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2006年10月

2006年10月30日 (月)

一度は行ってみたい風町--映画「旅の贈り物」

優等生的感動映画、そして人物紹介が終わった頃には物語の展開も読め、予想どおりにストーリーは進行する。と書くと、きわめて退屈そうな映画に思えるかもしれない。全然そうではない。優等生的、そして単純なストーリー展開が見る側に安心感を与え、ほんわかと暖かい気持ちで「人間っていいなあ」と衒いもなく言えるのである。映画「旅の贈り物」は、一種のお伽噺のようなものかもしれない(昔「旅の重さ」という、なんだか重っ苦しい映画があったなあ。なんてことを題名から思い出しました)。

★あらすじ

8月某日、大阪発000の列車が出発した。そこにはそれぞれ心に傷を抱えた5人の男女が乗っている。由香(桜井淳子)はキャリアウーマンで、年下の恋人とハワイへ休暇を過ごすつもりだったのに、彼の浮気現場を目撃する。彼にビンタを食らわせ、そのまま大阪駅からこの列車に乗る。華子(多岐川華子)は高校生。誰も、両親さえも自分を必要としていないという思いに捉われ、ネットの自殺サイトに参加するが、10分遅刻したために置いていかれ、すねた気持ちのまま、やはりこの列車に乗りこむ。ミチル(黒坂真美)は田舎から大阪に出てきてタレントを夢見るが、挫折して今はキャバクラ嬢。若林(大平シロー)はリストラで会社をクビになり、家庭にも居場所がない。網干(細川俊之)は働きづめで定年を迎え、さあこれから妻と2人で旅行などしようかというときに妻に先立たれる。

人生をつっぱった気持ちで走っている由香、自分の存在価値が見出せないで誰に対しても素直になれない華子、反対に誰に対しても屈託なく素直に接するミチル、華子に一緒に死のうと誘われ、迷いに迷う若林、妻の写真を持ち歩き、どこに行っても写真に景色を見せ、語りかける網干。5人が降りた駅は、列車の終着駅である風町という小さな港町。5人それぞれに町の人はやさしい。町の時間はゆったりと流れる。町にはほとんど老人しかいないが、みんな健康でとても明るい。老人たちが明るくいられるのは、5人と同じようにどこからともなくこの町にやってきて、この町に居つくようになった医師・越智(徳永英明)の影響が大きい。が、越智自身もこの町のやさしさに包まれている。越智は次第に由香の心を和らげていく。華子の心を開いたのは、孤独な少年翔太(小堀陽貴)。華子がやっと自分を必要としてくれる存在に気がついたとき、若林は華子とともに死ぬ決心をする。だが…

と、まあ、こう展開していくのだが、この映画を成功させたのは多岐川華子の存在かもしれない。高校生・華子は大人からみればなんとも甘ったれた考え方だし、実に可愛げのない態度なのだが、本当は素直で優しく、寂しがり屋なのだ、というのが彼女の演技に現れている。多岐川華子自身が親に愛されて育ったのだろう、嫌味のない素直な演技に好感がもてた。翔太の小堀陽貴もいい。2人の孤独な魂がやっと触れ合ったとき、私はバッグからハンカチを出さざるを得なかった。

町の人たちは樫山文枝、大滝秀治、梅津栄など芸達者揃い。その中で意外にもよかったのが徳永英明。あまり好きではなかったのだが、町でたった1人の医師として、予防医学で老人たちの健康を守る青年の役を自然に演じていて好感がもてた。

ビックリしたのは細川俊之。昔あの声で多くの女性を魅惑した、あの、あの細川さんが、すっかり年老いて、亡き妻の面影をいつまでも追い求めている。う~む。

それにしても、列車はいいなあ。とくに海辺を走る列車が私は好き。「旅の贈り物」の列車も、山陰の海を眺めながら走る。私も「風町」を訪れて、ゆったりした時間を過ごしてみたい(ちなみに、風町は架空の町です)。ただし、歌舞伎が見られなくなっちゃうから、せいぜい1週間というところかな(ハハハ、結局都会を離れることは私にはできません)。

★大阪発000の列車

客車は、昔皇族などが使ったという「マイテ」*、牽くのは「ゴハチ」**

*マイテ:「マ」は重量42.5トン以上47.5トン未満、「イ」は1等車、「テ」は展望車。

**ゴハチ:EF58-150のこと。Eは電気機関車、Fは動輪の軸数6本、58は最高速度85km/時間以上の直流電気機関車、150はその機関車の固有番号(以上、プログラムより)

★エンドロール

よく、エンドロールが流れ出した瞬間に席を立つ人がいるが、私には信じられない。私は、館内が明るくなるまで席にいなくては映画を見たという気がしないのである。そして、この映画に関しては、席を立った人は早まった、早まった。エンドロールがすべて流れても、映画は終わっていないのである。ご注意を。

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娯楽三昧の毎日--映画「旅の贈り物」予告編まで

何かの映画を見たときに、「旅の贈り物」の予告が流れ、列車好きの私はスゴイ列車が登場するというだけで、絶対見ようと決め、しかも劇場で前売り券を買えば特典があるというのに惹かれて、約2カ月前わざわざ銀座一丁目のテアトルシネマに買いに行ったのである。特典は、映画に登場する列車のストラップ付普通チケットか、列車の硬券型チケット。迷うことなく硬券型チケットを手に入れ、そのまま気にはなっていたものの、歌舞伎歌舞伎で公開日の10月7日という日付も忘れ、先日ふっと、あの映画どうなってるのかしら、とネットで調べてみたら、112日で終わるではないか。というわけで、仕事も一段落した今日、急遽見に行った。

最近、鳴り物入りで宣伝される日本映画が多いが、前売りを買っておいて公開に気付かないくらいだし、1カ月もたたないうちに終わるんじゃ、きっとガラガラだろうとは思ったが、たまたま初回の30分も前に着いてしまった。早すぎるから警察博物館でも見学しようと思ったが、とりあえず受付だけすませようとテアトルシネマの建物に向かうと、エレベーター前には10人くらいが並んでいる。まさかこれ、映画見る人?と訝しく思いながら上にあがると、やっぱりみんな映画館へ。焦りましたわ~。受付番号は33番。朝イチで着いたのに、私の前にもう30人以上もの人がいるとは!

P1020877 それよりもショックだったのは、チケットの半分がちぎられてもっていかれてしまったこと。なんで写真とっておかなかったのだ~(泣)。

なんだか落ち着かないので、そのまま映画館で開場を待つ。日本映画なので字幕を読む必要はないから、どの席でもいいようなものだが、ちゃんといい席に座れてほっとした。その後も観客が続々と入ってきて、本編上映までに座席は9割方埋まってしまった。実に驚きである。

お楽しみの予告で、私のイチオシは「あるいは裏切りという名の犬」と「クリムト」。前者はダニエル・オートゥイユとジェラール・ドパルデュー共演と聞けば、見ずにはいられないではない。ノワールミステリーというから、緊迫の画面になるだろうが、ここのところ日本映画ばかりで私にとっては久々のフランス映画だし、期待しよう。「クリムト」は画家モノで、たしか「エゴン・シーレ」も見たから、今度はお師匠さんのドラマということで、これも興味深い。画家の生涯というのは映画になりやすいのだろう、全部というわけではないが、割とよく見る。大好きなフェルメールを描いた「真珠の耳飾の少女」はよかったなあ。

辛かったのは「めぐみ引き裂かれた家族の30年」。横田めぐみさんの映画である。現実から目を背けてはいけないと自分に言い聞かせながらも、とても本編は見られそうにない。若くて幸せそうな横田さんご夫妻とめぐみちゃん、双子の弟さん。予告を見ているだけで、涙がぶわ~っと溢れてくる。めぐみさんの恐怖と絶望、家族恋しさ、そしてそれらを乗り越えた強さを思い、途轍もないものに立ち向かうご両親の愛情と強さ(その強さの陰に、どれだけの涙と葛藤があったであろう)を思うと、ご両親の心からの笑顔が見られないうちは私は死ねないのである。ただ傍観者として心配するだけの私がそんなことを言うのもまったくおかしな話だが、でもそういう気持ちになるのである。

少し胸が痛くなってきたところで、本編に続く。

なお、後で知ったのだが、好評のため「旅の贈り物」は追加上演があるそうだ。

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お大尽気分で歌舞伎を観る

06102901nhk 1029NHK古典芸能鑑賞会NHKホール)

先日の三響会に続いて初めて経験する古典芸能鑑賞会。NHKホールも初めてだ。和服の女性が目立つ客席は、TVの紅白などで見るとおり、かなり広い(歌舞伎座の倍くらいあるらしい)。前から5列目くらいまではオーケストラピット上にあたるが、舞台が高いため、最前列だと、かなり首が痛くなりそう。かぶりつきの好きな私でもきつい。時蔵さんのところにお願いして取っていただいた席は、前過ぎずちょうどいい感じ。期待が高まります。

演目は

第一部:筝曲・河東節掛合「熊野(ゆや)」

  京舞「信乃」

  三枚続廓賑

第二部:歌舞伎「土蜘」

狂言の茂山宗彦さん、茂さんの2人がナビゲーターとして花道に登場し、第一部の各演目の前に狂言で説明をする。これがなかなか面白く、印象深いアクセントとなっていた。狂言に登場する動物の物真似のサービスまでついて、犬、猿、牛、狐、ニワトリを演じてくれた(狂言も初めてのくせに、というか初めてだからこそ、というか「あ~、狂言だわい」と、ちょっと感動)。

最初の演奏が始まると、舞台前面上方に掛けられた掲示板に歌詞が表示される。歌詞はその後のどの演目でも表示されて、分かりやすかった。しかし「熊野」は予想通り、ほとんど寝てしまった。いえ、私自身はずいぶん努力して聞いていたのだけど、周囲から眠りガスが発せられて…。かなりの方が首をガクンと垂れておいででした。

次の「信乃」は犬塚信乃のことで、井上八千代さんの踊りでもあり、興味をもって見ていたのだけど、「熊野」の眠りガスがまだ残っていて、信乃が娘として振る舞う前半の踊りはついていけなかった。でもぶっかえって男に戻ってからはけっこう頑張って見ましたよ。とはいうものの、京舞の良さを感じるには至らず。

よかったのは、次の三枚続廓賑。芸妓さんによるお座敷芸で、最初が浅草芸妓の浅草太鼓。華やかだし、芸妓さんが綺麗だし、太鼓や笛、打物が賑やかでとってもよろしい。博多芸妓の「黒田節」、「祝い目出度」と続き、新橋芸妓による江戸の粋曲、そして全員による総踊り「さわぎ」で終わる。新橋芸妓の踊りが本当に粋で、とくに男踊りがカッコよかったわ~。歌もメチャメチャいいお声で。ちょっと驚いたのは、なんと昔々小学校の音楽の教科書に出ていた歌が出てきたこと。「向こうよこちょのお稲荷さんに一銭あげて、ざっと拝んで~」という歌。メロディーはかなり違ったけど、今でも歌えるこの歌が聞こえてきたので嬉しくなって、口の中で一緒に歌っちゃいました(1番だけだけどね)。「すててこ節」という歌らしい。教科書に載っていた題名とは違うと思うわ。

それにしても、芸妓さんたちの芸がこんなに優れたものだとは知らなかった。この芸妓さんたちを実際にお座敷に呼んで、自分だけのために演奏し、踊ってもらいたいというお大尽の気持ちがわかる。貧乏人はこんなことでもなければお座敷芸なんて見る機会はないから、気分だけお大尽になって舞台を座敷に見立て、とても贅沢な時間を過ごしました。

30分の休憩後、いよいよ今日の目的の「土蜘」(去年の1月に吉右衛門さんで見ているのだけど、細かい部分はすっかり忘れてる)。菊五郎、時蔵、三津五郎、菊之助さん等によるたった1回だけの公演。こちらもなんて贅沢なの!!

