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2007年11月

2007年11月30日 (金)

チャーリーはチャーリーだ

1129日 「アルジャーノンに花束を」(本多劇場14時の部)

かの有名な下北沢本多劇場という所へ初めて足を運んだ。客席数400足らずというから小劇場には違いないのだけれど、もっと小ぢんまりした劇場を想像していた。ちょっと紀伊国屋サザンシアターに似てるかな。

さて、アルジャーノンだが、昨年2月に浦井健治主演のミュージカルで見て、浦井クンのあまりのピュアさに、ファンクラブに入会しかけた。ミュージカル好きの友人はすぐファンクラブに入ってしまったが、多分他の作品は見ないだろうなと自分を分析した私は何とか、CDの予約だけに思いとどまった。

その時以来、私の中で原作のチャールズ・ゴードンと浦井クンのチャールズ・ゴードンがあまりにも鮮烈に結びついてしまったため、今回の劇団昴のチャールズ(平田広明)は、初め、どうしても受け入れることができなかった。浦井クンのチャーリーはとにかくピュアで、透明感さえ漂う。一方の平田さんは失礼ながらおじさんっぽくて、私の中に出来上がっていたチャールズ像とは全然違う*。ミュージカルとストレートプレイの差もあるにはあったのかもしれないが、そんなわけで前半はイマイチだった。ただし、原作が秀逸なのと脚色・演出がいいので、退屈さはまったく感じなかった。

*奇しくも、先ほどたまたま聞いたラジオで、来年正月の12時間ドラマで吉宗を演じる中村雅俊が、<小説を読んだ人は主人公の像を自分の中に作り上げている。映像を見ると、はっきりと特定された人物像が現れる。すると読者は自分が作り上げた人物像と「違う」と思ったりするものだ(だから、中村雅俊の吉宗が「違って」も我慢してくださいね)>というようなことを言っていた。まったく私の状況と一緒だ、と可笑しくなってしまった。

閑話休題。

休憩を挟んだ後半、なぜだろう、平田さんのチャーリーが俄然存在感を増し、あんなに受け入れ難かったのにいつの間にか同化して涙さえ浮かべている自分にふと気がついた。今でも平田さんは私のチャーリー像とは遠いけれど、私がチャーリーに同化できたのは平田さんもまたイコールチャーリーになっていたからかもしれない。色々なチャーリーがいていいのだ、チャーリーはチャーリーなのだ。

チャーリーに対する他者の気持ちは残酷だ。彼の職場であるパン屋の連中がチャーリーを可愛がったのは、結局のところ、優越感をもてるという理由からなのだ。芝居ではその辺の残酷さが伝わってこなかったが、そこを掘り下げるのは難しいのかもしれない。偉くなってしまったチャーリーは彼らの敵になり、元のチャーリーに戻ったら再び受け入れられる。

両親や妹との関係はうまく整理していたように思う。チャーリーのトラウマとなっている家族との関係、複雑な心情が非常にわかりやすくまとめられていた。男の子って、母親が好きなんだなあ。というか、どんなに突き放されても母親に愛されたいのだ(母親に一番愛されたい子供を虐待する母親はどんな事情があれ、許せない)。

ところでアリス・キニアンはチャールズの何を愛したのだろうか。知能の低いチャールズには多分同情心を寄せ、高い知能を得た後は男性として愛し、だけど元に戻ったらもう愛さないと言った。私にはアリスの気持ちがわかるようでわからない。

チャーリーはいつ幸せだったんだろう。手術前パン屋で働いていたときだろうか、IQが高くなったときだろうか、それとも元に戻った今が幸せなんだろうか。いつでもいい、チャーリーが自分は幸せだと思える時間があったら、いいのだ。

チャーリーとアルジャーノンに花束を。

<上演時間>170分、休憩15分、第275

おまけ1後から席に着いた左隣のオッサンに2度足を踏まれた。コートも私の目の前でばさばさ脱ぎ、カバンもどさりと座席の下に置き、とにかく行動がダイナミック。座っても肘をぶつけてくるし、もう~っ。

おまけ2右隣の女性、芝居が始まって間もなく激しく咳き込んだ。こんな場で咳をしちゃいけないと焦り、咳をこらえようとするから余計咳き込み、苦しい。私もよくそういう咳の発作が起こるし、つい先日演舞場で経験したばかりで、よくわかる(「カリギュラ」でも1度起こった)。よほどのど飴をあげようかと思ったが、私の場合、のど飴の刺激で又咳き込むことがあるのでやめてしまった。その女性、休憩時間に「体調が悪いので帰りますから、この席あきます。こっちのほうが見やすいと思うので、よかったら移ってください」と私に声をかけてきた。突然のことでビックリしたが、有難くお受けして席を移った。通路際なのでたしかに有難い。右隣のオッサンも、ジャマな私がいなくなって喜んでいたみたい。

だけど、この女性はせっかく芝居を見に来たのに、本当にお気の毒であった。別れ際「お大事に」と声を掛けたが、その後体調は如何であろうか。早いご回復をお祈りしています。

ふと見回すと、マスクをかけて観劇している人(もちろん、マスク美人の私も)もちらほら見えて、世の中風邪が流行っているのだなあ、と実感した。

おまけ3平田さんと妹・ノーマ役の田村真紀さん(多分)に「結界師」から花束が来ていた。私は見ていないけれど娘のために録画をとる「結界師」で声をやってたんだあ、と1人盛り上がり。

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2007年11月29日 (木)

痛ましい暴君

1128日 「カリギュラ」(シアターコクーン14時の部)

凄まじい舞台だった。小栗旬クンの限りない才能を感じた。旬クンは「間違いの喜劇」で注目して、でもその後の「タイタス・アンドロニカス」は<>のイメージが強かったのでパスしてしまい、「お気に召すまま」はチケットが取れなかった。だから旬クンは久しぶりに舞台で見る。しかもこんなシリアスな芝居で。この難しいカリギュラという役をしっかり自分のものとしてこなしている旬クンのおかげで、<暴君>の一言では片付けられないカリギュラの心の裡がつかめるような気がした。

残酷で気まぐれな<暴君>カリギュラが、自分ではどうしようもない苦悩を抱えた純粋で無垢な青年に見えてくる。そう思わせるのは、原作の戯曲のせいだけでも、またその翻訳の力だけでもあるまい。蜷川の薫陶を受けた小栗旬という俳優の個性と演技力がそれを納得させるのだ(旬クンって姿形だけ見ていると、すっごく個性的ってわけでもないのに、だ)。見ていてこちらが苦しくなるほどのカリギュラの純粋さが痛ましい(だからって、その気まぐれの矛先がいつ自分に向けられるかと怯えなくてはならない周囲はたまったものではない。暴君の罪は罪である)。ふと、ふる~い歌詞を思い出した。「♪だ~れのせいでもありゃしない。みんなおいらが悪いのさ~」。って尾藤イサオが昔歌っていた「悲しき願い」だ。カリギュラもそう思っているんじゃないか、なんて…。ここでも生きるって大変なことだ。カリギュラの「欲しいものは月だ」ったけど、私が彼に与えたかったのは心からの笑いだな。

彩の国芸術劇場の演劇通信で、蜷川が旬クンのことを、トップでなくていいと思っているところがある、それが自分を苛立たせていたと言っている。役をつくるにはある角度が必要だが、旬クンはその角度のセンスがいいとも言っている。その角度ということを具体的に説明しろって言われたらできないけれど、でも蜷川の言ってることはわかる気がする。

小栗旬のほかに目立ってよかったと思う役者さんが4人いる。その4人の役は、立場は別としてカリギュラの心を本当に理解して、しかも愛していたと思われる人物だ。解放奴隷エリコン(横田栄司)、野性味と皮肉な知性に溢れている。カリギュラに対抗する立場にいながらおそらく心の中では意識しているとしていないにかかわらずカリギュラに共感を覚えているのではないかと思われるケレア(長谷川博巳)、これはもう冷静な知性だ。カリギュラに父親を殺されながらともに詩をくちずさんだりするシピオン(勝地涼)、すべてを受け入れる詩人。そしてカリギュラに無償の愛を捧げる美しくしたたかなセゾニア(若村麻由美)は、ぞっとするような残酷な美しさをもつ。4人とも自分の役が何たるかを摑んでいるように思った。

舞台は王宮の場面は「十二夜」と同じような鏡張り(蜷川サンは鏡好きだなあ)、そして観客がその鏡に映っているのも「十二夜」と同じ。天井からは色とりどりのネオン管が下がり、玉座の縁も、鏡の扉の縁もネオンで彩られている。古代ローマにネオン、思わずはっとさせられる面白い趣向だ。カリギュラの絶望の対極にあるような明るいネオン、だがネオン輝く夜の街にはさまざまな絶望が渦巻いているに違いない。そう考えると、カリギュラの狂気がネオンにピッタリな気がしてくる。

カリギュラは美の女神ヴィーナスに扮したつもりで悪趣味な衣裳で悪趣味な踊りを踊る。フェリーニの猥雑さほどではないが、舞台というコンパクトな世界にそれを思い起こさせるようなエネルギーを感じた。一つミーハー的ウォッチング。旬クン、ヌードに近い場面が多々あるのだが、胸板は薄すぎず厚すぎず、おなかの筋肉は割れ、脚もしっかりとした筋肉質で逞しい。清潔感があって、ヴィーナスの悪趣味な衣裳で、ま~るいお尻を見せても全然いやらしくない。

ところで、カミュの戯曲「カリギュラ」は知らなかった。実存主義はあまり肌に合わず、サルトルやボーヴォワールよりはとっつきやすいと思いながら、カミュは「異邦人」と「ペスト」くらいしか読んでいない。「カリギュラ」のセリフは詩のように美しくもあるが、難しい。旬クンのセリフが時として聞き取りづらいことがあったのは、その難解さのせいだろうか。原作の戯曲を読んでみたくなって探したが、アマゾンでも在庫切れだった。

今日の席は2階最前列だった。中2階よりさらに上が2階だから、どんな見え方になるのか危惧したが、意外にも舞台はよく見えた。ただ、最前列にはちょうど目の高さに手すりがあり、これをよけながら見るので疲れてしまった。少し座高を高くして手すりの上から見るのか、手すりの下の空間から覗くようにして見るのか。私は後半はほとんど下から覗いていた。観客は圧倒的に女性が多く(「ナツひとり」は男性の姿もかなり多かった)、これみんな旬クンファンなのかなあ。終演後、旬クンの写真集や雑誌がよく売れていた。

<上演時間>第185分、休憩20分、第295

おまけ1貴族たちがカリギュラとともに食事をする場面。テーブルクロスを敷いて、ナイフとフォークで食べていたけど、古代ローマにそんな食事習慣はなかったと思う。カリギュラと貴族たちの危うい関係の場面に、武器にもなりうるナイフとフォークを敢えて使ったのだろうか。

おまけ2立ち見客が中2階にも2階にもずらっと並んでいた。先週見に行った友人から、プログラムを買うのにあんなに並んだことはありません、とメールをもらったが、確かにずらりと並んでいた。ただ、私は他の芝居でも何度か並んでいるから。オリジナルTシャツが、デザインも可愛く、色も鮮やかなピンク、グリーン(?)、グレー、黒とかなり心惹かれたが、3500円だったので諦めた。だって、プログラムが1800円もしたんだもの。あと、東京公演限定バッグ2000円(110個限定)にも<限定>ということだけで興味をもったが、う~んということろ。

おまけ3売店で「カリギュラ」の原作本を探していたら、カミュの作品で「よそもの」というのを見つけた。そんな作品あったけっと、一瞬脳内活動を活発にした結果、「異邦人」の新訳であるとわかった。別にどんなタイトルだっていいんだけど、「異邦人」と「よそもの」では、ニュアンスが違うというか受けるイメージが違う。L’etrangerという原語から受けるイメージがフランス人にとって「異邦人」なのか「よそもの」なのか私にはわからないし、内容が「よそもの」というイメージに合致していれば何の問題もない(残念ながら、それを判断できるほど内容に詳しくない)。あるいは最初から「よそもの」であれば逆に「異邦人」という新訳タイトルが出たときに同じような違和感をもつのかもしれない。ま、ちょっと驚いただけ。きっと読みやすくなっていると思うから、今度、新訳で読み直してみようかしら。

で、「嘔吐」は「むかつき」、「星の王子さま」は「ちいさな王子」として新訳が出ている。「ちいさな王子」はともかく、「むかつき」ってタイトル見たって、おばさんには何の本だかすぐにはわからなかったゾ。

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2007年11月28日 (水)

