅玉さんの傘の一振りかなんかで地面にたたき落とされ、白い腹を見せていた(なぜ、落とされたんだっけ)。三津五郎さんの独鈷の駄六が剽軽で面白い。赤っ面で(はじめ、三津五郎さんとはちょっとわからなかった)強そうなのに、道風に負けて池に落っこっちゃった。角力踊り、角力六方も楽しめた。
080214kurumahiki 「車引」。割と好きな演目なんだけど、あまりピンとこなかった。錦之助さんの桜丸は、松緑さんの梅王と笠の下で会話するときはできるだけほっそりと華奢に見せていたけれど、吉田神社境内になると、やっぱり体の大きさが感じられたかなあ。それにいつもほど形の綺麗さが引き立たなかったような気がした。歌六さんの時平が出てくると舞台がぐっとしまるように思ったが、でもそんなに不気味感はなかった。登場シーンを一生懸命見ていたら、牛車が壊れるほとんど直前に入っていた(上から見ていると、そういう余計なところに興味がいく)。亀蔵さんが金棒引だけの出演とはもったいない。ちなみに、今日は「車引」にNHKの撮影が入っていた。
080214sekinoto 「積恋雪関扉」。昼の部のお目当てだったし、前回ほとんど寝てしまったから、今回は絶対起きていようと思ったのに、やっぱりダメだった。15分もたったらウトウトし始め、まだらに見ていたのに、なんと前半のクライマックス(?)、3人の手踊りを見逃したのは不覚であった。又々サンドイッチのパンだけ状態。それでも多少は具も食べられたかなと思うのは、墨染(桜の精)が現れる頃からはちゃんと見ていたので。2人で踊る廓話は面白いし(歌舞伎の踊りって、よく廓話が出てくるなあ)、どでかい斧を振り回す吉右衛門さんは大きいし、桜の精の福助さんはやわらかいし、衣裳もぶっ返って黒と桜色の対比がきれいだし、福助さんが踊っている間に後ろを向いた吉右衛門さんが斧に仕込んだ鏡でせっせと作った悪人顔も盛り上げるし、テンポもせっかちな私向きの早さだ。そう見てくると、前半のテンポはこんなに早くなかったけれど、きっと見所は沢山あったんだろう。惜しいことをした。
「関扉」の黒主は白鸚さんの得意の役だったそうで、今月の歌舞伎チャンネルでもやっていたから録画をしておいた。私がむか~し見ていた頃は白鸚さんが一番脂の乗り切った時代だったかもしれない。英雄役者いわれた白鸚さんは、子供の目にはより大きく重厚な役者として映った(白鸚さんだけでなく、この3兄弟の大きさには格別なものがある)。今の私の目に吉右衛門さんはそこまで大きく重厚には映らない。でも、それはきっと、子供の目と大人の目の違いなんだろう。
雪の白と桜色、そして黒と、ビジュアル的にも大変美しい舞台なんである、と今回よく認識した。これは機会があったら一幕見でリベンジしたいなあ。
080214ichiriki 「仮名手本忠臣蔵祇園一力茶屋の場」。ちょうど1年前も通しの中でこれがかかっていたんだよな、又かいな、とは思うのだけど、実によくできた作品であると感心した。登場人物の気持ちがすんなり入ってくる。物語の展開がうまいからだろう。楽しませどころもあって、重くなりすぎないのもよい。だから作品の面白さで押し切られるという部分もある。
解説の小山觀翁さんが、大星の表情について「はい、ここ、笑っていても目は笑ってないんですよ。目をよく見てください」ってなことを時々おっしゃる。だけど、悲しいかな、その辺の細かい表情はよくわからなかった。幸四郎さんの大星は、私にしては意外に受け止めることができた。芝雀さんのおかると染五郎さんの平右衛門はアンバランスなんじゃないかと懸念したけれど、芝雀さんが可愛らしく、そんなに悪くはなかった。ただ、染五郎さんはちょっとニンでないような気もする。おかるが簪を落とすところは、うまく落ちなかったのか、芝雀さんが手で落としたように見えた。
梅之さんが大星の大小を抱えた仲居で出ていた。見立てが今日だとよかったのになあ(と、これは私のわがまま)。
<上演時間>「道風」22分、幕間10分、「車引」31分、幕間30分、「関扉」94分、幕間10分、「七段目」108分

