3月28日 長谷部浩講演会「歌舞伎の新しい波」 (日本文化会館)
18時半からの講演会は東京芸大の長谷部浩氏が講師で、亀治郎さんが特別出演の予定である。30分以上も前に着いたが、講演会の行われる小ホール前にはもう4~5人の人が並んでいた。このホールの外では亀ちゃんの写真展も行われていた。といっても、7点だけの写真展示だが、どれも長塚誠志さん撮影による素晴らしい作品で、ああ1枚でいいからほしいわ~、とため息が出た。展示されていたのは、合邦・玉手御前(02年)、一条大蔵卿(04年)、角力場・
吾妻(04年)、寿式三番そう・三番そう(04年)、弥生の花浅草祭・悪玉(?年)、鷺娘(06年)、そして私の大好きな八百屋お七(06年)。6点はひとつの壁に並べて展示されていたが、別の壁にかけられているお七だけがちょうど順番待ちの行列の人の陰に隠れてしまい、多くの人の目に触れないのが残念に思えた。
18時20分になってやっと中に入れそうな雰囲気になったのに、どうしてフランスっていう国はしゃきっとしないのだろう。係員が2人でああでもないこうでもない、という感じで額を寄せ合って、なかなか入れてくれようとしない。せっかち日本人おばさんである私がこの国で耐え難いのは、こういうところである。たった2~3分のことにすぎないのではあるけれどね。
小ホールは階段教室になっていて、ただし前3列は段差がない。私たちは事前に3列目あたりに陣取ろうと話していたのだが、中に入ると2列3列目は招待席であった(あとでわかったのだが、新国立劇場の舞台監督だという方や、現代演劇の作家らしい方たちがいらしたようだ)。さすがに最前列は遠慮して、4列目に決めたのだが、誰しも同じことを考えるらしく、すでに4列目は入り口に近い方から埋まっていた。それでも真ん中より向こうに空席がみつかったので急いで確保。これは結果オーライであった。だって、後から合流した亀ちゃんの顔がバッチリ私の正面だったんだもの。
1列10席、全10列くらいだから約100人のキャパはほぼ全部埋まったらしく、予約をしないで来た人たちなのか、7~8人が階段に腰掛けさせられていた。聴衆は日本人とフランス人半々か、やや日本人が多かっただろうか。
正面にはスクリーンがあって「歌舞伎の新しい波 Conference La nouvelle vague du kabuki」の文字が映し出されている。その下に講師席が設けられ、我々から向かって一番左、マックのパソコンが置かれた席に長谷部氏、その右隣に通訳の女性がすでに座っていた。やがて館長挨拶が始まった。フランス語で行われた挨拶の内容は、この講演会のパンフレットに書かれた程度の歌舞伎の説明、長谷部氏・亀治郎さん、長塚氏の紹介であった(招待席には長塚氏ご夫妻もいらしていた)。
講演は長谷部氏が現代歌舞伎の課題を3つに絞って解説し、その後亀ちゃんが加わってさらにこれを掘り下げていった(通訳は一文一文ごとに入る)。少し長くなるが、この講演およびディスカッションの模様をお伝えしたい。
長谷部氏はまず、「上演演目の固定化」というところから話を始められた。現在歌舞伎の上演演目は約200、たまに上演されるものも含めると300あまりになり、創作が出てくる余地が少ない。最後の歌舞伎作者は岡本綺堂(1872~1939)、真山青果(1878~1948)、宇野信夫(1904~91)、三島由紀夫(1925~70)であり、1950年代くらいで大きな作品は途絶えている。古くて良い作品をやっていればいいという考え方もあるだろうが、新作を作り出せなくなった演劇は博物館行きと言ってよい。この10年、歌舞伎ではそれを打開しようという試みが単発的に行われてきた。ちなみに、17世紀から続いた演劇が現在も興業として成り立っているのは歌舞伎とインドのカタカリくらいなものであり、歌舞伎の興業状況(毎月全国で3座の興業、歌舞伎座だけで2000席、年間250日)は奇跡に近いのだそうだ。
さて、こうした歌舞伎の変化のきっかけとなったのは、二代目松緑(1913~89)、十七代目勘三郎(1909~88)、六代目歌右衛門(1917~2001)、七代目梅幸(1915~95)の4人の名優の死である。この中で歌右衛門は、この人が生きていれば歌舞伎の新しい波は起こらなかったといわれるほど、その存在が歌舞伎の規範を作っていた。そこで、現代歌舞伎の3つの課題である。
①古典の再解釈(型の再検討)
六代目菊五郎の呪縛:六代目のそばで育った梅幸(六代目の養子)、松緑、勘三郎により、六代目の型が支配的になった。今後は六代目以外の型をやっていかなくてはならない。
