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2007年9月

2007年9月30日 (日)

よくわからない「ヴェニスの商人」その2:シャイロック

今頃になってだが、今月5日に見た「ヴェニスの商人」で残しておいたシャイロックのことである。なぜ、今かと言うと、シェークスピアの戯曲自体で確認しておきたいことがいくつかあったからで、そのために『ザ・シェークスピア 全戯曲 [全原文+全訳] 全一冊』という本を見つけ注文したのだが取り寄せになりそれが来るのが遅かったのと、やっと手元に届いた頃には他の芝居で忙しく、ずっとシャイロックのことが気になりつつも、手をつけることができなかった、という長々しい言い訳である。

子供の頃読んだ小説版「ヴェニスの商人」しか知らない私は、シャイロックが悪者であるという図式が頭に叩き込まれていた。そうであっても、どこかでシャイロックを気の毒に思う気持ちがあったのは、その小説がそういう描き方をしていたのかもしれない。

プログラムによれば、翻訳本において、また芝居においてシャイロックの扱われ方は明治以来の歴史の中で大きく変わってきたということだ。明治の坪内逍遥訳では極悪非道だったシャイロックは、福田恒存訳では不当に虐げられた人物のように感じられるらしい。戦後(194748年)、河原崎長十郎が演じたシャイロック(坪内訳だと思われる)は憎悪されるべき人物像ではなかったそうだ。その20年後、浅利慶太が上演した作品(シャイロックは滝沢修)では、福田訳が用いられ、悲劇のシャイロック像が作り上げられた。現在は<社会の中に組み込まれた差別の構造的不合理さを浮かび上がらせる>シャイロックの姿というものへと又変貌している、とプログラムでは指摘している(前沢浩子氏「歌舞伎、新劇、アングラ…そして21世紀~シャイロックと『ヴェニスの商人』の変容」)。

この変化はわかる。怒涛のように流れ込んでくる西欧文化を取り入れ、当時のユダヤ人差別をそのまま受け入れた明治時代はさもありなん。私が読んだ子供向け小説は変化後のものであっただろうし、それでも最後にひどい罰を受ける必然性を子供にもわかりやすくしなければいけないというジレンマが感じられたように、今にして思う。

前置きが長くなった。

私が買った全戯曲集は坪内逍遥訳であり、シャイロックはやはりかなり憎々しく描かれている。ただ、それを読むこちら側に盲目的に同調する気持ちがないため、やっぱりシャイロックの扱いに対する不当感は消えない。じゃあ、原文を読んで判断するか。なんて、そんなこと研究者ではないからできっこない。ということは、この本を買った意味があまりないか……。

シェークスピアはシャイロックに「奴隷は自分のものだとみんな思っているんでしょう。アントーニオの肉は私のものだ。私にそれを放棄せよというなら、皆さんは奴隷を解放できますか」というようなこと(理屈だ)さえ言わせており、なんだちゃんとそういう認識もあるんじゃないかと思わせながら、最後にど~んと落とす。一滴の血も流すな、という視点は大したものだと喝采する一方で、どうしても納得できないこともある。

全財産没収はやむを得ないとして、ユダヤ教からキリスト教に改宗しろという判決が下されるのである。こんなこと、子供向け小説にあったかなあ。記憶にない。だから、このたび、かなり驚いた。この改宗は、アントーニオが法廷に願い出るという形で決まったことであり、意気消沈したシャイロックはあっさり受け入れる。ユダヤ人にとってユダヤ教こそがユダヤ人たるアイデンティティではないのか。そんなに簡単に改宗を受け入れられるのか。シェークスピアはそこまでユダヤ人を愚弄しているのか。私は以前、必要上古代ユダヤ人の歴史についてちょっと調べたことがあり(もうだいぶ忘れたけれど)、だからこそ客観的にみて、それはあり得ないと思うのだ。

見る者の感情を霍乱する、あるいはそれがシェークスピアの狙いだったのだろうか。いや、当時のユダヤ人の置かれた環境を考えれば、また「十二夜」で自分の嫌いな人物(清教徒のマルボーリオ。歌舞伎では丸尾坊太夫。これへの仕打ちも納得がいかない)を徹底的にこきおろしていることを考えれば、それは穿ちすぎかもしれない。

市村正親は、シャイロックを「非常に小さな人間だと思う。小さな人間が抵抗を試みる」と言っている。理不尽な差別を受けた弱い人間であるシャイロックは証文にこだわるあまりすべてを失った。背負っているものは悲劇だが、これは喜劇でもある、と。そうか、子供の頃の私は「ヴェニスの商人」が喜劇である理由がわからなかったが、なるほど、市村の言うとおり、愚かな登場人物(シャイロックもその娘もバッサーニオやその仲間たちも愚かであり、アントーニオだって愚かに思える)を見て笑い、よく考えれば我が身に置き換えられるっていうのが喜劇であるのか。だとすれば、喜劇はつまるところ悲劇だな。

「シェークスピア」は、まだまだわかりません。

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2007年9月29日 (土)

軽くなって

やっと髪を切った。3カ月ぶりだ。芝居だのサッカーだのと出かけてばっかりいるから、美容院に行く暇がない。鬱陶しくなると前髪だけ自分で切り、鏡を見てはまだまだこれでいけるな、などと言い聞かせていた。
それがある日突然、もう髪の重さにガマンができなくなる。そうなると、ぼさぼさに重い頭をのせた自分の姿がみすぼらしくて--手入れしてない庭みたいだ--、人格までだらしないように見られそうで、というか、自身だらしなさの底に落ちたような気がして(そうでなくても実際だらしないのだけど)、じっとしていられない。
美容院では、「もっと早く来てくださいね~」との一言が怖くて、まさか芝居三昧でとは言えないから、仕事のせいにして、その一刺しを逃れる。
自分のこと、世の中のこと、気を重くさせられることはさまざまあるけれど、今しばらくは切った髪の分だけ軽くなったような気がする。好きな歌のひとつ、「グッバイイエスタデイ」(今井美樹)を口ずさんだりして。

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2007年9月28日 (金)

懐かしい時の流れ:郵便配達夫の恋

928日 「郵便配達夫の恋」(グローブ座、1830分の回)

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ゆったりとした、いい話だったなあ。後味がよい。っていうか、ほんわかした。

出演者は、辰巳琢郎(郵便配達夫)、中島知子(シンガーソングライター浦崎あかり)、西川浩幸(あかりのマネージャー上村洋一。キャラメルボックスの人です)、逆木圭一郎(って、赤木圭一郎のパロディ? 劇団☆新感線の人。役はあかりの祖父)の4人だけ。

グローブ座は円形劇場だが、青山のように360度舞台を囲んで客席があるわけではない。舞台は張り出し式で、1階席は舞台の2辺を囲むような感じだろうか。舞台と観客席とは少し間隔があいている。1mくらいの高さの舞台の下には照明器具が置かれ、下からも舞台に光が当てられる。この舞台が夏の島をよくイメージさせて、また開演前から聞こえてくるウミネコだかカモメだかの鳴き声もまた客をその世界へと誘う。以下、ネタバレします。

物語の舞台は南のとある島(八丈島かその近辺だと思う)の灯台官舎。ここに住む灯台守のもとへ、孫娘のあかりが母の一周忌といいながら実はワケアリで帰ってくる。マネージャーの上村があかりを心配して週に1度くらいずつ島にやってくる。あかりは母の遺品の中から、一通の手紙を見つける。母が病室で最後に書いた手紙の宛先は、島の郵便配達夫・森尾忠司。投函されなかったこの手紙と母の秘密を知りたいあかりは、森尾にその手紙を読んでくれと頼み、母との関係を何度も問うが、森尾は決して手紙を読もうともせず、関係についても語らない。

手紙は狂言回し的な役回りも果たす。あかりから祖父への手紙、あかりから上村への手紙、あかりの恋人・藤井孝志(なんで、この名前なの?! 音だけで聞くこの名前が出るたびに吹き出しそうになるのをこらえた)からあかりへの手紙、あかりへのファンレターなどなど、手紙によって、登場人物の状況がわかる。物語の最初も手紙文で始まる。

結局、森尾はあかりの母との関係(予測はつく)を話し、それによってあかりはこれまで色々悩んでいたことが吹っ切れる。

という話を軸に、マネージャーとあかりの祖父とのやりとり、ワインの話(祖父はワインを密造している)、鯨の話(島からホエールウォッチングができる)などがからんで、笑わせてくれる。私、今日は悉く笑いどころでワンテンポ遅れた。具体的に唯一覚えているのは、西川浩幸がもってきた1910年のワインを辰巳琢郎が味わう場面。辰巳の表情を窺いながら西川が「くいしん坊! 万才」のテーマ曲を口笛で吹く。わかっているのに、脳の「笑え」という命令が届くのが遅くて……。

辰巳琢郎は、30年も郵便配達をやっているというのに、あまりに若くて背が高くてカッコよくて、最初はあかりとの恋の話かと思ったくらい。もうちょっとうらぶれた感じがあってもよかったかなと思う。毎日赤い自転車を30分も走らせて郵便を届けてくれるこの配達人は、中国映画「山の郵便配達」(いい映画だった)を思い出させ、さらには郵政民営化直前のこの時期にちょっと皮肉な気がした。辰巳琢郎って、私がTVで初めて見て*以来、あんまり芝居がうまいとは思わないのだけど、好きです(この人、TVドラマよりは舞台の人なのかも)。

中島知子は、関西弁で演じるのだろうかと思ったら、共通語で喋っていた。関西弁を封じるというのだけでも苦労したのではないだろうか。1回だけチラッと関西アクセントが出たけど、うっかり出ちゃったんだろうな。演技はまあ普通。でも自然で、逞しさと可愛らしさが混在し、意外とピュアな部分もあり、好感がもてた。ギター演奏とともに歌を1曲歌うが、これはご愛嬌か(シンガーソングライター役なんだから、ご愛嬌じゃいけないんだけど、少なくともギターはぎこちなかったな。歌は悪くなかった)。

西川浩幸と逆木圭一郎はうまい。この2人がからむと、なんとも言えないおかしさと温かさが漂い、いいコンビだなあと思った。

真夏の南の島の出来事であり、またワインも重要な小道具であることから、出演者たちはよく麦茶とワイン(葡萄ジュースか何かでしょう)を飲む。これって、けっこう大変だろうな。とくに麦茶は暑いからって、ほぼ一気飲みするんだから。でも、ワインのほうは、見ているうちに、たまらなく飲みたくなってきた。

島の時間はゆっくり流れ、都会の時の流れは速い。それは祖父と郵便配達夫vs あかりとマネージャーの対比で教えられる。そういう対比はステレオタイプ的ではあるかもしれないけれど、嫌味なく実感としてもわかる気がする。そして、中央に置かれた丸い旧型のポスト、奥のほうの石の塀の間の坂道など、懐かしさを覚える舞台に、しばし癒され、島への憧れを掻き立てられる気分であった。

*辰巳琢郎のTV初登場:多分、1984NHK朝の連ドラ「ロマンス」。樋口可南子、榎木孝明共演。榎木とはダブル主役みたいな感じで、インバネスをかっこよく翻した姿は今でも覚えている。

おまけ:芝居の中で披露された薀蓄2つ。まず、彗星の現れた翌年のブドウは出来がよく、したがって優れたワインができる。1910年モノは、それ。しかし、実際にはすっぱくて飲めないらしい。30年を過ぎるとワインはおいしくなくなるとか(あくまで芝居で言っていたことで、私にはワインに関する知識はまったくない)。もう1つは、ザトウクジラは歌う。マネージャーの上村曰く「歌いたいから歌うんじゃない」。しかし郵便配達夫によれば「それは求愛の歌です」。この芝居の最後で、ザトウクジラの歌が聞こえてくる。
<上演時間>110分

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ああ小市民

070928lastlaugh_2今日、仕事先でTシャツをほめられた。

7月に見た「ラストラフ」のTシャツである。

芝居やコンサートに行くとついつい昂揚感から買ってしまうが、そういうTシャツってけっこう失敗している。たとえば、以前にコクーンで買った「桜姫」と「四谷怪談」のTシャツ、桜姫のほうは何だか似合わず、四谷怪談はどこに着て行くのよといった感じで、ほとんど活用していない。「ラストラフ」もそういうリスクがないではなかったが、胸のイラストが気に入ったので買ったのである。

自分では、まあそこそこ着られるかな、と思っていたが、これが意外と評判いい。ほかでも時々ほめられる。

そこで、私は考えてしまうのである。半袖だから今シーズンはもうあとわずかだが、来年、好評に気を良くして度々着るか、いやあんまり着ると傷みが早くなってもったいない、なるべく着ないようにするべきか。

ああ、私ってなんと小市民であろうか。ん、それとも単なるケチか。

追記:最初の文(今日、仕事先でTシャツをほめられた。)を書いたところで、ふと思った。私はそんなお気楽な格好で仕事に行っていたのだなあ、と。宅配便に電話、ファクシミリで用を済ませ(メールを使えない仕事なのだ)、たまにしか顔を出さない会社だけど(あるいは、なのに)、そんな格好で行っていいのか。今、初めてそんなことに意識がいった……。

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2007年9月26日 (水)

ベスト4じゃ~っ

926日 対全北現代モータース戦(韓国全州ワールドカップ・スタジアム、31,000人、1900キックオフを某居酒屋でテレビ観戦)→02勝利 
勝った、勝った。
前半4分、ポンテのシュートをGKがこぼしたところに達也が飛び込み、見事にゴール。店内総立ちの大騒ぎ。いつもなら「早すぎる」と警戒する私だが(以前はこんな早い時間に取ると、油断するのかひっくり返されることがよくあった)、今日ばかりは早く先制して、相手にプレッシャーを与えたかったから、やった~と雄たけびをあげた。
前半22分、相手16番が2枚目のイエローで退場。とかく10人のチームは死力を尽くして数的有利にある相手を苦しめるものだが、今日の現代にはそういう怖さはあまり感じなかった。現代としては、ホームでの1点のビハインドが重すぎたのだろう。しかも後半22分にオウンゴールでレッズがもう1点加えると、さすがにがっくりきたのか運動量がかなり落ちた。永井が決定的チャンスをはずしたのはなんとも残念。
それにしても現代は焦りのせいか、ラフプレーの連続で、審判がまともにカードを出していたら何人退場になるかってくらい。そこはサウジの審判、プレーもよく見ていたし、ゲームコントロールも巧みだったと思う。結局現代のカードは4枚、退場2人(1人は試合終了後)。レッズはカードゼロ。あれだけ激しいタックルやらなにやらを受けながら(闘莉王は肘打ちでも食らったのか顔面血だらけになっていた)、よくカッカッせずにプレーしたものである。
遠く現地まで応援に行ったサポーターたちの声は、まるでホームかと思うくらいの勢いで(ありがとう!!)、また店内の我々の声も現地に届けとばかり。きっと埼スタのパブリックビューイングでも、他の店でも同じだったろう。その声が選手たちを後押ししたのかもしれない。現代のホームはアクセスが悪いらしく(レッズの選手たちは帰省ラッシュに巻き込まれて空港からの移動に9時間とか10時間とかかかったそうだ)、現地行きは諦めたが、本当はあの場に身を置いていたかったなあ。
過密スケジュール、代表選手たちはそれに<>がつくきびしさ、それを乗り越える逞しさが、今のレッズには見られる。本当に強くなったものだ。
私がいつもネガティブ思考になるのは、負けたときの傷をできるだけ軽くするためなのだ。私はそれほど傷つきやすいのですよ。しかし今日はおかげで、しばしの間、現実逃避とともにストレス解消ができた。
おまけ:余計なことだが、サウジの線審の1人が渋くて素敵だった。顔はムーディが立派に年をとったという感じかな。ムーディ云々はともかく、同席の女性も素敵という私の評価に賛同していたから。しかし、どこ見てるんだろうね、私は。