おまけ:2階で白鸚さん展をやっていた。弁慶、「関扉」の黒主、熊谷、「七段目」大星などの写真のほか、白鸚さん自筆の絵画が展示されている。絶筆となった鸚鵡は筋書きにも載っている。染五郎さん誕生、紀保さん初節句、そして隆子さん(松たか子)に描いた絵は、お孫さんの誕生・成長に目を細める一家庭人としての白鸚さんの姿が偲ばれる。
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2008年2月13日 (水)

マスク美人復活:花粉が…

数日前に、猛烈に目がかゆくなり、あれ、そろそろ花粉か?なんて思っていたら、今日は強烈なクシャミ攻勢である。
朝からクッシャンクッシャン。自宅で誰はばかることなく(女を捨てて)、オヤジクシャミをする快感よ (^-^;。もっとも、オヤジクシャミといったって、さすがに「はっくしょ~ん」の後に余計な音はつけない(よく、オヤジクシャミって後に「チクショー」とか「エーイ」とか言うって聞くから)。
私の花粉症歴はン十年と、すこぶる長い。まだ「花粉症」なんて言葉ができる前からだから筋金入りだ。それが7~8年前だろうか、突然まったく症状が出なくなった。おおお、ついに花粉症を克服したか、と調子にのっていたら、やはり甘かった。また3年くらい前から復活してしまった。
クシャミの快感はいいのだけど、鼻水には閉口する。かみすぎて鼻のまわりは赤くかさかさ、痛い。かんだばかりなのに、もうつ~っと鼻水が落ちそうになってくる。この時期、私の荷物はポケットティッシュの山(それもなるべくやわらかくて大きめのもの)、本当は箱を持って歩きたいくらい。そしてかんだティッシュを捨てるゴミ袋も持ち歩く。
今日からは又マスク美人復活だ。しかし、目のほうはどうやってガードしよう。いずれガスマスクみたいなのをかけて歩く日がくるのだろうか。

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2008年2月12日 (火)

あれから1年…太宰府

太宰府の梅がずいぶん開いてきた、とTVのニュースで見たのは昨日だったろうか、一昨日だったろうか。
ああ、去年の今頃も太宰府に行ったんだっけ、と飛び梅みたいに思いが飛んだ。あの時は、太宰府駅を出た途端、デジカメを落として壊した苦い思い出がある。でも、天満宮にもお参りできたし、博多の街もちょっとだけど歩くことができた。歌舞伎もたっぷり楽しんだ。
今年は日帰りという強行軍だ。年寄りの1年は赤ん坊の1年よりは速度が遅いだろうけれど、衰えは徐々に進行しているのだ、と実感する。来年もまた歌舞伎があったら博多に飛べるだろうか。あるいはこちらの老化進行のほうが迅速か…。
写真は我が家の梅。寒い寒いと人間は震えているが、梅はちゃんと春を予感させてくれる。
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2008年2月11日 (月)

落語の<吉弥>に惹かれる

先日の新聞(東京新聞29日夕刊)で、124日に行われた桂吉弥さんの落語会、「桂吉弥のお仕事です。」で演じられた「たちぎれ線香」がとてもよかったと評じられていた。「優美な色気とやわらかさに満ちていた」。後席の「風邪うどん」は「明るさ全開」「うどんを食べる仕草がしっかりしていて実にきれいだ」、と。桂吉弥といえば、「ちりとてちん」は徒然亭草若の一番弟子、草原である。
貫地谷しほりに惹かれて見始め、今では何となく惰性で見ている感もなくはない「ちりとて」だけど、それなりに面白いし、何よりほとんど知識のなかった上方落語に関心をもつようになった。
吉弥さんのことをまったく知らなかった当初、ドラマで落語を聞いていると、稽古場ではうまいのに上がり性で高座ではまったくダメという草原の吉弥さんが一番いいなあ(師匠よりもうまい)と素人ながらに感じていた。やがてこの人が本物の落語家さんであることを知り、私の見立ても満更ではないな、などとひそかにほくそ笑んだものである(落語はさほど、一朝一夕では芸にならないということか。もちろんそれは落語に限ったことではないが)。名前良し(私にとって吉弥といったら、まずは子供の頃好きだった今は亡き坂東吉弥、そして今は上村吉弥さん。好きな歌舞伎役者さんと同じ名前というのも、勝手ながら縁を感じる)、お顔良し、私の中で注目度はどんどんアップしていった。
とはいえ、芝居中心の生活、なかなか落語に目がいかなかったが、先の新聞記事で俄然、吉弥さんを聞きたい気持ちが燃え出した。HPで調べてみると、月に67回のペースで落語会やら寄席やらがある。だけど、やっぱり中心は西のほうで、東京でのご出演は数少ない。45日浅草、18日内幸町ホールというのが近々で聞けるチャンスである。ところが…5日は「風林火山」の初日。18日の週はけっこう色々入っているし、第一18日は19時からだから、むずかしいなあ。むむむ、どうしよう……。一般発売の3月末まで悩み続けそう。