時様の頼光は眩いばかりに美しく、菊ちゃんの胡蝶はとりわけ声が良く、菊五郎さんの叡山の僧は立派で怪しく、嬉しくなってしまいました。菊五郎さんの踊りって、あまり見たことないような気がする。だから余計嬉しくて。太刀持ちの右近クン、声変わりなのか、ちょっと苦しそう。間狂言も贅沢な配役です。団蔵、亀蔵、秀調、萬次郎さんと芸達者揃い。中でも秀調さんの踊りは秀逸。体の動きがやわらかく、剽軽さが身についていて、実に気分よくこちらまで乗せられます。秀調さんは名古屋の「髪結新三」でも独特の味を出していて、貴重な脇役としての存在感十分。石神実は小姓の柿本明久クン、お面が取れたときにちょっと後ろにひっくり返りそうになって後見さんに抱きとめられ、可愛かったわ。間狂言が終わると、大薩摩が勇壮というよりは不気味な雰囲気を盛り上げて、蜘塚が運び込まれ、続いて権十郎、男女蔵、松也、菊市郎の面々による四天王登場。大好きな松也クンが期待に違わぬスッキリ侍ぶりでステキ(終了後、どこかのおばさまたちが松也クンのこと褒めていました)。

さあ、菊五郎蜘が網を破って出てくると、派手な立ち回りの予感に、目は舞台に吸いつけられる。ところがどっこい、立ち回りは私の予想よりずっと地味でした。立ち回りというと派手に派手にと私が期待しすぎてしまうせいでしょう、多分。蜘の糸にしても正月の浅草で亀ちゃんのドハデな投げっぷりを見ているため(あれは特別か)、余計地味な印象は否めなかったものの、やっぱり蜘モノはいいなあ(ただ、最近梅之さんのブログで後見としての苦労話を読むので、蜘の糸を手早く丸めていく後見さんの動作も気になるのでした)。

いかにも歌舞伎らしい様式的な立ち回りの末、蜘が討たれて幕。そこで私のお大尽観劇も終わりです。歌舞伎座とは雰囲気も条件もずいぶん違ったし、出来も満点というわけにはいかなかったけれど、それはそれとして贅沢な時間で楽しかったわ~。満足満足。

★今日の舞台は123日午後9時から教育テレビで、10日午後2時からは衛星ハイビジョンで放送されるとのことです。

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2006年10月28日 (土)

亀ちゃん、しばしさらば--三響会

Photo_2 客席が闇に包まれる。やがて舞台中央に大きな和太鼓がひとつ浮かび上がる。そして男が1人。田中傳左衛門(敬称略。以下、敬称略と敬称付もしくは愛称はその時の気分で)である。菜箸を長くしたようなバチで「大入」ともう一組何だか文字(1字は「中」だったかも)を空に書き、一番太鼓を打つ。昭和57年、当代の祖父である11世傳左衛門が演舞場の開場式で打ったというものだそうだ。

やがて舞台の奥に林英哲の姿が浮かび、一番太鼓が終わると、こちらへ舞台が回ってくる。力強いバチ捌き。ただひたすら自分のすべてを太鼓にぶつける姿を見、そこから響いてくる音を聞いていると、人間の中のドロドロしたものが体内から立ち昇って、澄んだものに昇華するような気がしてきた。打楽器はおそらく人類最古の楽器であろう。その音は腹の底に響いて人を沸々と興奮させ、自然に体に動きをもたらす。たとえばブラストではまさにそういう昂揚感が得られた。だがブラストは洋楽器であり、コンセプトも異なる。だからであろう、私自身は意外にも、静かな気分で太古の森に誘われるような感覚に陥った(玉三郎が太鼓に触発されて「アマテラス」を創作した気持ちがわかる)。しばらくすると笛が加わる。ふだんの歌舞伎では聞くことのできないような激しい音色とリズム。今度は太古の荒野にタイムスリップする。ただ1人荒野をさまよっているのだが、寂しさや孤独感はない。心地よい静かな興奮を感じる。一噌幸弘さん(だと思うが、違ったらごめんなさい)の早吹き(?)に目が吸い寄せられる。指の動きの凄い早さ。これに傳次郎の太鼓が加わる。頭の中ではまだ太古の荒野をさまよっている私、このままどこへ行くんだろう。

と思っているうちに、林英哲は舞台を去り、今度は囃子方の演奏。「魔界転生」だったのだけど、そんなことすっかり頭から飛んでいた。ただ聞き入った(後で思えば、ああそうだったかも、という気がする)。筝も尺八も笛もいい。あまりの心地よい音に少々眠気を誘われてしまった。歌舞伎を見るようになってから、三味線も鼓も好きになってきたが、あくまで歌舞伎を主とした聞き方であった。今日囃子だけで聞いてみて、金属的な音のしないことに心地よさや落ち着きを感じるのだとわかった。

20分の休憩のあと、客席に再び闇が訪れ、長唄が聞こえてくる。やがて一転して華やかな藤娘の舞台が目の前に現れる。客席のあちこちから「きれ~い」という声が。今日唯一の明るい舞台である。七之助の藤娘はほっそりとして綺麗だ(やっぱり女形は細いほうがいいわ)。ふっと海老チャンの藤娘を思い出してしまった。あの時はそれなりに可愛いと思ったものだが、今思うと、相当ダイナミックな藤娘だったんだなあ(いえ、それだけに、可愛いことは可愛いのですよ)。

歌舞伎の「安達原」。阿部一族の安達原ではありませんよ。初めて見る演目だし、猿之助さんの「黒塚」も見ていないので、まったくの素人としての感想。「旅の衣はすずかけの~」*って、昔父がよく鼻歌で歌っていたけど、「勧進帳」じゃなかったっけかしら。「安達原」でも歌われるの?これって、山伏の歌? 梅枝の東光坊祐慶と段四郎の強力太郎吾が花道から登場するけど、祐慶って山伏? わからん。でもとにかく梅枝クンが上品で、若いのになにやらむずかしいセリフを堂々と喋っている(立派立派)。亀ちゃんの老女が舞台中央の籠みたいな形の小屋(?)から現れる。亀ちゃんが良かったのかどうかは、はっきり言ってよくわからなかった。というのも、動きも少なく、舞台が暗くて私のところから少し距離があったせいか細かいところがわからず、また声も低く抑えてあるから少々聞き取りづらかったのである。亀ちゃんの声というのは決して澄んだ美声ではない。ハスキーなちょっと高い声を張り上げるところが魅力なのだが、私の耳が少し悪いのかもしれない。

そんなこんなで、今年最後の亀ちゃんの舞台だというのに、老女の嘆きのセリフではついつい瞼がくっついて…。必死で意識を戻そうとしながら気付くと、老女が花道を去っていくところ(能では老女が祐慶たちに糸繰りを見せるけれど、歌舞伎ではその場面はなかったような。それとも意識を失っている間にやったのかしら、と後で思った)。その後は、段四郎さんが見事な演技を見せてくれます。何度も演じられた役だというが、やはり上手い。海老反りまで見せてくれちゃって感激。亀ちゃんが鬼に変身してからは、鬼好きの私は嬉しくて。うわっ、最後、鬼女は舞台後方へ飛び込んでしまった。

能の「安達原」は意外と面白く見られた(少なくとも初の能観劇で見た「紅天女」よりずっと面白かった)。あるいは歌舞伎で先に見ていたために、「安達原」という物語がわかっていたせいかも。こっちの老女は歌舞伎よりもっと籠みたいな物の中にいた。シテの老女の声がどこで喋っているのかと思うくらい、近くで聞こえた(能と歌舞伎では声の出し方というか声での演じ方が違うのだろう)。閨室を覗く野村萬斎さんの剽軽な演技に客席から笑いが起こる。ナマ萬斎さん、初めてなんで嬉しいわ~。老女が本性を表すところは、プログラムに書いてあったから先入観をもったのかもしれないが、「女性が持つ弱さや羞恥心を表現した」のだと確かに感じた。歌舞伎の鬼女にはそういう面は感じられず、むしろ怒りや悲しみに突き動かされた様子が窺え、闘いに負けて自ら死を選ぶ潔さ(予想外の行動でした)に哀れを覚えた。老女のセリフをちゃんと聞いていたら、鬼女の気持ちももっとリアルに受け取ることができたに違いない。不覚でした。

同じ素材を歌舞伎と能で演じるという試みは大変興味深かった。歌舞伎には能からとった演目がたくさんあるから、能初心者の私は、又他のものもこういう形で見てみたい。ただ、能も面白かったけれど、やっぱり私は歌舞伎のほうが好き。

ところで、どうしてあんなに眠かったのか考えてみたら、家を出る前に風邪薬を飲んだのでした。おバカでした~。

*「旅の衣はすずかけの~」:後で調べたら、「勧進帳」も「安達原」もこれで始まるようです。

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2006年10月27日 (金)

三響会--とりあえず

P10208512 三響会昼の部(新橋演舞場)

行ってきました。開演20分くらい前に演舞場に着いたのですが、入り口は行列。補助イスが出るくらい盛況でした。

今週は明後日のNHKも含めて7日のうち4日も歌舞伎を見ていることになるので、いい加減仕事をしなくては。ということで、今は「梅枝クン、よかったわ~」ということだけにとどめておきます。仕事が一段落したら、もう少し詳しい感想を。

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2006年10月26日 (木)

待ってました!--新春のお楽しみ~

浅草歌舞伎、演目発表です。亀ちゃんの姿が見られないのは寂しいけれど、ラブリンが出るのね。期待の亀鶴さんも。フフフ。

おお、しかも千本桜、今年みたいに昼夜役者の入れ替えかと思ったら、昼はすし屋、夜は渡海屋・大物浦じゃないですか。すし屋はTVでしか見たことないから楽しみ。でも、知盛が獅童? 大丈夫かよ、っていう気もするけれど、ここらで獅童クンも歌舞伎役者として飛躍しなくてはね。いつまでも石松や丹下左膳だけではしょうがないでしょう。玉の井はピッタリかもね。

勘太郎クンの姿を見るのも久しぶりです。もう楽しみで。そういえば、今晩「きよしとこの夜」に出るから、一足先にお顔だけ見ちゃいましょう。

さあさ、又チケット取りが厳しくなりそう。

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photographic travel

今日は、ノートとの接続ケーブルを忘れたために旅先からアップできなかった写真をご紹介。ただし、撮り終わってみたら、肝心の松竹座がほとんどない。その日は朝、ひっきりなしに通る電車を興奮しまくって撮っただけみたい。観劇後は茫然自失状態だったのか、大阪の町の写真もほとんどない。でも松竹座は染と愛の物語とともに、記憶にとどめてありますから。

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写真は上から順に

①名古屋ロボットミュージアム入り口

②同ショップ入り口

③お絵かきロボットに向かってポーズ

④ポーズをとった人を描く(ただし、③のポーズをとっている人と、今ロボットが描いている絵は別人)

⑤ご挨拶ロボット(かっわゆい~。アップの写真はもっと可愛いんだけど)

⑥御園座(時様の幟…へへへ)

⑦御園座まねき看板(華やかですよね~)

⑧からくり時計(勢揃い。この後一度扉が閉じて、上から順に今度は1人ずつ開いていき、名台詞を喋る)

⑨配役(名優揃い踏み。なんて貴重な…)

⑩豪華襲名御膳メニューと料理の一部

⑪松竹座

⑫言わずと知れた…

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2006年10月25日 (水)