追記:ACL決勝はレッズと川崎で!! なんて調子に乗って気勢をあげていたのに、川崎はPK戦の末、負けてしまった。まことに残念。

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電車の中で

ボンヤリと首を上げて中吊りを見ていたら、あらっ、團十郎さんじゃないの!! 穏やかな笑みを浮かべた素顔の向こうに弁慶が。

何のポスターかと思ったら、高齢者雇用フェスタとか。

弁慶のさらに後ろに、頬を色っぽくピンクに染め、嬉しそうな表情をした愛すべき山蔭右京を思いながら、私は一駅の旅をにたにたしながら楽しんだのでした(ちょっと危ないオバサンでした)。

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2007年9月25日 (火)

朴清さん…

今日は朝からバタバタ色々な用事があり、今やっと新聞を開いた。そこで、望月朴清さんの訃報を知った。
今月17日まで歌舞伎座に出ていらしたという。慌てて筋書きをめくってみると、「身替座禅」の立鼓としてお名前が出ていた
(昨日は筋書きを見なかったから、朴清さんがいらっしゃらないことに気付かなかった)。亡くなられたのは20日だそうだから、急なことであったのだろう。
こちらも姿勢を正したくなるような、凛然とした、古武士のような風情の舞台姿を、私は好きだった。
父を思わせるような白髪の朴清さんを思う今、胸に込み上げてくるものがある。
73歳は、今の時代、まだ若い。まこと、残念である。
朴清さん、安らかにお眠りください。

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続・やっぱり歌舞伎が一番

924日 秀山祭九月大歌舞伎夜の部その2(歌舞伎座)

0709242kabukiza 「身替り座禅」

何度見ても面白い。團十郎さんの山蔭右京は上品な色気があり、実に愛すべき人物になっていた。しかも團十郎さんのあの目の大きさがとても効果的に活きていて、奥方との遣り取りがより楽しめた。左團次さんの奥方は、女方として意外と違和感がなく、確かに怖いけれども、怖いだけじゃダメ、この役には欠かせない(と私は思っている)可愛らしさも十分感じ取ることができた。染五郎さんの太郎冠者、家橘・右之助さんの千枝・小枝もよかった。山蔭右京と奥方は誰がやっても面白いのに、それぞれ微妙に異なる右京と奥方になっている(当たり前か)のがもっと面白い。

0709243kabukiza 「二条城の清正」

最近、体調が悪く(そりゃ、毎日出歩き過ぎだから)、ここまで耐えてきた不調がついにこらえきれず、2幕目第1場、肝心の「二条城大広間」は、後半首がぐらっぐらっとした。それを抜きにしても、意外と最初から入っていけなかったのはなぜだろう。1幕目、差し迫った場面になってもついていくことができなくなり、諦めて傍観者的気分で眺めていた。しかも、清正が「上様、上様」って言うたびに、上様って誰だっけ、勝頼だっけ、あ違った秀頼だ(2人とも家を滅ぼしたからね)、なんて間抜けたことを考えていた私は「風林火山」に毒されているのか、単なる脳ボケか。

ちょっと面白かったなと思うのは、二条城での家康(左團次)との腹の探りあい。ここは豪華な広間で、幕が開いた途端、まずその見事な造りに度肝を抜かれる。しかも、1幕目が清正の無骨な館で暗い場面とは正反対に、ぱっと開けた明るさ豪奢さに目を奪われ、アッという間に舞台を作り変えた大道具さんにも感嘆した。家康と秀頼(福助)の挨拶は、どちらが先に座るかで序列が決まるから立ったまま行われる。このあたりは左團次さんも福助さんも、それぞれの人間を表していてよかったと思った。

だが、その後の淀川御座船の場の秀頼が、私にはピンとこない。親子のような情を交わす大事な場面なのに、まず「じい」と呼ぶ声が妙に甲高いのにずっこけ、その後も吉右衛門さんの声を振り絞るような素晴らしい熱演には拍手をしながらも、どうにも乗り切れなかった。時には自分に合わない演目っていうのもあるのだけど、本来こういう話は好きで、どんどん中に入り、胸を熱くするはずの私が、なぜかこの芝居は物語そのものもあんまり面白いとは感じず、そういう自分自身にどうも納得がいかない(ま、今回は体調のせいにしておこうか……)。

それでも、歌舞伎はやっぱり芝居の中で一番面白い。今月は色々な芝居を見たけれど、歌舞伎が一番しっくりくる。

<上演時間>身替座禅55分、二条城の清正83
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やっぱり歌舞伎が一番

924日 秀山祭九月大歌舞伎夜の部その1(歌舞伎座)

0709241kabukiza_2壇浦兜軍記」

今日の目的は、なんといってもこれ。以前に歌舞伎チャンネルで歌右衛門さんの阿古屋を見たときに、阿古屋というのは、3つの楽器を弾きこなさなくてはならないし、女方としては屈指の難役であると聞いた。昭和33年から61年までは歌右衛門さん、その後間があいて平成9年からは玉三郎さんしかやっていないことを見ても、それが想像できる。

スッゴく重そうな衣裳に鬘の玉さま、本当にきれいで、凛として、見惚れた。そして玉さま演奏の琴、三味線、胡弓(中国の胡弓とは違う。和製胡弓っていうのかな、三味線を弓で弾くというイメージ)の3つの楽器にも聞き惚れた。浄瑠璃や長唄とのセッションがしっくりきて、しかも玉さまが楽器に合わせて歌う声も聞けて、感激。私が見た歌右衛門さんの阿古屋には鬼気迫るものがあって怖いくらいであったが、玉さまの阿古屋はあくまで潔く、美しく、愛らしさも感じられた。

裁き役としての秩父庄司重忠の人間の大きさは、吉右衛門さんにぴったり。最初の琴を聴いている間、階段に片足をかけた姿勢を保つのはけっこう大変だろうなあ、なんて余計なことを考えた。

この演目でもう1つ楽しみにしていたのは段四郎さんの人形振りである。岩永左衛門致連(致連はむねつらと読む。って、読めないよ~)は、赤っ面の悪役。これを人形振りでやるから、何とも愛嬌があって、かっわゆ~い。眉毛も仕掛けでぴくぴく動くんだもの。客席からもずいぶん笑いが湧いていた。段四郎さんが最初に登場したときは、あっ、亀ちゃんにそっくり~、やっぱり親子だ~と、思わず叫びそうになった(最初だけ)。で、この役は人形だから、セリフは浄瑠璃(泉太夫さん)が代わりに言う。泉太夫さんは声張り上げ大熱演で、清太夫さんにかぶるところがあった。この熱演ぶりにも客席から笑いが起こる。

段四郎さんは、玉さまの楽器演奏の間、身体が前後に揺れ、寝ているんじゃないかと心配になってしまった。そんなわけないよね。もしかしたら、岩永が寝ているという設定だったのかもしれない。いい気持ちでいて、フッと目覚めたというような仕草もあったから。岩永は阿古やの胡弓に我を忘れ、自分も弾いているような手振りをして笑わせる。人形使いとして段之さん、段一郎さんが段四郎さんを支えていたが、ずっと段四郎さんの陰で身体を折っている姿勢は疲れるだろうなあ、とここでも余計なことを考えた。

音楽が楽しめるとはいえ、ちょっと重苦しくなりそうなこの芝居にほっとする瞬間を与えているのが悪役岩永の存在というのは、なかなかうまい趣向だなあ、と感心した。

<上演時間>77分
長くなるから、以下その
2
へ。
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2007年9月23日 (日)

ドラキュラ参上、ファンタジー安土桃山

922日 「愛、時をこえて 関ヶ原異聞」(シアター1010 午後2時の部)
男役の女優・貴城けいさんと男優・市川段治郎さん、しかも片方は西洋の吸血鬼、片方は日本の武将、なのに2人のからみに違和感はなく、なかなか面白い趣向であった。
宝塚と歌舞伎のハイブリッド劇のようでもあり、だけどヅカテイストはかなり濃く。まあ、貴城けいさんのための芝居と言ってもいいかな、と思うくらい、貴城さんが輝いていたし、カッコよかった(ときどきセリフの一部が聞き取りにくいことがあったけど)。それに対する我が歌舞伎陣も、段治郎さんが堂々として素敵。宝塚の男役さんって意外と華奢で、「シラノ」の安寿ミラさんもそうだったけれど、貴城さんも段治郎さんと並ぶと、やっぱり女性だなあと思う。

開演を報せる音は、<らしい>鐘の音。

物語は簡単に言うと(ネタバレします)、石田三成(市川段治郎)の手によって日本の地で甦ったドラキュラ(貴城けい)が三成に協力して、徳川家康をやっつけようとする。しかし、ドラキュラは細川ガラシャ(華城季帆)に恋をする。いっぽう家康は家康で三成暗殺を企てているが失敗する。やがて、家康側の高山右近(吉野圭吾)と服部半蔵(大蔵基誠)対ドラキュラの壮絶な戦いが始まる。しかしドラキュラはガラシャとの触れ合いで、その魔力が弱まり……という、荒唐無稽もの。しかも、ドラキュラは出雲お国(貴城けい二役)に姿を変え、町に出て歌ったり踊ったりもするという、夢を見ているみたいなはちゃめちゃさ。

これが案外楽しいのである。こういう話だから、海老ちゃんのドラクルと違って重苦しさもないし、物語にそう深みがあるわけでもない。ただ単純に、ドラキュラが安土桃山時代の日本に現れるファンタジーとして、役者さんの演技、歌、踊りを楽しめばよいのだと思う。段治郎さんの三成は大きさを感じさせる演技であった。貴城けいさんはそこにいるだけで<宝塚>だし、華城季帆さんとのデュエットも完全に宝塚。でも歌舞伎側は、ああ歌舞伎だという感じはほとんどしなかったな。貴城さんが唯一男役なら、歌舞伎では笑野さんがガラシャの侍女で唯一女方。私にとってはやっぱり女方のほうが自然な感情で受け止められる(貴城さんの低音が心地よいながらインパクト強く、まだ耳を離れない)。

ただ、せっかく歌舞伎との融合なんだから、立ち回りでトンボなんかを入れて欲しかったなあ。猿琉さんが半蔵配下のくの一をやったんだけど、当然「獨道中五十三驛」のおくらを思い出して期待するじゃない。ところが、意外とあっさりとドラキュラにやられてしまって、ちょっとガッカリ。他の立ち回りでも、そういう歌舞伎テイストがあったらなあ、と残念に思った。ガラシャの遺体が3人の男性によって高々と持ち上げられ運ばれて行くのは、歌舞伎風なのかな(他の芝居でどういう扱いをするか知らないから)。

ドラキュラ復活のもととなる十字架の刺さった棺桶を三成に売ったのは鬼丸という人物。この鬼丸役の曾我廼家寛太郎さんが私はけっこう気に入っている。気の良い<ばさら>で、適度にアクがあり、適度にかきまわしで、面白い。

ガラシャの夫の細川忠興(市川笑也)は、嫉妬深く(ガラシャに口を利いたという理由だけで庭師を斬り捨てたほど)、どちらかというとイヤなヤツらしいのだけど、笑也さんの忠興はそんなにイヤな感じではなかった。そのあたりもうちょっと掘り下げると面白いのだけど、この芝居ではそこが主眼ではないから、そんなものか。

オペラグラスがあったら、倍は楽しめたかもしれないな。本当にバカな私。
欲張りすぎた9月は、まだまだ続く。

おまけ1歌舞伎からはほかに、猿四郎さんが直江兼続、小笠原少斎役、猿治郎さんが半蔵配下・猿(ましら)役で出ている。

おまけ2猿琉さんは、東京公演ではくの一であるが、名古屋・大阪公演では服部半蔵を演じる!! この芝居で一番最初に登場するのは、半蔵なんである。ううう~、名古屋へ行きた~い。プログラムを見ると、くの一はダブルキャストになっていないから、半蔵と二役なのかしらん。ううう~ますます名古屋へ行きた~い。

と思ったら、名古屋・大阪公演はもう終わっていた…(--,)

おまけ3プログラムは、ここでも(「ヴェニスの商人」でもそうだった)舞台写真版と舞台稽古版の2種類あり。そして、私はここでも2種類買ってしまった。
おまけ4音楽は加藤和彦さんでありますぞ~。

<上演時間>165分、休憩20分、第275

<シアター1010>北千住駅西口マルイの11階(私はちゃんとリサーチしていかなかったので、駅のすぐそばだというのに、ちょっと迷いました)

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2007年9月22日 (土)

バカ バカ バカッ

ないの、オペラグラスがないのよ!! 今日の芝居は後ろのほうの席だから絶対必要なのに。いくら探してもないのよ!!!

ついさっきまで、文庫が10何冊もツンドク状態になっている雑然かつ汚らしい机の、物が溢れて閉めることのできない抽斗の一番上にあったのよ。なのに、今はないの。

抽斗も机の上も全部ひっくり返して見たけど、ないの。

マヌケかつ用心深い私は、いつも前日に持ち物を揃えておくのに、なぜか昨日に限ってそれをサボった。しかも支度を始めたのは、出かける30分前。暑い汗なんだか冷や汗なんだか、タラタラ流れ落ち(化粧がくずれるぅ~)、ただただ気は焦り、ついには、きっとゴミ箱の中にでも落ちてたのに気付かず昨日捨ててしまったんだろうと、悲しい結論に至った。

あ゛~っとガックリしながら家を出て、電車に乗った途端、思い出したっ!!

そうだ、この前サッカーに持って行ったんじゃないの。あの時のバッグに入っているはずだ。本当はさっき、そのバッグもざっと中を眺めたんだけど、それも2度、<眺めた>んだけど。

「シェイクスピア・ソナタ」も「憑神」もオペラグラスは必要なかったから、ずっと放置しておいたっていうか、そこにわかるように置いておいた青いクッションケースがついさっきまであったような感覚に陥っていたのだ(残像現象じゃないよね、なんていうんだっけ、そういう感覚)。

だから、サッカーのバッグも中に手を入れて探ってみなかったのだ。ああ、私って、本当にバカ!!

