胸キュンな鉄道
8月29日 大鉄道博覧会(江戸東京博物館)
キャラメルの芝居が意外と早く終わったし、同じ大江戸線沿線にあるということで、江戸博に行った。もうこの博覧会を見るチャンスはないものと半分諦めていたから、しめしめ、である。
入ってすぐ目に入るのは、下工弁慶号。写真撮りた~い。だけど無理だよなあ。ところがふと見ると、「フラッシュ撮影はお控えください」の文字が。てことは、フラッシュをたかなければ撮影いいの? いいに決まってるよね。とはいうものの、気の小さい私は咎められるのを恐れて係りの人に確認した。OKが出たから気兼ねなく撮らせていただいた(嬉しいご配慮です)。ところが、私のカメラはどうも室内がうまく写せず(設定か何かが悪いのかもしれない)、大半ピンボケ(--,)
日本の鉄道って、明治13年には、かの有名な新橋~横浜間と、神戸~大津間、そして北海道の2線――手宮(小樽)~札幌間と、釜石製鉄所の鉱石運搬用の釜石鉄道――しかなかったのだそうだ。本当に短い短い路線だ。それが20年後の明治33年には東海道線全線、信越線が高崎~直江津間、北陸線が富山まで開通しており、私鉄もかなり発展したという。明治~大正期の鉄道発達の勢いが、昔歴史で習った記憶の甦りとともに、地図や展示品で実感された。
修学旅行列車に集団就職列車、待合室のだるまストーブは、まさに「3丁目の夕日」を思い出させ、館内に流れる井沢八郎の「ああ上野駅」の歌とともに、直接知りはしないのに、胸を熱くさせる。そう、列車って、郷愁を誘い、実際の旅は大変だったろうにロマンを感じさせるのだ。
私は子供の時、毎年ではなかったと思うが、夏休みになると、母の故郷である秋田県に寝台車で連れて行ってもらったものだ。当時は2段ベッドなんていうのに憧れてもいたから、寝台車はその気分が味わえて楽しみだったように記憶している。寝台車の実物の前で、駅弁、蓋付き土瓶のお茶、冷凍みかん、狭い最上段…あの当時が一度に甦り、胸がキュンとした。
つばめの展望車。多分私は実際に乗った経験はない。だから今回の実物展示に乗ったのが最初で最後だ。内部にはつばめに関連する写真パネルが何点か掛けられていて、その中で「元旦のつばめ1号車内 市川猿之助らが乗車」というのが目を引いた。昭和25年の写真であるから、亀治郎さんのひいおじいさん・初代猿翁であろう。
展示品は、ほかに種々列車の模型、昔の列車ではおなじみのタブレット、車掌さんの7つ道具(入札鋏は昔の少年少女憧れの一品)などなど。かつぎ屋さんの荷物まである。この荷物は実際に担いでみることができる。これが実に重い。私などよろよろと2~3歩進むのが精一杯。昔、我が家にも千葉
からおばちゃんが野菜を担いで売りに来ていたが、今思うと、あのおばちゃんたちは偉大だったなあ。
別室に、ジオラマのコーナーがあって、これぞまさに郷愁の鉄道、郷愁の駅、郷愁の町。私もブキッチョながら、いつの日か、そういうものを作ってみたいものだ。
閉館時間が迫っていたから映像を見てこれなかったのは残念だが、展示品を眺めながら聞こえてきたある音声に胸打たれた。それは星晃という人の話で、列車の開発にあたって、一般市民の便利を考えて、3等車両や寝台車が優先されたのだという。そういう時代もあったのだなあ。
万世橋にあった交通博物館が10月にさいたま市で鉄道博物館として新たにオープンする。これも楽しみなことである。
江戸博の「大鉄道博覧会」は9月9日まで。展示品の一覧はココ。
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