ミュシャと晶子

松竹座がせっかく大阪の一番面白そうな地域にあるのに、それには目もくれず、BLの後は堺へ。8月に録画したまま放置してあった「迷宮美術館」を先日見たら、堺にミュシャ美術館があるというのだ。土居君雄さんという人がミュシャのコレクションをしていて、ミュシャの息子さん(ともに故人)の信頼厚く、ミュシャの死後見つかった「ハーモニー」という絵を所蔵しているそうである。それを見たくて、天から授かったチャンスとばかり、堺に足を伸ばしたというわけ。

南海難波駅から南海電車に乗って堺へ行ったのだが、この南海難波が松竹座のある御堂筋線なんばから遠い。重い荷物を抱えて、フーフー言いながらやっとの思いで乗り込んだ急行。ヘンなおじさんが乗ってきて、大きな声で文句ばっかり言ってる。怖いから目を合わせないようにして、早く堺に着いてくれ、とひたすら願っているうちに堺へ着いた。寂しい駅だった。駅員さんに訊くと、ミュシャの美術館なんて知らない様子。別の駅員さんはちょっと知っているらしく、ポスターが貼ってあるからそれを見てくれ、と言う。うわあ、なんと南海の堺ではなく、阪和線の堺市駅って書いてあるよ~(こちらで調べて行ったにもかかわらず、南海電車と阪和線を間違えるなんて、ああドジドジドジ)。でもポスターには堺市駅への行き方は書いてない。観光案内に行ったら、使えないおじいさんが(失礼)一人いて、仕方ないからタクシー乗り場だけ教わった。タクシーの運転手さんもミュシャ美術館なんて聞いたことないと言う。堺市立文化館というところと関係しているみたいなので、とりあえずそこへ連れて行ってもらう。親切な運転手さんで助かった。

ミュシャ館は、文化館の4階にあった。ほっとして中に入ると、あるある、ミュシャのポスター、彫刻、絵画に切手(祖国チェコの切手をデザインしている)、そして「蛇のブレスレットと指輪」。ポスターは、人物の視線を強調したい物や文字に向けたり、文字を女性の髪の毛の中に見え隠れさせて逆に注意を引いたり、面白い工夫がなされている。蛇のブレスレットと指輪は当時最高の宝飾家ジョルジュ・フーケとの共作でサラ・ベルナールが使っていたもの。現代の技術では再現不可能とされているそうだ。稀代の芸術家3人の息吹が感じられるこの宝飾品をもっているなんて、素晴らしいではないか。

祖国に対するミュシャの思いが如実に表れているのが「ハーモニー」だ。背景には大きく描かれた女性。手をかざしたその女性はスラヴ民族を象徴している。その前にスラヴの群像が描かれ、左端には赤ちゃんを抱くチェヒアがいる。チェヒアはチェコを象徴する母、赤ちゃんはチェコそのものである。場所を間違えて挫けそうになったけど、この絵を見に来てよかった。

この文化館には与謝野晶子館もある(与謝野晶子って、堺の生まれなんだ)。晶子の使っていた鏡台や箪笥などが展示してある。自筆の原稿や和歌を見ると、晶子の息遣いが聞こえてくるようで、とても身近に感じられた。実はミュシャ館で、「与謝野晶子とミュシャ」という企画展をやっており、ミュシャのポスターが晶子らの雑誌「明星」の挿絵によく使われていたということを知った。まさに、この2人の作品を所蔵している文化館にふさわしい企画展だろう。

ちょっとマイナーな見学だったけれど、堺という町の真ん中に何気なくあるミュシャの美術館、とってもステキでした。

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2006年10月24日 (火)

劇画調歌舞伎は観客も巻き込んで--染模様恩愛御書

十月花形歌舞伎(大阪松竹座昼の部)

楽しかった、面白かった。こむずかしい理論なんかまったくいらない。話題のBLだけでなく、仇討ち、女の嫉妬、忠義、お家のピンチ、火事と、どれをとっても面白いドラマをうまく盛り込んで、「染模様」は観客を魅了した。あんまりよかったから、ノベライズ本も買っちゃった。

舞台は歌舞伎には珍しい地味な二階建て屋台で、同時進行するストーリーや、登場人物の心理表現に効果的に用いられていました。また要所要所に講談師が出てきて、一席ぶち、劇画調を盛り上げます。さて、以下、ツッコミも含めて思い出すままに。

★見染めの場:初々しい2人の出会いが、遠い日の甘酸っぱい思いを甦らせてくれました。友右衛門は多分、逞しい武士という設定なんじゃなかったかなあ。でも、染五郎さんは逞しいというよりは、スッキリと美しい。ラブリンは正直いって、小姓というにはちょっと…(近くで見すぎたせいかも。何しろ松竹座の舞台は客席にかなり迫っている)。でも、ああいうのを「はんなり」というのでしょうか。そこはかとなく色気があって、やっぱり美しい。私は小姓を卒業して武士になったときのラブリンのほうが好きです。

BLの場面:そこまでやるか! といってもシルエットなんですけどね。でも、想像させるという域を超えちゃってます。観客席にも照れくさいような、どう受け止めたらいいのかわからないような空気が流れました。実は私もそこは興味津々で見に行ったのですが、やっぱりテレちゃいました。

2幕目の始まり:これからの悲劇の前にまずは色々笑いをとって、と。國矢、喜太郎、福太郎、はしのの4人による歌舞伎体操の大サービスに観客大うけ。國矢さん、その後も役者になりたい道楽息子で大活躍です。それにしてもハンカチ王子が未だウケるとは。

★細川の奥方様登場:吉弥さん、とてもお綺麗だったけど、段治郎さんの奥様というよりはお母様に見えちゃいました。少し俯き加減になるとぐっと若さが出るような気がしました。

★悪党・図書の死骸を運ぶ場面:大の字に横たわった猿弥さんを中間が4人で担ぎ上げるのですが、ちゃんと持ち上がるかどうか心配しちゃいました。でも、きれいに大の字のまま担いでいました。その様子がおかしかったのか、客席からは笑いが。ちなみに猿弥さんの図書ですが、どうもあまり悪党に見えなくて。短慮が次々と悪事を生むという感じで、根っからの悪党という気がしない。この悲劇のきっかけとなる事件を起こした後は酒も控えていると言うし。あるいは私が猿弥さんを好きだから、悪いヤツに見えなかったのかも。

★ご朱印状を取りに宝蔵へ走る場面:染五郎さん、ちょっと高田馬場入ってなかった?

★友右衛門切腹の場面:腹から肝臓、腎臓、大腸を取り出すと、講談師が「肝、腎、大腸、合わせてこれで勧進帳」と笑わせます。高麗屋さんらしいギャグでしょうか。

★火事の場面:話に聞いてはいましたが、客席にも煙が渦巻き、火の粉が落ちてきます(もちろん、紙で出来た火の粉ですよ。記念に数枚、手帳に挟んできました)。舞台スクリーンでは盛んに火が燃え上がり、染五郎さんの衣裳は火の粉をあちこちに受けてくすぶっています(なかなか良く出来た仕掛けだ~)。火というのは人間を興奮させるのでしょうか、盛り上がりました。

★友右衛門の遺骸に縋りついて数馬が嘆く場面:なんだか、泣けてしまいました。ちょっと気恥ずかしくもあったのですが、数馬の悲痛な思いが伝わってきて、涙が出てしまいました。芝居では、生き残った数馬が細川の殿様の命で友右衛門の大川家を継ぐのですが、本では数馬も友右衛門とともに死ぬことになっています。どちらの結末がいいかしら。私は一緒に死なせてあげたい気がするけど。

★大川友右衛門と細川侯:「大川」と「細川」の名の対比が面白い。「細川」の家来が「大川」ではまずいのではないか、というときに、どんな川も上は細川、下は大川である、という機転。なるほどなるほど、感心しました。ところでこの「大川友右衛門」という名ですが、どうしても時々「大谷友右衛門」って言いたくなってしまいます。芝居の最中にも何度「大谷」って頭の中で思ったことか。

★題名:「染模様恩愛御書」の後半って、どうやっても「ちゅうぎのごしゅいん」とは読めませ~ん。でも「染」の字に「愛」の字も入れて作ったという外題、洒落ていますし、2人の意気込みが感じられて、好きです。

それにしても、この芝居、いい男(女性役の春猿さん--愚かな、だけどちょっと気持ちもわかる女性を好演--も含めてね)が何人も出てきて、眼福眼福。二度見に行かれる人が羨ましい(いい男勢ぞろいだからって羨ましいのではありませんよ。面白かったから、ですよ)。

★今日のおまけ:幕間のイヤホンガイドインタビューで、染ちゃんとラブリンにこういう質問がありました(ファンからの質問だそうです)。「迫られるとしたら、シュワちゃんとヨン様のどちらがいいですか?」って。フフフ2人ともずいぶん考えていましたよ。結果、染ちゃんはシュワ、ラブリンはヨン様です。染ちゃんはヨン様よりシュワちゃんのほうがお好みみたい(絶体絶命の場合ですよ)。ラブリンはヨン様なら逃げられそうだから、というのが理由です。それで思い出したのが、アメリカの小話。ある肥満男性が「痩せられる教室」に行った。すると、大男が迫ってきた。必死で逃げ回ったあと「教室」に文句を言うと、その返事は・・・おわかりですよね。

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駅近ホテル

いやあ、楽しい楽しい。このホテルを取ったとき、口コミで電車の音が気になると書いていた人もいたが、私はまったく気にならず熟睡。そして朝起きてみれば、いろ~んな電車が通る通る。もうそろそろいいかなとカメラの電源を切れば、また違う電車。おお油断なりませぬ。シャッターチャンスを逃してしまう。乗り物好きの私にとっては絶好のロケーションです。私の小さな夢は東京駅ステーションホテルに泊まること。もっとも何年か前に東京駅自体が改装され、ホテルの部屋からは電車が見えなくなったとか(魅力半減)。それに多分ホテルも改装されたかも。古びた時代に泊まりたかったヮ。

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SwingingFujisan at the Misonoza

坂田藤十郎襲名披露 吉例顔見世(御園座昼の部)

通常の雰囲気を知らないから何ともいえないが、御園座ロビーは襲名披露公演のせいか、賑やかで華やかであった。私はとくに藤十郎ファンというわけではない(そんなこと言ったら申し訳ないかな。というのも、1月の歌舞伎座で扇千景さんとツーショット写真を撮っていただいたから。お願いしたら快く承知してくださいました)が、ちょっと心が浮き立つ。

今回は一番安い席にしたので不安だったが、御園座はすばらしい。2階席といいながら、実質は3階席。それなのに、傾斜があるせいか、舞台がよく見える。花道も半分くらいから見えており、歌舞伎座や演舞場より広々とした印象を受けた。実際芝居が始まると、よく見え、声も実によく聞こえる。劇場としてのレベルは高いと思う。

操り三番叟。好きな演目である。人形は足踏みで音を出してはいけないので、後見が音を出す。糸を引く動作と人形の動作がぴったり合わなくてはいけないが、この足の音も合わせる必要がある。このあたりの呼吸がむずかしいだろう。翫雀さんが軽やかに人形を演じ、亀鶴さんとの息ぴったりで、楽しかった。

口上。歌舞伎座のときのような堅苦しさはなく、左団次さんが「藤十郎さんは19才以上の女性が恋愛対象らしいが、もう少し年齢をあげてほしい」と藤十郎さんの艶っぽい話をしたかと思うと、秀太郎さんは「若い頃茶屋遊びを教わった」と告白し、菊五郎さんは「藤十郎にいさんと私の共通点は、奥様がこわいこと」と笑わせる。この大らかさは名古屋だから?