帰宅後、バッグを見たら、ちゃんと奥にありました(--,)

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2007年9月21日 (金)

やっぱりイマイチ「憑神」

920日 「憑神」(新橋演舞場1630分の部)

浅田次郎にしては珍しくはずしたな、という感じだ。映画がイマイチだったから、原作を読み始めたけれど、途中で挫折し、真ん中あたりで止まったまま。芝居なら面白いかな、と期待して見た割には、やっぱりイマイチだった。

題材も物語の展開も面白くないわけがない。それなのになんでだろう。最大の問題は、主人公たる彦四郎という人物に私が魅力を感じないことにある。別所彦四郎は、徳川慶喜が敵前逃亡した卑怯者だと知っても、家康公の影武者であったご先祖様以来の由緒ある家柄の人間として、敢えて最後まで幕府に殉じようとする。時代を読めない、いやわかっていても武士の本分に生きようとするピエロであり、ドン・キホーテである。ピエロには、ドン・キホーテには、おかしみとともに物哀しさがつきまとう。それなのに、私にはそれが感じられなかったし、浅田次郎が言いたいことはよくわかるのに、この人物の思いに対する共感とか、わかるわかる、ってものがないのだ。もしかしたら、浅田次郎描く典型的江戸っ子とはキャラが違うせいなのかもしれない。

ただ、映画にも舞台にもなったということは、彦四郎に魅力を感じる人が大勢いるということでもあろう。だから、私が彦四郎を理解できない、というだけである。私にとって、彦四郎の超ちゃらんぽらんな兄・左兵衛のほうがよっぽど面白い。現実主義の兄嫁も良い。

芝居はいきなり、彦四郎(橋之助)の立ちション(下品な言葉遣い、失礼)から始まる。リアルに音まで入れちゃって、後ろのオバチャンたちが「いや~」と言って喜んでいた。このオバチャンたちは非常に反応が良く、いちいち受けてきゃぴきゃぴ笑っているのが可愛らしい。小用を済ませた後、土手から転がり落ちるその落ち方はちょっとわざとらしい。だいたい、最初に見たとき、ずいぶん高い土手だなあ、これじゃ墜落じゃないの?と思っていたのだ。やっぱり滑り落ちようとするには無理があったようだ。

落ちた先で三巡神社を見つけ、手を合わせると、場面は一気に250年以上遡り、別所家のご先祖さまが活躍した大坂夏の陣になる(後でこの場面が何のことか明らかにされるが、物語を知らない人にはわかりづらいかも)。家康がちと貧相。橋之助演じるご先祖様のほうがよっぽど貫禄がある。ご先祖さまが家康公の影武者として見事果てると、ゲートフラッグ(2本の棒で支えられた大きな幕)が登場する。「憑神」と書いてある。映画のタイトルみたい。

舞台は、一部、初めて見たらわかりにくいかもなあと思う部分もなきにしもあらずだが、まあまあよくまとめていたと思う。人物Aが人物Bに過去の出来事を説明するとき、現在の場面を置いたまま、Aが同じ舞台で進行する過去に赴き、そこで出来事が起こる。「~いうわけでござる」ってな感じでAは現在に戻り、Bはその出来事を<まるで眼前で起こったように>わかる、という手法は面白い。その一方で、右見て左見て、また、右見て、っていう感じで目まぐるしくもある。

それに、物語が進むに連れて、男優陣の声の大きさに疲労を感じるようになってしまった(音響ではボディソニック効果を感じたけれど、がなり声じゃあ芝居に入っていけない)。しかも、ず~っとドタバタ喜劇のようにして進行してきたのに、戦が始まったとたん、ありきたりな感動もの風になって、これも思い入れできない原因のひとつだったかも。

葛山真吾さん(榎本釜次郎、後の榎本武揚)は意外とよかった。意外と言っては失礼だが、昼ドラに出てきそうな二枚目ぐらいにしか思っていなかったから。これが、なかなか骨もあり、おかしみもあり、かつさわやか。兄・左兵衛(デビット伊東)は、映画の佐々木蔵之介が私は気に入っているが、デビも悪くはない。兄嫁(秋本奈緒美)がこれまた良い。これがあの秋本奈緒美か~?と思うくらいTVで見る顔と絶対違う。

日和見主義の臆病者・青山主膳は笠原浩夫さんだったが、最初、金成公信(吉本のお笑いコンビ、「ハローバイバイ」の1人。日テレ「ロンQハイランド」のプープー星人)かと思った。思わずプログラムで名前を確認したくらい。って言ったら怒られちゃうか。

貧乏神・疫病神・死神は映画のインパクトが強く、升毅さん、コング桑田さん、鈴木杏ちゃんはそれぞれ、う~ん…決して悪くはないけど~。原作とも映画とも違うのは、死神の扱い。舞台ではほとんど最初から登場したので、驚いたけれど、特別な違和感はなかった。死神は自分の使命に反して彦四郎を死なせたくなくなるから、その気持ちに唐突感を与えないために、早くから登場させたのかもしれない。年齢も映画では幼い女の子だったが、ここでは1516歳の娘という感じで、ドライな今どきの女の子風。

橋之助さんは出ずっぱりで、大汗かいての大奮闘。顔からも頭からも汗の粒がひっきりなしにぽたぽた落ちる。剽軽な動作が勘三郎さんの仕草にそっくり。誰かが「橋之助さんは、やっぱりさわやか系よね~」と言っていたが、どうでしょうか。

今日はハプニングが3つもあった。まず、死神・おつや(そう、死神お名前はおつや。含みがありますねえ)が遊んでいた毬が客席に転げ落ちたこと。次に、上から下りてくる大道具の塀と蕎麦屋の屋台がぶつかったこと。屋台の位置の目測を誤ったんだと思う。最後に、カーテンコールで役者さんの手から刀(鞘に入っていた)が客席に飛んでいったこと。色々あるものですなあ。

<上演時間>175分、休憩35分、第270

おまけ:来年1月演舞場は海老ちゃんの「鳴神」通しだあぁ(成田山開基1070年記念「雷神不動北山櫻」)!!

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町は変わる

昨日、久しぶりに演舞場へ行った。なんと4カ月ぶり!!
演舞場前のコンビニで、いつものように飲み物を買おうとしたら、ありゃりゃ、ない。コンビニがないのである。当たり前のようにあったものがなくなっているのは、寂しいような、なんとも変な気分で、複雑。ちなみに、コンビニは画廊になっていました・・・


これまた久しぶりに有楽町を通った。再びありゃりゃ。ずっと目隠しがされていた<有楽町イトシア>の建設現場が露わになっていたのだ。オープン予定の10月12日まで、毎日が無理なら週1でも見学(というよりは見物かな)に行きたいが、そういうわけにもいかない。次に見るときは、完成した姿だろうな。
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町の顔が変わると、以前どんな顔をしていたのか、そこに何があったのか、たいがい思い出せない。

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2007年9月20日 (木)

ガックリの勝利

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19日 ACL 対全北現代モータース戦(埼玉スタジアム、1930キックオフ、33,103人)→21勝利

開始3分、長谷部まこちゃんの目の覚めるようなシュートで幸先良く、応援にも力が籠る。キックオフぎりぎりでスタジアム入りした私は、仲間たちに「(ゴールシーンに」間に合ってよかったね」とからかわれ、ゴキゲン。だけど、ちょっと点取ったの早すぎるんじゃない? だって、レッズは早く点を入れると、安心しちゃうんだかなんだか、その後の展開が苦しくなることが多いのよね。という危惧を抱きながら、前半、「もう1点~」と何度も叫ぶ。いいシーンもあったのだが、結局ゴールは割れず。

後半14分、達也がやっと決めた!! ああ、いい気分だ~。だけど、選手たちヘトヘトになってる。ポンテなんかもうヨレヨレだし、達也も山田もかなり参っていそう。早く替えてやればいいのに、オジェックはちっとも動かない。後半も残すところあと10分ってなってから、ポンテに替えて伸二を出してきた(そんな時間帯じゃ、見せ場なんか作れやしない)。そしてロスタイムってところで、達也に替えて内館だって。何考えてるんだ。(相手のコーナーって時に替えたんだか、替えるってことで待機していたんだか。どっちにしても、なんてタイミング!! 信じられない。それに達也を替えるならもっと早く、岡野あたりと交替させるべきだったんじゃないの? 岡野のスピードで相手を霍乱できるし、ファウルを取るチャンスだって増える。それから内館じゃなくてネネだったんじゃないの?)。って、なんだかピッチもごちゃごちゃ、こっちの頭もごちゃごちゃしてる間、あ~あ1点取られてしまった。直前、相手の鋭いシュートがポストに当たり、思いっきり胸を撫で下ろしたところだった。まったく~。

0709194acl_4 絶対、完封しなくちゃいけなかったんだよ~、今日の試合は。次はアウェイ。当然観客席は今日と逆の状態になる。今日なんか、サポ席の前で展開されるプレーには、完全にサポーターの後押し が見られた。相手攻撃にはサポ席全体が轟音とともに山となって押し寄せる感じで、これは相手に相当プレッシャーを与えそうだな、と思った。来週はそれをレッズが受ける。そして、相手が10で勝った場合、アウェイゲー0709193acl_2 での得点は倍に換算されるから、合計23で相手の勝ちになってしまうのだ。つまり、完封さえすればかなり有利な立場にあったものを、この1点のために状況はがらっと変わってしまったわけだ。

納得のいかない選手交替、なんで?というロスタイムの失点。いつになく力の入った応援の疲れがドッと出て、私は本当にガックリきたよ。

まあ、しかし、今日の勝ちは勝ちで貴重だし、アウェイで勝ちさえすればいいのだ。次はワシも出てくるだろう(休養後のワシは少し上手くなった気がする)。03日の弾丸ツアーに参加するサポーターたちの応援にも期待しよう(頼むよっ!!)。

おまけ:19日東京新聞夕刊に、サッカージャーナリストの大住良之氏が、日本代表チームの欠点(各年代共通)を挙げていた。すなわち、守備が甘い、パスをインターセプトしようとする意識に乏しい。無理して取ろうとせずウエーティングに徹する。ドリブルも、足に当ててボールを奪おうというより、抜き去られまいとついていくだけ。代表だけではない、Jでも同じだ。したがって守備が甘ければ、攻撃も楽だから甘くなる。

まさに、私がレッズの試合でいつも思っていたことだ。ボールを奪いにいかない、パスにしても取りに行かず待っている。「守備の目的が何よりも相手からボールを『奪い返す』ことであることを、もっと強く意識しなければならない」「現在の日本の守備は『相手のミスを待つ』ことに偏っているのではないか」「攻撃の強化は守備の強化と表裏一体をなすもの」という大住氏の意見に大きく頷いたことでありました。

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2007年9月19日 (水)

ついていき損ねたシェイクスピア・ソナタ

918日 シェイクスピア・ソナタ(パルコ劇場14時の部)
席に着くと、生活感のありそうな舞台が見える。舞台中央から左右に大きなテーブルが2つ。その奥には衣類のかかったハンガーラックがやはり左右に2つ。目をこらしてよく見ると、テーブルには鏡、化粧品の壜がのっている。ハンガーラックの衣類は衣裳か楽屋着か。居間のように見えたその部屋はああ、楽屋か、とわかる。そう思って見回すと、舞台一番下手の先端に、鏡台がもう1台置いてある。

なぜ一見居間のように見えたかと言うと、その部屋の造りが、レトロなんである。内容は全然知らないで行ったから、旧家でシェイクスピア劇のような出来事が起きるのかな、なんて思った次第。ところが、旧家の一室というのは当たっていた(以下、思いっきりネタバレあり)。シェイクスピアの4大悲劇をレパートリーに巡業をしている劇団が、資金援助をしてくれる造り酒屋に感謝の意味で、毎年4晩にわたり、そこの庭で4大悲劇を演じるのだ。だから、その旧家の2階の1室を楽屋として借りているわけ。

一座の座長・沢村時充(松本幸四郎)の妻は一座の看板女優でもあり、その造り酒屋の会長の娘でもあったが、7カ月前に死んだ。座長は半年もたたないうちに今の看板女優である松宮美鈴(緒川たまき)と再婚した。会長がそれに気を悪くして資金援助を打ち切るのではないかと座長は心配している。それを軸に、造り酒屋の次女・菱川夢子(伊藤蘭)と一座の若手俳優・二ツ木進(豊原功補)との不倫がからみ、各人物の感情が交錯する。

っていうのが大筋で、正直、何だかわかったようなわからないような……最終的には面白かったと言えるのだけど……。

ドラマの進行は、楽屋1室に集約される。外での出来事も、過去の出来事も、その楽屋での会話で教えられる。出演者は8人だけ。あれ、最近、そんな芝居を立て続けに見ているなあ。ただし、この芝居では1人1役。つまり登場人物自体が8人だけ。とても重要な存在なのに、会長は会話だけにしか出てこない。キミちゃんという一座のお手伝いさん的存在の女性も、しょっちゅう名前が出てくるのに、舞台には登場しない。

はじめのうちは、ストーリーも面白くて、「時効警察」コンビの岩松了(一座の役者・山田隆行役。この作品の脚本家・演出家でもある)と豊原功補の演技がおかしくて、かなりゲラゲラと笑ったりもした。とくに豊原功補は、たまらん。出演者がよく吹き出さないものだ(時々、突拍子もないところで、突拍子もない笑いが聞こえてきたけど、何?)。もう、あんまり可笑しくて声をたてて笑った後、思わず恥ずかしくなって口を押さえ、でもそういえば右からも左からも笑う声が聞こえてきたな、とちょっと安心して、ちょっと共感覚えたりして。
ところが後半途中から、なんだかついていけなくなってしまったのだ。

多分、その原因は、夢子にあるのだと思う。私自身が夢子に魅力を感じないのだ。あるいは伊藤蘭にピンとこなかったのかもしれない。ひどくオバサンに見えたし、痩せすぎてとんがった感じで、なんで二ツ木が惹かれるのかがわからない。この前見た大竹しのぶもかなりオバサンだなあとは思ったけれど、大竹しのぶには可愛らしさがあった(比較するのはナンセンスだよね)。もっとも、男性の見る目はまた違うようだから、きっと私には見えない魅力があったのだろう。で、わからないわからないと思っているうちに、全体についていけなくなってしまった。

一座のもう1人の女優・横山晶(松本紀保)も、イマイチ摑めなかった。座長の息子・美介(長谷川博己)の気持ちはな~んとなくわかる(美介は、びすけと読む)。

緒川たまきは、「トリビアの泉」のガセネタ・コーナー、「ガセビアの沼」で、毎回異なるパターンで「うそつき」とやって、タモリや高橋克実(この芝居では、夢子のダンナ・菱川友彦役で出演。造り酒屋の婿さんである。はまり役)を悩殺(古いね、言葉が)していた女優である。美鈴というのもつかみどころのない、エキセントリックといえばエキセントリックなところのある女性で、それは前妻のことがいつも意識から離れないせいなのだろう。緒川たまきの演技は可愛らしさをぎりぎり保ち、イヤミな女になっていないところがよかった。

幸四郎は、歌舞伎だと滑舌悪いのに、こういう芝居なら何を言ってるか、ちゃんとわかる。いつもイライラしているような座長の感情もわかる。そして、衣裳をつけたときのシェイクスピア役者らしさ、これはなかなかのものであった。

岩松了は、この作品で、役者の生活の中に潜む<不分明な事件の萌芽>(プログラムより)を描きたかったのだろうか。<舞台と客席の相互復讐>って、よくわからない。ただ、見ている私は、何か不安なものを受け取った。最後に会長が資金援助を続けることがわかっても、どこかに残る不安を感じた。それが岩松了の狙いだったのだろうか。やっぱり、わからない。まだまだ未熟な私は、もう1回見て、わかるかどうか確認したい気もする。もっとも、私って単純だからなあ……。
<上演時間>第一部70分、休憩20分、第二部70分
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←喫煙所から。劇場はパルコpart1の9階。

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苦手な町

パルコ劇場へ行った。渋谷の町は谷底の閉塞感があるのと、人人人、音音音で、なるべく避けるようにしている。行くとすれば文化村が多く、宇田川町方面へはめったに足を向けない。だからパルコの位置は何となく頭に入っている程度。それでも、「高田馬場」の時の記憶があるから大丈夫だろうと高を括ったのが2カ月前の「ラストラフ」。曲がるところを1本間違えて、大慌てした。