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2008年2月 9日 (土)

気になるJRアナウンス再び

ここのところ珍しく山手線に乗る回数が多い。で、今日も駒込→田端間を乗ったんだけど、やっぱり英語アナウンスが風邪っぽい声だった。で、一緒に乗ってた友人に、「高田馬場に行くときは声が違ったから駒込が境目なのかねえ」と言ったら、ひどくバカにされてしまった。
すなわち、「内回りと外回りで違うんじゃないの? 駒込を境界にするって、なんてジコチューなんだ!!」って。
はは、確かに (^-^;。ジコチューは毎度のことでまったくその通りだし、第一その前に思い切りおバカな発言だったな。
今度、別の区間で乗って検証しよう。

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2008年2月 8日 (金)

たわごと

またちょっと仕事が立て込んできた。
1月の末に、預っていたすべての仕事を終え、何カ月かぶりの完全休暇。肩がすっと軽くなり、とりあえずは芝居がないからさあ映画を見まくるぞ~と、その第一弾として「ペルセポリス」を見たのであった。
ところが確かに肩は軽くなったのだが、そこがフリーのつらさ、このまま仕事が切れちゃったらどうしようとの不安がつきまとう。どうせ睡眠導入剤にしかならない仕事を持って電車に乗るくらいの忙しさがやはり安心できる。
結局翌日から又仕事が入ってきてほっとすると同時に、映画見まくりは延期となった。そうなってみると、それはそれでまた休暇がほしくなる。美術展にも行きたい。
しかし、仕事あっての芝居、映画、サッカー、美術展。要するに、身勝手、わがまま、贅沢なのである。しばらく芝居がないからしょうもないことばかり考える。

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2008年2月 7日 (木)

灯油と風邪

灯油がやたら高いのに我が家の灯油の減り方もやたら早い。
父の前で愚痴ったところで年寄りに灯油をケチらせるわけにはいかないし、そもそも、私の夜更かしが灯油の減りを早めているに違いない。そこで、ここのところなるべく私がケチケチでやってきた。
そうしたら、どうやら風邪をひいたみたいだ。考えてみたら、私だって十分年寄りだ。父と比べるから若いだけじゃん、ということに今頃ハタと気付いた。何とかならないかと考えをめぐらせていたところへ、今日、灯油の燃費をよくするというモノを見つけた。そんなものがあったらとっくにメーカーが開発してるわ、と息子に怒られたけれど、1000円もしないそんなモノが機能してくれて少ない灯油で暖まれると信じればよい。いや、結局また風邪をひくだけか。しばらくは様子見というところだ。

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2008年2月 6日 (水)

さらば恩師、ありがとう

昨日、高校の担任の告別式に参列した。心に染み入る良い式だった。弔辞が素晴らしかった。恩師に語りかける先輩の一言一言が胸を打ち、老若男女一様に目頭を拭う姿が目立った。私の中にも熱いものが込み上げ、とくに恩師の人柄が述べられたときには、まったくその通りだ、ああ師は誰に対してもそういうお人柄だったのだ、と実に感銘を受けた。
クラス会をサボりがちな私が最後に先生にお目にかかったのはもう5年ほど前になるだろうか。いつお会いしても担任だった当時の印象と変わらず、今年も年賀状をいただいたから、亡くなられるなんて想像もしていなかった。普段、いつもいつも思い出すわけではない師ではあるが、今軽い喪失感を覚え、どこかで私を支えていてくれたんだなとも感謝するし、と同時にこれで小中高すべての担任が他界したことになり、私もこの年になってやっと子供時代から脱皮したのかなあとも思う。
式の後クラスメート数人と食事をした。ミニミニクラス会である。前日のお通夜には私は出られなかったが、もっと大勢集まったそうで、それこそクラス会並みだったようだ。3年間同じ教室で過ごした仲間は懐かしい。1つの共通の思い出ですぐあの時代に戻れる。当時のニックネームで呼び合うのも気恥ずかしい年齢ではあるが、その名を口に出せば、ン十年の時はすぐに消える。消えはするが、そのいっぽうで時の重みも感じる。高校時代は学業成績の上下が重要になりがちで、出来が悪かった私は劣等感の塊であった。だが、今の私たちにはその後の人生をどう生きてきたかが現れている。みんないい生き方をしてきた顔をしていて、嬉しかった。私も堅実に人生を歩んできたという自負はある。みんなに負けないいい顔をしているといいなと思いながら、話がはずんだ。
そんな話の中ですっごくビッグなことを知った。なんと、某人気古典芸能関係者が我が校の後輩なんだそうだ。私としたことが、ち~っとも知らなんだ。まあ知ったからってどうということはないけれど、でも嬉しい情報は恩師のお導きのおかげだな、と再び先生に感謝したのであった。