枕獅子。鏡獅子が得意な藤十郎さんにとってむずかしいのは、鏡獅子の場合は腰元が獅子になる、枕獅子は傾城。それを演じ分けることだそうだ。私にはよくわからないが、ちゃんと傾城になっていたと思う。獅子になった藤十郎さんは、扇雀さんにお顔が似ていらした。新造(後に胡蝶)として翫雀さん、扇雀さんが登場し、父子3人の踊りはとてもよかった。歌舞伎座でもこういうのやってくれればよかったのに。

髪結新三。やっぱりこの演目は何度見ても面白い。黙阿弥の芝居作りが秀逸なのだろう。菊五郎さんは安心して見ていられる。左団次さんの大家はいかにも、という感じ。松緑さんの勝奴は新鮮で、やはり若いせいか新三に憧れている感じが強く出た。今日の私個人のお目当ては辰巳さんと時様。辰巳さんの大工さんは、若々しく、ちゃんと江戸の大工の雰囲気が出ていた、と思う。オペラグラスを借りて、お顔もアップで拝見しました。時様の立役、本当にお綺麗。口上でも立役姿で出ていらっしゃったが、お品の良さは群を抜いている(ほかの方々、失礼)。

ところで、御園座の観客は、少し落ち着きがない? 芝居の最中に席を立ったり(トイレへ?)、遅刻したり(食事に時間かかりすぎ?)、髪結新三の大詰の前に帰っちゃったり。途中でトイレに立つ人はずいぶんたくさんいた。実に大らかで面白いなあ。

最後に、ちょっとビックリしたことひとつ。今日は座席はケチったのだが、そのかわり食事を奮発した。襲名御膳にしたのだ。食堂に入ったら、あれあれどこ行くの? と思ううちに奥の別室に通された。そこは襲名御膳部屋みたいな感じだった。入った客みんな、御膳を見てその豪華さに驚きの声を上げる。トイレタイムを含めて30分でいただくのはもったいないくらい。実に美味でした。

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SwingingFujisan in Nagoya

アンデルセンの言葉に「旅は人を若返らせる」というようなのがあったと思う。10年くらい前までの私は、完全な仕事人間で、仕事が趣味にも生きがいにもなっていて、仕事さえしていれば満足であった。だから日本国内でさえ旅行をしたことはほとんどなかった。それがいきなり初海外旅行でパリに行き、休暇をとることの楽しさ、旅行が与えてくれる好奇心と充足感に魅せられるようになった(本当は「どこでもドア」があれば一番いいんだけど)。今回は目的が歌舞伎だから観光旅行ではないが、日常性を放棄して夢の世界に入ったという意味では、やっぱりリフレッシュできる。ましてお気楽極楽の一人旅。ああ、2日間十分、日常からの離脱を楽しみます。

まずは名古屋。ロボットミュージアムに行きました(という饅頭も買いました)。地下鉄初乗り200円。たっか~い。埼玉高速鉄道並み。地理を知っていれば歩くのですが、夢の世界に来てあまりケチるのもね。栄で地下鉄を降り、さあどこかなあと、恵美さんのブログにあった「栄交差点、三越前で、以前外車のショールームだった」というのを思い出しながら地図を見ると、すぐそこにありました。

私は学生時代、理科系が思いっきり苦手だったのに、なぜか今は機械好き。だからけっこう楽しめました。入り口を入るとすぐ、お絵かきロボットの実演コーナーがあります。人がステージでポーズをとると、ロボットがそれを感知・記憶して、後ろのホワイトボードにそのポーズを描きます。私もやりたかったのだけど、そこは1人旅、いくら図々しいおばさんでもちょっと恥じらいが。残念でした。

2階に上がると、ロボットの歴史を学ぶことができます。イヤホンガイドを借りました。ガイドにはベーシックとゲストというのがあって、ベーシックは基本的な知識、ゲストは専門家の話。このゲストが面白かった。だいたい専門家というのはある意味「オタク」で、オタクの話は面白いんだわ。ただ、ずっと立ちっ放しで聞かなくてはならないのがちょっと辛い。途中に休憩所でもあればなあ。とても全部は聞けなかったです。あとは、アイボや恐竜のロボットと遊べるコーナーで、子供たちと遊んでしまいました。アイボがあんなに可愛らしいなんて、思ってもみなかった。所詮ロボットとバカにしていたのですが、実際に目で見、手で触ってみると、アイボをペットにする人の気持ちも分かるような気がします。

お土産にいろいろなロボットがほしかったのだけど、高いし、「買ってどうするの?」という気持ちもあって、結局前出の「ロボットミュージアムに行きました」という饅頭を買っただけ。

なぜ名古屋にロボットミュージアム?と思ったら、名古屋というのはからくり人形がたくさん作られていたらしい。お茶運び人形とかね。

そこで、次のターゲットは御園座近くのからくり時計。辰巳さんが紹介していたあの時計です。午後3時の開演(?)を待っていると、なんと北島三郎さんが通りました。黒服7~8人に囲まれ、笑顔で歩いていきました。来月御園座で公演があるんですね。思ったより小柄でなかった。

ちょっと興奮して、家族や友人に「サブちゃんを見た」とメールを送っていたら、いきなりあの時計が動きだして、大慌て。急いでカメラを構え、白浪五人男それぞれの名せりふを少しずつ動画撮影。日本駄右衛門:7世幸四郎、弁天小僧菊之助:15世羽左衛門、忠信利平:6世梅幸、赤星十三郎:15世家橘、南郷力丸:13世勘弥。ああ、大感激。こんな時計があるなんて、名古屋はなんてステキ!!!

時計に夢中になっているうちに雨が少し強くなりだし、白川公園は諦めることにしました。

そしていよいよ御園座内へ。(続く)

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2006年10月22日 (日)

私流見方も曲がり角?

歌舞伎の解説、専門家の批評などを読むと、この芝居にはこういう型があるとか、この人物のセリフや動きはこうでなければいけないとか、書いてある。古典演劇、伝統芸能である以上、演じる側にはたしかにそういう心構えは必要であろう。古典に現代の息吹を入れるにしても、やはり基本は押えておくべきだと思う。また歌舞伎を愛し、見続ける側も、そういうことは基本知識として頭に入れておきたい。な~んて、えらそうなこと言っちゃって、正直むずかしいことはわからんのです。だから、私の場合、見終わったあとで「面白かった!」「感動した」「よかったわ~」とつくづく思える芝居が<いい芝居>なのだ(この感覚が時間がたってから来ることもあるのだけど)。だって、芝居に入ってしまえば、そういう知識は気にならなくなってしまう。役者から発せられるメッセージを確実に受け取ったときが役への共感を覚えるときであり、それが得られたときに<いい芝居>だったと余韻にひたることができる。でも、きっとそれも、役者さんがキッチリ押えるべきところは押えたうえで自分なりの役作りをしているから、こちらに伝わるものがあるのかもしれない。

だが、私流見方も少し幅を広げなければいけない時が来ているような気もしてきた。

と、前置きしたところで、前回触れなかったけど気になった人たちについて--

まず斧定九郎。この役を色悪にした仲蔵の見識は私などが今さら感嘆すべきことでもあるまい。それでも拍手を送りたくなってしまうのは、海老サマがあんまりスゴ綺麗だったから。髪の水滴を払う仕草、袖を絞る仕草なんか、けっこう好きです。昼の部のいかにもやんちゃな海老チャンにぴったりの五郎も微笑ましくてよかったけれど、どうしようもなく悪いヤツもいい。思い切り濃く引いた縁取りがただでさえ強烈な目をさらに引き立たせ、海老ちゃんの目ぢからがビンビン伝わってきました。そこでいつも思うのは、成田屋さんの跡継ぎが目が小っちゃかったらどうなっちゃうんだろう、ということ。自分がそうだから、つい余計な心配をしてしまいます。

さて、お軽。菊ちゃんのお軽がよかったのかどうか、私にはよくわからない。だいたいが、お軽という女性自身がよくわからない。身から出た錆とは言いながら、家族とも別れ、売られていくわけでしょう。六段目のお軽を見ていると、これからの辛い先行きに我が身を諦めてもいるような、他人事のように冷めた目で自分を見てもいるような、自分から言い出しておきながらあれよあれよと言う間に事が運ぶ成り行きにただ翻弄されてもいるような、そのすべてが混じってもいるような・・・。己が罪の大きさに別れを惜しむこともできないでいるに勘平に「もう行っちゃうからね」としなだれかかるのも、ただ勘平に甘えかかっているような気がして、浅草歌舞伎のときに感じられたお軽の悲しみというものが今回は感じられない。芝居に入りこんで悲しみに身を委ねようとするあまり、私は何かを見失っていたのかもしれない。

というのは、菊ちゃんのお軽には何か心にひっかかってくるものがあって、ずっと気になっていたのだ。今思い返してみて、やっとそれが何だかわかった。それは、お軽がいかにも寂しそうだったことである。考えてみれば、この2人はバカップルと言ってもいいかもしれない。だけれども、忠臣蔵という文脈の中では、この軽率な若者たちのドラマに限りなく哀れを誘われるのである。夫のためにすべてを甘受するしかない寂しそうな菊ちゃんの顔は、意外にも私の心に深い影を落とした。私にとって菊ちゃんのお軽は、そんなお軽でした。

次は勝奴。この若者もちょっと摑めない。摑めなくなっちゃったのは、勘三郎・新三の時の染ちゃんと今回の市蔵さんがずいぶん違う印象だったからである。染ちゃんは、一途に新三を慕う若者であった、ように思う。これに対し市蔵さんの勝は、新三の下にいて、こき使われながら、心の底では対等、時にはちょっと新三を見下ろすような態度が見えたのだ。染ちゃんがべったり新三にくっついていたとすれば、市蔵さんは少し距離を置いているところがある。そこで何だかわからなくなってしまった。しまったけれど、私はどちらの勝もいいと思う。市蔵さんの勝は、若者というにはちょっとトウが立っているが、人間として面白い。チンピラには違いないんだけど、ただのチンピラと切って捨てるわけにはいかない何かがありそうだ。私には幸四郎・新三より魅力的に見えました。

芝居というのは、同じセリフ、同じ仕草であっても、演じる人によってこちらの受ける印象がこんなにも違う。これだから、同じ演目ばっかりかかって、と文句を言いながらも、見るのをやめられないのですよ。

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それでもやっぱり勝ちたかった!

1021日 レッズ vs 川崎戦1600キックオフ)
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今日はサポーター全席に赤いビニール(?)のフラッグが置かれ、試合前から気合の入り方が違うことがわかる。相手は3位の川崎だからね。ここで完璧に叩いておけば、レッズの1位はかなり安泰になるし、川崎のチャンスもほぼなくなる。当然、レッズサポは鼻息荒く埼スタへ向かう、というところだが、相も変わらず夜更かし寝不足の私は「今日は完全に寝ちゃいそう」などと、はなはだけしからぬ気分でタラタラと座席へ向かったのであった。いつも試合開始ギリギリか、時には遅刻もするのに、今日は珍しく試合前の練習が見られた。

選手入場の音楽(これ、駒場でかかると、おなかの底にビンビン響いて、ぐ~っと闘志が盛り上がってくるのだが、埼スタでは広すぎるのか、残念ながらそういう感覚は湧かない)がかかると、いっせいにフラッグを掲げる。赤一色かと思っていたら、白のところもあって、とくにレッズサポ席は赤の中にURAWAと書かれた文字を入れた白のハートが浮かび上がり、川崎を圧倒する。06102108 だが、敵も今日は負けられない、アウェーサポ席はびっちり埋まり、これまたブルーのフラッグを掲げている。敵ながらちょっときれいだった。

前哨戦が終わり、いよいよキックオフ。今日の私の席はバックメインロアー。中央よりややアウェー寄り。この席は、R席といって、S席より安い料金でS席よりかなりいい場所である。歌舞伎でいう「とちり」あたりか、やや前目というところだろう。数が少ないためなかなか当たらないのだが、運よく手に入れることができた(S席にいると、不公平感を強く感じる)。