風邪ひき美人

私は今、へへへ、マスク美人である。顔の半分以上が隠され、輪郭もシミもシワも見えない。

そして私は今、セクシーボイスである。ちょっとハナにかかったハスキーな声。

多分、明後日あたりには美人でもセクシーボイスでもなくなる予定。

追記:何年ぶりかでマスクを買ったら、今のマスクって使い捨てなんだ、とびっくり。それに、その大きさにもびっくり。おかげで美人になれる。

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2007年11月27日 (火)

食後の茶噺

父と2人の夕食。父は年齢のせいか、入れ歯のせいか、食べるのがと~っても遅い。先に食事を終えた私は、お茶を淹れてほ~っと飲んでいた。いつも自分がお茶を飲むときには父の湯呑みにもお茶を注いでおく。だけど、父はどういうわけか食事中には絶対お茶を飲まない。最近とみに嚥下能力が落ちてきた父は時々食べ物がうまく喉を通らなくて咳き込んだりもするのだから、お茶で流せばいいのに、と思うが、そうしない。

で、私がとっくにお茶を飲み終わってくつろいでいる頃、やっと父の食事が終わり(本人も「あ~、やっと食べ終わった。くたびれた」と言う。そりゃ1時間もかけてモグモグやってりゃ疲れもするわな、と思う)、父が湯呑みに手を出した。そして一口啜るなり、確認するようにこう言った。「これ、お茶じゃないね?」

「お茶だよ」。でも父は怪訝そうな顔をしている。父は耳が悪くて、私の言うことが聞こえないといつもそういう表情をして、私はだからそのたび、大きな声で何度か繰り返すことになる。今日も「お茶。お茶!!」と、ちょっとイラついた調子の大きな声になった。

「でも、これ入ってないよ」。怪訝そうな顔のまま父が差し出す急須を見ると、うわわわ~。ショック。確かにお茶っ葉が入っていないではないか!! きっつい声で「お茶!!」と断定してしまった私の立場は……ぁあ。カッコわるぅ~。

しかし私のショックは実は、大声でお茶と断定してバツが悪いことではない。ただの小湯をお茶だと思い込んでおいしく飲んでいたなんて!!! 年取った父に指摘されるまでそれに気付かなかったなんて!!! ああ、ガクッときました。

父に悪いことしちゃったなと思いながら、「ごめん」は口の中で小さくつぶやき、早速茶葉を入れてお茶を淹れなおした。自分も飲みなおしたそのお茶は、マジでひどく苦かった。

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2007年11月26日 (月)

大感動の「ナツひとり」

1126日 「ナツひとり」(新橋演舞場昼の部)

仲間由紀恵ちゃんが好きだから、その由紀恵ちゃんを最前列でしかも千穐楽に見たい、という思いだけで取ったチケット。少々風邪気味で迷ったけれど、最前列を空席にしたくなくて行った。行ってよかった。見なかったら損していた。とかくこの手の芝居は敬遠しがちな私は、由紀恵ちゃんじゃなかったら絶対見なかっただろうけど、実によくできた作品で、意外にも今年見たこういう演劇の中で一番よかったかもしれないと、大いに感動し興奮してしまった。

橋田壽賀子の原作もTVドラマ(「ハルとナツ」)も知らない。だから原作が優れているのか、脚色・演出のマキノノゾミがうまいのか、わからない。多分、両方とも良いのだろう。橋田ドラマはほとんど「おしん」しか見ていないが、それより後のドラマに漂う説教臭がキライで、この「ナツひとり」もそういうにおいが感じられたらイヤだなあと思っていた。ところが、そんな部分はまったくなく、何よりストーリーや登場人物の造型、心情がわかりやすく、入っていきやすい。とくに、人物の最初のセリフでその人の性格が摑めるというのはマキノノゾミの腕の見事さだろうか。以下、ストーリーをごくごく簡単に。

戦前の北海道での生活の厳しさに見切りをつけてブラジルに移民するナツの一家。だが、トラホームにかかっているとわかったナツは、入国拒否されるからと、出発直前、たった1人船を下ろされてしまう。昭和12年、ナツ12歳のことである。それまで一家が身を寄せていた父の兄のところに1人戻されたナツだが、伯父の家にも余裕はなく、伯母(沢田雅美)や従兄弟たちはナツを厄介者扱いして何かとつらくあたる。14歳になったある日、ナツは伯父の家を逃げ出し、行き倒れになったところを、北王牧場の場主、徳治(徳じい、宇津井健)に助けられ、そこで娘のように可愛がられながら一緒に暮らすことになる。

徳じいの死、戦争に引き裂かれた恋、2度の結婚、ダメ息子、事業の成功とともに失ったもの……第3部では賞味期限切れ問題まで生じる(<白い恋人>事件を思い出させるこの場面は原作にあるのかしら。「賞味期限切れ」というセリフに観客が反応して苦笑が起きていた)。

波乱万丈のナツの生涯を支えてきたのは、1人ナツを置いていってしまった家族への思いだった。ナツは姉のハルと手紙の遣り取りをする約束をしており、毎月手紙を出していた。だが、姉からは1通も手紙が来ない。やがてナツは、自分は家族から捨てられたのだと思うようになり、それをバネに事業を興し、拡大させていった。

だが、実は、姉はちゃんと手紙を出していたのである。その手紙は伯母が隠していたためにナツの手に渡らなかった。いっぽうでナツからの手紙もまた、父親の移民先が出発前に知らされていた所とは別の場所になってしまったため、姉に届かなかったのである。

由紀恵ちゃん好きとはいうものの、実際に見たドラマは「トリック」(TVも映画も)と「ごくせん1」だけ。初舞台の「スター誕生」は見そびれちゃったし、由紀恵ちゃんはどちらかというと映像向きかなと思っていた。ところが、どうしてどうして立派な舞台女優である。素直でのびのびとした演技の中にコメディエンヌとしての面目躍如たるユーモアを漂わせたかと思えば、そこはかとない哀しみ、苦しみがにじみ出る。由紀恵ちゃんの魅力の一つは、いじらしさだと私は思っているが、由紀恵ちゃんのナツは本当にいじらしい。年をとってからだって、いじらしい。由紀恵ちゃんが泣くたび、私も泣いた。

由紀恵ちゃんは14歳から76歳までの女性を演じたわけだが、さすがに老け役には無理がある。若すぎる。でも、ヘタにシワなど描いたりせずに髪の毛の色と口調、歩き方などで年齢を表現したのは正解だったと思う。70を過ぎたナツがハルを思って「おねえちゃん」と泣く場面や、最後にやっとハルと携帯電話で言葉を交わすことができた場面での顔の若さは12歳のナツと重なって、そのほうが違和感がないのだ。

この、ハルとナツの携帯による会話という方法は秀逸だ。ハルの声に森光子を充てたのであるが、森光子のハルが優しく温かく、ナツを大きく包むようで、ナツが船を下ろされたときから60年以上も張ってきた気が解け、自然に甘えるようになるのがよく理解できる。声だけでこれだけの感動を与えられるのは見事だと思った。

徳じいの宇津井健。TVのバラエティーなどで見ると「年とったなあ。舞台大丈夫か?」などと思ったものだが、まったく失礼しました。もちろん若い役ではないけれども、意外にも若々しく――今朝たまたま聞いたラジオで渡辺えり(えり子改め)が、「役者って、年をとるといろんなこと忘れちゃうけど、せりふだけは絶対覚えるのよ」と言っていたことを思い出した――、ナツの父親がわりとしての愛情と包容力に泣けた。きっと宇津井健は本当に由紀恵ちゃんを娘のように可愛がっているんだろうな(そういえば、「ごくせん」ではヤンクミのおじいちゃんだったっけ)。ドラマでの宇津井健って今まであまり見たことがないけれど、とてもいい味を出していた。

ナツの初恋の人、中内金太は生瀬勝久。へ~~、「トリック」でも「ごくセン」でも由紀恵ちゃんとぶつかる役という意味でいいコンビだった生瀬さんが恋人かあ。役者というのはたいしたものだ、TVだといっつも鼻をふくらませてへ~んな顔の生瀬さんが、とってもステキに見える。学生服も似合っていたし。生瀬さんって、「ロマンス」でもよかったし、舞台のほうがいい男に見える。でも、中内金太の人生って、何だったんだろう。戦争によって恋も酪農への夢もなくし、結婚もせずに(ナツをずっと愛していたのだ)最後は胃癌で死んでしまう。前半の剽軽真面目ぶりとはがらっと変わった戦後の複雑な心境を抱えた生瀬さんの演技にも泣けた。

ナツの2度の夫、川村勉(福士誠治)。あんなに好きだったナツと結婚したのに、だんだん心が離れていってしまう。福士誠治は、都会で大会社の副社長という地位にはそぐわない、自分の身丈にあった牛飼いの仕事のほうを愛する、そういう純朴な青年を好演。けん玉をするシーンがあるのだが、これが上手で、見事な技に客席から思わず拍手が。

ナツにつらくあたる伯母は沢田雅美。さすがにうまい。なんて意地悪なオバサンだと憎らしくは思うものの、やりきれない経済的な苦しさが心をすさませるのでもあろうと思い遣るほどの分別が私にもある。それでもやっぱりハルからの手紙を隠したのは憎らしい。60年もたってからナツに母の所業を詫びる、母親とは反対に優しい気持ちの娘(すなわちナツの従姉妹)として同じ沢田雅美が登場したのもうまい演出だと思った。母にかわり腰を低くして詫びるその同じ姿かたちを見れば、ああ、あのオバサンもつらかったんだな、と何となく許せてしまい、観客として後味の悪さが残らないのだ。

3時間の芝居のどこひとつとして飽きさせないストーリー展開(「おしん」パターンが似ている)に、役者さんたちの見事な演技。各部が終わり客席が明るくなるたびに、周囲はみんな目を赤くしている(泣いたまま明るくなると、ちょっと恥ずかしくて困るのよね)。2回のカーテンコールでは、熱烈なスタンディングオベーションが起こった。2回目には「仲間由紀恵初座長公演」との垂れ幕も降りてきて、さらに拍手は大きくなる。座席がやや上手寄りだったため、花道がよく見えなかったのと(花道を部屋に見立てている場面がけっこうあった)、カーテンコールの時由紀恵ちゃんが少し遠かったのが残念だったけど、私の目の前には生瀬さんがいた。この一座に私も大きな拍手を送った。

<上演時間>180分、休憩30分、第260分、休憩15分、第340
おまけ:2月歌舞伎座のチラシがあった。松本白鸚27回忌追善公演だそうだ。昼の部は「小野道風青柳硯」「車引」「積恋雪関扉」「仮名手本:祇園一力茶屋の場」、夜の部は「寿曽我対面」「口上」「熊谷陣屋」「春興鏡獅子」。幸四郎、吉右衛門、芝翫、富十郎、雀右衛門ほか錚々たる出演者。
今日の歌舞伎座

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2007年11月25日 (日)

仁左衛門で酒を飲む

071124nizaemon_2 祝勝会として予定していた昨夜の飲み会は、反省会となった。いつも同じ居酒屋ではつまらないからと、そうだ以前に満席で振られた仁左衛門にしようと、少し前に予約を入れておいた。ここはさいたま新都心駅にあるから、平日は新都心の勤め人の客で混むのではないだろうか。昨日は土曜日だから、したがって予約を入れるほど混んではいなかったようであった。

ほどよい大きさの個室に通され、そこは掘り炬燵式だから楽にくつろげる。しかしこの掘り炬燵はけっこう深くて、「脚が届かないでしょ」「うん、ぶらぶらさせてる」なんて冗談が出るほど(あくまでジョーク)。

以前に酒の品揃えが豊富だと聞いていたが、実際日本酒、焼酎の種類が多かった。あまり多くて、どれを選んでいいかわからない。で、まずはナマで乾杯してから、燗酒へ。利き酒比べといったようなメニューがあって、1合の酒を2種類選んで同時に(って変だな、<同時に交互に>、と言うべきか)味わい、比べることができる。このセットを2つ、4種類比べてみた。選んだのは、山形の「大山」、福井の「黒龍」、愛媛の「梅錦」、あとひとつは難しい名前で、しかもどの地方のものだったか忘れてしまった。

仲間に酒に詳しいのがいて(いつも一緒に飲んでいるのに昨日初めて知ったの)、吟醸と純米酒の違いのウンチクをさりげなく傾けていた。私などは、言われれば確かに香りも味も違うなあとわかるが、1人で飲んでいたら絶対わからない。吟醸ってフルーティなんだそうだ。利き酒比べもどきは1合酒を4人で飲むから、1人お猪口1杯。本当に味見程度だった。

日本酒は「三千盛」(私は体調を考えて遠慮)で打ち止め、その後サワー類(若くはない仲間たちもここで軽めの酒に移行)と、仁左衛門でなくてもいいような酒になってしまった。