上方の型の復活:東京の菊五郎型に対して上方の型を復活させようという動きは絶えずある。
現代の演出家による再演出の可能性:従来の型にとらわれない演出。たとえば1949年武智鉄二の「野崎村」「熊谷陣屋」では文楽の原本を尊重する方法がとられた。また1988年、猿之助の「ヤマトタケル」は歌舞伎をまったく新しいエンタテインメントとして作り変えた。亀治郎の家系は歌舞伎の主流・権威(六代目菊五郎、団十郎家)があるとしたら、それにノンと言い続けてきた家系である。面白いことに、後に長谷部氏は、海老蔵さんは革命家である、歌舞伎に野性を入れようとしていると評価した。ただし市川家だから許されているような部分もあるが、と付け加えて。
②現代演劇の作家・演出家との共同作業
日本では現代演劇と歌舞伎はまったく別のジャンルだと考えられていた。現代演劇の俳優が歌舞伎に出ることはきわめて稀。それが変わりつつある。蜷川、串田、野田、三谷による新作あるいは新演出が続いた。ここで、これまでにない演出として、スクリーンに「高田馬場」のDVDから、安兵衛が酔っ払い小野寺右京が嘆く場面、堀部ホリの口説きの場面が流された。しかし、ここだけ流されても、従来の演出を知らなければピンとこないのではないか、と私はちょっと疑問に思った。
③劇場空間の問い直し
歌舞伎の舞台は、広い本舞台に直角の花道という特徴的なもの。これを備えた専用劇場でないと上演できなかった。それがコクーン、平成中村座などで変わりつつある。
歌舞伎の未来には以上の3つのことがすべて必要であろう。フランス人の方は日本に来られたら是非現地で歌舞伎を見てほしい。そうすれば、より幅の広いものが見られるであろう。
ここで亀ちゃん登場。ピシっとスーツに身を固め、「二代目亀治郎です。皆さんにお会いできて嬉しいです」とフランス語で挨拶した。その後は日本語で、自分は亀治郎の会というものをやっているが、これは亀治郎のリサイタル公演であり、歌舞伎を新たに創造し直すという試みもあるが、もっと重要なのは自分がやりたいことをやるということだと述べた。以下、長谷部氏と亀ちゃんのやりとりをかいつまんで再現しよう。
長谷部:亀治郎さんが新しい演目をやるときは、部屋じゅうに資料を並べて勉強するそうです。
亀:歌舞伎は難しい演劇である。何をもって歌舞伎とするか、誰も答えられない。自分が知る限り、歌舞伎が何たるかについて書かれた本はない。一言で言えるような簡単な演劇ではないのだ。だから様々な問題が生じる。一番の問題は、歌舞伎があまりに時代性を帯びていることである。歌舞伎は江戸時代に生まれた、その時代の現代演劇である。その時代の文化、風俗すべての影響を受けており、それが歌舞伎をむずかしくしている。
長:三津五郎さんは、「歌舞伎役者がやるものすべてが歌舞伎だ」と言っているが。
亀:それは究極的な答えですねえ。(テーブルに置かれた水を例にとって)中に入っている液体が歌舞伎なのか、入れ物を含めて歌舞伎なのか、あるいは入れ物を置いたテーブルも含めて歌舞伎なのか。捉え方によって歌舞伎は違ってくる。本来の歌舞伎を演じるならば、劇場空間も含めてすべて変えなければならない。役者も江戸時代と同じ生活をして、歩行も右手と右足を同時に出すようにしなければならない。そんなことは不可能であり、現代の我々が正統な歌舞伎を守っていると声高には言えない。
長:原点主義だけが意味をもつものではない。歌舞伎からあらゆるものをはぎとっても、歌舞伎俳優がもっている歌舞伎の味のようなものが歌舞伎の本体ではないか。亀治郎さんは若いが身体に歌舞伎味がある。
亀:子どもの頃からそこの環境に身を置くこと、その空気を吸うこと。これが歌舞伎の大事な要素である。ただ、型は変わってよい。名優が残した型を絶対視することは危険である。ある時代まではその型が一番よいとしても、それ以上の型が出てくることもある。しかし型を作るのはむずかしい。一つの型を壊すには世の中に残された型をすべて知らなくてはならない。(→ここで部屋じゅう資料だらけというところに結びつくのでしょうね)
ところで、作品の問題だが、ギリシア悲劇やシェークスピアは普遍的であるのに対し、歌舞伎の演目で普遍的なものはあまりない。悲劇というものは人間 vs 世界であり、世界に呑み込まれる人間が悲劇なのである。近松の悲劇もそれに則って書かれてはいるが、世界が当時の大阪に限られている。社会と作品が結びつきすぎており、当時の社会を知らなければ理解できない。客が歌舞伎を見に来るのは役者を見に来るのであり、それも大事な要素ではあるが、作品自体で客を魅了するという努力がなされていない。