さて、いきなり結果にいくが、22の引き分け(今期ホーム18試合連続、負けなしである)。一緒に行った仲間たちは「負けなくてよかった」「引き分けならよしとしよう」と言うけれど、私は勝ちたかった。闘莉王がイエローをもらって次の磐田戦に出場できないとなれば、余計勝っておきたかった(大丈夫かよ、磐田戦)。1点リードながら川崎に2点取られ、負けても仕方ないところを追いついたのは確かによかった。でもなあ…。

達也はどうしちゃったんだろう。このままでは代表復帰はむずかしい。ワシントンはオフサイド取られ過ぎ。取られないまでも、そこにいるからボールが出せない。それに相馬(ギドにしては珍しく選手交代が早かった)からのボールを2度もふかしたのは許せない。

伸二は後半22分登場。少し動きがよくなってきたかな。いつもよりずっと走っていたし。でも、あのシュート、超惜しかった。決めてほしかった! それもあって、私の心がスッキリしないのかも。

相手側では中村憲剛に注目。仲間たちは俊輔に似ていると言う。今日見たら、たしかに体形は俊輔を一回り小さくしたような感じで、似ている。走り方も似ているような気がする。皆は顔も似ていると言うが、どうだろうか。私はアンチ俊輔だが憲剛には比較的好感をもっている。代表では応援していきたい。

試合前、居眠りしそうなどと不届きな発言をしていた割には、そこそこ燃えることのできた試合だった。同点にされた後は終始押され気味であったが、試合運びがスピーディーで退屈することはなかった。最近、歌舞伎への熱のほうが高くなって、サッカーはチケットがあるから行く、という状態だったが、そろそろ私も優勝へ向けて、こちらの熱も高めなくてはいけない。ま、面白い試合をやってくれれば、自然と熱も高くなるのでありますが。

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2006年10月20日 (金)

訃報

中村源左衛門さんが死去されたというニュースをネットで見た。今年は勘三郎さんの歌舞伎座出演がなかったため、源左衛門さんの姿もあまり見かけなかったから、具合が悪いとは知らなかった。たしか4月のコクーン歌舞伎では元気な姿を見せておられたが、その後倒れられたのだろうか。食道癌だったという。「東海道四谷怪談」のプログラムにはお洒落でちょっとはにかんだような源左衛門さんの写真が載っている(和服に帽子をかぶり、とてもいいお顔をしておられる。中村梅之さんによれば、普段から和服を召されていたそうだ)。飄々として脇を固めるあの姿がもう見られないと思うと、残念である。享年72歳。ご本人もさぞ無念なことだろう。ご冥福をお祈りする。

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勢いに乗って100回記念その4--ツワモノどもは夢を見る

100回記念、観客篇。

今年の何月だか忘れたが、歌舞伎座、座席は11列センターよりやや花道寄り。私にとっては最高の席。そのすばらしい席のお隣さん。年齢不詳(そう若くはないかも)の女性がツワモノその1

なんと、多分最初の出し物の幕が開いて間もなくからだと思うが、舞台に引き込まれかけているうちにちょっと気になる音が聞こえてきた。見ると、かの女性が完全に意識を失っちゃってる。寝息というか、軽いいびきというか、立てて、爆睡中。そりゃまあ、私だって時として失礼ながらクークー寝ちゃうこともありますよ。とくにやわらか系の踊りは・・・。

他人のことを言う前に自分の懺悔をしてしまえば、最初にほとんど全部寝ちゃったのは芝翫さんの「藤娘」。これはまだ歌舞伎見始めの頃で、どうにも違和感があって、目を開けていられなかった。芝翫さん、ごめんなさい。芝翫さんの娘役がステキと思えるようになったのは、「野崎村」(H172月)のお光ちゃんから(もっともその後は、あまり娘役はやってないかも)。この人間国宝勢ぞろいといった感のある「野崎村」の芝翫さんは、本当に可愛らしかった。次にほとんど寝ちゃったのは、何だったか忘れたが雀右衛門さん。その後も雀右衛門さんの踊りは、たいがいおやすみタイムにしている(私には未だ雀右衛門さんの芸の秀逸さがわからない。未熟者だということで、お許しを)。

完全に寝ちゃったせいか、たしか、芝翫さんにも雀右衛門さんにも、睨まれたような気がする。気のせいかと思っていたが、あるとき、「舞台からは居眠りがよく見えて、菊五郎さんなんかも睨んでいる」という話を聞いた。それを聞いて、やっぱりあの時睨まれていたんだ、と思わず首が縮まってしまった。そりゃあ、そうですよね。こんな失礼なことないですものね。私もツワモノ2として登録しましょうか。でも、今は反省して、歌舞伎の前日はできるだけ睡眠をよくとり、当日は覚醒作用のあるドリンク剤を飲むようにしているから、完睡するということはありません(サッカー場ではよく寝る。やっぱりツワモノ2か)。

閑話休題。さて、件の女性だが、食事時間以外の休憩時間中も起きない。食事の時は席を立ったようだが、次の演目が始まるとまたすぐに爆睡。姿勢もずず~っと崩れ、完全にあちらの世界にいっちゃってる。あまりに悪びれずに寝ているので、どこか具合でも悪いのじゃないかと、心配になったほどだ。そう、あの時は菊五郎さんが出てらして、確かに睨んでいた。結局、彼女は最初から最後まで、芝居を見ることなく、1列目で堂々と寝ていた。いったい、何しに来たんだろ。

ツワモノ2(または3)は、歌舞伎ではないが、やっぱり爆睡型の、今度はおじさん。今年1月のサンシャイン劇場「獅子を飼う」。三津五郎さんが出るし、秀吉と利休の葛藤を描いた芝居で初演の評判がよかったというから、期待して見に行った。はっきり言って、つまらなかった。舞台は暗いし、セリフは哲学的で難解だし、平幹二郎はねっとりとしていたし、ついていけない部分が多すぎた。油断するとすぐ落ちてくる瞼と首。何とか頑張ろうとする気持ちと諦めの気持ちが半々。するうちに、なんだか異様な音が目立ち始め、周囲がそわそわ、ざわざわしてきた。音に耳を集中させると、それはなんとイビキ。ゴーゴー、ガーガー、思わず噴き出したくなるような豪快さだ。いちおう舞台からは緊張を強いられるような空気が流れているのにこのイビキ。その1に匹敵するようなツワモノである。オジサン、多分1人で来ていたのであろう。周囲も起こすに起こせず、どうしていいのかわからないといった雰囲気だ。私などは退屈しのぎにちょうどよかったが、こういう芝居が好きで真剣に見ている人にはとんでもない迷惑だったであろう。

歌舞伎座では、花道に顔を向けるときなど、他の観客の様子が目に入る。けっこう皆さん、目を閉じていらっしゃる。でも、なかなか「ツワモノ」として認定できる人はいない。さあ、次の100回までの間にどんなツワモノが現れるかしら。

★ツワモノ番外篇:もう10年くらい前になるかもしれない。私、京浜東北線の中で着替えをしているオバサンを見たことがあります。座席には空席がいくつかあったものの、乗客はちゃんと適度に存在しており、だから人の目がないわけではない。でも、そのオバサン、自分の座席で、普段着っぽいシャツとズボンから、少し外出着風のワンピースにきっちり着替えました。見ちゃいけない、と思いながら丸くしたままの目を離すことができなかったのを覚えております。何か事情があったにせよ、こんなツワモノ、後にも先にも見たことない! 

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100回記念その3--歌舞伎とは関係ないけれど

おまけ①「本日の有名人」

こぶ平さんを見ぃちゃった。あ、いけない、正蔵だ。まだまだつい、こぶ平と言ってしまう。イヤホンガイドを借りていた。TVで見るより痩せていた。ま、それだけのことです。
おまけ②「面白体験」

歌舞伎座へ行く前に、松坂屋の地下にある酸素バーなるところへ寄ってみた。カウンターにアロマの壜が何セットか置いてある。1つのセットは4種類の香り(すなわち壜4本)から成っている。そのセットも甘い香り系、スッキリ系など幾種類かに分かれているらしい。私はスッキリ系を試してみた。

初回のみオキシレーターという透明の細いチューブを購入する。P1020698 好きなセットの前に座り、チューブの中央についている小さな2つの管をそれぞれ鼻の穴に入れる。そしてチューブの先端をアロマのセットから出ているチューブにつなぐ。コースは10分、20分、30分とあり、30分コースを選ぶとベッドに横たわって吸入できるとのこと。今回は20分でやってみた。

係りの人がスイッチを入れると、壜の中にぶくぶくと泡が立ち、そこから香りのついた酸素が鼻の中に流れてくるという仕組みだ。それぞれの壜の前にはバルブがあって、ひねればその壜からの酸素は止まる。そこでバルブを何回かひねりながら14種類の香りを適当に組み合わせてみたが、やっぱり4種類すべてを使うのが香りもよく心地よかった。吸入している間に酸素入りのお水がサービスされる。おいしくて2杯もいただいたはいいけれど、ああ、しまった、これから歌舞伎を見るのではないか、トイレがぁぁ・・・しかも、歌舞伎座へ行って知ったことだが(ネットで見ていかなかった)、今月は2つの芝居がそれぞれ1時間40分、2時間10分と長丁場で、休憩は135分だけ。いやあ、気を使いました。

吸入途中で係りの人がなんだか機械を持ってきて、指を入れてみてくれと言う。血中酸素濃度を測る機械だということだ。私はバッチリ100%という数値が出た(ホントかよ~?)。血液がサラサラになっているんだそうだ。98%とか99%でもかなりいい数値らしい。でも、なんてったって100%だもんねえ! ちょっといい気分。もっともベースライン(酸素を取り入れる前)の数値を測定していないから、果たしてそれが吸入による効果なのかどうかはわからないが。

普段20分も静かな気持ちでぼ~っと過ごすことなどないから、鼻に入ってくるスッキリ系の香りとの相乗効果で、リフレッシュした気分になった。実際、20分が経過して立ち上がったら、体が軽くなっていた(ような気がする)。

オキシレーターはお店に保管してもらう(ボトルキープならぬオキシレーターキープか)ことも、持ち帰ることもできる。私は他のチェーン店でも使えるようにと、持ち帰ってきた。

酸素吸入は30分以上する必要はなく、週に2回程度できるといいようだ。週2というわけにはいかないが、歌舞伎座や演舞場に行くたびに寄ってみようかしら(酸素水には注意して)。でも、私としては、吸入だけでなく、美肌コースというのが気になっているのだけど・・・。

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100回記念その2--町人のニン?