今日はその轍は踏むまい、としっかり地図を頭に叩き込んだおかげでバッチリ。あんまりバッチリすぎて、少し早いなと再び高を括ったのが大きな間違い。時間があるからお茶でも買おうと、一旦入ったパルコの建物から自販を探しに外へ出た。探すとなると意外と見つからず、2回ほど道を曲がったところでやっと発見。あんまり気に入ったのがないけどいいか、と買った直後、その数メートル先にも自販があるのに気付いた。世の中そんなものよ。

さて、再びパルコへ行くのに、今来た道を戻ればいいものを、ついつい生意気して先へ歩いて行ってしまった。2回曲がったんだから、もう2回曲がれば元へ戻るかな、と考えたわけ。だけど、いつだって、かなり方向オンチな私。完全にわからなくなってしまった。行き交う若者の中を見栄張って、目的地に突進する振りをしながら辺りに注意を遣ると、幸い交通整理のガードマンさんがいる。見栄は捨て、教えてもらって、やっとたどり着いた。結果として、なんだ、すぐそこじゃないの、という位置関係だったんだけど、頭半分パニックだったから…。

ともかく無事パルコ劇場で芝居を見ての帰り。西武のA館とB館の間だったと思うけど、信号が赤になった。向こうからバスが左折してくる。そして突然、もの凄いクラクションをぶ~~~~んと鳴らした。信号待ちの人たちが全員一斉にそっちを見たくらい。あまりの長さに、みんなバスのほうを向いたまま。こちら側からは見えないが、先に道を塞ぐ格好で車がいたのだろう。バスは、一度音を切ると、またすぐ怒りをこめてクラクションを鳴らす。バスの気持ちはよっくわかる。でも、その傍若無人とも言いたくなる音には、おばさんは苦痛を覚える。その後間もなくバスが動き出し視界が開けたら、やはり乗用車が適当に駐車していたようであった。運転していた人は、一応車の通行の邪魔にならないようにしながら、再び適当に(と見えた)駐めて、どこかへ行っちゃった。苦手な町に対する偏見には違いないけれど、渋谷じゃ、多くの人が好き勝手に行動している気がする。

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2007年9月18日 (火)

敬老の日に覚えた歌

昨日、一つ歌を覚えた。

「切手のない贈り物」。

2番を歌ったとき、泣きそうになって、声が膨れた。

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2007年9月17日 (月)

白い観覧車

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コンコルド広場、チュイルリー公園入り口前にある大きな白い観覧車。ルーヴルの方角から見ると、こんな見事な構図になっている。

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あちらの観覧車って、回転のスピードがかなり速いらしい。高いところ苦手の私は、早く降りられるならそのほうがいいような気もするが、ぶるんぶるん廻っているようなイメージが湧いて、怖い。
そうだ、そういえば、しかもゴンドラ部分しかないのだそうだ。カプセルで覆われているから乗れるんであって、風を直接受けながら空へ上がり地に降りるなんて、やっぱり私には恐ろしい。

おまけ:15、16日は文化遺産の日だとかで、国立の美術館は無料だし、普段入れないようなところも開放されたらしい。
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2007年9月16日 (日)

紙の効力

三響会、すご~く迷ってる。っていうのは、私、その日、実は国立演芸場の鹿芝居、取っちゃったのだ。三響会があるってわかっていたのに。鹿芝居なら、前日の26日だってやってるから、そっちにしてもよかったのに。でも、私、三響会の静謐でやや緊張の走る舞台より、大声を出して笑いたかったんだ、その時は。それに、その週は他にもあって、2627日の連チャンはきつい。だから三響会を思い切るためにも同じ日の鹿芝居を取ったのだ。

ところが、今日(ああ、もう昨日か。10月はこういう生活にしたくないっていうのもあったんだよね)、紙のチラシを見たら、なんて欲張りな迷いだろう。どうしても行きたくなってしまった。上演時間がわからないのだけど、鹿芝居が終わってからすぐに駆けつければ、最後の「一角仙人」だけは見られるかもしれない。あわよくば「月見座頭」の途中から入れるかもしれない(本当は「能楽五変化」だってすっごく見たい。能が苦手な私でも面白そうなんだもの)。

いや、そんな、演目の途中で席につくのは、演じる人にもお客さんにもあまりに失礼だ。何しろ確信犯的に遅刻しようとするのだから。

理屈ではわかっているのです。ただ、感情が理性を引っ張る。紙のチラシが感情を高める。

で、そこから得た実感。内容が同じでも感情に訴えかけてくる何かが、紙の情報にはある。ケータイ小説なんかも、読んだことないけど、紙の本になったら、きっと印象が違うと思うな。


三響会への思いはスッパリ断つことにしました(変わり身はや~い)。
いらした方のご報告と歌舞伎チャンネルに期待することにします←一晩寝て、冷静さが戻ってきました。昨日の私は、テンションが頂点まで上がってしまって、コントロールがきかなくなってしまったのね。お許しを。二兎を追うものは一兎をも得ず。遅刻をするようなスケジュールは立てるべからず、ですね。

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2007年9月15日 (土)

さすがに息もぴったり:「男女道成寺」ほか

914日 中村勘太郎・七之助第3回錦秋特別公演その2(和光市サンアゼリア昼の部)

錦秋公演の最初の演目は「吉原雀」である。去年は「棒しばり」のようなわかりやすい演目にしたが(これ、見たかった~。どうしても日程取れなかったのだ、去年は)、今年は色や匂いで踊る演目を選んだ。「吉原雀」では吉原の匂いを感じ取れる、次の「俄獅子」は鳶の頭と芸者という江戸を象徴する2人が登場する、ということで、そういうものを楽しんでほしい、と芸談で勘太郎さんが言っていた。

「吉原雀」は、勘太郎さんが女方で、七之助さんが立役。2人とも絵に描いたように美しかったが、バランスとして男女反対のほうがしっくりくるような気がした。もっとも、後の「男女道成寺」で七之助さんが女方をやるから、こちらはその逆にしたのだろう。吉原の匂いは十分漂ってきました。そういえば、この前の錦之助さんの公演でやった「戻駕色相肩」も、廓の様子を語る踊りだったな。小山三さんが七之助さんの後見として姿を見せたのは嬉しい。巡業って、若い人でも体力を相当使いそうだから、小山三さんの健康が心配だけど、お元気そうに見えて一安心(でも、12回公演で、和光の翌日が名古屋ってきつくない?)。

「俄獅子」は鳶頭が中村いてうさん、芸者が澤村国久さん。ダブルキャストらしく、もう一組は仲四郎さんと仲之助さん。いてうさんは小柄ながら、すっきりといい男で、いなせ。国久さんの芸者と江戸情緒たっぷりに踊る。勘太郎さんが2人に声を掛けてあげて、と言っていたが、声掛かっていたかなあ。記憶にない。せっかくのチャンスだが、やっぱり女の私には声を掛ける勇気はない。この2人に声を掛けると、「中村屋っ」「紀伊国屋っ」となり、パン屋とスーパーみたいだと、勘太郎さんが自分で突っ込んでいた。

「男女道成寺」。七之助さんの人形のような美しさに溜め息が出た。勘太郎さんもあまりにきれいで、私は勘太郎さんが男の役であることをすっかり忘れ、烏帽子が脱げて男だとばれた瞬間に、はっと思い出したのであった。前に見た仁左様は、最初からゴツくて女としての違和感があったから、男に戻った瞬間「ああ、やっぱり」と笑いが起こったが、勘太郎さんの場合は、知らない人が見たら狐につままれたような気分だろう。道成寺というのは、芸談で七之助さんが「踊りの魅力のすべてが詰まっている」と表現していたが、まったくいつ見てもその通りだと思う(先の芸談では、ミーハー的プライベートな話ばかりで、なんだ芸の話もあったんじゃないかといわれそうだが、実際芸の話はなく、最後に演目の紹介があっただけ)。2人のテンポよい踊りに目を奪われた。とくに、勘太郎さんが左近として最初に踊るまりつきは、動きがやわらかくなめらかで、実に見事であった。客席からも思わず拍手が沸いたほど。七之助さんも振り出し笠、手拭を巧みに使って美しい踊り。道成寺物は、舞踊としてホント見ごたえある。最後、七之助さんの花子が鐘にとりつき、幕。

道成寺だから手拭撒きがあるんだろうかと思っていたら、一瞬、何本かがさっと投げられた。所化さんたちがいないから、前のほうの数人分くらいだと思う。

それにしても、勘太郎さんはおとうさんによく似ている。とくに女方は、ソックリ。「吉原雀」のとき、後ろでもおばさま方が「おとうさん、そっくりねえ」とひそひそ話していた。七之助さんは後見座に控えるとき、やや身体を後ろにそらし、これも勘三郎さんに似ているな、と思った。

幕が降りたあと、一呼吸おいてからカーテンコールを要求するような拍手が再び起こったけれど、すぐにやんでしまい、もちろんカーテンコールはなかった。

今年は澤瀉屋さん、錦之助さん、そしてこの錦秋と巡業を3回見た。巡業の意義というものが私なりによくわかり、見てよかった、とつくづく思う。

おまけ1公演のグッズを売っていた。中村屋の家紋入りエコバッグ(家紋の色は紺、緑、茶の3色)、勘太郎・七之助さんそれぞれのキーホルダーとストラップ、家紋入り写真立て。私が見ている間は、勘太郎さんファンのほうが多かったみたい。

0709141gakuya おまけ2帰り、楽屋口の前で、洗濯物が干されているのを発見。お弟子さんが慌てて物干しをしまいこんでいたが、梅之さんのブログに巡業中の洗濯の話があり、それが実感をもって理解できた。百聞は一見に如かず、ですよ。

<上演時間>「吉原雀」15分、休憩10分、「芸談」20分、休憩10分、「俄獅子」15分、休憩15分、「男女道成寺」40

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楽しいトーク:中村屋兄弟芸談

914日 中村勘太郎・七之助第3回錦秋特別公演その1(和光市サンアゼリア昼の部)

0709142hall_2 本当は初日の文京シビックホールに行きたかったのだけど、取り損ねて、この日になった。初日の様子はmamiさんのレポートに詳しい。そのレポートから、一番楽しみにしていたのは、ミーハーの私らしく、芸談。

で、まずは芸談詳録(内容は芸には関係ない)。

和光なんて、お2人には何のゆかりもない所かと思っていたら、昔、同じホールでお父さんと公演を行い、勘太郎さん七之助さんで「かさね」を踊ったそうだ。それだけならどうということはないが、なんと勘太郎さんは学生時代、永田町から有楽町線で帰宅するとき(ご実家は江戸川橋で下車)寝過ごして和光まで行ってしまったことがよくあったという。私も和光―永田町間は何度か乗ったことがあるが、かなり乗りで・眠りでがありますよ~。七之助さんは、学校が飯田橋だからおうちまで1駅、眠るヒマはなかったようだ。

この公演もいろいろな地方を廻っているわけだが、前々日は奈良県、前日はお休みだった。七之助さんは休日を利用して映画「デス・プルーフ」を見てきたそうだ。司会の女性はこの映画のことを全然知らず(私も知らない)、どんな映画かと訊いていたが、七之助さんはだいぶ説明に困っていた。そりゃあ、簡単には説明できない映画もあるものね。地方公演では、2人で映画を一緒に見ることがあるそうで、その1つとして「キル・ビル」を挙げていた(2人はタランティーノ好き?)。

勘太郎さんのほうは、「世界遺産」の2本録りをして、その後、なんと「ドラクル」を見に行ったんだって!!! 1日違いだよ~。1日あとに取っていたら、勘太郎さんと一緒だったのになあ。あ、でも私は今、夜の外出はできるだけ控えているから、日は同じでも昼の部を見ていただろうな。どっちにしても一緒にはなれなかったか。「ドラクル」については、他の長塚作品に比べてストレートだな、と思ったということであった(わかりやすかったということかな、と私は受け取った。私も先入観で難解かと思っていたのが意外とわかりやすかったから、同じような感想をもって嬉しかった)。

体調管理は、勘太郎さんは風邪をひかないようにウガイ・手洗いを励行している。七之助さんは特に何もしていないが、冷房は消して寝ている。

食事について、司会者が「お2人とも痩せていらっしゃいますが」と振ったら、勘太郎さんがすかさず「僕は痩せていませんよ」と返し、客席大笑い。勘太郎さんは今日車で来て、和光のドライブスルーで久々にマックを食べたそうだ(^^)。七之助さんは何でも食べるが、とくに肉が好きだということ。「気を抜くと痩せてしまう」の一言に勘太郎さんが「えっ!! 気を抜くと普通は太るもんでしょ」とツッコミ。まったく気を抜くと痩せるなんて、羨ましい限り。勘太郎さんの好物はお子ちゃま系で、エビフライとかハンバーグ。何だか意外。

軽妙なトークの後、会場から質問者を募っていたが、最初に立ったおばあちゃまは、高い愛らしい声で、「中村屋の大ファン。今日は相撲のチケットもあったんだけど、こっちに来た。これからもおとうさんを助けて、頑張って」と熱き思いを吐露し、大拍手を受けた。次の方は、定番の好みの女性について。「彼女にしたい女優さんは?」に、勘太郎さんはすかさず「僕はベッキーが好き。あとは蒼井優さん」。七之助さんはしばらく考えていたがやっぱり「蒼井優さん」。お2人同じ女性でいいんですか? 僕は平気ですと七之助さん、僕は困りますと勘太郎さん。弟によると、兄はボーイッシュな女性が好みで、兄によれば弟はお姉さん系、年上が好き。って、おお、と思わず身を乗り出してしまう私。違うって、お姉さん系だよお姉さん系。わたしはおばさん系!!

兄弟げんかは?という質問には、勘太郎さんが、奈良で七之助さんに携帯を真っ二つに折られちゃった、って。そこで2人で、あれはこうだった、いやそうじゃない、ああだった、と言い合い。結果、携帯の件は喧嘩ではありませんよ、と。本当に仲の良い兄弟です。

ところで、来年の浅草歌舞伎だが、「メンバーはお楽しみに」と言っていたから、サプライズでもあるのかも。浅草の座組で、2月には博多座で公演をするそうですよ!!

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2007年9月13日 (木)

ドラクル

912日 ドラクル(シアターコクーン昼の部)

長塚圭史の芝居は初めて。以前に別の作品を見た友人が、相当エグイようなことを言っていたし、kirigirisuさんの初日評を読むと、私ついていけるかしらって感じがしたし(私の見る芝居ではないかもしれないなという気もして。元々、ドラクルは海老ちゃんじゃなくちゃ、見なかった)、座席は3列目で居眠りできないし(先行販売はずれまくって、もういいやと諦めたところへe-プラスの案内が。ダメモトで申し込んだら、こんないい席が当たっちゃった)、かなり緊張して席に着いた。(以下、ネタバレあります)

確かにエグい。いくら海老ちゃんでも、殺した子供の内臓で手や口を血に染めている姿はご勘弁願いたい。とはいうものの、気持ち悪くて耐えられないというほどでもなく、しかも「こういうのダメだ」と思いながらも、最後まで割と引き込まれて見てしまった。

見た結果、長塚圭史の意図とは違っているかもしれないが、人は誰でも自分のために生きている。だけど心の底ではそれに苦しみ、救いを求めている、ってことを言いたいのかなと思った。リリス(宮沢りえ)もアダム(勝村政信)もエヴァ(永作博美)も、救いを求めている。吸血鬼でさえ、魂が神に救われんと願っていたのだ。その願いが破れたとき、ドラクルは激しい怒りに身を任せ、結果として破滅の道を辿るのだけど、最後はちゃんと救われたではないか。誰に救われたの? リリス? ジャンヌ? 神? 