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気になるJRアナウンス2題

めったに乗らないJRだけど、一昨日昨日と2日間続けて山手線に乗った。これまで乗るたび気になっていることが2つあったのだが、そのうちの1つが解決されたみたいで、それが逆にもっと気になって仕方ない。
その1英語アナウンスの女性、録音日に風邪ひいていなかった?(もし地声だったら本当に申し訳ない)ハスキーボイス好きの私としてはとてもステキな声だと思うのだけど、やっぱりあの声は風邪っぽく少し苦しそうに聞こえる。それがずっと気になっていたし、一昨日乗ったときもその声だった。
ところが、昨日は、違った。
普通にいわゆるアナウンス声になっていたのだ。
昨日から音盤を変えたのだろうか。それとも私が風邪っぽいと思う声はいつも田端-駒込間で聞くのだが、昨日は駒込-高田馬場間を乗ったから、ひょっとしたら区間によって声の主が違うのだろうか。
その2今度は日本語アナウンス。池袋駅に流れる「池袋」のアクセントがいっつも気になる。普通「いけぶくろ」と言うとき、「いけぶ」は同じ高さで「くろ」と下がるように思うのだけど(アクセントって難しい。口では言えるのに、文字にしたらわからなくなってきた)、駅のアナウンスは1度目は普通に言い、2度繰り返すときには全部の音を平板に言う。これがとても違和感を覚える。なんでそんなアクセントになったの? このアナウンスを聞くたびに、なんかムズムズする私である。

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2008年2月 5日 (火)

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今度は別の鉄塔。

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蜷川再び:7月コクーン

蜷川さんが又やってくれちゃう。5月の萬斎・菊之助コンビ「わが魂は輝く水なり」に続き、7月、同じくコクーンで「道元の冒険」をかけるそうだ。井上ひさし原作、出演は阿部寛、栗山千明(ここでも映像美少女の初舞台を仕掛けるんだな)、北村有起哉、横山めぐみ、高橋 洋、大石継太、片岡サチ、池谷のぶえ、神保共子、木場勝己他。
私としては蜷川×井上モノ、そして阿部ちゃん(あべっていう名前の人はどうしてみんなあべちゃんになっちゃうのかな)に高橋洋とくれば、見ないわけにはいかない。まいっちゃうなあ。
しかし蜷川さんのバイタリティーには本当に感服する。

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2008年2月 4日 (月)