料理で面白そうだったのは仁左衛門鍋。チゲ系と地酒ベースという2種類があって、私たちは珍しそうな地酒系を選んでみた。注文する前は、鍋で酔っ払っちゃうんじゃないかと心配したが、実際に食べる頃にはそんなことはすっかり忘れ、普通に平らげてしまった。あと、里芋の揚げ物が美味しかった。それを食べながら、仲間の1人が「そういえば昨日、里芋コロッケ作った」と言った。ジャガイモのかわりに里芋を使っただけのコロッケだが、粘り気があってとてもおいしかったそうだ。たしかに美味しそうだが、里芋は下拵えが面倒な気がする。ところが、煮物と違って皮ごと茹でてしまえばいい、すっと皮がむけて、全然苦労がなかったというのだ。そうか、それなら今度チャレンジしてみようか。

そんなこんなで、反省会はそれなりに盛り上がった。ただ私としては、もうちょっと体調のいいときに来て、ゆっくり日本酒を味わってみたかったな、とちょっと残念である。

それにしても、祝勝会に浦和でなく新都心の店を予約していたことが、レッズの優勝を先延ばしにした? なんておこがましいことは言わないけれど、敗戦の理由を何かつけたい我々は、そんな冗談を言い合って、仁左様とはまったく関係なさそうな<仁左衛門>での反省会を終えたのでした。

おまけ:新都心駅でJRに乗ろうとしたら足止めを食った。京浜東北線大宮駅で人身事故があったのだそうだ。隣接して走る宇都宮線・高崎線も止まっており、20分ほど待たされた。

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2007年11月24日 (土)

最終戦へ持ち越し

1124日 対鹿島戦(埼玉スタジアム、1404キックオフ、62,123人)→01敗戦

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負けちまいました。ゲームが始まったら、選手の動きがひどく悪くて、パスは通らないし、中盤は全然支配できないし、こりゃダメだと思った。勝てない、とは思ったけれど、負けるとは思わなかった。つまり、
00の引き分けかなと思っていたわけ。

レッズはイエロー2枚、鹿島はイエロー5枚(うち、1人が2枚もらってレッドとなり退場)、終了少し前にはレッド1枚(すなわち合計2枚)が出るというあまり後味のよろしくない試合で、相手は前半42分で10人になったのに、切り崩せず、それどころか1点取られてしまった。いつも言うようだけど、10人になった相手というのはなりふりかまわず必死で戦うから、11人のほうが有利とは決して言えないのだ。この試合もやっぱりそうだった。6万サポーターの声は今日は選手を動かすことはなかったなあ。なまじ久しぶりのゆるいスケジュールだったためにリズムをこわしたのかもしれない。

ただ、この試合、非常な収穫があった。ひとつは負傷退場の平川に代わった細貝モエちゃん(本当は萌と書いて<はじめ>クン)がとてもよかったこと。U22の代表選手として活躍できたことが大きな自信になったのだろう。モエちゃんは先発として十分使える。もうひとつは、伸二が復活したこと。後半28分、相馬との交代で入り、プレー時間は短かったけれど、流れがよくなり、またプレーも光っていた。ケガばかりして苦しんだ伸二だけど、痛みがないときの伸二はやっぱりタダモノじゃない、ってところが見える。

まあ、お楽しみは最終戦で、ということか。

そこで、試合終了後、東川口駅のローソンのチケット販売機に長い行列ができた。今日優勝を決めていれば消化試合になるはずだった最終戦の横浜スタジアム、対横浜FC戦のチケットを買うサポーターたちだ。私は翌日歌舞伎があるし、横浜は遠いので泣く泣くパスしたが、仲間たちは並んでチケットゲット。

まだまだレッズの優位は変わらないが、J2落ちが決まっている横浜FCをなめたら、絶対勝てはしない。真摯に試合に立ち向かって優勝をつかんでほしい。

おまけ:今朝起きたら、ちょっとのどがヤバイ感じがした。今日は外でサッカー観戦だし、優勝祝いで飲むし~。うがいと手洗いで乗り切ろうという決意はもろくも崩れ去り、ついに医者に行った。今のところ軽い風邪で、インフルエンザではなさそう(とりあえず熱はないから)。昨日買った濡れマスクをして試合会場に出かけた。今日の座席は思いっきりアウェー側で、マスクの陰からあげた叫び声は、鹿島の応援コールにかき消されそうだった。

試合開始前


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選手入場時のサポーター席。毎回どんなデザインになるのか、私たちも楽しみ。

   
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後半戦開始

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灯油の値段に目をむく

ここ1週間ほど気温の低さに、数日前ついに灯油ストーブを引っ張り出した。いけないとは言われているけれど、昨シーズンの灯油が1缶残っていたので当面はそれを使った。それがいつの間にか使い切っており、昨日灯油を買った。

18リッター1530!!!

ひゃああ。ガソリンスタンドの貼り紙に目をむいた。昨シーズンの終わり(ってことは、つまり今年の春先)は高くても1200円程度だった。それでもずいぶん上がったものだと嘆いていたのだ。それがわずか半年あまりで300円以上もの値上がり!!

我が家は灯油の消費量が多い。こうなると少し考えなくてはいけない。といって、鼻水すすりながら重ね着して寒さをしのぐのもわびしい(第一、手足の指先の冷えがつらい)。

それなら電気のほうが安いだろうか。しかし、灯油が「ぼっ」といって燃える瞬間の身も心もほっと暖まるあの安心感は電気では絶対得られない。

東京の寒さは痛いそうだ。北陸の知人がそう言った。パリの冬を何度も経験している娘がそう言った。乾燥がきついせいらしい。

電気の暖房は室温を上げても部屋を乾燥させる。やっぱり何とか他で節約して灯油で暖まりたいと思う。さて、何を節約するか…芝居の回数を減らせばいいではないか? むむむ・・・

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2007年11月23日 (金)

5時間楽しんだ昼の部

1122日 顔見世大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)

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いつもは律儀に昼の部→夜の部で見るのに、今月は昼の部が後になった。昨日会社では居眠りもせずしっかり仕事をして、夜は夜でサッカーのオリンピック予選なんか
TV観戦しちゃったから仕事にしわ寄せが来てそのまま夜も早寝できなかったので、今日は少し眠かった。そんなときの私の奥の手(そんな大げさなものではないか)はドリンク剤。これのおかげで、だいぶ睡魔を抑えることが出来たと思う。

0711222sanbaso_2 「種蒔三番叟」。孝太郎さんが、はっとするほど艶やかできれいだった。梅玉さんの踊りにはけっこう激しい動きや、足腰に負担がきそうな動きがあって大変だなあと思いながら、実は見るほうはそういうほうが面白いから、楽しく見せていただいた。しかも嫁入りの段になると、梅玉さんはお使い役になって、その装束をつける身振りをする。袴を穿いたりする踊りが珍しくて、とても面白かった。音楽もちょっと変わった音がしたりして興味深い。三番叟って、三番目に出てくる翁っていう意味だって、初めて知った。別バージョンで(って言うのかな、<操り>とか<舌出し>とか)いくつか見ていて、三番叟が能の「翁」からきているとか、五穀豊穣を祝うとかは聞いていたのだけれど、いつもイマイチ意味がわからないでいた。ああ、そういうことか、と納得。意外と単純なことでした。

0711223keisei_2 「傾城反魂香」。吉右衛門さんはうまいし、歌六さんの土佐将監が、厳しさの中にも情を見せていて、よかった。だいたい、この土佐将監は、又平やおとくにきついことを言う時にはもちろん存在が大いに目立つのだが、そのことにこの夫婦が嘆き悲しんでいる間というのは、客の目(っていっても私の目ということ。おこがましくも、客を代表してしまいました)は夫婦に向かっている。ところが、ふと土佐将監に視線をやると、そっと涙を拭いたり、心配そうな温かい目で2人を見つめているのだ。初めて見た彦三郎さんのときはそれに気付かず、冷たい師匠だなあなんて思っていたが、それは単に私の見方が単純過ぎただけのことだったようだ。吉之丞さんの土佐将監夫人もよく、緊迫した場面とほのぼのした場面がほどよく調和され、いい舞台だった。ただ、雰囲気としては、三越劇場で上演された澤瀉屋さんのほうが好き(あくまで好みです)。もう一つ、この場面だけでは、やはり雅楽之助の登場は唐突感がある。嵐のようにやってきて嵐のように去って行く。それも来たときは息も絶え絶え、介抱されたら元気百倍(ナンセンスつっこみです)…。歌昇さんがめちゃくちゃ元気で、おおこれなら悪人どもはやっつけられるな、と安心する。

0711224suo 「素襖落」。幸四郎さんは、4階席で見たときよりはずっと愛嬌を感じたが、やっぱり立派だなあ。そういう先入観というか意識をもって見るほうが悪いのかもしれない。左團次さんには、素襖の奪い合いを楽しんでやっているような茶目っ気を感じた。弥十郎さんはもちろん、左團次さんも幸四郎さんも体が大きいから、余計おかしみが増す。しかし、歌舞伎の時空を無視したシュールさにはまったく違和感を覚えることもなく、観客を納得させてしまう不思議な力にあらためて感動すら覚える。

0711225gorozo_2 「曽我綉侠御所染」。福助さんが可憐で綺麗で、哀しい女心が伝わってきた。福助さんは変な口の動きをしなければとってもいいと思う。今回は一瞬、あ、というところはあったが、あとはずっとそれを封印していた(と、勝手に想像しています)。孝太郎さんが実によかった。五郎蔵の主人の想い者であるという格と大きさ、優しさ、愛らしさをすべて兼ね備えていて、「種蒔三番叟」といい、昼の部の孝太郎さんは女方としての魅力を大いに発揮していた。

その孝太郎さんと同様、昼夜3演目に出演している左團次さん。星影土右衛門は手に入った役だから安心して見ていられる。私、この土右衛門っていう名前、どうも中途半端な気がして落ち着かない。なぜなら、土左衛門っていう名前がすぐ思い浮かんでしまって、そっちのほうが聞き慣れているし、おまけに字を見れば右と左の違いなのに発音すれば右のほうが1音足りなくて不安になる。土右衛門を土左衛門にしちゃあ怒られてしまうが、ついつい……。

閑話休題。仁左様の五郎蔵はカッコいいけど、皐月の女心をわかってやれない(わかったところで、200両は受け取らないだろうが)五郎蔵って案外おバカだなあ。愛する女が土右衛門なんかに靡いた理由をちょっと冷静になって考えてみろよ、って言いたくなる。はは、これもナンセンスつっこみです。

この芝居は両花道を使っていて、上手側に五郎蔵組、下手側に土右衛門組が並ぶ。土右衛門組はこの後も登場するが、五郎蔵組はここの渡り台詞だけ。権十郎、由次郎、男女蔵、松江、友右衛門という面々を豪華に使っている。

最後の場面に向かって土右衛門と逢州がやってくる花道、新造やらなにやら後から後から出てきて、ちょっと目を瞠った(多分、総勢16名だったように思う)。こういう演目は割と好き。

<上演時間>種蒔三番叟28分、幕間15分、傾城反魂香81分、幕間30分、素襖落50分、幕間25分、曽我綉侠御所染72

おまけ1合計1時間を超える幕間を挟んでの5時間は、考えてみれば長い。だけど、それぞれの演目は文学で言えばショートショート、短篇、中篇といった感じで程よく、またテイストもそれぞれ違うので、疲れを感じることはなかった。

おまけ2浅草の顔写真入りチラシをいただいてきた。

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2007年11月22日 (木)

歯医者で歌舞伎話

今治療を受けている歯医者さんと、ひょんなことから、私が歌舞伎好きだという話になった。

若い女医さんで、「一度見てみたいけど、むずかしいんじゃないかと思って」と言う。高いお金出したのに全然わからなくて詰まらなかったっていうのじゃもったいないからと、一幕見で見ようとしたことがあったそうだ。切符の買い方を聞いて、並びかけて、結局はやめて、歌舞伎座隣の有名なオムライスを食べて帰ってきたそうだ。

私は歌舞伎の魅力について熱弁をふるいたかったのだけど、治療中に口あいたまま、どうやって喋れというのだぁ。治療が終わったら終わったで次の患者さんがいるから、お喋りできないし。先生は一方的に喋り、帰りに、社交辞令かもしれないけど、「今度、面白いものがあったら教えてください」と言った。