私は、たいがいの神は否定はしない(多分)。否定するとしたら、それはいかがわしい教会であり、宗教団体であり、だろう。中世の教会ときたら、まさに<いかがわしさ>の最たるものだ。異端裁判しかり、免罪符しかり。この物語にもその象徴たる胡乱な司教(手塚とおる)が登場する。しかし面白いことに、この司教、ちゃんと神への信仰はあるようなのだ。いや、恐らくこの時代の教会は、神への信仰はありながら、それを自らの権力維持に利用していただけなのだろう。

さて、海老ちゃん演じるレイという人物のモデルが、15世紀フランスに実在したジル・ド・レ男爵だということを知り、だからこそ、かなり興味をもって見ることができた。というのも、何年か前にジャンヌ・ダルクについてちょび~っとだけ調べたことがあり、領地の子供を何百人と殺した倒錯の男爵の存在・所業をそれで知ったから。ジル・ド・レはジャンヌの下でイギリス軍と戦った軍人でもあった。「ドラクル」でも海老ちゃんのレイはジャンヌの純粋な魂を崇めている。ジャンヌを異端として告発し死に至らしめたのは当時の教会を牛耳っていたパリ大学の聖職者たちだが、後にパリ大学神学部ではその過ちを認め、未だにそれがトラウマになっているということだ。余談ながら、ジャンヌにまつわるバツグンに面白い小説がある。佐藤賢一「傭兵ピエール」がそれ。異聞ジャンヌ・ダルクとでも言おうか、あっと驚く展開にはまり、宝塚宙組がこれを演ったときは、必死でチケットを取り、見に行った。もちろん、この小説にもジル・ド・レは出てくる。

長塚圭史の脚本は、史実と虚構の巧みな混淆によって、中世ヨーロッパ社会というものをよく表していると思う。セリフもわかりやすく、ついていくことができた。

ただ、2幕構成の第1幕は、やっぱりちょっときつかった。舞台は暗く重苦しいし、出だしはどうしても多少説明的で冗長にならざるを得ないのだろう。また2幕への伏線としての役割のせいでもあるかもしれない。

2幕目になると、テンポよく、ストーリーも面白くなる。俗物で好色な司祭、意気地なしの領主アダム、その気の強い妻エヴァが登場し(この2人の名前、思わせぶりだよね)、神、神と唱えながら、自分の利益しか考えていない人間世界の実情が見せ付けられる。そんな人間と対比すると、拉致されたリリスを求めて、怒りを爆発させながら城にやってくるレイのほうが美しく見えてしまう。狂言回し的存在のブランシェ(山崎一)の意味が、2幕目途中からやっとわかった。

ラスト、檻に入れられたレイの姿になんと、涙が出てしまった。これまでレイを利用していたと許しを請うリリスに一言「許す」と囁くレイ。この一言は重い。そして「一度死んでるのに、今、死ぬのが怖いんだ」と震えるレイ。海老ちゃんの口から出ると、なんて素敵なセリフなんだろう。そんなレイに手を差し伸べるリリス。朝日に朽ちるレイ。泣けました。

海老ちゃんって、思ってたより声が高いんだな。歌舞伎の海老ちゃんなら2幕目は大暴れするところだろうけれど、今回は長塚さんの要望もあって、ほとんど抑えている。抑えながら荒れ狂う心を表現するところはさすがである。宮沢りえは、きれいだったぁ。哀れさがよく出ており、それだけに、最後に告白する強さとの対比が面白い。レイへの思いが意外に希薄に思えたのは、「利用していた」せいなのだろうか。また、リリスの性格や信仰心がいまひとつ摑みきれなかったな(ここはkirigirisuさんの評が鋭いかも)。童顔の永作博美が複雑な女心を見せて好演。

そういえば、この芝居って、レイもリリスもアダムもエヴァも、精神のありように変化を来たす(有り体に言えば、良く変化する)のだが、司祭だけは変わらなかったように思うなあ。

おまけ1吸血鬼っていうと、むか~しむか~し、里中満智子の「ピアの肖像」って漫画に心揺さぶられたなあ。里中満智子、16歳の傑作。

おまけ2後でプログラムを見たら、海老ちゃんと長塚さんの対談が面白かった。海老ちゃんって、オペラ座の舞台を作り上げていくドキュメントでも感じたけど、すっごくアタマいいんだと思う。
おまけ3:来週見に行く予定の「愛、時をこえて 関ケ原異聞」もドラキュラものらしい。出演者に猿琉さんのお名前発見。
<上演時間>第1幕85分、休憩20分、第2幕85分

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忍 待(にんたい)

病院に行って、診察まで2時間半待たされた~。すぐ検査になり、「画像上からは異常なし」。診察時間はまさにたったの3分。
今朝はかなり元気だったから長い待ち時間にも耐えられたけれど、弱っていたらどうなっちゃうんだろ。そういう患者さんだっているだろうに。
待ち時間に退屈して話しかけてきた人にきくと、今まででこんなに待つことはなかったそうだ。みんなう~んざり顔。
でも、病院側も昼を過ぎても休めないし、午前診療が終わったと思ったら午後の診療が始まるから、大変だな。

ちなみに、患者は母、私は付き添い。持っていった仕事、ぜ~んぜんできなかった。でも、待ってる間に半年分くらいお喋りしたし、異常なしの結果で、めでたしめでたし。

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渋谷も秋

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人と騒音が渦巻く渋谷にも地域に根ざしたものがあるのだと、ちょっとほっとする。
金王八幡宮は、応神天皇をお祀りした神社で、1092年創建。現社殿は、1612年、春日局が家光将軍決定の御礼に建立したといわれ、渋谷区内では最古の木造建築だそうだ。源頼朝が植えたとされる境内の金王桜(八重と一重が混じって咲く)が有名だということだ。
どこにあるのかなあと思ったら、渋谷警察の裏にあるんだって。知りませんでした……。
今年の大祭は15日(土)、16日(日)に行われる。

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2007年9月12日 (水)

4人のチェーホフ:「ロマンス」鑑賞篇

911日 こまつ座&シス・カンパニー「ロマンス」その2(世田谷パブリック・シアター昼の部)

さて、この「ロマンス」は2部構成になっていて、1部は医師としてのチェーホフ(医者でもあったなんて、知らなかった!!)、2部はチェーホフの演劇人としての生活や考え方が描かれる。先にも触れたスタニスラフスキーとの確執、ここが一番のポイントではないだろうか。ここで面白いのは、トルストイ(生瀬。私、この人、「トリック」ではまりました)との遣り取りだ。このトルストイはかなりカリカチュア化されていて、めちゃくちゃ笑わせてくれたが、2人のドラマツルギーの違いが明らかになって非常に興味深い。トルストイが「ドラマというのは、主人公が出発点に立つところから始まる。出発点から遥か彼方にある到達点にたどり着く、その間の主人公の行動と人生がドラマだ」と言うのに対し、チェーホフは「舞台の上に人間の運命を再現する、これがドラマだ。人間は<>からこの世に到着して、やがて又<>へ出発する。だから自分のドラマは到着からはじまって出発へ向かう」と主張する。トルストイは反論できない。このへん、実際にチェーホフの作品を知っていたらもっと面白かったのだろうな。

大竹しのぶのオリガ・クニッペル(女優、チェーホフの妻)の可愛い弾け方が良い。大竹しのぶは、1部でしたたかな老婆、自殺した役人の妻も演じるが、本当にうまい。チェーホフの妹マリヤ・チェーホワ(この妹が信じられないくらい献身的に兄に尽くす)に松たか子。真面目な中にも、可笑し味がちらちら顔を出して、とても良い。そう、とても良かった。

4人のチェーホフはそれぞれ体型も違うのに、違和感はなく、ただ、青年期と壮年期がちょっと紛らわしいときもあったが、1人で一生を演じ通すのとは違った味わいが感じられた。段田さんが意外と一番印象が薄かった(ってことは、一番チェーホフとしてはまっていたとも言えるのだろうか。よくわからん)。

この戯曲そのものもボードビルで、歌あり笑いあり。とにかくよく笑わせてもらった。客席からも何度も何度も大きな笑い声が起こる。貧しく暗い庶民の生活は「やっぱりか」と憂鬱になるところだが、そのしたたかさには笑わずにいられない。歌では当然ながら井上芳雄と松たか子がとくに歌唱力が優れていた。井上クン(スタニスラフスキー役では白髪まじりの頭にヒゲ。秋篠宮に似ていた…)は歌と芝居への行き来が自在で、さすがにミュージカルスター。

井上ひさしの新作は1月に「私はだれでしょう」を見たが、この「ロマンス」のほうがはるかに上をいっている。と言って、ひどく感動したとか、すっごく心に残った、というほどではない。ただ、チェーホフに対する目が少しは開かれたような気は間違いなくする。
この
2作で、誰もが知っているような女優さんを3人見たが、浅野ゆう子はテレビ女優なんだな、と強く思った。

<上演時間>180分、休憩15分、第285

0709113publictheater 世田谷パブリックシアター:ず~っと前に行ったことのある、ひどくアクセスの悪かった世田谷美術館の印象が強く、どんな不便なところにあるのかと恐れていたら、なんだ、半蔵門線乗り入れ田園都市線三茶から地下道で直結。すっごく便利。劇場は落ち着いた雰囲気で舞台が見やすく、私は11列目の上手寄りであったが、ちゃんと舞台中央に身体が向くような構造になっている。しかも、座席がずれて並んでいるので、前の人の座高もあまり気にならない。音響もよかった。

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4人のチェーホフ:「ロマンス」先入観篇

911日 こまつ座&シス・カンパニー「ロマンス」その1

(世田谷パブリック・シアター昼の部)

600という客席に補助席がたくさん出て、立ち見の人も1人見かけた(関係者だろうか?)。

井上ひさしの新作である。こまつ座単独の芝居でないだけに、あの遅筆先生大丈夫かしらと案じたけれど、さすがにギリギリで間に合わせたらしい(最終稿脱稿が初日=83日の2日前だったとか)。

出演者はこの大竹しのぶ、松たか子、段田安則、生瀬勝久、木場勝己、井上芳雄の6人だけ。先日、7人で50人を演じるという「シラノ」を見たが、これも6人でさまざまな人物を演じ分ける。それだけではない、なんと男性4人がみんなそれぞれチェーホフを演じるのだ。ややこしい話だが、要するに、少年時代=井上、青年時代=生瀬、壮年時代=段田、老年時代=木場というわけ。時には2人のチェーホフが同時に登場していたりもする。

「ロマンス」という題名と、チラシの写真から、私、ず~っと日本の大正時代のお話だと決め込んでいました。それが10日ほど前、新聞の劇評でチェーホフの生涯を描いた話と知り、ひょえ~っとのけぞった。

外国かぶれだった私でも、どうもロシアものは苦手で、あの長さ(「戦争と平和」「静かなるドン」、この2作のインパクトの強さったら)、あの暗さ・しめっぽさ、あの舌を噛みそうな名前……ほとんど敬遠していたから、チェーホフなんて読んでもいないし、「桜の園」?「伯父ワーニャ」?「かもめ」?「三人姉妹」?ダメダメ、見る気もしない。

ところが、だ。チェーホフは、実は自分の戯曲は喜劇である(本人がそう言っているそうだ)、ボードビルとして書いた、それを演出家スタニスラフスキーが自分の解釈で、勝手に湿り気たっぷりの芝居に変えてしまった。というのが、この芝居における井上ひさしの主張である。

ボードビルって何? 漠然とはわかるけれど、ちゃんと定義しろと言われたらできない。で、広辞苑を調べてみたら、①もと俗謡入りの劇。転じて、軽妙な通俗的喜劇、②歌曲・舞踊・軽業・寸劇などを組み合わせた大衆的娯楽演芸、とある。う~ん、チェーホフにはしっくりこないなあ。そこでプログラムの助けを借りると、そういうのはアメリカン・ボードビルで、チェーホフが愛してやまなかったヨーロッピアン・ボードビルは「面白い筋立て。演劇的からくちを仕組んだ芝居」のことだそうだ。それならわかる。わかるけれど、先入観というのは恐ろしい。知りもしないくせに、チェーホフの戯曲が面白いとはとても思えない。

長くなるから、以下続く。

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2007年9月11日 (火)

秋を感じる時

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ふと上を見上げると、鳥がたくさん電線に止まっていた。この光景を見ると、秋だなあと思う。もっと秋が深まると、夕方の電線は鳥でびっしり埋まり、その下の道路は真っ白になる(フンでです。雪ではありませんよ)。

秋の風情で最も好きなのは、
「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる」

亜熱帯気候になっても、ちょっと切なさを伴ったこういう瞬間は、やっぱりあるのである。

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2007年9月10日 (月)

祝ラグビーワールドカップ

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日本じゃかなり関心が薄いとは思うけれど、
7日、第6回ラグビーワールドカップが開幕した。今大会の開催国はフランス。フランスは5カ国対抗ラグビー*の参加メンバーでもあるし、相当盛り上がっているに違いない。と思ったら、なんとアルゼンチンに1217で負けたそうだ。最近、アルゼンチンはかなり力をつけているらしい。

私はひところラグビーが好きで、大学ラグビーなんかを見に行ったこともある(社会人は神戸製鋼、大学は明治や大東文化が強かった頃)が、サッカーに比べてルールが覚えにくいし、なんといっても世界に太刀打ちできないんだもの(ひとたび崩れると、何十点という大差がつくからなあ)、自分の中でだんだんテンションが下がり、今ではほとんど選手も知らない。知っているのは、先日ワールドカップを目前にしてケガのためリタイアした大畑選手程度だ。

今大会で私が唯一関心を寄せるとしたら、それはスタジアムかもしれない**。どうやら、98年のサッカーワールドカップで使われたスタジアムが今回も使われるみたいなのだ。全部かどうかは知らないけれど、日本が試合をしたトゥールーズ、ナント、リヨンのスタジアム、パリ・サンジェルマンの本拠地パルク・デ・プランス、そして決勝の場となったサン・ドゥニ。ああ、こうして名を挙げていくだけで、9年前の興奮が甦る。

ラグビーはサッカーと違ってワールドスポーツとは言いがたいし、多くの人が関心を寄せるためには、とにかく強くなければいけないだろう***。お相撲さんクラスの身体で、スピードのある選手が揃えば、勝てるようになるかもね。格闘技<>スポーツの好きな私としては、もう一度ラグビーに目を向けるきっかけがほしいなあと思っているのです。

*ウェールズ、スコットランド、イングランド、アイルランド、フランスで、毎年戦われる。あらら、今はイタリアを加えて6カ国対抗になっているんだって!! 知らなかった~。どうやら2000年からイタリアが入ったらしい。それも知らぬほど、ラグビーから遠ざかっていたのだなあ。

**フランスのほかに、スコットランドとウェールズのスタジアムも使われている。

***日本は第1回大会から毎回出場しているが、前回までで115敗。とくに95年第3回大会において、ニュージーランドに17145というギネスものの大敗を喫している。
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無常2題:「熊谷陣屋」と「汐汲」

98日 秀山祭九月大歌舞伎昼の部その2(歌舞伎座)
0709084kumagai 「熊谷陣屋」
申し訳ない。前半、かなり寝てしまいました。半分は食後で耐えられなかったのだけど、半分はこのつらい子殺しの物語から目を逸らしたかった(「熊谷陣屋」は今回で3回目。もうご勘弁を、ってそんな気持ちです)。でも、後半しっかり目が覚めたので目を逸らすこともできず、舞台を見つめていたら、吉右衛門さんの素晴らしさに思わず釣り込まれた。
僧形に姿を変えその場を去る熊谷に向けて、義経(芝翫さん、若々しくて哀感もあり、とてもよかった)がぐいっと差し出すように小次郎の首を掲げる。それをじっと見つめる熊谷。思わず涙が出た。それに続く熊谷の幕外の引っ込み。どんな思いで歩を進めているのだろうと察すれば、さらに涙は溢れてくる。まさに無常である。
私は女だから、母親の心情でこの悲劇を受け止めるのかと思いきや、いつも熊谷の気持ちになる。実際にそういうことが起こったらきっとクドクド嘆くだろうに、芝居を見ていると心の中で慟哭する熊谷に同化してしまうのだ。

後半だけでもこれだけ感動したのだから、前半をまともに見なかったのは実にもったいないことをした、と今、後悔している。

出だしの義太夫が清太夫さん(低い声での語りが多くて、声を張り上げる場面はあまりなかったように思う)、最後の「愁い三重」の三味線が栄津三郎さん。お二方のファンである私には嬉しいことであった。
一つ、つっこみ。鎧櫃の中には敦盛が隠れているんだけど、あんなに長時間、あんな箱に入っていたらかなり苦しいんじゃないの~?