芸術祭十月大歌舞伎夜の部「髪結新三」
芝居を見るときはなるべく悪い先入観をもたないように気をつけてはいるが、「髪結新三」だけは最初からあまり期待していなかった。というのは、どう考えても幸四郎(以下、敬称略)にああいう町人はムリだろうと思うからである。それは「暗闇の丑松」を見たときにも感じた。歌舞伎チャンネルで初代辰之助のこれぞ丑松というような丑松を見てしまった後では、なおさらだった。新三も、ああいう町人をやらせたら抜群の上手さを発揮する勘三郎を見ているから、どうしても先入観をもってしまう。

で、実際に見たら、やっぱり幸四郎のニンとは違う、と思うのである。登場してきたときから立派さが目立ち、白子屋の戸口で中の様子を窺うところなど、河内山が浮かんでしまう。途中でも何度も河内山とかぶってしまい、閉口した。ただ、勝奴との絡みはそれほど悪くなかった。

幸四郎でもう一つ気になるのはいつものことだが、声。普通に喋ればきれいな声をしていると思うのに、歌舞伎になると何かがからんだような、何と表現したらいいのかわからないが、一人二重唱のような声になる。これがどうも私は苦手である。咳払いして、そのからんだものを取ってほしくなるのだ。侍をやるときは、これにプラスして、口の中でモノを言うようなもごもごと聞き取りにくいセリフになるが、今回の新三のセリフは全般的によく聞き取れた。

「髪結新三」は話としてはとても面白い。とくに強欲な大家にさすがの悪党新三もやり込められる場面は、よくできている。老獪な大家を弥十郎が大熱演。誠に面白く、ここは笑いの渦に私も巻き込まれた。もしかして、勝奴の市蔵さん、こらえきれずに奥で笑いをこらえていたかも。こちらに向けた背中と肩が揺れていたもの。

強欲どうしのぶつかり合いで盛り上がったあと、最後の弥太五郎源七との斬り合いで、又違和感を覚える。どう見たって、新三のほうがはるかに強そうなんだもの。その新三が肩口に傷を負うなんて・・・、というところで幕。

勘三郎の新三を見ていなければ、辰之助の丑松を見ていなければ、どちらの幸四郎もそんなものだと思って見たのかもしれない。あんなに立派な、そこらへんの町人はいないでしょう。同じ町人でも今年3月の「筆屋幸兵衛」は、やっぱりちょっと立派過ぎるきらいはあったが、元武士という設定だから、悪くはなかった。いずれにしても幸四郎が町人になりきるのは難しい。

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100回記念その1--意外な結果に終わったメモリアル観劇

芸術祭十月大歌舞伎夜の部「仮名手本忠臣蔵」(歌舞伎座)
今月はもうこの演目だけのためにチケットを取った、と言ってもいいくらい最大のお楽しみ、それが「仮名手本忠臣蔵五段目・六段目」である。今年の浅草で勘太郎クンの勘平に涙し(私は絶対、勘平:勘太郎、お軽:七之助の組み合わせが好きである。その逆は悪くはなかったものの、イマイチという印象であった)、よかったよかったと喜んでいたのだが、そこへ「松竹座の仁左衛門・勘平は絶品であった」という評判が舞い込んできた。「そう言ったって、勘平には勘太郎クンの若さのほうが似合うんじゃないの?」と負け惜しみを言いながら、その実、すぐさま松竹座に飛んで行きたい気持ちと戦うのが大変であった。その絶品が10月歌舞伎座で見られるのだ、と知った瞬間からこの日を待ち侘びていた。そして、なんとこの日が20042月から始まった私の歌舞伎歴で、延べ100回目の観劇。メモリアルデーである。

と、意気込んで席に着いた「五段目・六段目」だが、結果から言えば、意外にも感動が薄かった。それはなぜかと考えるに、六段目の出来がイマイチだったからのように思う。私の歌舞伎の見方は、あくまでその芝居に入っていくというものである。だから、入っていけない芝居には感動が薄くなる。今日の「忠臣蔵」、敢えて言わせてもらえば、おかやがよくなかった。おかやは、1日のわずかの時間の間に家族全員を失い、一人ぼっちになってしまう。その悲しみが伝わってこないのだ。娘への情も今ひとつだった。おかやで唯一よかったと思ったのは、勘平を追い詰めるあたりだろうか。ただし、これも夫の死を悲しむ様子が薄いため、ストーリー的にわかるというだけで、感情としての伝わり方は弱い。

それでも、ところどころ泣けたのは、仁左様の勘平が優れていたからである。五段目、千崎弥五郎との思いがけない再会に喜ぶ勘平、人を撃ってしまったことに驚きながらも思わず財布を手にする勘平、思い込みのきっかけとなるその財布と同じ布でできたお才の財布をふっと見やる姿、恐ろしさと罪の意識に戦く勘平、ようよう別れも告げられなかったお軽を呼び止め、打ち明けようとしてできず「まめで暮らせよ」と泣く勘平、腹に刀を突き立てた後で義父殺しの疑いが晴れたときの嬉しそうな顔、連判状に己が腸で血判を押す凄まじさと喜び。どれもどれも共感を呼ぶ。実にいい勘平であった。

仁左衛門という人の魅力を一言で表すとすれば、江戸風の「スッキリした美しさ」であると私は思うが、そこに関西風のやわらかさが程よくミックスされて、芸の幅も広がり、さらに深く惹きつけられるのである。

芝居全体としてはちょっと残念であったが、それでも100回記念に仁左様の勘平を堪能できたことでよしとしようか。

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2006年10月17日 (火)

10月チケット揃い踏み

先日、今月のチケットがやっと揃った。最後の2枚、三響会とNHK古典芸能鑑賞会が届いたのだ。

三響会は、今月20日以降のスケジュールがあまりに厳しいため、亀治郎さんの後援会にも申し込まなかったし、Web松竹でも取らないでいたのだ。しかし、前評判は高いし、出演者は魅力的だし、いつも心は揺らいでいた。いたけれど、Webではあっという間に「空席なし」になり、諦めがついた心境にもなっていた。そこへ心をかき乱すようなお知らせが。時蔵さんの後援会から、チケットあります、って。梅枝さんが出演するのだ。10分迷い、電話した。これで手に入らなければ、完全に諦めよう・・・。

そうしたら、「大丈夫です」。ひゃあ、私もこれで仲間入りできるぅ(何の仲間入りかって? まあそれは亀治郎さんのところで話題についていかれるし・・・時蔵さんのところで取っていただいたのに、こんなことを言っては申し訳ないかしら)。

スケジュールは何とかなるわさ、と開き直り、今月は歌舞伎三昧だわ~という喜びの涙にむせんだのであります。そして待ちに待った2枚のチケット。亀治郎さん今年最後の舞台を見逃すこともない。一時Webでも空席なしが解除されたけれど、又すぐに完売ですものね。NHKも早くから「絶対見なくっちゃ」と意気込んでいたし。後援会とは実にありがたい存在である。聞けば、来年も1027日に三響会が行われるとのこと。どなたが出演されるかわからないが、今から予定に入れておこう。

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2006年10月15日 (日)

お得気分の1日--亀治郎さん「第2回舞台上映会」

今日は亀治郎さんの舞台上映会(at 東京フォーラム)。「攝州合邦辻」は4年前の平成148月、第1回亀治郎の会の上演演目である。後援会の吉田さんの解説によると、これを演じるにあたり、亀治郎さんは誰の型を踏襲するのでもない、ご自分の型で演じたいということで、大変な勉強と努力をされたそうだ。下手をすれば、「生意気な」と批判される恐れもあったが、熱意が見事に結実し、亀治郎さんの評価を高めることになった作品である(これも受け売り。私は今日の映像ではじめて見たわけだから)。

「なんなんだ、このセクハラおばさん」と最初思った玉手の冷たく妖しい表情、そして合邦夫婦の娘でもあり、かつなさぬ仲とはいえ2人の息子に同じような愛情をかける母親でもある女の苦悩と刺された傷の痛みに耐える苦痛の表情、やがてそれらを自分の死に昇華させた後の静かな美しさ。激しくも哀れな女の生き様を、玉手になりきった亀治郎さんが余すところなく表現して、圧倒された。他の出演者(段四郎・吉弥・門之助・京妙・段一郎さん)も熱演・好演。ああ、本物の舞台を見たかった。

ところで、門之助さんは、あの立派なお鼻のせいで(?)時としてかなり個性的な役をやられるが、正統派の二枚目もバッチリいけてる。昨日の保名もそうだったが、ちょっと芝翫さんにも通じるところのある古風さがなかなか悪くない。

2本目の「奴道成寺」は、亀治郎さん11歳のときの踊り。吉田さんのお話では、舞踊家というのはきっちり踊れればそれでいいのだけど、歌舞伎俳優の場合は、それにプラスして客をひきつける踊りができなければいけないのだそう(おっしゃるとおりだ)。亀治郎さんは猿之助さんにそれを教わり、幼いながらちゃんとそういう踊りができている。11歳の亀ちゃんの可愛らしさよ。あんなに可愛いのに、小憎らしくなるくらいの踊りの上手さ。もちろん厳しい修行もされただろうが、才能というものを見せてもらった。

さて、予定ではこの後、囲む会ということであったが、今日参加のファンのために、亀治郎さんからの特別プレゼントがあった。それは、「風林火山」のロケ風景を映したビデオ。これに亀治郎さん自身の解説がつけられて、楽しいことこの上ない。ロケ地は岩手県で、地元の公民館や学校の体育館を支度場として借りる。支度場には機材やら、衣裳やら、カツラやらが置かれ、そこで着替えや化粧もする。歌舞伎では自分で化粧するが、TVはメークさんが全部やってくれる(メークさんは一度ついた担当は代わらない。別の人がやったら別の顔になっちゃうかもしれないから)。草鞋が自分で履けるのは出演者の中で亀治郎さんだけだとか(そりゃ普通の俳優にはムリでしょうねえ)。歌舞伎役者は、足の拵えは自分自身でやらないと怒られるのだそうだ。演出家は3人いて、放送回により異なるとのこと。亀治郎さんと千葉真一さんがどんどん演出を変えてしまうので、演出家さんはとまどっているらしい。この話には一同大笑いだったが、bestの作品へと意欲を傾ける亀治郎さんらしいエピソードではないか。そして役者は、ただひたすら「待つ」。演技できる状況になるまで、ただ「待つ」。ワンカットずつ撮るから、集中力を高めるのが大変。そのワンカットを撮るのに、何十人ものスタッフがかかわる。亀治郎さんは、TVと歌舞伎の違いを実感しながら楽しんでいるようでもある。

このビデオを見ているとき、ハッとすることがあった。亀治郎さんが武田晴信のメークをして、斜めにこちらを向いた時だ。「あ、香川照之・・・」と一瞬思ったほど、香川さんにそっくりだったのだ。2人が似ているとはこれまで思わなかったのだが、どこか似ている。血は争えない。そして、面白いことに、香川さんは歌舞伎とは別の世界にいき、亀治郎さんは猿之助さんにとても影響を受けている。今年の亀治郎の会プログラムに香川さんが寄稿していたが、2人が共演したら、きっと見ごたえある作品ができるだろう。

「風林火山」全篇に亀治郎さんは出演されているそうだ。ただし、第1話は、最初のドンというところだけ(ってよくわからないが)だから、見逃さないようにって。本来信玄は子供時代から亀ちゃんがやるはずだったのだが、9月の歌舞伎座があったため、子役さんに代わったということだ。今後はとにかくNHKNHKで、NHK漬けのスケジュールで、11日はスタジオパークらしい・・・。

あ、そうそう、2月には浅草芸能大賞の奨励賞を受賞されるのだが、受賞理由の大きな部分を占める浅草歌舞伎に来年は出られないのが寂しい。この賞は、授賞式に出席しないともらえないそうで、亀ちゃんは必ず出席するとのこと。授賞式を見たい人は、朝から並べば入れるかも。

それにしても、いつも思うのは、あの気さくな好青年がどうやったら、パッショネートで色っぽくも愛らしい女性に変身するのであろうか。素顔の亀治郎さんを見ていると、どうにも玉手とは結びつかなくて。

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待ち焦がれております~

今日は朝からかなりハイテンション状態にある。それというのも kirigirisuさんのブログで、来年2月の博多座に「おちくぼ」がかかることを知ったからだ!!! 私はこのお話が大好き(シンデレラ物語が「落窪」とよく似ているけれど、多分日本でもシンデレラのほうが有名なのはきわめて残念)。かなり昔に歌舞伎座でかかったような記憶はあるのだが、見たか見なかったのかは残念ながら覚えていない。だから、2年半来、ず~っと待っていたのだ。ついについに登場するのね!! しかし、博多座は遠い。諸事情あり、2月には行かれない。歌舞伎座にきてくれるのを待つしかないだろう・・・・・・。せめて歌舞伎チャンネルでもやってくれないかな。あああ、落窪さま~、本当に歌舞伎座でお待ちしております。

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2006年10月14日 (土)