初心者にはどんな演目がいいのだろう。無理に歌舞伎にはまってもらうつもりはない。ただ、「初めて見たけど、歌舞伎ってこんな面白かったの」と思ってもらいたい。

それには演目もだけど、本当は最初はいい席で見たほうがいいんじゃないかなと思うのだ。私自身は、子供の時に好きだったという素地はあったものの、大人になって初めて見た席が、前から5列目の15番という素晴らしい場所だった。役者さんの表情の動きはよくわかるし、汗まで見えるその迫力に感動した。4階で見るのも悪くはないけれど、初めてだからこそ、いい席を選ぶべきじゃないのかしら。って、気の弱い私は歯医者さんにそう強調できないだろうな。

しかし、歯科医師との関係というのは、おかしなものである。診察室で目と鼻の先で顔を突き合わせながら、こっちは相手の顔がわからない。なぜって、医師は大きなマスクで顔の半分以上を隠しているから。それに、たいがい治療は顔の横からあるいは後ろから行われる。正面からの治療でも、超ドアップで、目しか見えない。その辺ですれ違っても、絶対わかりっこない。実は、歌舞伎の話になったのも、医師が私を駅で見かけたということから始まったのだ。こっちは先生を見分けられないというのに……。

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2007年11月21日 (水)

つらいときは前向きに笑おう:円生と志ん生

1120日 「円生と志ん生」(紀伊国屋サザンシアター)

プログラムを見ると、井上ひさしがこんなことを書いている。辻萬長は楷書で演技をする、角野卓造は草書で演技をする。辻さんには草書でなければやれない部分も書く。角野さんには楷書の部分も仕込んでおく。ところで円生は楷書の人、志ん生は草書の人である。だけど、時には円生の楷書が崩れてぐにゃぐにゃになることもある、志ん生が楷書で通すこともある。

うまいことを言うと思った。私は多分、円生も志ん生も聞いたことがない。あるかもしれないけれど、覚えていない(志ん生は、よく物真似されていたから、何となく想像がつく)。だけど、井上ひさしが言うことは、そうなんだろうなあ、とすっと納得できる。辻さんは何度か舞台を見ているから、わかる。角野さんはTVドラマをあまり見ないからわからないけれど、そうなのかもしれないと思う。

「円生と志ん生」を見た後で、プログラムのこの文を読み、そして井上ひさしが充書きをする作家であると知り、辻さんと角野さんが円生と志ん生である必然性がわかった気がした。

国民服に身を包んだピアニストが登場する。ピアノの蓋を開けたから演奏するかと思いきや、隣の椅子に置いた風呂敷包みを解く。中から出てきたのは太鼓。ピアニストがピアノならぬ太鼓を叩くと、まずは円生が座布団をもって登場し、笑えるような泣けるような、人情ものの円生らしい枕を喋る。その後志ん生も同様に登場して、2人で大連に行き、そして帰れなくなってしまった事情が掛け合いで面白おかしく語られる。

というのがこの芝居の始まり。「円生と志ん生」という題名ながら、高座らしき場面はここだけである。

大連での2人を見ていると、生きていくって、大変だけど面白いんだなあ、面白いけど大変なんだなあ、と思う。人間って1人じゃ生きていけないんだなあとも思う。性格は正反対でも互いに尊敬し合っている2人のはちゃめちゃで逞しい生き方に大笑いしながら、その中に井上ひさしの日本語に対する思い、戦争に対する考えが強く込められているのを感じ、ちょっと厳粛な気持ちにもなる。

皮肉で面白かったのは修道院の場面。ボロをまとった志ん生のいい加減な言葉をイエス・キリストの降臨と勘違いする修道女たち。神による奇跡なんてあり得ないと思っている信心深い主任修道女。聖書しか知らない彼女たちに落語の面白さをわからせるあたりは、わざとらしさが感じられなくもないが、どん底の実人生には神への祈りよりも前向きの笑いのほうが効果があるという気になってくる(と言いながら、苦しいときの神頼みは、私もするが)。


今日の座席は最前列のど真ん中。それは切符がきた時点でわかっていたのだが、実際に座ったら「おおお!! ど真ん中じゃん!!」という感じ。役者さんたちの肌、汗、鼻の穴までよく見える。こまつ座をこんな前で見たのは初めてだ。辻さん、角野さん、4人の女優さんたちの大熱演をオペラグラスなしで間近に見られてラッキー。劇中歌もたくさんあって、辻さんの踊る足音が感じられ、嬉しい。カーテンコールで一生懸命拍手した。

<上演時間>185分、休憩15分、第260

おまけ1いつもは山のように渡されるチラシだが、今回は10枚程度で、しかも黄色いクリアケースに入っている!!

おまけ2プログラムには井上ひさし直筆の「円生と志ん生」年譜が付いている。作家のエネルギーを感じる。

おまけ3いつも「角野卓造」とからかわれるハリセンボンの近藤春菜。かわいそうと同情していたが、やっぱり角野卓造だ。いや、近藤春菜を改めて見ると全然違うし、けっこう可愛いなと思うのだけど、角野卓造を舞台で初めて見た瞬間、「近藤春菜じゃん」と心の中で叫んでしまった(ごめんなさい)。

おまけ4終演後、こぶ平、じゃなかった、正蔵とすれ違った。

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ああ、眠い~

眠い!!
本当は今日(正確には昨日だけど、現時点でまだ20日のつもり)、出社して仕事をしてほしいと言われたのだが、昼間「円生と志ん生」を見に行くことになっていたので断った(芝居を見に行くのは、もちろん会社には内緒。もっともうすうす知られているとは思うけど)。そうしたら、帰宅してから自宅で少しでもできないかというから、それなら大丈夫と引き受けた。宅配便で届いた仕事の分量はだいたい2時間程度のものだろうか。
夕食後、さあと仕事を開いたら、これがもうダメだ。眠くて眠くて、気が付くと、フローリングの床に転がっている。こりゃいかん、と再び仕事を始めるが、同じこと。入浴すれば目が覚めるかと、風呂に入ったが、今でも眠くて仕方ない。昨夜あまり寝ていないからなあ。その割には今日の昼間も寝なかったしなあ。ツケがまわってきたなあ。
この仕事を朝までに終えたら、明日こそ出社しなくてはいけない。それも朝イチで。そこまでは、居眠りを挟みながら何とかやれるかもしれないが、明日会社で寝てしまいそう。
向こうでは社員が風邪で発熱しながら頑張っているという。私は社員じゃないから、とは思いながらも、長年のお付き合いだし、頼られ、引き受けたのだから、真摯に取り組まなくてはいけない。ほっぺた叩きながら、これから2時間集中集中。
というわけで、「円生と志ん生」の感想は明日。

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2007年11月20日 (火)

ストの街

パリのストはもう1週間にもなるのだそうだ。多くの人が多大な迷惑を蒙り、さすがに「いい加減にしろ」とか「俺たちを働かせてくれ」とかいうデモがあったそうだ。働かせてくれっていうのは、つまり交通手段がないから職場に行かれないってこと。娘もストのとばっちりを受けている。バイト先へ行くのに、わずかに動いているバスを何十分も待つのだという。しかも気温は真冬並みに低い。金曜日の朝は3度という気温の中で50分待った、今日も疲れ切って帰ってきたところだ、とぼやいていた。

タクシーを使えばいいんじゃないの?と言ったら、とんでもないと猛反発をくらった。交通渋滞でどれだけ料金がかかるかわからない、と。何、交通ストで交通渋滞? と不思議がったら、自家用車の数も自転車の数も増えているからだそうだ。バスは渋滞を嫌がって、降りる人のいない停留所は、客が待っていようと無視して飛ばしていってしまうという。何十分も待ってやっと来たバスが止まってくれなかったら、泣きっ面に蜂だ。

日本でも昔は年中行事のようにストがあった。こんなこと言ったら、怒られちゃうけれど、学校は休みになるし、会社も適当に出勤すればいいから、ちょっと嬉しい面もあった。私は実は学校も近く、直接ストの影響は受けず、逆の影響、つまり休校という恩恵を受けたわけだ。会社も都営地下鉄で行かれるからストには関係なかった。関係ない分、ちゃんと出勤しなくてはいけなかったけれど、社員の数は少ないし、のんびり気分が味わえた。

それにしても、1週間もストが続くなんてことはあったかしら。パリの人たちの怒りのデモも、テキにとってはきっと、どこ吹く風。何しろ、世界最大のイベントといってもいいサッカーワールドカップ開催時、飛行機会社がストを強行しちゃったその国がフランスだから。1998年のことである。

追記:朝のニュースを見たら、ブロードウェイもストなんですと

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2007年11月19日 (月)

目指せ2連覇:おまけ篇

1118日 対清水エスパルス戦

おまけ1今日は微妙に席がバラバラで、仲間はみんなバックロアーなんだけど、少しずつ場所がずれていた。私はこんなサポーター席の近くで見たことはない、っていうくらいで、こういう席での1人での観戦は、初めは何となく声も出しにくく大人しく見ているのだが、結局は、きゃあきゃあ、わあわあ、いつものように叫んでいた。

おまけ2スタジアムにはビン・缶類は持ち込み禁止で、入り口の荷物検査でチェックされる(バッグに手を突っ込まれて検査されるのは、未だに気分がよくない)。しかしペットボトルは持ち込みOKだし、私はいずれにしても缶入りの飲み物は全部飲みきれないから、蓋のできるペットを途中で買う。試合の日、浦和美園駅の通常の改札口を出たところで開いている店は500mLがなんと100円である。ところが今日は乗った電車が増発分だったらしく、臨時ホームに到着した。改札も全然別なので、100円のペットボトルを買うことができなかった。そこでスタジアムへ歩く道の途中に出ていた屋台に寄り、ひょっとしてという淡い期待を持ちながら値段を訊くと150円だと言う。甘かった。値段を聞いた手前、いらないと言うこともできず、150円も出してしまったが、自動販売機にすればよかったなあ。今日はスタジアムまで歩いたから、バス代100円が浮いた。差し引き50円浮いたということにしておこう(セコイね)。

おまけ3スタジアムにいると、太陽の動き(地球の自転?)が実感できる。午後2時という時間帯はバックスタンドにはじりじりと太陽が照りつけ、「日焼け止め塗ってきて正解」。いや、それどころではない。まぶしくてまぶしくて、アウェイ側でのプレーは目の上に庇をつくらないと全然見えない。ところが後半戦に入ったとたん、太陽はスタジアム屋根の後ろに隠れ、見やすくはなったものの、急激に気温が下がる。みんな慌てて、コートやダウンを着込み出す。私もコート、ひざ掛け、手袋と万全の支度が役に立った。

影で見る時間経過:1414

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1546

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目指せ2連覇:観戦篇

0711181vssimizu_2 1118日 対清水エスパルス戦(埼玉スタジアム、1402キックオフ、56,368人)→00引き分け

厳しい日程の中、疲労のために動きが悪く、攻めが遅い(パスを受けても、どこに出そうかと考えている場面が多かった)から相手の守りも固められ無得点に終わったが、負けなかったということは評価されるべきだろう。欲張りな私は、本当は、こういう時にこそ勝て!! と言いたいのだけど。

0711182vssimizu 0711183vssimizu
前半
10分という早い時間、青くなる出来事があった。啓太が負傷したのだ(後でTVで見たらずいぶん出血していた。10針も縫ったのだそうだ!! それでもその後頭に包帯を巻いてベンチに現れ、しまいには立って試合を見ていたから、安堵した)。17分、内館と交代。その内館が頑張っていた。後半、立ち上がり歓喜の声を上げたシュートは、実はサイドネットだった。鋭い、いいシュートだっただけに、わずかなコースのズレが惜しまれる。

前半はポンテが全然機能していないように思ったが(ポンテはどこにいるの~?と何度も探してしまった)、後半はいつもの活躍がみられて安心した。

0711184vssimizu_2 ピンチは何回もあったが、最大のピンチはロスタイム直前(だったと思うけれど、記憶に自信なし。他の情報では後半44分と)。フェルナンジーニョ(これも他の情報から)の突破に悲鳴をあげたその時、都築がしっかりと地に飛び込み、ボールを抱えこんだ。時間帯といい、これを決められていたら、大変なことになっていた。選手11人の気持ち、そして56000サポーターの気持ちがこの瞬間に集結したんだと思う。まあ、相手もあわやオウンゴールという、こちらにとってはおいしいピンチがあったけれどね。

試合後の監督コメントで、オジェックはスケジュールが厳しく、選手が疲労している中で素晴らしいパフォーマンスだったと選手を絶賛している。まったくその通りだ。だけど、スケジュールだ疲労だというなら、なぜ途中交代をしないのだろう。大体が選手交代をあまりしないし、しても遅い時間帯が多いのだが、今日は啓太の負傷で代えた内館だけだ。優勝のかかった大事な試合に出せるような信用が控えの選手に対してないのだろうか。元気で、多分やる気も満々な選手より、疲れ切っていてもレギュラーの選手のほうが間違いないのか。私のような素人は、元気な若手を使ってみればいいのに、と不満がないでもないが、選手をよく把握している監督が出さないところを見ると、結局はそういうことなのだろう。

まあ、いずれにしても、3位浮上を狙うエスパルスを相手に、よく頑張ったと思うから、気分は全然悪くなかった(試合後のエスパルス長谷川健太監督のコメントも気持ちがいい→レッズHP参照。逆の立場なら、私もそう思う)。

24日はいよいよ2位鹿島との直接対決だ!! 