<上演時間>92
0709085siokumi 「村松風二人汐汲」
8月の合同公演で見た「今様須磨の写絵」と題材は同じ、いわゆる松風物。「須磨の写絵」では在原行平に悪役・船頭此兵衛も登場したが、この舞踊は松風と村雨の2人だけ。詩情豊かではあるが、これもまた、無常の世界である。
とにかく玉様の美しさにときめいた。最近美しさにますます磨きがかかったんじゃないかしら。そして踊りの見事さ。しなやかで自然な動きは天女の舞かと思うほど。とくに狩衣をつけての踊りは素晴らしかった。福助さんもとても綺麗だし、相当な踊り手ではある。2人の動きの違いが見えて、興味深い。
汐汲み姿ってなんとなく懐かしさを覚えるなあと思ったら、わかった。その昔、藤娘などと同様、塗り絵の定番だったのだ。
<上演時間>30

教訓:芝居を見た後に、明太もんじゃでビールとサワーをがんがん飲むべからず。せっかくの昂揚感が酔いの中に完結してしまう(簡単に言えば、昂揚は忘却の彼方へ、ということ)。
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 before
  ↓
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2007年9月 9日 (日)

血が滾る:竜馬がゆく

98日 秀山祭九月大歌舞伎昼の部その1(歌舞伎座)
0709083ryoma 「竜馬がゆく」
昼の部最大の楽しみ。期待に違わず、燃えた。私はだいたい維新ものが好きなんだと思う。自分があの時代の男だったらどういう道を辿っていただろう。幕府に殉じただろうか、それとも新しい日本に夢を託しただろうか。さっさと殺されていたかもしれない。維新が歴史となってしまった今は、純粋に自分の立場や道を想像することはできないが、小説を読んだりすれば、どちらの立場も理解できる。いずれの立場であっても、みんな真剣に生きていた時代だったのだ。
そんな時代の代表的人物の1人で、日本人が一番好きな日本人の常に上位にくるのが坂本竜馬。以下、イヤホンガイドによれば、その竜馬も明治政府下の日本では忘れられた存在だったそうだ。それが一躍ブームを起こしたのは、日露戦争の時だったという。戦争の行方を憂慮された皇后の夢枕に竜馬が立ち、「(我が)魂魄は御国の海軍にとどまり、いささかの力を尽くすべく候」と言ったとか。明治政府における旧土佐藩出身者の立場を考えればこの話の信憑性は疑わしいが(土佐藩出身者は冷遇されていたから、土佐藩の株を上げようとした、とも取れる)、ともかく竜馬はこれで再び表舞台に立つようになったわけだ。
そしてさらに竜馬を日本人の好きなヒーロー像に仕立て上げたのは、司馬遼太郎だろう。土佐のなんとかいう人物(聞き損ねた)は竜馬を「維新の奇跡」と表現した。司馬遼太郎はこの言葉に関心を寄せ、株式会社などといった先進思想を一介の郷士がもっていた、これが奇跡だろうと考えた。そして竜馬を研究して「竜馬がゆく」を書き上げた。竜馬は海が好きで、海の仕事をするために統一国家を作りたかった。「自分は役人になるために幕府を倒したのではない」。司馬はこの言葉を「維新風雲史上の白眉」(文芸春秋社刊「竜馬がゆく」第5巻あとがき)とまで称え、この言葉をいつも念頭に置いて、この作品を書いたのだそうだ。
前置きが長くなった。いよいよ幕が開くというとき、おやおや流れた音楽は、演舞場の芝居かよ、っていう感じ。そんな具合で、音楽は全体にイマイチだけど、芝居に入り込んでしまえば、それほど気にはならなかった。舞台は、青年竜馬の若き夢と熱意、司馬遼太郎の思いが染五郎にしっかり乗って、私は手に力が入り、胸が熱くなり、気持ちが爽やかになった。脚本もうまくまとめてあって、よくできていたと思う。
1幕目。なんといっても竜馬と小五郎(歌昇)の出会いがよい。2人の器の大きさが清々しいではないか。そして特筆したいのは歌江さんの百姓女。長州藩士に荒らされた家を黙々と片付け、2人のやりとりを陰から眺め、金をもらえば腕に抱えている鶏をしめてナベにして出す。その一つ一つの仕草が、幕末の動乱に翻弄されながらもしたたかな庶民の強さというものを感じさせる。2人が互いに「クン」付けで呼び合うのを聞いて、このバアサン、早速「坂本クン」と声を掛けるなど、なかなかなものである。
それにしても、土佐の郷士があんなにみじめな存在であったのは知らなかった。同じ土佐藩の武士でありながら、山内一豊が率いてきた武士たち(上士)のみが優遇され、長宗我部以来の武士たちは雨の日に下駄を履くことも許されない(裸足で歩かなくてはいけなかった)。去年の大河は見ていなかったけれど、一豊が土佐に入ったあのときから、もうそういう差別が出来ていたのだろうか。2幕目ではその悲惨な郷士の状況と上士との対立が描かれる。実際に水を張った舞台、雨の日の悲劇はよりリアルである(う~ん、薪車さん、憎ったらし~)。池田寅之進切腹の場面では、竜馬の介錯で血飛沫が上がる。立ち回りでは寸止めで刀と刀のぶつかる音を立てないようにしていたのに、液体関係はリアルだなあ。
3幕。歌六さんの勝海舟は私の中のイメージとちょっと違った(どう違うかって言われると困る)。うまいんだけど、歌六さんはこういう豪快な人物よりも、ちょっと含むところのある役のほうが私は好きだな。いや、勝も含むところ大いにありそうだけど、こうもっと陰のあるっていうか……そういうほうが合うような気がする(単に好みの問題だから)。
この場面では御浜御殿の富森助右衛門と綱豊卿のやりとりをちょっと思い出してしまった。勝の言葉の一つ一つに竜馬の目が開かれて行く様子がよくわかる。世間のつまらぬ噂を真に受ける竜馬に、「誰がそう言ったのか」、「ちゃんと本人の口から聞いたのか」と畳み掛ける勝の言葉は、今の社会をも痛切に斬っているではないか。ただ、次第に幾分くどい気がしてこないでもなかった。
竜馬、桂小五郎、勝海舟。当時の日本に、あんな大きな人物が何人もいたんだなあ。竜馬が暗殺されなかったら、と考えるのはよそう。幕切れ、咸臨丸の大きなシルエットを背景に竜馬が夢を語る場面は、およそ歌舞伎っぽくはないけれど、私はけっこう気に入っている。
革命はある意味無残である。しかし、新しい国への夢を実現させるべく人々が真剣に生きている、そういう変化の時代は興味深い。血が滾る。

おまけ:竜という字は、関東では「りゅう」と読むが、関西以西では「りょう」と読むことが多いそうだ。この芝居でも勝が「りゅうま」と言って、竜馬に直される場面がある。
<上演時間>83

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日曜朝のみずみずしいお話

日曜朝の楽しみは「がっちりマンデー」という番組。ベッドの中でたらたらとスイッチを入れることが多いので、ところどころ意識が遠のいて全部をがっちり見ることはあまりないのだが、色々な情報が得られて面白い。
今朝は「水」ビジネスの話。ウォーターサーバーの売上げが急伸していて、いまや家庭にも入り込んでいるという。12リットルのミネラルウォーターを無料宅配してくれて、家庭ではそれを専用のサーバーに移しコックをひねって飲むという仕組み。水そのものの料金は1リットル100円だそうだ(本体費用、維持・管理費等は不明)。これだけならどうということはないが、興味深かったのは、この水宅配業がプロパンガスの会社によって行われているということ。宅配のルートをもっている、重いものを運ぶノウハウがある、夏場落ち込むガスの売上げをカバーできるということで始まったようだ。へええ、なるほど~。
このように飲み水といえば、一般にはミネラルウォーターという感じだが、最近は水道水の改善も目覚しいらしい。東京都の金町浄水場では水の濾過にオゾン浄化を加えることによって、これまでの課題であった<におい>をなくした水を開発している。「東京水」というペットボトルが売り出されているんだそうだ。知らなかった。

ちなみに、ミネラルウォーターって、2000年問題の時に小渕首相が「コンピュータの誤作動で水道が止まるかもしれない」と言ったことがきっかけとなって売れ出したそうだ。そんなこともあったんだっけ…。
さらに面白かったのは「超純水」の話。私が超純水の存在を知ったのは78年前かしら、透析に使われる水として知った。逆浸透膜というもので水を純化するそうで、0度になっても凍らず、強い刺激を与えると凍る。主に半導体の洗浄に使われているが、海水を淡水化したり、尿から飲み水を作るのにも応用されているとか(すでに宇宙では実用されているらしい)。
元々第二次大戦時、東南アジア戦線用に開発された軍事技術だということで、今でも日本がトップに立っているのだそうだ。つまり、日本の超純水技術がなければ世界のコンピュータ産業は成り立たないってことらしい。ただし、この水は、飲み水としては向かない。なぜなら体内に入ると、その純度のせいで栄養分を吸収してしまうからだって。へええ~、とここでも感心。
日曜朝は、のんびり、こんな情報を頭に仕込んでいる。

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2007年9月 7日 (金)

怖い自然

台風、関東直撃と言われながら、ありがたい肩透かしが何回かあったけど、今回は本当に来ちゃったなあ。過去の台風の映像を見ていると、自然の猛威の恐ろしさに不安感が呼び起こされ、すぐ近くに立っている鉄塔が折れたりはしないよなあ、などと呟いてしまう。そんな突風が吹いたら、その前に家自体が壊れるかもしれない。そんな心配をしていたのに、0時頃突然激しい睡魔に襲われ、もう起きていられなくなった。そのまま今朝8時前まで、一度も目覚めることなく、爆睡。こうやって、私は日ごろの睡眠不足を解消しているわけだ。それも台風の晩に…。
幸い、鉄塔も倒れず、家も壊れず、恐い思いをしたのは、昨夜車でちょっと出たときに、ワイパー最速にしても前が見えなかったこと、坂道では道路が流れの激しい川化しつつあったこと程度で、ありがたいことでした。
昨夜帰宅できなかった方々、被害に遭われた方々、心からお見舞い申し上げます。今後の進路に当たる地域の方々は、くれぐれもお気をつけて。
私はこれまで何回か転居したが、生まれたところを除いて我が家はいつも高台にあった。小学校2年生まで住んでいたところは低地であったが、一度も水害を受けたことはなく、うちが転居した翌年だかに水に浸かったのであった。その後の転居先は水の心配こそなかったが、風が吹くといつも怖い思いをした。隣に一軒家があり、そこが緩衝地帯的な役割をしてくれていたけれど、それでもいつ屋根が吹き飛ぶかと、はらはらしていたものだ。
それでも私は水に対する恐怖のほうが大きいらしく、以前はよく水害の夢を見たものだ。家はたった一間。その周りに水が押し寄せ、どうすることもできない。そういうときに私のそばにいるのは幼い娘か、もうこの世にはいない愛犬サンタ。この幼きものを抱えて途方に暮れている私。本当に怖い夢であった。最近、そんな夢も見なくなってありがたい。
現在の家で怖いのは、風よりも地震だと思っている。
余談:帰宅できなくなった人たちが、ホテルはいっぱいだから「カプセルホテルに泊まる」「漫画喫茶に行く」などと言っていた。日本ってスゴい国だなあと思う。先日見たTV番組で、カプセルホテルが外国人観光客に人気なのだと聞いた。安いし、物珍しいのだろう。ネットカフェ難民という問題はあるけれど、そうやって少なくとも一晩安心して過ごせる場所がある国って、他にあるだろうか。そういえば、昔学生時代、旅先でお金もなく泊まるところもなく、深夜喫茶で時間を潰し、その後は歩道橋か何かでボンヤリ夜明けを迎えたことがあったなあ。
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鉄塔も無事。我が家の被害は、紫陽花の茎が折れただけ。

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2007年9月 6日 (木)

「ヴェニスの商人」おまけ話

シャイロックの話の前に、先におまけ話を。
おまけ1開演前のロビーは大混乱。出演者が何人も、仮面と衣裳をつけてロビーを動いているのである。開場前に、派手なマントをつけた劇場係員がいたから、かすかな期待はあったのだが、ここまでとは!!  そのうち木まで動き出してビックリ。木の着ぐるみっていうのかしら。仮面をつけているだけだって暑そうなのに、木の中に入っている人は大変だろうなあ。でも、観客もいきなり16世紀の世界に飛び込んだようで、嬉しいサービスだ。
大勢の人たちが、あるいは仮面の人物の後を追いかけ、あるいはプログラムやグッズを買うのに列を作り、ロビーはラッシュの電車並み。もちろん、私ももみくちゃになりながらミーハーおばさんぶり発揮(^^)
おまけ2プログラムが2種類あった。舞台稽古の写真入りと舞台写真入り。売り場で11人に確認して売っている。訊かれて思わず両方買ってしまったが、開いてみると違いは写真だけ。11500円の2冊はちょっと痛かったな。
で、これは歌舞伎の筋書きみたいに、公演期日の途中から舞台写真入りができたのか、あるいは最初から2タイプ作ってあったのか。ちなみに初日は817日。
おまけ3裁判の場で、ヴェニスの実力者として団時朗が登場する。たしか、はじめは村田英雄といって、資生堂のモデルかなんかで一躍人気者になったんだったと思う。当時は歌手の村田英雄と名前が同じだっていうのも話題になったと記憶している。その後、ウルトラマンなんかに出て、だんだん昔の面影が薄れていき、今は堂々たる体躯に堂々たる演技で、私はそうなってから初めて見るので、へえええ、あの村田英雄が、と感心しきり。
トリビア:ポーシャの侍女役として、佐藤仁美が出ている。で、このトリビアは佐藤仁美本人のことではない。ホリプロのマネージャー南田裕介、彼は佐藤仁美を神とも崇め、ホリプロに入社したのだそうだ。それなのに、佐藤仁美は彼の担当ではない。仕事と好きな人とは別、ということらしい。まあ、そんなことはどうでもいいのだが、私が佐藤仁美と聞いてホリプロの社員を思い出すのは、彼が鉄道オタクで有名だからだ。タモリ倶楽部で南田の存在を知り、鉄道が好きな私はそのオタクぶりに興味が湧いた(私はオタクじゃありませんよ。それに好きなだけで、詳しくない)。TVで見る限り、人物的にも悪くない。要するに、私、南田ファンなのである。佐藤仁美自身は、「ジャングルTV」以来割と好感をもっているが、演技を見たのはこれがはじめて。私がもっていたポーシャの侍女のイメージと近い。
<上演時間>185分、休憩15分、第290分(メモが行方不明になってしまったため、正確ではないかも)
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0709055masque 0709056tree