長:亀治郎さんの心配はよくわかる。役者を見に行くのも大事だが、3本に1本は作品も見てほしい。現在のレパートリーでそういうものは少ないが、たとえば合邦は「フェードル」に似ており、ドラマとしても感動できる。しかし国際性をもつには新作が必要。国際的には、歌舞伎は高度に洗練されてはいるが日本の民族舞踊として見られているのではないか。
亀:蜷川や三谷が作品を提供するという外的要因によって俳優が変わらざるを得なくなった。歌舞伎は世界遺産になったことで、世界演劇にならざるを得ない。世界を舞台に活躍するには改革が必要。今はまだ、日本民族がやる日本の民族演劇である。それこそが歌舞伎だという人もいるが、我々は先祖に呪縛されることは一切ない。歌舞伎は現代に生きてこそ歌舞伎である。したがって、このオペラ座公演は大変意義のあるものである。演出も多少変わっているし、花道もない、それでも歌舞伎である。団十郎、海老蔵、亀治郎を知らない人が見ている、それでも歌舞伎である。口上をフランス語で行った、それでも歌舞伎である。歌舞伎が何なのかを問いかける非常に重要な公演である。
長:歌舞伎では女形は立役の一歩後ろに立つ。しかし菊之助さんは「十二夜」のセリフはそれでは喋りにくい、ちょっと前に出た方が喋りやすい、と言っていた。
亀:シェークスピアの世界を完全に理解することも歌舞伎で完全に表現することもできないが、「十二夜」で演出家が言ったのは、シェークスピアの世界で重要なことは貴族というものはいやらしい話が好きで、2人寄れば酒を飲んで人の悪口を言う。「十二夜」ではそこにマライアが加わる。それがシェークスピアの世界だ、ということ。しかし自分には女形のご飯の食べ方が見つからなかった。歌舞伎では女形が物を食べるということはあり得ない。日本女性は昔は人前で食事をしなかったし、男性が食べ終わるまで食べなかった、そういう時代に生まれた歌舞伎ではシェークスピアは演じられない。そこで自分は女が物を食べる型を作った。シェークスピアを歌舞伎でやることによって、新しい型が生まれたのである。
長:歌舞伎の未来についてだが、能や文楽のような形で存続すればいいとは思わない。亀治郎、海老蔵、菊之助が変えていくことを期待する。その道は、古典の再解釈、新作、どちらなのか。
亀:新作と古典、両方やる必要がある。守りと攻めという二つの意識をもたなくてはならない。守りというのは、変わらないように守るのではなく、古い作品を現代の視点で解釈し、古典に新しい命を吹き込むことで守るのである。攻めは、シェークスピアやモリエールなどに取り組む。これによって、役者が豊かになり、その役者が再び古典をやるのである。
以上が講演会の内容だが、その後の質疑応答(主にフランス人の質問を受け付けた)で今回の「勧進帳」について亀治郎さんは、再解釈ではない、伝統に従っているが、作られた当初とは微妙に異なっており、現代におけるクラシックといえるだろうか、と説明していた。意味のない美辞麗句は省略して多少短くもなっているとのことである。
また今回のオペラ座での注目点は、「照明を明治時代の明かりに近くしたことである。それによって、よりクラシックになった」そうである。(そうなんだあ。オペラ座独特の雰囲気というか暗さというか、そういうものに気をとられて、気づかなかった)
お二人の話を聞いていて、自分がこれまでぼんやり疑問に思っていたことが形になって現れ、それがいいのか悪いのかはともかく、一つの方向性が示されたような気がした。それと同時に、長谷部氏が挙げた3人だけでなく、新しい歌舞伎の波を起こそうとしている、あるいはもう起こしている役者さんは他にもたくさんいることが思われた。それにしても亀ちゃんの頭の良さには脱帽する。論旨があきらかであり、ディスカッションでも、自分でどんどん問題提起して長谷部氏の意見を引き出したり、一般人にわかりやすいように比喩を多用したり、通訳が訳しやすいように一息で喋りすぎることなく言葉を区切ったり、その喋りもメリハリがきいている。よく勉強をしていることも窺える。本当に魅力的な役者さんです。帰宅してもう一度「高田馬場」のDVDを今度は副音声で聞くと、亀ちゃんがこの芝居に出て、どんなに刺激を受けたかが分かるようで、実に興味深かった。
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