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2007年11月18日 (日)

道すがら

暖かくても秋だなあと思う道すがら。
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ななかまど? 理科系弱いからわからない。秋の赤い実というと、言葉の上で、すぐにななかまどと思ってしまう。
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柑橘系であることは間違いない・・・
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秋には直接関係ないけど、最近ほとんど見かけなくなった懐かしの鉄条網

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2007年11月17日 (土)

新鮮歌舞伎

0711165oiri 1116日 吉例顔見世大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

ひさ~しぶりに、舞台間近で歌舞伎を見た。役者さんとの距離がすっごく近くて、とても新鮮な感じがした。しかも、役者さんがみ~んなみ~んな若く見えた(^^)。なんだかドキドキしてしまいました。

0711161miyajima 「宮島のだんまり」。錦之助さんがとても素敵で、思わずときめいてしまった。一緒に登場した歌昇さんももちろん素敵。むふふとお二人の顔を眺めていたら、あらら次から次と素敵な方たちが大勢現れて、あ、歌江さんだ、あ、弥十さんだ、あ、亀寿さんだ、あ、萬次郎さんだ、あ、松江さんだ、あ、桂三さんだ、あ、高麗蔵さんだ、あ、芝のぶさんだ(かわい~い)、あ、團蔵さんだ、そして、あ、歌六さんだ、ってしつこいけど、配役を見ないでいたから、いちいち「あ」って言ってしまうのだ。この大勢があっちへこっちへ互いに探りあいながら動き回る。何となくうろうろとウォーキングショー的な感じでつかみどころのない気もしたが、これだけの役者さんが揃ったのだから、それだけで楽しい。もうどこの誰を見ていいのやら、私の目はあっちへ飛びこっちへ戻り、脳は軽い興奮状態。そこへ、最初に錦之助・歌昇さんと出てきた傾城の福助さんが、「実は」ってんで盗賊姿で再び現れる。おおお、意外に凄みがあるじゃないの。最後の引っ込みは、珍しい福助さんの六方。それも花魁歩きと六方が一緒になった面白い形。

栄津三郎さんの大薩摩の三味線は、以前に比べて力強さがなかったように思うが、私の耳のせいかな、気のせいかな。

ともかく、顔見世らしい、華やかで楽しいだんまりだった。

0711162kanadehon 「山科閑居」。私、何を勘違いしていたのか、今年の歌舞伎フォーラムで見た「大石妻子別れ」と「山科閑居」がごっちゃになっていた。だから一度見たつもりでいたら、全然話の筋が違っていて、あれれ~? 帰宅してから確認したら、そういうわけでした(恥)。

菊ちゃんの小浪が可憐でいじらしくて、泣けてしまった。芝翫さんの戸無瀬は娘・小浪の力弥(大星由良之助の息子)に対する思いを何とか叶えてやりたいと必死になる。この戸無瀬、加古川本蔵の後妻であって、すなわち小浪とはなさぬ仲。小浪と力弥との縁談をまとめないと、継子だからおろそかにしていると夫に思われてしまう。それが嫌さに小浪の願いを叶えたいという部分もあるのだそうだ。だけど芝翫さんの戸無瀬には、そんな自分の利益を考えるようなところは感じられず、一途な小浪の幸せを本当に願う母の思いと夫への愛が溢れていた。小浪も父に教わった花嫁としての心得をしっかり身に付けていて、この一家の情愛に、又々泣けた。由良之助妻お石の魁春さん、いやに意地悪だなあと思っていたら、なるほどわけがあったのね(経緯は長くなるので省略)。ただ、それにしても少し情が薄いような気がした。

さて、加古川本蔵は幸四郎さん、そして大星由良之助はやっぱりこの人、と言うべき吉右衛門さん。今年の秀山祭では実現しなかった兄弟共演がみられるのも顔見世の魅力だろうか。幸四郎さんがとてもよかった。主人を思う家老としての役目、塩冶判官の思いを留めてしまった後悔、武士として筋を通す本蔵の気持ちが、よく伝わってきて、ここでも泣いてしまった。

だけど、ここでまたナンセンスつっこみ。本蔵は槍で脇腹を突かれて死にかけているのに、平気で喋らせたり、平気で放ったらかして大星親子は吉良邸襲撃の作戦を練ったり(由良之助が本蔵の胴体を傷口より上で白い布でしばり、多分血止めをする。用件が終わると、この布を一気に解き、多分その瞬間に再び激しく出血するのではないか)。本蔵が可哀想じゃないの。とまあ、歌舞伎ではよくあることです。それにしても小浪も哀れ。思いを遂げて力弥と一緒になれたのに、たった一晩で別れなくてはならないのだから。

忠臣蔵っていう物語は、本懐を遂げるまでに悲しい物語が多すぎる。そこが日本人好みなんだろうな。

0711163tutigumo_2 「土蜘」。去年の10月末、NHK古典芸能鑑賞会で、同じ菊五郎さんで見てから、もう1年以上たったのか。左團次さんの平井保昌が現れたとき、一瞬、あれ「素襖落」だったっけなんてことが脳を過ぎって、さっきの「山科閑居」といい、自分のボケ加減を自分で突っ込む。でも、同じ左團次さんの松羽目の舞台だったから…。

源頼光は今回は富十郎さん。太刀持ちに愛息鷹之資クンを引き連れて登場する。鷹之資クン、広隆寺の聖徳太子像(もう何十年も前になるが、この像を目にした途端、震えるような感動を覚えた)のようなお顔で、演技も実にしっかりしていた(多分後見は京蔵さんだと思うのだけど、とても心配そうに注意深く鷹之資クンをみつめていたのが印象的だった)。菊ちゃんの胡蝶の衣裳は「船弁慶」の静に似ているなあと思ったら、やはり同じ拵えらしい。菊五郎さんの僧・智籌は凄みと怪しさが漂っていて怖かった。二畳台で見せる畜生口の見得(数珠を口にあてて、口をカッと開く)は上手側で行われ、私の席からは幾分見えにくかったのがちょっと残念。

さて、菊五郎さんが引っ込んで、間狂言。これがまた、なんと豪華なことに、仁左様と梅玉さんの番卒!! そこへもう1人番卒の東蔵さんと巫女の芝雀さんが加わり、楽しい楽しい踊りに私の頬は緩みっぱなし。仁左様は表情をつけて踊り、それが可愛らしくって。梅玉さんはすまし顔でかる~く踊るから、思わずニヤリとしたくなる。東蔵さんのこういう踊りのうまさは言うまでもない。石神様、誰かと楽しみにしていたら、玉太郎クンだった。可愛いこと可愛いこと。鷹之資クンといい、玉太郎クンといい、その成長ぶりには驚かされる。

楽しい間狂言が終わると、いよいよ土蜘が現れる。二畳台が舞台中央に運ばれ、その上に土蜘の精が棲む古墳が乗せられるのだが、この二畳台がとても重そう。蜘の精が投げる糸の始末も大変そうだった。けっこう役者さんに絡んでしまって、後見さんたちが隙を見ては取り払う。とくに頭に絡まった糸は、鉢巻(?)が取れないように注意深く取っていた。

前回見てから1年たっているせいか、忘れている部分も多々あり、非常に面白く見ることができた。

0711164kitisa 「三人吉三巴白浪」。う~ん、孝太郎さんはやっぱり芯から女方なんじゃないかしら。男に戻ったお嬢吉三はどうもピンとこなかった。染五郎さんのお坊吉三もカッコよかったが、中で一番江戸の粋を感じたのは松緑さんの和尚吉三。スパッと竹を割ったような、という言葉がピッタリな気がする。孝太郎さんは上方だから別として、同じ江戸の役者さんでも、江戸っ子ぶりがそれぞれ違うんだなあと思った。

最後に二つ付け加えておくと、辰巳さんの花道でのトンボ、お見事。そして左字郎さんは動きがとても綺麗。当然ながら踊りの上手さに通じるものがあるのだろう。

<上演時間>「宮島のだんまり」23分、幕間15分、「山科閑居」94分、幕間30分、「土蜘」77分、幕間10分、「三人吉三」25

おまけ:1月公演のチラシがあったが、帰宅したら歌舞伎美人で配信されていた。幸四郎さんの「魚屋宗五郎」かぁ……。

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2007年11月16日 (金)

オシム・ショック

歌舞伎の幕間にメールチェックをしたら、息子から17:04、「オシム脳梗塞で倒れる、だって」と入っていた。
一瞬、息が止まるほどのショックを受けた。詳しいことは歌舞伎が終わって自宅に帰らなければわからない。だけど、川淵は涙ながらにオシムの病状について語ったことは帰路、知った。

選手たちもショックだろうな。レッズではとくに、オシムの秘蔵っ子阿部ちゃんがどんな思いでいるだろう。
私はオシムが好きだ。あの大きな体をICUのベッドに横たえ、病と闘っているのかと思うと、涙が出る。今はただ、無事に回復してくれることを祈るのみ。

ストレスは本当に肉体にダメージを与える。私も時々ストレスで精神がぐ~っと沈み、体が重くなることがある。それを救ってくれているのが、何度も書くようだが、歌舞伎だ。今日も、オシム・ショックをしばし忘れさせてくれたのは、歌舞伎であった。その感想は後ほど。

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お売りできないんです

コンビニで昼食を買った。
適当にいくつか食品をカゴに入れ、レジに持っていくと、ある食品をレジが読み取らない。店員さんが調べ、賞味期限切れだという。「別にかまいませんよ」と言ってそのまま受け取ろうとしたのに、「すみません、お売りできないんです」。
たしかにコンビニの立場からすれば、売ることが出来ないのはわかる(責任取れないから、ってことでしょ)。でも、どうせうちの冷蔵庫にはそんな食品がいくつも入っている。だから自己責任でいただきますよ、と言っているのに、なんか、もやもやしたままそれは買わずに(買えずに)帰宅した。
何年か前に見たテレビで、ファーストフード店では時間単位で期限切れのものを捨てていると知り、割り切れない思いがしたが、今でもそうしているのだろうか。期限の書き換えで問題になっている企業に、「そりゃひどい」と言い切れないのは、こんなもやもやが長い間消えずにいるからか(消費者をだますのは言語道断だけど)。

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2007年11月15日 (木)

おめでとう、レッズ

スタジアム前

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この旗、この赤い光景、鬨の声、私はいつも戦国の合戦を思い浮かべる。

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後半戦の開始。

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あと10分。

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表彰式。歓喜の紙吹雪が打ち上げられる。

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スタジアムにはいち早くこんな垂れ幕が。
 

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浦和美園駅もレッズ一色。客は浦和の町へと急ぐ。私たちも赤ワインで祝杯を挙げた。着いたとたんにラストオーダーだった (^^;。

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浦和駅前。

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浦和駅。

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昨日の私の応援スタイル。リバーシブルのコートをバーゲンで買い(^^)、昨日初めて着て行った。家を出るときは黒で、美園駅に着いたら赤に。

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ありがとう、レッズ。次は世界だ!