貴重な一日限りのワラエティー:第26回俳優祭

録画だけしておいて後でゆっくり見るつもりだった、20年前(正確には19年前かな)の俳優祭。ちょっと気になって録画中の画面を出しちゃったのがマズイ。昨年運よくその場にいられた俳優祭の思い出が甦ってくるとともに、あまりの面白さに仕事そっちのけで見入ってしまった。歌舞伎チャンネルに加入している方は絶対お見逃しなく。以下ネタバレします。
まずは模擬店。團十郎さんはお寿司屋、八十助(現・三津五郎)さんはテレカ(今となっては懐かしいテレカよ)、猿之助さんがオークションの司会、福引は段四郎さん。雀右衛門さんのスナック、信二郎(錦之助)さんの水割り、我當さん・進之介さん親子の飴、秀太郎さんの蕎麦、みんな楽しそうにお店の主人を務めている。次のお芝居のプロローグに出演される役者さんはそのコスチュームをつけたまま汗だくでお店に立っていたが、勘九郎(勘三郎)さんはイヤリングをさかんに痛い痛いと言っておられた。私もイヤリングを長時間することはできないので、よくわかる。右近さんは歌江さんたちとバラエティーコーナー、顔を真っ黒く塗りサングラスをかけていたが、この後の芝居で真っ先に登場するのだ。よくメークが間に合ったものだ。
しかし20年という歳月は重い、とも思う。羽左衛門さん、宗十郎さん、亀鶴さん(初代)、菊蔵さんといった、今は亡き方たちのお顔も見える。最近お見かけしない藤十郎(澤村)さん、半四郎さんのお元気な姿が嬉しい。
何しろ、平成元年だからみ~んな若い。いや、若いを通り越してまだまだお子ちゃまなのがお馴染みの可愛い半ズボン姿の勘太郎・七之助クン。ハンカチ・千代紙売り場の亀寿さんは小学5年生。基本的に変わってないなあ。おでん屋、左近時代の松緑さんは中学生だろうか、こちらも今とほとんど同じお顔で初々しさが感じられる。
模擬店の総支配人は孝夫時代の仁左様♡♡。
さて、演し物は「歌舞伎ワラエティ~仏国宮殿薔薇譚(べるさいゆばらのよばなし)」。猿之助さん構成・演出のめっちゃ楽しい歌舞伎版ベルばらである。プロローグは小公子・右近さんの歌で始まる。後ろに小公女6人(信二郎、京妙、笑也他)を従え、気持ちよさそうに歌い踊る。アンドレ役でも登場する右近さん、さすがの美声だ。オスカルとのデュエットシーンでは乗りに乗って、しまいには演歌の血が騒ぐとかで、思い切りこぶしをきかせたりするから、私はけらけら笑い転げてしまった。
革命前のパーティーの夜、華やかな貴族の夫人たちがオペラ座に集まる。猿之助さんのエンデブ侯爵夫人(猿でぶっていう意味らしい)、勘九郎さんのカンクルウ公爵夫人のほか(この2人がうまいのよ、また!!)、女方といえば「身替坐禅」の奥方が定番といった感じの役者さんたちが、美しい女性ぶりを披露するのが珍しい。左団次さんのデカサダンジ公爵夫人、段四郎さんのダンシロフ侯爵夫人、弥十郎さんのヤジューノッポ伯爵夫人。宝塚風の化粧がよくお似合い。段四郎さんは、この日のために胸毛を剃ってきました、って、あら段四郎さん胸毛があったんだ。
エンデブ夫人がパートナーとして連れてきたのがオトワーヤ王子(菊五郎さん)。名古屋弁でカンクルウ夫人と遣り合って笑わせたかと思うと突然モードチェンジ、黙阿弥調で「晦日に月の出るパリも闇があるから覚えていろ」。これにはエンデブ夫人がさかんに「ブラボーブラボー」。
そこへ国王夫妻が登場し、ここからストーリーが展開する。

以下、主な配役(敬称略)。
オスカル:児太郎(福助)
アンドレ:右近
アラン:歌六
ベルナール:門之助(多分、先代)
フェルゼン:澤村宗十郎
ブイエ将軍:澤村藤十郎

マリー・アントワネット:雀右衛門
ルイ16世:團十郎

福助さんは歌舞伎会随一の宝塚通なんだそうだ。本当に宝塚の男役みたいでカッコいい(ちょっと、小林幸子入ってたけど)。宗十郎さんの芝居は直接見たことはないけれど、ユーモアたっぷりで、アドリブなのか台本どおりなのか、セリフを忘れて猿之助さんに教えてもらったりする遣り取りがあまりに可笑しく、ここでもあははは笑ってしまった。このフェルゼンにマリー・アントワネットもオスカルも恋心を抱くのだから、まったく~。
セリフを忘れるといえば、福助さんも忘れて右近さんに「君のセリフだよ」なんて言われて、そのすぐ後には右近さんが突然高笑いを始め「今度は僕が忘れてしまった。師匠にセリフがわからなくなったときは笑っていればいいと教わったんだ」って。涙が出るほど笑っちゃったよ。
マリー・アントワネットの雀右衛門さん、私が知っている雀右衛門さんはもう、ほとんど動きも少なく声も小さくなってからだが、20年前の雀右衛門さんの美しく軽やかなこと。真っ赤なドレスで踊るフラメンコみたいな踊りは見ものである。
團十郎さんはマリー・アントワネットをエスコートして花道から登場、セリフをいくつか言っただけで、あとは引っ込んでしまわれた。
意外といっては失礼だが、ステキだったのが歌六さん。アランもよかったけれど、宝塚男役的ショートヘア(ヘアバンドをしている)、赤いシャツ、黒いズボンでバラのタンゴを踊るフィナーレの歌六さんは、見栄えも素晴らしく、踊りも上手で、本当にカッコいい。思わず見とれてしまう。もっと見ていた~い。
西洋コスプレ、宝塚のパロディー(セリフや動きをオーバーに)、そこへ歌舞伎調のセリフや動きをミックスさせて、そのギャップがすごく可笑しいのに、違和感を感じない。猿之助さんの、お客様を楽しませる芝居を、という精神がたっぷり詰まった一夜のワラエティー(ネーミングもいいよね)、歌舞伎座で実際にご覧になった方が羨ましい。
んで、あまりに浮かれすぎて、豆まきするの忘れました。鬼がみんなうちに来ちゃったかな (^-^;。