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よくわからない「ヴェニスの商人」その1:バッサーニオ

95日 ヴェニスの商人(天王洲銀河劇場昼の部)
市村正親(シャイロック)、寺島しのぶ(ポーシャ)、藤原竜也(バッサーニオ)を見るのは初めて。見る前から懸念していたのは、藤原竜也と寺島しのぶのカップルって大丈夫だろうか、ということ。だって、竜也クンは童顔で実年齢も若いし、しのぶお姉さまに太刀打ちできるかしら…(いや、もちろん「身毒丸」ではもっとすごいおばさまが相手だったけれど、そっちは違和感覚えない)。
この懸念はさておいて、だいたいバッサーニオという人物が私にはよくわからない。
シェークスピアの戯曲の原作(ったって、もちろん翻訳ですが)を読んだのは「ハムレット」のごく一部だけだし、「ヴェニスの商人」をはじめとする有名どころは中学生向けくらいの全集本で小説として読んだ程度だけど(内容を全部覚えているわけではない)、その頃からこの人物がよくわからなかったのである。というか、なぜポーシャのように美しく聡明な女性がこの男に惚れるのかがわからん。

あんまりお悧巧そうでもないし、おまけに今回芝居を見たら、バッサーニオは親友アントーニオ(西岡徳馬)のお金を湯水のように使って遊んでいたらしいではないか。ポーシャに求婚する数多の男の中でたった1人、鉛の箱を選んだという点が、唯一思慮深さを感じさせるが、それにも疑いが残る。というのも、バッサーニオの前に、モロッコの大公とどこかの年老いた貴族だか何だかが求婚し、それぞれ金の箱、銀の箱を選び、失敗する。この2人の人物がどう見ても藤原竜也であり、つまりバッサーニオの変装のようなのだ。ただ、昔からの印象で、バッサーニオがそんなずるい人間とは思わないから、ひょっとしてこれは芝居としてのサービスかな、とも考えた。ところが、プログラムを見ると、やっぱりこれはバッサーニオらしい。う~む、この人物、ますますわからなくなってきた。いっぽう、あの聡明なポーシャがそんな変装にだまされるわけはない。そう思って振り返ってみれば、ポーシャは変装を見抜いていたような様子が伺える。バッサーニオと結ばれたいから知らん顔していたのだ。
子供向け本ではそんなことは省いてあったような気がする。確かに金銀鉛の箱の教訓の場に、そんなずるいことは書けないよな。ということで、その本を読んだ私の中のバッサーニオは、美しくはあるけれど凡庸でインパクトの薄い男、であった。実際の(?)バッサーニオはあまりお悧巧ではなく(ポーシャの変装に気付かない!! 何か起こると、ただオロオロするだけ)、明るく能天気だが、かなりの多様性をもった男。う~ん、竜也クンとしのぶお姉さまが、というよりは元々のバッサーニオとポーシャが、あまりお似合いのカップルではないんじゃないかなあ。
寺島しのぶは、不思議な女優だ。美人ではない。だけど、とても綺麗だ。強さと頼りなさ、上品さと俗っぽさを併せ持ち、時に可愛らしさも見せる。声がよい。その魅力がよくわかった。カーテンコールで見せた笑顔の口元が、菊五郎さんにそっくり。
ポーシャがシャイロックをやりこめる場面は、私の記憶では、すらすらと事が運んだはずだった。ところが、シャイロックに「アントーニオの肉を切り取ることを許す」と宣言した後のポーシャはひどく慌てている。一生懸命借用書を見て、何か抜け道はないかと探している風なのである。そしてシャイロックのナイフがアントーニオの胸を切り裂こうとしたその瞬間、ポーシャは例の血のことを思いつくのだ。と、そんなように見えたが、ふ~ん、そんな展開だったんだ、とこれは意外であった。
アントーニオは男気のある商人だが、若いバッサーニオに対する態度を見ていると、言葉の上だけで「愛している」だけではないような気がしてくる。ここでも西岡徳馬と藤原竜也の年齢差が気になるところだが、プログラムを見ると、竜也クン自身もそれを気にしたらしい。しかし演出のグレゴリー・ドーランはそれでいいのだ、と。実際、これは案外しっくりいっていたように思う。原作の年齢差はどうなんだろう。

先日のシラノでもちょっと感じたが、この芝居でも前半ついていけない部分があった。後半、登場人物が整理されてくると俄然面白くなってくるのに、前半はごちゃごちゃしていて、しかも含みのある厖大なセリフをあっちでもこっちでも早口でまくし立てるから、見ていてけっこうつらいものがある。今回の演出は本国イギリスでも評価が高いというグレゴリー・ドーラン。ニナガワ以外の演出によるシェークスピアは、加納幸和さんの「夏ノ夜ノ夢」を見ただけだが、演出家による違いというのも興味深い。
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←豪雨の中のモノレール








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←天王洲アイルからの運河ビュー。向こうには新幹線が。

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2007年9月 5日 (水)

諸痛の根源

月曜日にやっと歯医者に行った。3カ月くらい前から右上一番奥の歯にぽっかり穴があいてしまっていたのだ。はじめのうちは食べ物が詰まってそれを取るのが大変だくらいだったのだが、やがてしくしくと痛み出し、さらに右側を中心として毎日毎日首から上の不快な痛みに悩まされた。口の中は全体が重痛いし、頭痛も常に消えない。10日ほど前からは、痛みのため夜眠れなかったり、痛みで目が覚めたり。眠れないなんてことは私にはあり得ないのに、これは重症だなと自覚した。おまけにそこが気になるからいつも舌でいじっている。機械的刺激で舌癌になるかもしれない。早く医者に行かなくちゃ、とはわかっていたのだけど、いかんせん芝居だサッカーだと、ヒマがない。
それが先日、たまたま奥歯をちゅっと吸ってしまい、あまりの痛みに飛び上がった。いよいよ身体から最後通告が出た、というわけで、重い腰を上げたのである。
レントゲンを撮り、麻酔をかけ、かぶせてあった金属を削り(はじめのうち麻酔の効きが足りなくて、触られるたび少し痛んだが、ガマンできる程度だったので、そのまま治療を受けていたら、そのうち痛まなくなった)、落ち着いたところで舌で触ってみると、ありゃりゃ、当の奥歯は周囲しかないじゃないの。なんだかショゲてしまった。その後、ガリガリガリガリと歯の汚れを取ってもらい、仮の詰め物をして、この日の治療は終わった。

用心のため痛み止めをもらったが、それを服用することもなくすんだ。そして1日たつと痛みは完全に消え去り、あの不快な首から上の重苦しさもなくなっている。そうか、やっぱり諸痛の根源はあの神経が剥き出しになった奥歯だったんだな。あと数カ月放置しておいたら抜かなくちゃならなかった、と言われたが、身体ってそうなる前にちゃんとサインを送ってくれるものなんだな。自分の身体はいたわらなくちゃ、ね。
おまけ:歯医者に行ったのは2年ぶりくらいだろうか。前に診てくれていた医師が退職して新しい医師に代わったと最近聞いて、それも行き渋っていた原因の一つである。と言って他の歯科医院に替えるのもためらわれる。結局私のカルテがあること、それからこれがけっこう大事なポイントなのだが、撮影したレントゲン写真をパソコンに取り込んで患者に見せ、病状と治療方針を説明してくれることを理由に、再びその歯科を選んだ。
ちなみに、日本の歯科って、コンビニの数より多い(!!)と、聞いたことがある。

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2007年9月 4日 (火)

思いっ切りドジの冷や汗

今日は国立劇場10月歌舞伎のチケット発売日。やっとネットで取ることが出来るようになったから、これでもう電話の前に20分も30分も張り付いていなくていいな、と気が楽ではあったが、なにぶん初めてのことでもあり、心がそういう緊張に包まれた。
私はシステムがダメになる前にネット会員として登録したのだが、あれれ、あぜくら会のネット会員になってないじゃないの!! 何を間違えたのか、一般のネット会員で登録していたことに気付いたのが昨夜。慌てて一般を退会し、あぜくら会員で登録し直し。これだって、うまくいくかどうか、ちょっと心配ではあった。退会してすぐ入会はできません、なんて言われたらどうしよう…なんてドキドキしながら入力したのであったけれど、無事完了。
そして今朝、もう1時間も前からログインして待機していたのに、10時になって予約ページでカレンダーをクリックしてもウンともスンともいわない。慌てた慌てた。いや~だ、またシステムトラブルかよ~。じゃあ、っていうので2分も経った頃電話予約に切替えた。ところが、こっちも全然繋がらない。プルル~といったと思ったらすぐにツーツーに変わってしまったりして。きっと、みんなウェブが不調だから電話に殺到してるんだわ、もうまったく~。
というところで、ハッとひらめくものがあった。何と、今出ている画面、ログインしてないじゃないの!! え?え? あんなに早くから待機してたのに、いったいいつログアウトしちゃったの? 大慌てでログインし、カレンダー画面にいってみたら、今度はちゃんとクリックできるじゃないの。ああよかった。しかも希望の席が取れたし♪
思うに、待ちくたびれて色々いじっていたから、気がついたらチケット予約の画面をいくつも出してしまっていて、さっき整理したのだ。その時に、ログイン画面も消してしまったのだろう。まったく、どうしようもないドジである。
しかも、システムが悪い、なんて他人のせいにして。ごめんなさい、本当に (^-^;。おかげさまで、スムーズにチケットゲットできました。ありがとう~。
追記:電話が通じていたら自分のドジに気付かぬまま、相手に苦情を言っていたかもしれない。大恥をかかずにすんでラッキーでした。

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憲法24条とシラノ

「シラノ・ド・ベルジュラック」を見て、思い出したことがある。
はるか昔、私が通っていた高校の運動会には、ユニークな名の付けられた競技があった。

「憲法24条」
何年生の競技だったろうか、先にスタートした男子が途中で女子とペアになり、二人三脚だか、ただ手を繋いでだか、とにかく共にゴールインする、その速さを競うのである。
スタートした男子は何mか先にある札を拾う。そこには歴史上あるいは文学上有名なカップルの男性の名が書かれている。それを首から提げた男子は再び走り出す。その先では並んだ女子が既に女性の名札を提げて待っている(あるいは、距離を置いて男女同時スタート。女子も札を拾ったのかもしれない)。男女お互いに相手を素早く探し出し、ペアになってゴールへ、という、まあ他愛もないものである。しかし思春期の少年少女には、これが照れくさいような楽しみなようなで(昔の高校生なんて、まだこんなものよ)、我が校伝統のご自慢競技であった。
カップルはもうほとんど覚えていないが、たとえばロミオとジュリエット、シーザーとクレオパトラ、ハムレットとオフィーリア、源氏と紫の上、頼朝と政子(義経と静はどうだったかなあ)……お琴と佐吉なんていうのもあったように思う。
で、私にあてられた札は、ロクサアヌ!! この札を見た私はどんなにガッカリしたことか。だって、夢見る乙女は美男美女のカップルに憧れるではないか。よりによって相手が鼻のデカい醜男のシラノなんて(--,)。当時の私は、ロクサアヌは美女かもしれないが、相手が美男じゃなくちゃ美女の価値も落ちる、なんて思っていたのである。なんという浅はかさ。生意気言ったところで、所詮、子供でしかなかったわけだ。
これ、けっこうトラウマになっていたのだけど、それだけにロクサアヌにもシラノにも特別な思い入れがある。
ああ、右近シラノ様なら、もちろん、ウェイティング・ラインから逆走してお迎えに上がっちゃいますことよ♪♪
追記:私、ず~っとこの競技の名前を「民法24条」だと記憶していた。脳のどこかにそんな語感が残っているのだ。しかし果たして「婚姻は両性の合意のみに基づいて云々」が本当に民法24条かどうか心配になって調べたら、案の定違うではないか。まったく私の大脳なんてものは……

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あああ、三響会

月今年も亀治郎さんが三響会に出演するそうだ。
あああ、10月末はもう予定入らないよ~。初めての演目だから見たい。亀ちゃんが出るから見たい。でも、亀ちゃんは、昼と夜で別の演目に出る。ということは、昼も夜も見たい。ということは、もっとスケジュールがきつくなる。あああ、無理だぁ~。ナマとTVじゃ違うけど、歌舞伎チャンネル頼りで、泣く泣く諦めようか・・・・・・。
三響会の詳細は
ココ。ところで、チケットはチケットホンで、とあるけれど、webは扱わないのかな(発売日は9月18日とあります。歌舞伎会の扱い等は不明)。

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2007年9月 3日 (月)

7人の羽根飾(こころいき):シラノ・ド・ベルジュラックその2

92日 シラノ・ド・ベルジュラック(青山円形劇場12:30の部)
さて、最初はとりとめのない感じも受けたが(このとりとめのなさが逆に当時のブルゴーニュ座の雰囲気をよく表しているのかもしれない)、場が進み、登場人物が整理されてくると、俄然面白さが増してきた。主要人物(シラノ、ロクサアヌ、クリスチャン)のそれぞれの立場や性格がはっきりしてきて、ストーリーを知っていても、先が楽しみな展開になっているのだ。
安寿さんは顔がちっちゃ~い。気が強くて聡明でちょっと我儘なロクサアヌを生き生きと演じていた。

右近さんのセリフは、巻き舌入りの右近節だった。とくに第1場では、11つのセリフの最後を長く伸ばしていたのが、ちょっと粗野な感じを受けた。シラノって大変な知識人で詩の才能に長けたロマンチストだから、そんな粗野だっけと思ったが、でもガスコン青年隊の剣士で1人で100人を相手に戦ったような人だから、勇ましいことは勇ましいわけだし、ここは喧嘩の場面であった。まさかこの調子で恋を語りはしないよな、と心配したが、素人の余計なお世話、ちゃんとセリフの言い方を変えていました。
右近さんはつけ鼻をしても全然醜くないどころか、美しくて(西洋コスプレがとてもお似合い)、舞台はちょっと暗かったけれど、目の前で何度もその美しさを堪能しました。
猿弥さんは今回は悪役ではなくて剽軽キャラのほう。たしか
7役演じられたはずだ。一番笑いを呼んでいたのが修道女。セリフをちょっと棒読み風にしていたから余計可笑しくて、同じ修道女役の役者さんが吹き出したこともあって、客席爆笑。7役もやるわけだから、早替りが何度もあるけど、それは歌舞伎お得意だから(歌舞伎のように替りやすい衣裳に作ってあるのかしら)。そして、もう一つ、何回かツケが入っていたが、これ、ひょっとして猿弥さんが打っていたんじゃないかしら(私の席からは見えなかったので、確信はもてないけれど)。