07111401aclfinal 1115日 対セパハン戦(埼玉スタジアム、1924キックオフ、59,034人)

6万人がひとつになった力って、本当にスゴイと思った。

まずは、アウェイで11という点数、これが大きかった。もちろん、1点返されなければ、それに越したことはなかったが、そうすると圧倒的07111402aclfinal 有利さに案外油断していたかもしれない。11というのはレッズにとって絶妙な成績であったと言えるような気がする(イランまで応援に行ったサポーターたち、そして空港に取り残されてしまったサポーターたち、遅ればせながら、本当にお疲れ様、そしてありがとう)。

昨夜、ホームで迎えた強豪セパハン。危ない場面になると、私はただただ絶叫して、声の力でボールを入れまいとした。「攻めろ攻めろ、攻め続けろ」と叫んだ(サッカーでは、攻撃は最大の防御なり、だ、と思う)。私も6万の1人であることを実感しながら。

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なぜ、レッズを好きなのだろう。同じ埼玉のチームでありながら、なぜ大宮ではないのだろう。埼玉に暮らすようになってからのほうが長くなりながら未だ東京の人間であるという意識を持っている私なのに、なぜ
FC東京ではないのだろう。自分でもわからない。Jリーグ開幕の記念すべき初戦を見て以来、面白くない試合だってたくさんあった。腹が立って仕方ないことだって何度もあった。J2に落ちたとき、シーズンシートを手放した。でも、ホームの試合はほとんど全部スタジアムに足を運んでいる。何に引き寄せられるのだろう。

次はクラブチームワールドカップだ!! 多分、セパハンともう一度対戦することになるだろう。そこを突破すれば、ミランが待っている。きゃあどうしよう~。

オジェック監督。選手起用には不満もあるし、サッカーの内容にも満足しているわけではない。しかし少なくともアジアのチャンピオンに導いたという実績は動かしようのないものである。大好きな監督だっただけに、一時はかなりオジェックに反発した私だが、今は名監督なのかもしれないな、という気になっている。

そして選手たち、厳しいスケジュール、厳しい試合内容で疲労がたまっている中で私たちにこんな喜びを与えてくれて、ありがとう!! 鈴木啓太、危ないシーンにはいつも啓太が飛び出してきて助けてくれる。阿部勇樹、アジアで一番大きな試合に大事な2点目を決めて、勝利に確実性を与えてくれた。ポンテ、今年はその巧さにすっかりポンテびいきになった。外人に特有の瞬間湯沸かし器的なアツさのないポンテがいなかったら、こんなに勝てただろうか(顔はブラピにちょっと似ていると思うのだけど、ほめすぎ?)。

後半わずか数分だったけれど、岡野がピッチに立ったときは涙が出そうなほど嬉しかった(オジェック、もっと早く出してくれ~)。ケガで試合に出られなかった山田が表彰式で、選手たちに囲まれて、トロフィーを渡されたときには、山田の人望を思い、これまた涙が出る思いだった(山田はね、昔はマイクを向けられてもなんにも喋れなかったのだ。多分テレ屋さんなんだと思う。それが今は立派なキャプテンなんだもの)。そして、1点目を見事に決めた永井。この1点の大きさは言うまでもあるまい。岡野、山田、永井、私が今よりずっとレッズに夢中になっていた時代からいる選手だ。やっぱりこの3人プラス伸二に対する思い入れは格別なものがある(私って、コンサバだな)。やはりケガで出られなかった伸二の笑顔を見たら、メロメロな私です。

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2007年11月14日 (水)

ペットで自衛

外出して、いつもイヤだな~と思うことがある。それは、他人の咳を浴びること。私が神経質になるのは、自分が風邪をひいたら父にすぐ感染しちゃうから。電車の中で痰のからんだ咳、あるいは乾いた咳を堂々とされると、瞬間、思わず呼吸を止める。そんなこと気休めにもならないことはわかっている。何十秒も止めていられないんだから、呼吸を再開したときにはウイルス、細菌うようよの空気を羽目になる。

マスクで防げばいいのかもしれないが、自衛策としてのマスクは鬱陶しい。時にハンカチを口に当てたりもするものの、これもいつの間にか手を下ろしてしまっている。

外ではなかなかうがいができない。トイレの水はどうしても抵抗がある(平気で手を洗うくせに、どうして口の中に入れられないんだろう)。

071114petbottle_3 そうだ、ミネラルウォーターだ。そう思いついて、昨日小さなペットボトルを買った。久しぶりに出社した先のトイレでミネラルウォーターを口に含み、がらがらやったときの気持ちよさ。

でも、これ、たとえば歌舞伎座のトイレの行列の前でできるかなあ。そっとやれば大丈夫かな。

ところで、お茶のカテキンは何にでも効きそうだけど、水とお茶ではどちらが効果的なのだろう。

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2007年11月12日 (月)

歌舞伎衣裳展

今月27日(火)から来月3日(月)まで、銀座三越で、「歌舞伎衣裳展」が開かれるようだ。三越の衣裳展は、去年日本橋本店で、今年はパリでも行われたが、今度は銀座店での開催になる。
チラシを見ると、「三越所蔵の代表的な歌舞伎衣裳9点」を鑑賞できるとある。規模はかなり小さそうだが、豪華な衣裳を目の当たりにできるチャンスだから、歌舞伎の前後にでも見てみたいと思う(去年の展示と重なっているかもしれないけれど、もう一度見たっていいじゃない)。しかしそういう意味では日程がなんとも半端だ。11月の歌舞伎は2日前の25日に千穐楽を迎えているし、12月の初日は2日で、ぎりぎりセーフ(最終日の3日は午後5時閉場)。
なかなかわざわざは行かれないから、初日狙いで見てこようかなと思っている。

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2007年11月11日 (日)

介助の功:一幕見

1111日 「素襖落」(歌舞伎座一幕見)

母の状態も落ち着き、今日は父を介助。父がある会合に出席するため、付き添いで銀座へ出たのだ。私が昨日松山に飛んでいたら、息子が介助する予定であった。

父の会合の間、私は時間があく。昨日、歌舞伎の一幕見はないかと検索したら、ちょうどピッタリの時間帯で「素襖落」があるではないか! 苦手な幸四郎さんだけれど、もう歌舞伎を見たくて仕方なかった私には「そんなの関係ない!!

で、父を会場に送り届けて幕見の列に並ぶ。思った以上に列が長く(日曜日だった、今日は)、立ち見を覚悟したが、4階で入り口から遠い上手側のドアを狙って行くと、思惑通り、まだ席が空いていました♪

あああ、やっぱり歌舞伎はいいわああ。定式幕を見ただけで、居心地のよい安心感と、これからの期待の籠った興奮とで、独りにたついてしまいそう。

左團次さんの声は元々くぐもりがちだけど、前半は4階ではやや聞き取りづらかった。というのも、3階席で遅刻して入ってくる観客がけっこういて、視界がふさがれるのと、足音が気になって(遅刻は仕方ないとして、もうちょっと小さくなって入ってきてほしいです。堂々と、しかも座席を探してうろついて、足音立てて、って…)。左團次さん、ちょっとお痩せになったかしら。距離があるからそう見えたのかな。

魁春さんが古風な感じで、遠くで顔がよく見えない分(踊るとき以外はずっと横向いていて、私のところからは、オペラグラスでもよく見えない)声やセリフまわしの古風さが印象的だった。やっぱり歌右衛門さんに動きが似てるよなあ、と思うのだけど……。

幸四郎さんの太郎冠者は、意欲は好感がもてるのだが、もうちょっと軽さがほしいような気がした。オペラグラスの視界に入ってきた顔のつくりもあまり愛嬌がなかったような。いつもモゴモゴ感のあるセリフは、かなり明瞭に聞こえた。肝心の那須与市の件りは、寝てしまった。

だけど嬉しいことに、このとき、ぱっと正面奥の幕があいて、長唄連中が姿を現すのだけど、その中央に、ご贔屓、杵屋栄津三郎さんがいるではないか。途中、居眠りからふと目覚めると、栄津三郎さんは演奏の合間に三味線の糸を取り替えているのか何かわからないけれど、新しい糸を三味線に張っているように見えた。調音をしないまま次の演奏に入っていけるのかしらと、はなはだ失礼な心配をしてしまった。その後栄津三郎さんが取り上げた三味線からは深くいい音が聞こえてきたもの。

弥十郎さん、高麗蔵さん、錦吾さん、それぞれの味がほどよくていい。

ふっふ、今日は父を介助したおかげで歌舞伎が見られて、幸せ気分。
071111kabuki

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2007年11月10日 (土)

残念が感謝に変わり

本当なら、今頃、「奥州安達原」の感動の余韻に浸りながら、次の「吉野山」への期待に軽く興奮しているところである。

何カ月も前から楽しみにしてきた亀治郎さんの内子座公演観劇。松山行きの飛行機は朝845分発という早い便しか取れず、朝の苦手な私はほぼ徹状態で家を出て、モノレールに乗り込んだ。

7時半、あと10分で羽田に着くというとき、携帯がブルブルいった(マナーモード)。見ると、グループホームからの電話。こんな時間の電話はロクな内容じゃない。又母が転倒したか? いや、それとももっと重篤な状態に陥ったか? 不安な気持ちになりながらも出るわけにはいかない。しばらくして留守電を聞くと、ただ「お電話ください」とだけ。不安はますます募り、早く空港に着かないかと気がせく。

空港でいち早くモノレールを降り、ホームに電話を入れると、なんと今朝体温が396分もあったという。昨日打ったインフルエンザの予防注射の副作用らしいが、受診してほしいという用件であった。すっかり松山に飛んでいた心が一気に現実に引き戻された。しばし迷ったけれど、そんな高熱の母を他人様に預けっぱなしにして自分だけいい思いをするわけにはいかない。第一、母のことを気にかけながら市内観光や観劇をしたって、きっと心から楽しめるはずがない。

すべてをキャンセルする意を決め、松山で私の到着を待っていてくれる友人にお詫びの連絡を入れ(まさにドタキャンで、すっかり迷惑をかけてしまった)、空港で必要な手続きを取り、とんぼ返りとあいなった。

ホームに行くと、解熱剤が奏効したのだろう、いくらか熱は下がっていたものの、母はぐったりとして、眠っているのか意識もほとんどなかった。やっとの思いで病院に連れて行き、診察待ちの間、ベッドを借りて寝かせてもらったら、だいぶ熱もひいて、意識もはっきりしてきて、ホームに戻る頃には話もできるようになった。

071110plate 初めての四国、坊ちゃんの町、坂の上の雲の町(雲型のナンバープレートがかわいい)、そして初めての芝居小屋、身勝手な私は、こんなとき、誰を怨むではないけれど、こんなに大事な歌舞伎を見られなかったことで面白くない気持ちになるのが常なのに、赤い顔をしてひたすら熱と闘っている母の小さな頭を撫でていると、ああ帰ってきてよかった、飛行機に乗る前に連絡を受けてよかった、とつくづく感謝の念が湧いてきたのである。ひとたびそう思うと、しょっちゅうホームからの呼び出しを受けて自分の時間がとられることも、母のそばについて介護をさせてもらえる有難さに変わる(ま、ジコチューの私ですから、またいつそれがグチに戻るかわかりませんが)。

叶えられなかったささやかな夢は、何年か後に実現させたいものである。

追記110月御園座、うまく日程が取れた日に当日券があれば、行こうと思っていた。スッパリ諦めたのは父が怪我をしたからである。今回の内子座行きは、両親が生きている間の最後の旅行と考えていた。幸い、都内での公演は全部行かれるのだから、有難いことである。

追記2<介護させてもらえる有難さ>ということを口にする人を時々見かける。頭では何となくわかるのだが、実感としてはいまひとつピンとこなかった。一昨日、母と行った病院でたまたま出会った女性は、ご主人のお母さんを103歳で見送ったと言っていた。自宅で1人で介護して大変だったけれど、「義母もいつも私にありがとうと言ってくれたし、私も介護させてもらったことを心から感謝しています」と淡々と語るその女性に、その時はただ涙しただけだったが、今日、思いもかけず共感を覚えるとともに、実感としてそれがわかる気がした。

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2007年11月 9日 (金)

歌舞伎のおかげ

両親の医者通いとは別に、私も歯医者に通っている。既に2本治療は済んでいるのだが、あと2本虫歯があるらしい。この年になると、虫歯より歯周病のほうが気になるところだが、4本も虫歯があったなんて。

今回治療の歯はどれも昔治療ずみの歯だから、金属がかぶせてある。麻酔をかけて、それをガ~ッと削ってはずす。舌で触ってみると、あ~あ情けない、大穴があいている。ということは、私の歯は少なくとも4本、そのほかにも2本ばかり穴があいているということになる。穴だらけの歯……。

新しい治療をしてもらっているのはいいが、この前治療が終わったばかりの歯が又痛んできている。気の弱い私は医師にそれを言えない。言えない私は、それを脳の<痛みの記憶>のせいにしようとしている。不幸にして身体の一部を切断せざるを得なかった人が、その部分がないにもかかわらずそこに痛みを感じるという。脳がその痛みを記憶しているのだそうだ。私の歯も神経はとったはずだから、これに準ずるのではなかろうか。

いや、待てよ。神経を取った歯の隣の歯も治したのだが、そっちは神経は残っている。今、どちらの歯が痛むのか、自分でもよくわかっていない。ってことは、記憶ではなく、実際に痛い可能性もあるわけか。

それにしても、体のどこかが痛まないという日が1日でもあっただろうか。

毎日どこも痛いところがないという人はいるのだろうか。

070223paradis 最近は心まで痛くなってきて、歌舞伎という楽しみがなかったら、絶対鬱になっていたな。

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2007年11月 8日 (木)

ガマンの初診

9月の半ば頃から、介護に取られる時間が増えている。

母の件では施設からしょっちゅう呼び出され(実際にはそんなに頻繁ではないのだけど、当然のことながら予定外の呼び出しで、しかも施設に迷惑をかけているという後ろめたさもあるから、「又か」って気がする)、そのたび医者に連れて行く。

父は先月、自宅で椅子から前のめりに落ち、手をついた瞬間に右手甲の皮膚が裂け(不思議なことに、またラッキーなことに、骨折はなかった)、7針も縫った。

父のケガは、幸い医師の手当てがよく、2週間で抜糸でき、その後順調に回復に向かっている。血だらけの手を見てプチパニックに陥った私は、消毒薬をやたら吹きかけ、血止めをやたら振りかけ、抗生物質入りの軟膏をべったり塗って、ガーゼを当て、病院に飛び込んだ。医師は私の応急手当てを見て、「ガーゼは当てないほうがいい」「消毒もできるだけしないほうがいい」と言う。消毒に頼ると、細菌だけでなく治ろうとする物質まで殺してしまうのだそうだ。日本の水道水はきれいなので、ちょっとしたケガなら、水道水で十分洗い、ワセリンを塗って、透明フィルム(なければラップでもいいらしい)を貼って、傷口が空気に触れるのを防ぐ程度でいい、ということだ。父の場合も、診察室の水道で傷口を洗い、縫い合わせて、ガーゼではない何とか布を傷口を覆う程度に当て、上から透明フィルムを貼った。翌日は傷口からほんの少し浸出液が出ていたが、3日目にはまったくそういうことはなくなり、通院も2日おき、3日おきになった。

父のこのケースだけしか経験していないからなんとも言えないが、ドジな私のことだ、きっと又ケガするに違いない、そのときはこの方法で手当てしてみようと、早速ワセリンと透明フィルムを買った。怪我をするのが楽しみ???