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2008年2月 3日 (日)

ゆ・き

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雪の歌舞伎座、見てみたいです。でも、私は炬燵ならぬストーブの前で丸くなっている。

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アビニヨンのプリズンホテル?

プリズンホテルのチケット取りに翻弄された昨日の夜、ぼやっと夕刊(東京新聞)を眺めていた目に奇しくもこんな見出しが飛び込んできた。
「これがホントのプリズンホテル」
アビニヨンの法王庁の脇にあるサンタンヌ刑務所を高級ホテルにすることなどを条件に、フランス法務省が一般に売りに出したという記事である。といっても、売り出し期間は昨年11月末から1月23日で既に期限切れ。その間にコレという売却先は見つからなかったのだそうだ。そこで期間を延長するということだが、面積約7000m2のこの刑務所は、時価450万ユーロ、改造費用は最低4000万ユーロだとか。って、改造費用が時価の10倍近いのかよ~(そういうこと全然知らないけど、そんなものなのかしら)。
アビニヨンの法王庁といえば重厚・荘厳な雰囲気を想像するが、8年前の夏に私が行ったときは演劇祭の真っ最中で町中がお祭りムード。法王庁の前も神社仏閣の縁日的な賑わいで、興ざめしたものだが、ふうん、その傍に元刑務所の高級ホテルとは面白い。完成した暁には「これぞプリズンホテル」に泊まってみたいものだが、先立つものが、あるわけないっ。

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2008年2月 2日 (土)

大ぼけチケット取り

三越劇場「プリズンホテル」のチケット発売日の今日、もう何日も前からチェックして構えていたのに、大失敗こいてしまった。
Webでは座席は選べないと知っていたから、電話予約にしようと思ったが、なぜか出遅れてしまった。もう電話はつながるわけがない。そこでネット優先にする。三越劇場の公演サイトで希望の日時を選んで先へ進んだら、会員の方はどうたらこうたらという文が出てきた。その上に「新規会員登録」なんて文字が見える。うわっ、先に登録しておかなくちゃいけなかったんだ!! プチパニック状態の脳。
即刻ぴあに切替えたが、なっかなかつながらない。もう遅いけど、電話チャレンジもしてみた。もちろん、何度かけても話し中。ぴあは、ログインまでできてもその先が又つながらない。やっとうまくいったと思ったら、いくらなんでもその席はちょっと……。つい昨日までは、三越劇場は狭いから買えればどこでもいいや、なんて殊勝なことを考えていた私は、やっぱりチケットエゴである。えいっとばかり「やめる」を押した。
その後何度も挑戦をしたけど、日を変えても混雑状態は相変わらず。その間に宅急便がくるんだもの、余計焦ってしまう(宅急便のオジサンに恨みはまったくないです)。それでも運よく押さえた、と思うと、どういうわけか、さっきと同じ席。ぴあはそこしかもっていないのだろうか。
電話もかけたり切ったりを繰り返しながら、もう一度三越へいってみた。仕方ない、会員になるか。そう思って落ち着いて画面を見ると、な、な、なんと、会員はどうたらの後に、ちゃんと「会員でない方は」という文があるではないか!! あ~、私って、本当にそそっかしいというか、注意力がないというか、要するにバカなんである(--,)。
なんで気がつかなかったんだよ~。むざむざ15分も無駄にしてしまったじゃん~。ヘタしたらぴあよりもっと悪い席っていう可能性もあるよな~。でも、もうここは先へ進むしかない。名前、住所やら必要な入力事項がけっこうあって、ますます遅れる~。 アセリながらも、ついに申し込み完了。さあ、どんな席が送られてくるか、楽しみと怖さ、半々である。
ここで、一つ弁解しておくと、色々な劇場のサイトでチケットを買おうとすると、まず会員登録をしておかなくてはいけないことが多い。先日もシアター1010、世田谷パブリックシアターと続けて登録した(それだけを見たいという1公演のために登録するのは考え物なんだけど、やっぱり登録せずにはいられなかった)。だから、三越でも「会員」とか「新規登録」という文字で、そう思い込んでしまったのだ。なんと弁解しようと、やっぱりバカだな。けっこう落ち込んでいる私である。