初体験は五分五分--3階席で歌舞伎を見る

芸術祭十月大歌舞伎(歌舞伎座昼の部)
P1020664 歌舞伎座の3階席は初めてである。1度幕見で「操り三番叟」を見たことがあるが、豆粒のようで、1階席前のほうを取り直したことがある。今日は全部見たことのある(と思っていた→後述)出し物だったので、思い切って3階席を取ってみたのである。
早くも結論。まず、私の中でけっこう重視したい観客の雰囲気は、カジュアルで、思い思いに歌舞伎を楽しむ感じがして、悪くない。肝心の舞台は、思ったよりははるかによく見えた。しかし芝居に同化したい私としてはやはり不満が残る。舞台全体も役者さんの顔も見えるのだが、細かい表情がよくわからない。花道は身を乗り出して、七三ぎりぎりまで。出はともかく、余韻を楽しみたい引っ込みに関してはもうお手上げだ。それと、芝居の濃い空気が3階に来るまでに薄められるような感じがした。
ただ、出し物によっては3階がかなりいい。今回そういう印象を受けたのは「寿曽我対面」と「お祭り」。とくに「お祭り」は仁左様のスッキリとした粋ぶりが薄まることなく、キューンとじかに飛んできました。それに、この前歌舞伎フォーラムで活躍された松三郎さんが若い者で師匠と絡み、松之助さんは後見として出てらして、一人ニタニタしてしまった(そういえば、歌舞伎フォーラムでも「お祭り」をやっていたっけ)。今回は芸者のいない「お祭り」だったが、私はこちらのほうを好みます。
「寿曽我対面」はついこの間見たと思っていたが、歌舞伎座の前回公演は平成145月だから見ているはずがない。でも納得がいかず、以前の筋書きをひっくり返して調べたら、今年3月に「吉例寿曽我」、そして1月国立の「曽我梅菊念力弦」に「鴫立沢対面の場」があったのだ。う~ん、実にややこしい。というか、私の記憶もまったく当てにならないものだ。まあ、弁解させてもらえば、いずれも対面の場で、様式的な美しさが実に印象的だったから、どれも同じかと脳が同じ引出しにしまいこんだのだろう(それに「吉例寿曽我」と「寿曽我対面」なんて、題名まで似ているではないか)。団十郎さんは後半、スケールの大きさを出していて、けっこう感動した。海老蔵さんはちょっとセリフ回しに気になるところがある(今回だけでなく、時々感じる)けれど、五郎らしさがよく表れていたと思う。田之助さんはだいぶ脚がよくなられたのだろうが、比較的動きが多かったので、ちょっと心配しちゃいました。
「葛の葉」は何とも哀れなお話で、私は割と好きである。「狐と笛吹き」といい、人間と狐の異種婚姻譚というのは、純粋で最後は悲劇に終わるせいか、涙を誘うものがある。婚姻譚ではないが「千本桜・四の切」の狐の子も哀れである。ジャンルをさらに広げれば、童話の「ごんぎつね」なんて、読むたび泣いてしまうものなあ。狐という動物は、西洋ではずる賢いという捉え方をされることが多いようだが(それは「イソップ物語」に代表されるが、「星の王子様」では<ずる>が取れた<賢い>と同時に愛おしいい存在になっている)、日本人にとっては共感を覚える存在だったのだろう。だけでなく、お稲荷様として祀られてもいるのだから、狐文化は浸透している。
話は横道に逸れたが、好きなお話であるだけに、これは近くで見たかった。あれだけ舞台から離れてしまうと、やっぱりどうしても俯瞰している気分になるのだ。それと、全体が見渡せるだけに自分で焦点を絞りにくいせいもあるかもしれない。子別れの歌は、藤十郎(当時雁治郎)さんは全部口に筆をくわえて書いたんじゃなかったかしら(記憶の当てにならない私のことだから、これもどうだかわからないけれど)。
「熊谷陣屋」は、全然入っていけなかった。まわりでもずいぶん皆さんおやすみになっていたし、私もちょいちょい瞼が落ちてきました。2年半の歌舞伎歴で3回目だもの、仕方ないか。
さて、ここしばらくは又1階席に戻るが、<3階席の常連>っていうのにもちょっと憧れている。もう少し歌舞伎通になったら、チャレンジしてみようかしら。
P1020666 もう、来年のカレンダーが売り出されていました。なんだか、焦りを感じるなあ。
あ、それから3階の廊下、たい焼きのおいしそ~な匂いが漂い、たまらなかったです。太る、と思ってじっとガマンしてしまった・・・

もうひとつ、「魔界転生」の時にお見かけした奥田健太郎さんらしき人物、又いらっしゃいました。別人かなあ、ご本人かなあ・・・

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2006年10月13日 (金)

やっぱり日本人だぁ~

1012日 元禄忠臣蔵(国立劇場大劇場)
P1020654 入り口に満員御礼の立札が見える。確かに人が多い。列を作って中に入るなどというのも、国立ではあまりないことだ(おおお、10月は全席完売ですと!!!)。忠臣蔵、それも正攻法の忠臣蔵に対する日本人の嗜好の表れだろうか。あるいは3カ月かけて忠臣蔵1本にじっくり取組むという珍しい企画への期待だろうか。

さて、芝居であるが、全体としてまだ発展途上であるという印象を受けたものの、長時間まず退屈することなく(適度に休憩が入ったのもよかったかも)、ぐいぐい芝居に引き込まれること、しばしばであった。

「江戸城の刃傷」。刃傷の生々しい場面はない。城内大騒ぎとわずかに見える吉良が逃げる様子で緊迫感を表しているのだが、イマイチな感じがした。しかし、内匠頭が登場すると、ぐっと盛り上がってくる。後ろから梶川に羽交い絞めにされ、御坊主に刀を取り上げられた内匠頭の無念さに同調してこちらまで実に歯がゆく、羽交い絞めの腕を振りほどいてあげたいような気持ちになった。今まで忠臣蔵というと、刃傷に至る経緯と内匠頭切腹以降のあまりにも有名な物語だけが強く記憶に残り、このときの内匠頭の無念に思いが至ることはほとんどなかった。しかし、この場面とともに田村の屋敷での内匠頭や多門のセリフの一つ一つに、武家社会の理不尽さでもありながら現代社会にも存在するであろう世渡りの仕組みへの不得心、そして吉良を討ち取れなかったことへの悔いがしみこんでいて、思わず涙した(あと切っ先何寸かで、忠臣蔵の物語は違った展開になっていたわけだ。いや、忠臣蔵の物語すら生まれなかったかもしれない。これだけの物語を作った偉大なる切っ先何寸よ・・・・・・)。

田村屋敷での切腹前の場面。内匠頭の心中は無念と諦念が混じりあい、これがまた切なく胸にしみる。片岡源五右衛門を見つけたときの内匠頭の気持ちは如何様であったことだろう。多門の厚情(扇で月を指すと見せ掛け、源五右衛門の存在を内匠頭に知らせる)に泣き、このときの主従の目と目に溢れる思いに泣いた。ハラハラと散る桜に辞世の歌を詠む内匠頭。ああ、ここの桜、梅之さんが降らせているのねえ(ああ、10数えるの忘れた→梅之さんのブログ106日参照)。この桜の散り方もちょっと泣かせるじゃない。もちろん、梅之さんのご苦労にも泣けるのだけど、内匠頭が置かれた状況に合っている感じがして。

辞世も詠み、いよいよ覚悟を決めた内匠頭が立ち上がると、また桜が降ってくる。ここは予想以上に散り花の量が多くて、ちょっととまどったが、よく考えてみれば、そうなのだ、内匠頭が命を散らすのに合わせて、ここは先ほどより激しく散って当然なのだ(と、解釈したのですが、違ってるかな)。もう、ここは号泣する片岡源五右衛門と同じ気持ちになって、悲しく内匠頭を見送る私であった。

30分の休憩後、場面は江戸から赤穂へ移る。

「第二の使者」。舞台は薄暗く、よく見えない。きっと当時の城内もこんな暗かったに違いない。ここらあたりで梅之さんが登場して申し次ぎのセリフを言うのだが、残念ながら顔が見えない(ほんっと、残念!!!)。ただ、この暗さにより、城内外の混乱がリアリティをもって感じられたように思うから、仕方があるまい(でも梅之さんは、大石の若党役のときはっきりお顔がわかったから、良しとしましょう)。

ここから先は、大石個人の家庭の様子などを組み込みながら、激しく揺れる城内の心理が描かれる。正直言って、私は忠臣蔵の物語は、通り一遍程度にしか知らない。何度も映像化されているから、そのうちのいくつかは見ているのだが、その知名度に圧倒され、結局実に貧弱な知識しかない。したがって、今回色々な発見があり、面白かった。その一つが、内匠頭の行動が不敬にあたるかどうかという大石の心配である。あの時代でもやはり朝廷は幕府より怖い存在であったのだろうか。勅使饗応にも差し支えなく、朝廷の同情も得たと安堵、「お家の断絶惜しいことではござりませぬ」と明言する大石に、「へ~え」と思いながらも、またまた涙を誘われた私であった。

「最後の大評定」。面白かったのは、堀部安兵衛と片岡源五右衛門のケンカ。2人の仲が悪いなどと知らなかったから、興味深かった(その昔、NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」で片岡源五右衛門をやったのが中村又五郎さん。どういうわけか、大変印象的でよく覚えています)。安兵衛は、先般の三谷歌舞伎が記憶に新しいが、これまた変なことを覚えている私は、「けんか安兵衛」というTVドラマを思い出してしまいました(松方弘樹主演で、たしかこの共演がきっかけで仁科明子と結婚したんだと思う。おお、さすがミーハーの私だ)。ま、そんなミーハー的知識はともかく、片岡源五右衛門が小姓だということも知らなかった。そう知れば、たしかに堀部たちとは肌が合わないことに得心がいく。でも、源五右衛門と磯貝十郎左衛門はこのときの血判状に加わらないで出て行ってしまったなあ。それも知らなかった。

さて、長くなった。先を急ごう。縦糸となる大石の苦衷にからむ横糸としていくつかのエピソードがあるが、中でも井関徳兵衛とのものは秀逸であった。互いを理解していながら置かれた立場の違いから、相容れることのできなかった2人。だが、最後に2人の気持ちは一つになる。息子を死なせた後、自らの腹に刀を立てた井関に、「内蔵助は、天下のご政道に反抗する気だ」と決意を聞かせる大石、それに対し「道草を食うな」と返す井関。あああ、男だあ。男のセリフだあ。このセリフが聞けてよかった。

井関親子の遺骸に丁寧に旗と鎧をかけてやったあと、ふ~っと2度深い息をつき、赤穂城に別れを告げ、泣き伏す大石。その姿に、私は大石に課せられた重圧をひしひしと感じ、これからの苦難と孤独を思うのであった。

吉右衛門さんは、大石になりきって、その人間の大きさ、苦悩を十分に表していた。梅玉さんは本当にすっきりと上品で、短慮なところはあるものの家臣に慕われていたお殿様ぴったり。歌昇さんは、儲け役とはいえ多門を好演し(歌昇さんって、きれいなお顔してる、と思いました)、多門とは正反対のようなケンカっ早い安兵衛もそれなりに似合っていた。富十郎さんは、セリフにちょっと難があるように思えたが(それも味かな、という気もするけれど)、やっぱりこの人は何をやってもその役になっている。とくに印象に残ったのは以上の方々かな。あと隼人クンは、別の意味で印象に残った。なにしろ何を喋っても笑いが起きてしまうのだ。井関の息子である紋左衛門という役どころはどんなものなのか、私は知らない。したがって、そこが笑う場面なのかどうかもわからない。もしかしたら、あの激烈な父の子にしては頼りなさげで、あまりに綺麗な顔立ちだから? まあ、確かになんとなくアンバランス感はあったが。それにしても、父の手にかかって横たわった姿には哀れを覚えた。