今日は母を病院に連れて行った。朝9時前に総合受付をして、診療科での受付が終わったのが10時。それから施設へ母を迎えに行き、終わったのが14時過ぎ。「疲れたでしょう」と声を掛けると、母は一瞬ベソかき顔になって「そう、疲れた」と一言。施設に戻った母の昼食は、みんなのおやつの時間と一緒になった。

最近の大きな病院はどこも予約優先で、予約患者の間に新患を少しずつ入れていく。だから新患はやたら時間がかかる。紹介状がないとダメというところもある。とにかく初診はひたすらガマンして待つしかない。初診、初診で両親を病院に連れて行くたび、「ああ、病気しづらい世の中だなあ」とつくづく思う。そういう現状にあって、それでもなお患者の多いこと。町の開業医だって、その規模なりに患者数は多い。健康な付き添いでさえ、医者へ行って疲労困憊、病気になりそうだ。

追記:父のケガは、なにげない日常行動で起こる。階段の上り下りや、危なそうな場所では、自分でも注意して歩くから案外なにごとも起こらない。今回のケガも、椅子に腰掛けたまま落ちたものを拾おうとして、身を屈めたときに起きたものだ。高齢のご両親を抱える方は、何気ない動きにご注意を。

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2007年11月 7日 (水)

命をぶつけて燃やす玉手御前

116日 摂州合邦辻(国立劇場大劇場)

とってもよかったのに、体調不良のため意識を昼食前までしか維持できなかったのが残念。

藤十郎さんの玉手御前がスッゴクきれいだった。若々しく、上品な色気があり、セリフもずるずるしていなかったし(この前の「封印切」といい、私の苦手なクドクドしさが藤十郎さんから消えた?)、私は今まで見た藤十郎さんの役の中で一番いいと思った。とくに、見せ場である「合邦庵室の場」での黒い衣裳と無表情さには、凄みが感じられ、見とれた。玉手という強烈な個性の女性もまたピアフみたいに、命を自分の生涯にぶつけて燃やしているところに魅力を感じた。

この「合邦庵室の場」は、亀ちゃんと段四郎さんでやったのを映像で見たことがあるが、今回は39年ぶりの完全通し上演だという。庵室の場は玉手親子の葛藤が中心だけど、前の部分があるということで、俊徳丸(三津五郎)の重要性が増す。三津五郎さんはご自分で「ぼくは絶世の美男子ではない」と言っておられるが、初々しさ、清潔な色気があり、芸の幅が広いのに改めて感心した。

庵室の場は、もちろん室内で悲劇が起こるわけで、外部から入平(いりへい)(翫雀)という第三者が入ってきたりはするのだが、空気のベクトルが中央に向かうような、ぎゅっと凝縮されるような緊張感がある。一般的に室内は凝縮感、室外は解放感という区分けもできようが、この芝居は序幕の「住吉社前松原の場」など、室外の場面でも凝縮感を覚えた。

そういう凝縮感があるにもかかわらず、全体に進行がゆったりしていて、時に手持ち無沙汰なことさえあった。たとえば俊徳丸が出奔する際に置手紙を書く場面。さらさらと巻紙に筆を走らせるところを延々と見せられる。適当なタイミングで筆に墨を含ませるというようなことはあるけれど、ちょっと長すぎるような気がした(こういう時に、意識が遠くへ引っ張られ、そのまましばらく戻ってこられなくなるまわりくどい言い方でした。要するに、こういう時に眠くなるってこと)。また、庵室の場でも一度、浄瑠璃の語りのみで、出演者の動きのほとんどない長い時間があった。あまりにそういう時間が長いと、何となく居心地悪い気分になる。

序幕。鮑の盃で俊徳丸が玉手から勧められた酒に、もう、毒が入っていたのか。ずいぶんあっさりとした場面だったので、不覚にも気付かなかった。この盃は、大詰で「なるほど」という形で再登場する。大詰めだけの上演の時には、当然、これほど効果的な印象は残らないわけで、そういうところに<通し>でやる1つの意味があると思った。

二幕目。秀太郎・愛之助親子が夫婦役というのが面白い。ラブリンは声も低く、堂々とした大きさを出していて、違和感がなかった(私は、なよなよ二枚目よりこういうラブリンのほうが好きです)。こういう実年齢を無視した配役を見ると、歌舞伎って改めてスゴイと思う。大詰の玉手母子だって、吉弥さんと藤十郎さんの実年齢からしたらまったく逆だもの。ちなみに吉弥さん、亀ちゃんのときも同じ母親役だった。

この芝居って、うまく言えないのだけど、大仰な形を取る、ちょっと形式ばった部分と、普通に流れる部分の差が大きいような気がした。もちろん、他の芝居だって大なり小なりそういう差はあるのだろうけれど、それが目立っていたような気がする。私は形式ばった場面は好きだから、面白く見ることができた。

三幕目。我當さんの合邦が仁王の頭を車で引いて出てくる。とても愛敬があって、それが我當さんのいいところの一つなんだなとわかった。もちろん、我當さんの本領、泣き声節は大詰で堪能できる。扇雀さんの浅香姫(扇雀さんもとてもきれいだった)が車に俊徳丸を乗せて引く場面は、最近では色々な芝居で見慣れた(ここで笑いが起こったのはなぜ? ま、確かに扇雀さんにか弱いというイメージは薄いけれど、と言って笑うほどでもない)。

進之介さん(高安家次男・次郎丸。俊徳丸より年上だけど妾腹だから次男扱いなんだそうだ)、秀調さん(桟図書=かけはしずじょ)が悪役。進之介さんは何回か笑いを取っていたけれど、これって意図的なのかなあ。笑いがあるのはいいとしても、そういう演技をするということに、すこ~し違和感を覚えないでもなかった。桟図書は次郎丸のためにせっかく手に入れた大事な書類(巻物)をラブリンに簡単にだまされて取り上げられてしまうのが、超おマヌケでおかしい。っていうか、次郎丸もそんなに大事なものを「もうちょっと預っててよ」と図書に預けておくか~?(ああ、又々ツッコミたくなる~) 秀調さんびいきの私は、秀調さんが愉快な悪党(秀調さんはもともと飄々としているから)として活躍して、嬉しい。

071106nationaltheater 今回3階席を取ったが、失敗だったかも。こういう心理劇みたいなものは、近くで見るべきだった。いちいち表情をオペラグラスで確かめるのは疲れる。ただ、国立では3階からでも花道七三がちゃんと見える(歌舞伎座も建て替えるなら、そういうふうにしてほしいものだ)。それにしても、空席が目立ってもったいない。

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2007年11月 5日 (月)

25分の佳作

1029日 映画「晴れた日は図書館へ行こう」
「北極のナヌー」を見た日、映画のハシゴをした。感想を書くのがすっかり遅くなってしまい、112日までの公開期間もとっくに終わってしまった。

1010日にオープンした浦和パルコ内にあるシネコン、ユナイテッド・シネマ浦和のオープン記念に製作され、期間中無料で公開されていたこの映画は、緑川聖司の児童小説を原案としたもので、上映時間わずか25分のショートフィルム。浦和図書館、見沼自然公園、さいたま市立岸中学校などご当地でロケが行われたということから、見知った風景が出てくるかもしれないな、という興味で見に行った。そういう意味ではアテがはずれたが、小学校1年生のかぎっ子(もう、死語か?)少女の孤独感やその母親の愛情、人が本に寄せる思いというものが、押し付けがましくなく、さらっと胸に入ってくるような小品であった。

ストーリーは覚えている範囲で(記憶違いが間々あるかも)。

ある雨の日、本好きの少女カナがいつものように帰宅し、カギをあけて部屋に入ると、「カナの本を見つけたわ」というおかあさんの手紙とともに「魔女たちの静かな夜」という本がテーブルの上に置いてあった。カナは、思わず本を外へ投げ捨ててしまう。その本のことが気になったカナは、外に出てみると、表紙に描かれている魔女たちの1人が本から抜け出してどこかへ飛んでいく。カナはそれを追いかけているうちに、森に迷い込む。森には古い洋館があった。薄暗いその館の中に入って行くと、そこは図書館だった。カナはそこで、魔女のような司書と出会う(魔女といっても、こわ~い魔女ではない。ミステリアスな、若く綺麗な魔女)。司書は雨に濡れてページの取れた本を直してくれる。

このショートフィルムが上映されることはもうないかもしれないけれど、来年長編として生まれ変わる計画があるらしい。だから、この先のストーリーはそのときのお楽しみということで。そして、この映画には2つの面白い秘密が仕掛けられていると思うのだけど、それも内緒にしておこう(自分が忘れてしまいそう……)。

出演はほとんどカナ(須賀さくら)と司書(藤澤恵麻)の2人だけ。ほかにカナの母親が声のみで出てくる。

須賀さくらちゃんは、須賀健太クンの妹らしい。学校から帰ってもお母さんのいない寂しさ、夜になってお母さんがそばにいる幸せ、そういう気持ちが演技でなく自然に感じられた。藤澤恵麻さんはちょっと若すぎるような気もしたが、あやしく優しいムードがよい。

日常生活を描きながら、おっとりしたミステリアス・ファンタジーとでも言おうか、長編も楽しみな25分の佳作であった。

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2007年11月 4日 (日)

夢の世界、宝塚

112日 「マジシャンの憂鬱」(東京宝塚劇場 1330分の部)
宝塚を見るのは5回目になる。1回目はもう30年も前のことだから、ほとんど覚えていない。2回目と4回目はコネのコネでチケットを入手したもので、2回目が「鳳凰伝」(宙組)、4回目が「ジャワの踊り子」(花組)、どちらもコネコネのおかげで、ほぼかぶりつき状態。3回目は「傭兵ピエール」(宙組)。これは小説を読んでいたから絶対見たくて自分で取った。ために遠い席であった。「鳳凰伝」は和央ようか・花総まりのコンビ(宙組)で、トゥーランドットをベースにしたミュージカル。レビューの「ザ・ショー・ストッパー」とともに、エンタテインメントとしてのレベルの高さ、あれだけの激しい動きに息も切らさぬセリフと歌、美しい姿勢と踊り。それまで何となくもっていた宝塚に対するいわれのない偏見が一気になくなった。

そして今回の「マジシャンの憂鬱」。大好きなクロースアップマジシャン、前田知洋さんがマジック指導をしていることを前田さんのブログで知り、ず~っと狙っていたのだ。でも先行販売ではずれ、一般販売でもいい席はなく、チケットが取れさえすればよいと、2階席で見ることになった。宝塚劇場の2階席はかなり角度があり、銀橋(ジャワの踊り子は銀橋のない劇場で見たので楽しさ半減。やっぱり宝塚には必要不可欠)もしっかり見えたし、セリフはピンマイクか何かで劇場じゅうに届くし、全体を見るには十分であった。ただ、私は宝塚のスターさんは自分がこれまでに見た和央ようかさん、花総まりさん、春野寿美礼さん以外ほとんど知らないから、主演が誰と言われてもピンとこない。そういう意味では、前のほうの席で出演者のお顔をしっかり確認できたほうがよかったのかもしれない。しかし、今回の公演は人気が高いらしく、立ち見も出ており、隣の席の男性ファン(!!)が「この前は1階席が取れたのに、今回はこんな席しか取れなかった」とぼやいていたほど。