こうしてみると、芝居は完全な西洋時代劇でありながら、定式幕、柝、早替り、ツケと歌舞伎の要素がやっぱり取り入れられていたわけだ。歌舞伎好きにとっては嬉しい。
舞台には装置も幕もないけれど、第1場と同様、場内一周の看板によって第2場、第3場と場面が転換したことがわかる。第3場の最後に「休憩」と書かれた看板が出てきて、客席がほのかな笑いに包まれた。
半は「ガスコーニュ青年隊の場」という戦場の場から始まり、物語は悲劇へと転じる。最後の修道院の場。ロクサアヌが本当に愛していたのは誰かということを自覚したとき、当のシラノは命を失う。14年間のシラノの思い、そして14年間も自分の気持ちに気付かなかったロクサアヌの思い。それが重なるときのセリフの数々は感動的で、客席のあちこちで目頭を押さえる様子が見て取れた(こういうとき、客の大半と顔をあわせているという座席構造は気恥ずかしい)。すすり泣く声も聞こえてきた。私も泣いた。シラノはジャン・ポール・ベルモンドが日本に来て公演した芝居も見たし、ジェラール・ドパリュドゥーの映画も見たけれど、泣いたのは初めて。
歌舞伎にしてもそうでない芝居にしても、一度でいいやというものと、もう一度見たいというものがあるが、このシラノはできたらもう一度見たいと思った。装置もなく、小道具もわずか、たった7人で戦場の場面まで<見せて>しまう。円形劇場という特殊な場をうまく利用し、演技とセリフ(このセリフが実に良い)だけで、まるでその場にいるような気持ちにさせられる。装置つき、大勢の人物が動いている場面が見えてくるから不思議だ。
なお、この記事の題名の「羽根飾(こころいき)」であるが、シラノの最後のセリフが「私の心意気だ」というもので、これは「羽根飾」と書いて「こころいき」と読むのだそうだ。スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」の「天翔ける心、それは私だ」という最後のセリフに通じるものがある、ということだ。
おまけ17人の役者さんは、元宝塚1人、歌舞伎2人、花組芝居2人(加納幸和、桂憲一)、文学座2人(坂部文昭、たかお鷹)という面白い組み合わせ。立ち姿に文学座のお2人と他の5人の違いが感じられるもの興味深い。

おまけ223曲、歌がある。猿弥さんのあんずのタルトの作り方の歌は面白い。声がいいし、歌もお上手。右近さんも他の出演者と一緒に歌う。ソロでも聞きたかったな。
おまけ3シラノというのは実在の人物で、エドモン・ロスタンの戯曲により有名になった。<鼻の大きい美男>だったそうだが、映画や芝居では醜男の代表のような扱いを受けているんじゃなかったかしら。なんでもシラノのお母さんがシラノのことを「醜い」と思っていたらしいのだ(シラノのセリフにある)。今回右近さんが美しかったのが納得。シラノについては実在、戯曲ともにウィキペディアに詳しい。

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7人の羽根飾(こころいき):シラノ・ド・ベルジュラックその1

92日 シラノ・ド・ベルジュラック(青山円形劇場12:30の部)
歌舞伎の巡業、サッカーに続く3連チャン(さすがに疲れました~)の最後は右近さん、猿弥さんのシラノ。円形劇場は初めてだから、芝居がどんなふうに進行するのか楽しみであった。
場内は確かにまん丸で、AE5列の座席が4カ所の階段通路に分断されながら、中央の空間(舞台)をぐるっと囲んでいる。最前列Aは各ブロック5席、少しずつ段差をつけながら置かれた最後列E11席。座席は小さめの折りたたみ式椅子で、薄い座布団が載っていた。
その客席を取り巻く壁は、4カ所の通路が出る扉部分を除いてすべて定式幕で覆われており、おお歌舞伎調のシラノになるのかな……。

私は最前列だったが、腰を下ろした足のすぐ先の同じ高さのフロアがもう舞台で、まさに目の前で演技が行われる(用心してもっていった双眼鏡がマヌケだ)。これじゃあ居眠りできないぞ、とよく自分に言い聞かせた(前日のアルコールがわずかに残っていて不安だったから)。舞台は直径6mくらいであろうか。その真ん中に2段の円形のステージが置かれている。装置は何もない。
開演時間になってから役者さんが登場するまで12分の時間があったが、同じブロック以外の客ほぼ全員と顔があうので、なんとなく気恥ずかしいというか、気まずいような緊張感が漂う。
さて、やっぱり歌舞伎調か、柝が入り、役者さんの1人が「ブルゴーニュ座芝居の場」と書かれた看板をもって場内を一周する。衣裳は、シラノの物語が進行する17世紀フランスと思われる扮装であったし、芝居そのものはちゃんと洋モノでした。芝居の場らしく、アコーディオンとバイオリンの生演奏から始まった。やがて、あちこちの扉から色々な人物が登場する。最近、歳のせいかめっぽうカタカナに弱くなってきている私は、次々に現れるややこしい人物名に、この第1場(本来なら第1幕なんだろうが、この劇場には幕はないから)はついていくのが大変だった。ずいぶん大勢出てきたなあと思ったら、この芝居の役者さんはたった7人で演じられているのであった。7人で50人もの人物を演じているのだそうだ。
したがって、シラノ役の右近さん以外はみんないくつも役をもっている。ロクサアヌの安寿ミラさんでさえ、最初は劇場の売り子役で登場だ。安寿さんの肩から提げた箱には色々なお菓子類が入っており、実際の客の何人かに配っていた。私のそばにも来たので期待したら、残念、隣の人に渡しちゃった。図々しくもうっかり手を出さなくてよかったわ~。
いつもの如く長くなるから、以下「その2」へ続く。
おまけ:アコーディオンは大田智子さん、バイオリンは廣川妙子さん。演奏しながら場内を廻るから、雰囲気が盛り上がる
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青山劇場、円形劇場、こどもの城の前にある岡本太郎の作品「こどもの樹」





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2007年9月 2日 (日)

あ~あ

91日 対大宮アルディージャ戦(埼玉スタジアム、18:03キックオフ、49,810人)→01 敗戦
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試合中もイライラ、試合終了後はひどく気分を害したまま浦和美園駅に向かったが、やけ酒飲んだらそんな気分も忘れてしまった。ビールだけにしておいたからダメージはほとんどないけど、最後の
1杯やめておけばよかったな。
しかし昨日は、失礼ながら崖っぷちのチームと首位チームの対戦とは思えない試合ぶりだった。そりゃあ、勝利ばかりが続くわけじゃないよな、こんなこともあるよな(何しろ、連敗ストッパーの異名をとったこともあるレッズだから)、とはわかっているけれど、大宮の必死さが実力差を上回ったということか。あるいはオジェックの選手起用が悪いのか(長谷部、相馬、機能してないんだから、早く代えろ、っていうの!)。

後ろで、おとうさんに連れられた5歳くらいの男の子が応援していて、この子がとても可愛い。「5万人も見に来てるのに、1点くらい入れたほうがいいんじゃないのぉ?」と愛らしい声でおとうさんに言う。「まったくその通り」と、後ろを振り向きたくなってしまった。大宮はなんてったって埼玉ダービーの相手だから、普段は応援しているのだけど、直接対決ではそういうわけにいかないものね。


世界陸上の男子4×100を見たくて、せっかく機種変した携帯で見ようと思ったら、飲み屋では受信できなかった。後で、5位、しかも予選をさらに上回るアジア記録を出したと知り(予選はコーフンしたなあ)、酔いのまわる脳が大喜びした。予選でもそうだったが、何より1走の塚原が早かったのがよかったのではないだろうか。世界と戦う場では、スタートで躓いたら絶対追いつけないと思うのだ。そして35歳・朝原はスゴい(予選が終わってTVに写った朝原夫人の笑顔が印象的だった)。
タイソン・ゲイもスゴい。

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追悼ダイアナ元妃追記

オブジェの下が、例のトンネルになっていて、ちょっと見づらいけれど写真左、白い人物の向こう側にいる赤い車が今、そのトンネルに入っていくところだそうだ。だから、ここは現場近くではなく、まさに現場上だったわけだ。
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2007年9月 1日 (土)

追悼ダイアナ元妃

ダイアナさんが慮の事故で亡くなって10年。
現場近く(なのかな) のアルマ橋には、追悼の写真や花束が。
報道陣、一般の人たちも集まっている。

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10年前のその日は、娘が初めてパリの地を踏んだ日だから。

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感激の観劇その2

831日 松竹大歌舞伎西コース初日昼の部(川口リリア大ホール)
「番町皿屋敷」それほど好きな話ではない「皿屋敷」に、こんなに深く入り込んだのは初めてではなかったかしら。梅玉さんの青山播磨がめちゃくちゃよかった。お菊に向ける視線のなんと愛と優しさに満ちていたこと。自分の真情が試された悔しさをお菊にぶつける気持ちのなんと熱く切ないこと。聞いていて涙が滲んできた。皿が惜しくて命を取るのではない、と4枚の皿を次々と割る姿は、お菊にしてみれば恐ろしかったかもしれないが、私の目にはひどく美しいものに映った。お菊も最後はそう思ったのではないだろうか。播磨に皿を差し出す手の震えが4枚目には治まっていたことが、それを表しているような気がした。

始めのほうの「おばさまは苦手じゃ」のセリフもよく、最後に一生の恋が滅びて喧嘩の加勢に駆けつける姿も若々しく、胸が高鳴るようであった。

時様も美しく、控えめで、梅玉さんとお似合いのカップルだ。お菊の不安、安堵、恐れ、死への覚悟に昇華した後悔などが、時様からも良く伝わってきた。斬られたお菊が井戸に投げ捨てられるところは、用人の錦吾さんと奴の梅蔵さん(だと思う)が時様を運ぶのだけど、客席からかすかな笑いが起こったのは何故?? 時様は、歌舞伎座の場合はセリがあって井戸にうまく入れるのだが、巡業では劇場によって井戸の構造が違うからと心配していたが(筋書きから)、ちゃんと入れていましたよ。

錦之助さんは、放駒四郎兵衛役で、最初の茶店の場面に登場する。初代を彷彿させる姿と声である。先月の「十二夜」でもそうだったが、華がずいぶん出てきたのではないだろうか。何しろカッコいい。

この場面のお目当ての一つは梅之さんの茶店女・おみつ。ご本人もブログに書いておられるが、かなり仕事がたくさんある。お客たちにお茶を点てて出し、播磨の笠と羽織を預り、床机を片付け、と大忙し。梅之さんは初々しく、上品に、くるくると働いておられた。セリフも丁寧でよかった。播磨の家来からちゃんと代金を受け取っているのを確認。これって、今まで気がつかなかった。あるいは気がついていても注目していなかった。

錦之助さんのインタビュー目的で、イヤホンを借りた。それなのに、トイレやロビーでは雑音が入ってしまい、全部を聞けなかったのが残念。断片的に聞いたなかで、いくつか印象に残った錦之助さんの言葉は、

44年間(43年間かも)信二郎だったから、まだ錦之助に慣れない」

「役者は、自分を見てくれという気持ちが大切。イヤミにならない程度にそういう気持ちを出したい」

「役者には品が必要。これはおばあさんからも厳しく言われた」

「残せる名前がある。隼人が継いでくれれば嬉しい」

襲名前後の錦之助さんは、控えめすぎるくらいで、錦之助の名前の大きさに戸惑っている様子があるような気がしたが、今の錦之助さんはこの名前に対する思いや意欲が強くなってきたようだ。私は錦之助さんの控えめな人柄がたまらなく好きだが、役者である以上、それでは大成しないような気がする。だから、錦之助さんに「自分を見てくれ」という気持ちが出てきたことはとても嬉しい。それでこそ、華も実もある役者になれるんだと思う。

おまけ(眼鏡のトリビア):「番町皿屋敷」で、用人が眼鏡をかける場面がある。日本での眼鏡は1551年、フランシスコ・ザビエルが山口に持ち込んだのが最初らしい。当時の眼鏡は紐つきだったが、鼻の低い日本人には使いづらく、レンズのつなぎの部分に鼻当てをつけたものが開発された。これを支柱式天狗眼鏡という。家康も鼈甲の縁で、凸レンズの入った眼鏡をしていた(当時は老眼鏡が多かったらしい)。久能山東照宮に保存されているが、これが現存する日本最古の眼鏡だということだ。以上、イヤホンガイドより。

<上演時間>正札附根元草摺20分、幕間15分、口上10分、幕間20分、番町皿屋敷75分、幕間15分、戻駕色相肩35

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感激の観劇その1

831日 松竹大歌舞伎西コース初日昼の部(川口リリア大ホール)
070831lilia 東京生まれ、東京育ちで、東京を離れてからのほうが長くなったにも拘らず未だ東京人のつもりでいる私。その私が初めて、「ああ、地元に歌舞伎が来てくれた」という大感激に浸った。
「正札附根元草摺」松江さんと梅枝クンの踊り。松江さんは力強く若々しく、梅枝クンはやわらかな中にきりっとした動きを見せ、舞踊でも一段とした成長ぶりを感じさせられた。
「口上」
この巡業は二代目中村錦之助襲名披露興業だから口上はお目当ての一つである(一部口上内容、書いてしまいます)。梅玉さんを中心に上手へ向かって松緑さん、梅枝クン、錦吾さん、東蔵さん、下手へ向かって錦之助さん、松江さん、隼人クン、時蔵さんが並んでいる。梅枝クンと時様は女方の作り。時様は最近、口上というと立役で出ていて女方は久しぶりという印象だが、そうでもなかったかな。
梅玉さんは、ご自身初代錦之助さんとの共演経験もあり、二代目の父親である故四代目時蔵さんにも子供の頃世話になった、四代目も喜んでいらっしゃるだろう、と話された。この公演はまた、松江さんのご当地初お目見えでもあり、昨年4月の襲名が披露された。筋書きに「玉太郎改め松江」とわざわざ書いてあったので、不思議に思っていたのが、これでわかった。
東蔵さんによれば、錦之助さんは「ほんわかほんわかした人柄で、癒される」のだそうだ。「華があり、これに実力を加えて、華も実もある役者さんになるだろう」と期待を述べられた。そしてご自身の子息である松江さんのことを「親である私からもよろしくお願いします」と結ばれた。時様は、「叔父は親代わり、1代で築いた名が継がれ喜んでいることだろう。叔父のように華も実もある役者になってほしい(やっぱり、初代を表現すると<華も実もある>になるんだなあ)」。そして「松江さんの披露も同時にできて嬉しい」と述べられた。錦之助さんは、名前を代々伝えていくことが自分の使命、と決意を新たにされていた。

次は「番町皿屋敷」だけれど、先に「戻駕色相肩」を。錦之助さんと松緑さんが駕籠かき(それぞれ実は真柴久吉、石川五右衛門)になって大坂と江戸の廓の様子を、また隼人クンが駕籠の客・禿役で、京都の廓の様子を舞踊で語る。本来、これが錦之助さんの襲名披露演目なんだろうけれど、すみません、ところどころガクッと首が垂れました。この演目は顔見世的なもので、錦之助さんによれば、江戸前のスッキリさと古典のコクが混じったものらしい。そういう雰囲気は十分味わえた。錦之助さんも松緑さんも、形が綺麗で、見ていて気持ちがいい。最後のぶっ返りは華やかで楽しい。
ところで隼人クンは今が一番きつい時期かもしれない。禿のセリフは子役調なのに、高い声が出ず苦しそうだし、背が高いから女方としては相当膝を折っており、気の毒になってしまった。まだ動きは硬いが、とても丁寧に踊っており、これから公演を重ねていくうちに馴染んでいってほしいなあと思った。錦之助さんも、隼人クンの大役を心配しながら演じられていたのではないかしら。

長くなるから、以下続く。

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