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スカートを穿いた鉄塔(我ながら、なんと貧困な発想よ。でも、どうやって穿かせたんだろ)は、妙にデカく見える。

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2008年2月 1日 (金)

愚かさという悲劇:リア王

131日 「リア王」(彩の国さいたま芸術劇場昼の部)

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<リア王の思い出>
リア王にはちょっと思い入れがある。小学校の時、校内放送でリア王の放送劇をやったことがあるのだ。脚本選びやらキャスティングに参加し、さらに出演もしたような記憶がないでもないから、当時私は放送委員か何かをやっていたのかもしれない。その後、中学生向けの全集本で読み、さらに1986年には映画も見た(全然覚えていない)。
そんな思い入れにもかかわらず、リア王の物語に関する私の記憶はかなりいい加減なものであったことが、今回わかった。それは何かといえば、コーディリアが父親をどれだけ愛しているかリア王自身に問われ、心にもない美辞麗句で愛情を表現した姉2人とは違い、正直な心情を吐露する肝心要の場面。私はてっきり「お父様への愛情は、塩のかかっていないお肉のようなものですわ」とかいうような答えをしたと思っていた。そうしたら全然違うではないか。「子の義務として愛する」というのが答えであった。肉と塩の譬えがどこかで出てくるんじゃないかと待ち構えていたが、状況を見るとどう考えたってそんなセリフ出てくるわけがない。記憶違いだったかと、かなり消沈した(何十年もそう信じていたんだもの。塩のない肉とはなんだ、と怒って娘を追い出した父親は後日、実際に塩のかかっていない肉の味気なさを知り、娘の愛情を理解したという話は、いったいどこからもってきたのだろう…)。
<愚かな人間:善人組と悪人組>
さて、この「リヤ王」は、善良な人間たちが悪人どもの奸計によって破滅するという、救いようのない話である。悪人組は長女ゴネリル、次女リーガン、その夫コーンウォール公、そしてリヤ王の忠実な側近グロスター伯の庶子エドマンドであるが、こいつらのワルいこと。とくにリーガン夫婦に至っては残酷きわまりない。グロスター伯の目玉をくりぬいいてしまうという恐ろしさ。
その悪人組に翻弄される善人たち、リヤ王にしてもグロスター伯にしても、その嫡子エドガー(エドマンドの腹違いの兄)にしても、善人には違いないし実にみじめな境遇に墜ちるが、はっきり言っておバカである。リヤ王なんかゴネリルとリーガンの歯の浮くようなお世辞(領土を狙っての美辞麗句)を真に受けてしまうんだから。グロスターは妻以外の女といい思いをしてできてしまった子(と、友人のケント伯に自ら、そう言っている)に裏切られる。当時の道徳観念は知らないが、因果応報だおいう諦念が感じられた。エドガーはおバカといっては気の毒かもしれないけれど、やはりエドマンドの嘘に軽く乗せられる。コーディリアだけがとばっちりを食った感じである。
シェークスピアはなぜ、いとも簡単に悪意にだまされ、悲劇の結末を迎える人間を描きたがるのだろう。悪いヤツはなぜ、自分の主君、親兄弟を陥れようとするのだろう。ゴネリルとリーガンはなぜあんなにヒステリックに父親をいじめるのだろう。あの性格は遺伝子としてリヤ王ももっているものなのだろうか、それともリヤ王の奥方がもっていたものなのだろうか。
奸計を巡らせた当人にバチがあたるだけなら自業自得、見る側はそれを当然の報いとして受け止め、スッキリした気分になるだろう。しかし、シェークスピアの場合、奸計に陥った善人も破滅してしまうのである。マクベスしかり、オセローしかり、そしてこのリヤ王。愚かさの報いなのか。そこが、シェークスピア悲劇の悲劇たる所以なのかもしれない。