まずはMAHOROBA 遥か彼方YAMATO。今回はショーのほうが先。イザナギ・イザナミによる天地創造から、ヤマトタケルの昇天までを、民族舞踊と洋楽をコラボさせた感じで描く(津軽三味線の上妻宏光さんが一部音楽を担当している)。実は前日ほとんど寝ていなかったので、大半意識を失っていたのだが、熊襲の火踊り、弟橘姫の入水など、スーパー歌舞伎とは違った味わいのショーを楽しんだ。

私のようなシロウトは、宝塚のショーといえば背中に大きな羽をつけたスターたちを思い浮かべるが、それはグランドフィナーレなんでしょう。だから「MAHOROBA」ではやらなかった。先に言ってしまうと、「マジシャンの憂鬱」の最後にフィナーレがあったのだが、ショーでのそれに比べると、華やかさや盛り上がりの点で物足りない気がした。

「マジシャンの憂鬱」。しょっぱな、マジシャンのシャンドール(瀬名じゅん)が、客がサインしたカードをトランプの束の中に入れ、指を鳴らすとそれが一番上に持ち上がってくるというマジックを見せたが、これは前田さんお得意のネタ。客がカードを選ぶと「いいカードですね」と必ず言う。それをシャンドールも言ったものだから、私は思わずニンマリ(前田ファンじゃなければわからないだろうな、というのが残念。それともマジシャンの常套句なのかな)。

物語はミステリー仕立てで、ある国の皇太子妃が交通事故で死んだのだが、それがどうも反対派の謀略によるものではないかとして、その真相を探るというもの。こちらも時々意識を失っていたので、明確ではないのだが、その交通事故が男性と一緒で、トンネル内で起きたと聞こえた(たかトシ風に「ダイアナか」)。

酒場の場面、店員が柳原かな子風喋りで、受けた(でも、観客はあまり笑っていなかったようだったなあ)。歌舞伎では時々あることだけど、宝塚でもあるんだあ。

シャンドールとヴェロニカ(彩乃かなみ。なぜか、女性であるヴェロニカが男性であるシャンドールを警護する)のデュエットがとても素敵だった。

むずかしかったのが拍手のタイミング。割と整然と拍手の送りどころが決まっているような感じを受けた。ちょっといいところで思わず拍手をしかけて、まわりが誰もしていないのに気付き、おお危ないという瞬間も23度。宝塚は掛け声も禁止みたい(むか~しは、声掛かっていなかったけかなあ)。

私自身は宝塚にはまることはなかったけれど、はまる人の気持ちはわかる。ステージはきれいだし楽しいし、オーケストラの生演奏も嬉しいし、夢の世界であることは間違いない。

写真は、日比谷の町で。
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2007年11月 2日 (金)

いいえ、私は何も後悔しない:エディット・ピアフ

111日 映画「エディット・ピアフ 愛の讃歌」
マリオン・コティアール演じるピアフは、下品で怒鳴り散らしてばかりいて、周囲をさんざん振り回し、こんな女がそばにいたらウンザリ。ところが、である。不思議なことにそのイヤな女がめちゃくちゃ魅力的なのだ。凄絶とさえ言える人生、エディット・ピアフはその一瞬一瞬を、ひたむきに生きている。それが私の心をぐっと摑む。140分間、ピアフの魅力に釘付けになった。(以下、ネタバレします)

瞳には常に不安そうな色を湛えているが、嬉しいとき、幸せなときには、本当に嬉しそうに笑い、こちらまで釣り込まれて笑顔になる。私が一番好きな笑顔は、愛する人に見せるそれではなく、ニューヨークにいるときマレーネ・デートリッヒから直接賛辞を受けたときの顔だ。彼女の歌を聞いたデートリッヒは、パリにいるような気持ちになり、泣いたと言う。それに対してただ「ありがとう」としか言えなかったピアフのはにかみと喜びに満ちた笑顔。思わず涙が出た。

女性記者のインタビュー、「女性へのアドバイスをいただけますか」「Aimez(愛しなさい)」「若い娘には?」「Aimez」「子供たちには?」「Aimez」。穏やかな笑顔とともに答えるピアフ。泣けた。

そう、私はこの映画を見て、泣いた泣いた(最近、涙腺弱くなってる?)。パリの街頭で歌って生活していた母親に捨てられ、母方の祖母に預けられた幼いエディットは、戦地から一時帰国した父親に連れられ、今度はノルマンディーの父方の祖母に預けられる。祖母は娼館を経営していて、エディットはそこの娼婦たち、とくにティティーヌに母のような愛情を注がれ、やっと心の拠り所を得る。それなのにある日、戦地から帰ってきた父親がエディットを引き取りに来る。互いに手を差し伸べ泣き叫びながら引き裂かれるティティーヌとエディット。「三丁目の夕日」の淳之介少年を思い出してしまった。貧しい大道芸人である父親の許で暮らすエディットに心の安堵はない。孤独な少女エディット。いっぽうのティティーヌはその後、どうなったのであろうか…。娼婦たちの生活もつらい。

20歳になったエディットは親友のモモーヌと支え合いながら、パリの街頭で歌って日銭を稼いでいた(母親と同じ生活をしていたわけだ)。生活ぶりがあまりよろしくないということで、モモーヌが親の希望により女子更正施設に入れられてしまう。子供の頃の別れの場面がここでも再現される。今度は1人取り残され、ティティーヌの立場に置かれるエディット。

その瞳から消えない不安の色、気まぐれで周囲に当り散らす傲慢さは、きっと彼女の孤独への恐れからきているのだ。

3度目の別れ。ピアフが生涯で最も愛したマルセル(ボクサー)が飛行機事故で還らぬ人となる。ピアフはこの痛手から逃れるためにモルヒネに頼らないではいられず、ついには中毒になってしまう。後でわかることだが、昔彼女にはマルセルと名づけた娘がいた。マルセルは幼いときに脳膜炎を発病して死んでしまったのだ。ここにも悲しい別れがあったわけだ。

ピアフの歌を今日聞いて感じたのは、そこには「あたし」と「あなた」の2人しかいないということだ。だとすれば自己陶酔に偏りがちなのに、こんなにもぐいぐい心に訴えかけてくるのは、ピアフの歌が彼女のひたむきな生き方そのものだからではないだろうか。健康を害し、よろけるようにステージに立ったピアフが、いざ歌いだすとその迫力のすごさ。私の心にも彼女の生き様がストレートに伝わってくる。ピアフの歌を聞いていて、なぜか時々美空ひばりを思い出した。私は美空ひばりをそんなに好きでない(なかったと言うべきかな。最近、少しいいな、と思うようになった)し、歌から受ける印象も全然違うのに。と書きながら今、面白い符合(?)に思い当たった。ピアフって雀という意味なのだ(これについては後述する)。ひばりと雀。

最後のオランピア公演(だったかな、あるいはその前だったかな)。初めて彼女に本格的な歌唱指導をしてくれた恩人であるレイモン・アッソが楽屋の彼女の前にちらっと顔を見せる。2人は何年も前に喧嘩別れのような感じで、会わなくなってしまっていた。それなのに彼は彼女にさりげなく微笑みかけ、彼女は彼のことをさりげなく「友達よ」と言う。こういうところが、たまらなくいい。レイモンがピアフに発音指導するあたりは「マイ・フェア・レディ」をちょっと思わせた。

死の床に就いたピアフは、最後の祈りを捧げる。「パパのために祈りたいの」。えっ、あんなにひどい父親だったのに、なぜ? すると、少女時代のワンシーンがそこに入る。エディットがカフェで父親を待っていると、父は人形を手にして現れる。この映画は、いろいろな時代がフラッシュバックして、時として混乱することもあるのだが、このワンシーンは秀逸だ。というのも、私たち観客はあるシーンを思い出すからだ。それは――父と大道に立っていたとき、ある店のウインドウに日本人形に似た顔の人形が飾ってあった。彼女はそれをじ~っと見つめる。シャッターが降りても、シャッターに合わせて顔を動かし、最後まで見つめている。父親に「何やってるんだ」と言われて、やっとその場を離れるエディット。胸が痛くなったそのシーンが今ここで甦り、あんな生活の中でも彼女が幸せを覚える瞬間があったのだとわかる。

享年47歳。以前読んだアンヌ・ヴィアゼムスキー(ゴダールの元妻、フランソワ・モーリャックの孫)の自伝にたしか、ピアフの死がフランス人にとっていかに衝撃的であったか(パリ中の人が集まり、パリの交通が麻痺したそうだ)ということが書いてあったように思うが、「ふ~ん、そうなのかあ」程度にしか思わなかったそのことが、今この映画を見てよくわかる。

ピアフ役は5歳までと10歳までがそれぞれ異なる子役で、20歳からをマリオン・コティヤールが演じている。この子役たちがマリオンに似ているし、表情による演技が実にうまい。そしてマリオンの素晴らしいこと。私はピアフを何曲かの歌でしか知らないが、「今、私はピアフ本人を目にしている」と思ったほどだ。どのシーンも見事だけど、とくに病魔に侵されているときの老婆のようなピアフは素晴らしい。

彼女の才能を見出し、ピアフと名づけるパリの名門クラブ<ジェルニーズ>のオーナー、ルイ・ルプレ役でジェラール・ドパルデューが出ている。ずいぶん年を取ったなあと思ったけれど、存在感は格段。ちなみに、エディットの本名はガションといい、それじゃ冴えない、きみを見ていると雀を思い出す、と<ラ・モーム・ピアフ>という芸名を与えたのだ。ピアフは俗語で雀、モームは小娘という意味。知りませんでした。

ところで、このマリオン・コティヤール、「Taxi」シリーズに出ていたと知り、彼女の役といったら主人公ダニエル(サミー・ナセリ)の恋人役しかないなと一生懸命記憶を辿ったら、ああそういえば確かにあの顔だったかもしれないと思い出したが、でもとても同一人物とは思えない。映画の中の歌はピアフ本人のものが大半だが、マリオンも何曲かは歌っているそうだ。マリオン自身の歌も見事。でも、もっと見事なのは、ピアフの歌に合わせた、歌う演技。実際にマリオンの口から流れているみたいで、それがさらにマリオンとピアフを一体化させる。

というわけで、感激屋ですぐその気になる私は、今手持ちの2枚組みシャンソンのCDを聴いている。元々シャンソンは好きでシャンソン歌手もたくさん好きだが、その凄まじい生涯を見た後ではピアフの歌がいっそう心に沁み渡る。

追記1エディットが生まれたのはパリのベルヴィル。ここは今ではだいぶ変わったが、昔は「美しい町」という名とは裏腹に、貧しい人々の集まった町で、治安もあまりよくなかったらしい。私はこのベルヴィルを舞台にした映画「夕映えの道」に感動したあまり、登場人物と同じ道を歩いてみたりしたのだが、そのときはピアフが生まれた所だとは知らなかった。今度パリに行く機会があったら、その場に立って彼女の心痛む子供時代を思い、そして彼女が眠るペール・ラシェーズ墓地を訪れてみたいものだ。

追記2娼館を経営する祖母はカトリーヌ・アレグレ。シモーヌ・シニョレの娘だそうだが、シニョレにそっくり。そのシニョレは、ピアフの恋人でもあったイヴ・モンタンと再婚している。カトリーヌはそのとき5歳だったそうだ。

追記3映画の日本語タイトルは「エディット・ピアフ 愛の讃歌」で、原題は「La Vie en Rose」(ばら色の人生)。どちらもピアフの歌の題名だが、日本ではピアフといえば「愛の讃歌」なのか。あるいはピアフの人生が「ばら色の人生」ではないという解釈なのか。あるいは「愛の讃歌」はピアフが最愛の人マルセルに聞かせようとした新曲だったからか。私の記事の「いいえ、私は何も後悔しない」は、「水に流して」という歌の原題「Non, je ne regrette rien」の直訳。作詞のミシェル・ヴォケールはコラ・ヴォケールの夫(コラもなかなか良いです)。この歌は私の人生そのものよ、と言うピアフへのささやかなオマージュです。

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2007年11月 1日 (木)

上を向いて歩こう:浅草篇1

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浅草は、行くたび、楽しい町だ。 時には上を向いて♪歩いてみよう。

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