勝ち負けゲームとして考えたら、ゴネリルの夫、オールバニー公が最終勝者といったところだろうか。気が弱く魅力のない夫と妻から蔑まれるこの人は、物語の中でもほとんど目立たない存在なのだが、悪事が明るみに出る頃から俄然重要人物になってくるのが面白い(オールバニー公と、出奔する前のエドガーがメガネをかけていたのは何か意味があるのだろうか?)。
<出演者>
今回のキャストの目玉は、内山理名であろう。前回の「オセロー」の蒼井優に続く映画・テレビ系美少女の起用にはどういう意図があるのだろうか。正直なところ、内山理名には荷が重かったような気がする。セリフはほとんど聞き取れないし(声は届くのだが、何を喋っているかわからない)、演技もイマイチだ。何しろ、平幹二郎(リヤ王)、吉田鋼太郎(グロスター伯)、瑳川哲朗(ケント伯)、銀粉蝶(ゴネリル)といった錚々たる役者に囲まれているのだから、気の毒といえば気の毒には違いない。蒼井優には感じられた初々しさも、あまり見えなかったけれど、昂然とした美しさはよく表現されており、コーディリアって、こんな意志の強い、活発な女性だったんだっけと、初めて認識させられた。正しいと思った意見は曲げず、「なかなか言うじゃん」という感じ。また、戦陣で父を救おうと待機する馬上の姿はまるでジャンヌ・ダルク。ここはちょっと<引いて>しまった(別に内山理名のせいではない)。
意外だったのは、とよた真帆(リーガン)。残忍さをはらんだ姿も美しく、よく透る自然な発声で、セリフもはっきりしている。演技も、こんなにうまかったっけ、とびっくりした。
また池内博之(エドマンド)がなかなかの出来である。元々、あの眼光の鋭さはテレビの枠からはみ出すものであると思っていたが、立派なワルだ。でもその心情がきちんと伝わってきて、なんか<わかる>気がするのである。銀粉蝶を相手のラブシーンにはちょっとオドロキ。背が高くて、顔がすっごく小さくてカッコよかった。
ご贔屓、高橋洋(エドガー)は難しい役どころだったと思う。エドガーという人物は、同じ善人組でも、1人何となく摑みどころのない感じが私にはする。もしかしたらイヤゴーより演じにくかったのではないだろうか。しかし、狂気を装いながら盲目の父の手を引いて守る高橋サンのエドガーには、ずいぶん泣きました。
平幹二郎は、出だし、声がちょっと掠れていて苦しそうで、あれ風邪でもひいたかなと心配したが、どうやら大丈夫そうでほっとした。だんだんと理性を失い荒野をさまよい歩く老王の姿は、乞食のようでありながら重厚さを失わず、感動的である。
銀粉蝶の妖艶な悪女ぶりが楽しかった。常に体を少し後ろに反らせ気味に、顔をつんとあげ、誇り高さを表現している。もう、その立ち方だけで、このゴネリルという女の性格の一部がわかるというものだ。
そういえば、道化として山崎一が出ていたが、途中からいなくなっちゃったなあ。
<舞台>
歌舞伎テイストが今回もみられる。背景の大きな松は、松羽目物を思わせるし、左右に置かれた紅白の梅(かな?)も、オヤと目を引いた。また、後半、音楽に鼓と笛が使われ、あるいは全体として能を意識したのかもしれないが、私としては歌舞伎と考えたい。
物語が展開されるブリテンは、寒い。貴族たちがみんな、厚い毛皮のコートを着けていることから、それが知れる。その服装を見ただけで、冷たい風が吹き荒れるヒース(荒野)が目に浮かぶ(「嵐が丘」かっ)。しかし役者さんたちは汗だくだ。ごつごつとところどころ盛り上がる地面には実際に土が敷かれ、荒涼としたイメージがよりふくらむ。舞台の奥と手前、二重に設えられた大扉の開閉で場面転換を行う。このあたりはさすがニナガワといった巧さである。
カーテンコールは4回ほどだっただろうか。スタンディングオベーションもちらほら見られた。
第20弾となる次の彩の国シェイクスピア・シリーズは何がかかるだろうか。オセロー、リア王と続いたから、いっそ一気に四大悲劇をかけるか。それでは息が詰まるから喜劇だろうか、あるいは歴史劇? いずれにしても次が待たれることである。
怒涛の1月は、これでおしまい。
<上演時間>第1部90分、休憩20分、第2部110分

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