しかし私もやっぱり日本人だねえ。忠臣蔵に泣き、満足して帰ってくるのだもの。この後の展開も大いに楽しみ。

★う~ん、むずかしいぞ:梅之さんのブログで色々細かい注目点を知ったのだが、芝居に入り込むとついつい、それを忘れてしまう。細かいことを見ようとすると、芝居から出てしまう。むずかしいぞ。本当は2度見るのがいいのかもしれない。ああ、でも今月はもう見られないのだぁ。

★う~ん、がっくり:時々プロンプターの声が聞こえたぞ。とくに芦燕さんはセリフがほとんど入っていなくて、陰の声が丸聞こえ。緊迫した芝居で、プロンプターの声が聞こえてくると、ガクっとして実に興をそがれる。そして一度そういう思いをすると、別の芝居でもその役者さんが登場しただけでハラハラして芝居に入っていけなくなってしまう。何とかしてくださ~い。

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2006年10月 9日 (月)

哀しすぎる太陽

107日浦和レッズ対ジェフ千葉(埼玉スタジアム)
49000近い観衆を集めたこの試合、闘莉王の気迫がなかったら、どうなったことかと思う。

前半15分にペナルティーエリアで千葉DFがワシントンを倒し、一発レッド(どの程度のファウルなのか、私の座席からは不明)。これで得たPKをワシントンがきっちり決めた。まではよかった。だいたい、いつも思うのだが、11人対10人という状況には意外と数の利が感じられない。今日のレッズも同様。1人多いのにもかかわらず、最終ラインでのボールまわしが目立ち、攻めが遅いため、守りを固められてしまう。それでもチャンスは何度もあった。なのに枠にいかない。攻守入り乱れてごちゃごちゃのチャンスにも結局決められない。もう~「ヘタクソ~! FWならちゃんと決めてくれよ」と何度叫んだことか。またせっかく枠にいっても、千葉のGK岡本にその都度阻止される(CKなんか7本も取っているのに)。

相手千葉も2回、決定機があったが、2回ともポストに当たるという不運(もちろん、こっちにとっては幸運ね)。1回目などは、一度入ってから出たように見え、キャーと悲鳴をあげたが、ポストに助けられたことがわかり、ほっと胸を撫で下ろしたことであった。

しかしPK1点では心許ない。結局、後半13分、闘莉王の気迫で2点目をゲットしたものの、相手より1人多いのに流れの中での点が1点というのは、どうにも情けない。今後優勝へ向けて戦い抜いていく中でも、こんなことでは不安が先に立つ。
2点目を取った後、ふと気が付くと、ベンチの脇に伸二がいた。じっと戦況を見つめる伸二。サブの選手45人とアップに励む伸二。そんな伸二の姿を見ていたら、泣きたくなってきた。違うよ、伸二の居場所はそこじゃない、どうしてピッチの真ん中に伸二の姿がないのだろう。そんなことを思っていたら、いまひとつ盛り上がれなくなってしまった。後半40分近く、やっと伸二の出番がめぐってきた。なかなか調子が上がらないから先発落ちは仕方ない。途中出場でも出ないよりはいい。私も思いっきり「しんじ~、がんばれ~」と声をかける。ピッチに立つ伸二。でも、あの輝きはもう見られない。パスもCKも、もう昔の伸二ではない・・・・・・。

埼玉スタジアムはできてから5年たち、6年目に入ったそうだ。ハーフタイムに駆け足で埼スタの歴史がオーロラビジョンで流れたが、杮落としのマリノス戦(6万を超える大観衆の前で負けちゃってね。まだまだあの頃のレッズは弱かったんだなあ)のほかは、全部伸二絡みの映像。あのくせっ毛のかわいい時代の伸二、フェイエノールトの選手としてレッズと対戦した伸二、そしてレッズに復帰した伸二。伸二のフェイエ移籍が正式に発表されたのは、埼スタ竣工の2001年7月、そしてそれから5年間、今年の復帰までレッズの選手として埼スタに登場することはなかったのに、なぜか埼スタ歴史には伸二が欠かせないのだ。ピッチで走る伸二にその映像を重ねていたら、余計哀しくなってしまった。でも、私は伸二を最後まで信じるよ。

私の伸二に対する恋心(もちろん、サッカーの上での)は、まだまだ消えていないみたい。

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2006年10月 8日 (日)

何ともカッコいいロックな獅童石松

106日 獅童流「森の石松」新橋演舞場、昼の部)
P1020649 P1020650

台風のような風雨の中、何かと話題を提供してくれる獅童(以下、敬称略)の舞台、かなりミーハー的興味をもって出かけた。案の定、セリフのあちらこちらに獅童の私生活、とくに酒の話題が入っていた(石松は酒好きだから)。不祥事をネタにしてしまうのは芸能界の常だろう。しかし、笑いは起きていたものの、酒の話題は飲酒運転に絡んでくるのだから、さすがに私でも笑えない。

まあ、それはそれとして、新橋演舞場の盛り沢山なステージは、実に楽しく、熱かった。

ストーリーは、「森の石松」の芝居を大劇場進出第1弾としてかけることになったある劇団の演出家・石井(獅童)と脚本家・松田(橋本じゅん)が江戸時代(1860年)の清水港にタイムスリップし、石井は石松、松田は三保の松五郎になってしまうというもの。

幕が開くと、奇抜な格好をした集団が芝居の稽古をしている。シュールすぎる配役と衣裳、ヘタクソな演技、まあ、はちゃめちゃな稽古がしばらく続くと、座席の後方から怒鳴り声が聞こえ、演出家・石井が登場。これが金髪の獅童で、なんと私のすぐ隣の通路から舞台に上がっていった。花道から登場するものとばかり思っていた私は、獅童が風のように通り抜けていった直後に気が付き、残念至極。でも、目の前で見る獅童はスリムでカッコいい。

石井は芝居の出来が不満で、脚本家・松田にまで文句をつける。2人は劇場の外へ出て、都組の親分がやっている屋台の飲み屋で言い合いを続ける。やがて雨が降りだし、松田が石井にさしかけた傘に雷が落ち、2人は気を失う。

意識を取り戻した石井は、辺りを見回して我が目を疑う。人々はチョンマゲ姿、向こうには富士山がそびえている。そして石井自身もチョンマゲで(自慢の金髪が~、と嘆く石井)、ふんどしにボロボロの上着をまとっただけ(セミヌードとでもいいましょうか。引き締まったとまではいかないけれど、なかなかきれいなお体でした)。石井は周囲から自分が「森の石松」だと言われ、呆然とする。次郎長親分(笹野高史)に対面してもわけがわからない石松こと石井は、親分にぶっとばされる。そのとき、獅童のカツラがころっと転がり落ちてしまった。こちらはハッとしたものの、獅童は慌てず騒がず、「あ~っ、毛が全部抜けた!」と叫び、すぐにかぶり直して「ああ、よかった。又生えてきた」。そして、もっとあとの場面でも「髪の毛、全部抜けたのに又生えてきた」というセリフを挟む。ん? ひょっとしてカツラが落ちたのはハプニングではなく、これも芝居のうち? なんだかわからなくなってきました。

やがて、やはりタイムスリップしてきた脚本家の松田に出会った石井は、やっと事情をのみこむ。

親分のいいつけで、恋人おふみ(高岡早紀)と金比羅代参に出かける石松。松田の松五郎も加わり、3人は無事長旅を終え、もうじき清水というところで、都鳥一家に囲まれる。そこへ小松村の七五郎(高橋和也:男闘呼組もオジサンになったなあ・・・)が自分の家に匿うからと助けに現れる。歴史上、七五郎の家に行ったら殺されることがわかっている石松と松五郎はためらうが、七五郎に強引に連れて行かれる。ところが、2人をもてなそうと、おふみを連れて酒を買いに出た七五郎が、「おふみが都鳥にさらわれた」と大慌てで戻ってくる(軽率・無用心すぎるがな。私は七五郎は都鳥とグルかと思ったくらい)。

そこから、石松の大奮闘が始まる。おふみを奪い返すために、死ぬことになる運命を知りながら、すっかり石松になった石井は閻魔堂で待つ都鳥一家のもとに斬りこんでいく。松五郎や七五郎の加勢も及ばず、石松は全身に刀を浴び、ついには・・・・・・(この後は内緒にしておきましょう)

現代と江戸では同じ役者が出ているから、現代の石井を取り巻く人物と江戸の石松を取り巻く人物の顔が同じである。次郎長は劇団大道具の長さんだし、次郎長女房・お蝶は劇団掃除婦の白鳥あんな(人を食ったような名前だが、これを演じる吉田日出子が飄々としていていい)だし、都鳥の吉兵衛は都組親分(ベンガル)、小松の七五郎は劇場支配人小松。他にもみんな、石井の周囲の人間ばかり。石松と松五郎を除く全員はタイムスリップをしたわけではないから、これが
2人を混乱させて笑わせる。

現代の部分はがなり合いが多く、ちょっとモタついて間延びしたようなところもあったが、江戸時代に入ると、俄然面白くなる。今回は、前の「魔界転生」と違って、声は広がらず、絶叫型のセリフでも、よく通ってききやすかった。TVや映画系より舞台系の役者さんが多かったせいであろうか。

高岡早紀は演技はともかく、きれい。獅童が深夜ファミレスで「演技指導」をする気持ちもわからんではない(あまり効果はなかったようだが)。舞台上で身の置き所もないようだったし、心理がイマイチ伝わらない。「石さん、死なないで」も響いてこない。先に密会を暴露されたため、やりづらかったのか。日がたてばよくなるかもしれない。

ベンガルは存在だけでおかしい。

吉田日出子の率いるお掃除おばさんたちの歌と踊りは楽しかった。ベンガルのカラオケといい、おばさんたちの歌といい、こういうの大歓迎です。とにかく、ベンガル、吉田日出子、角替和枝、笹野高史というところが、ガッチリ脇を締めていて、安心していられる。あと、個人的には深沢敦さん、好きです。たしかボイストレーナーもされている(た?)はずで、さすがに発声が綺麗だし、すべてがまんまるい感じで愛嬌たっぷり。

ところで、私は今回最前列の席で見ることができた。おかげで、ちょっと楽しい経験ができた。というのは、1幕目にも2幕目にも水や血糊が飛ぶシーンがあるそうで、開演前にビニールシート(コクーンのに比べ、かなり厚手)が配られたのだ。P1020645 1幕目は石松が水をかけられる場面があるだけで、身構えていた割にはどうということもなかった。問題は2幕目は最後の海中乱闘シーン。いちおう危なそうだな、とシートはかけていたのだが、ほっぺたに飛んできました、1しずく。いや、1しずくなんて綺麗なものではない。海に見立てた布の中へ皆がもぐりこみ、時折穴のあいた箇所から顔を出し、口に含んだ水をプ~ッと噴出す。それが飛んできたのだ・・・なんだか、拭いても拭いてもその感触が残っていた。血糊はすっごい量を噴出していたけれど、幸いこちらへ飛んでくることはなかった(獅童と剣を交えていた1人が獅童の口に血糊を押し込むの見ぃちゃった。あ、こんなことバラすのはマナー違反ですかね)。

さて、フィナーレへ。これがまたノリノリで楽しい。全員が歌い踊り、楽器のできる役者はそれぞれに演奏(蝶紫さんが、女形姿で何か吹いていた、と思う。楽器は何だったか忘れてしまった)。出演者全員の紹介があって(これって、いいなと思った)、最後に獅童の登場。カッコいいわあ、本当に。客席も手拍子で大盛り上がり。楽しかった!

獅童は歌舞伎だとまだまだだが、こういう役はぴったり。無鉄砲な男気とやんちゃ性を併せ持つこの石松をやれる役者は獅童以外にいないんじゃないか、と思うほどだ。突然石松にされ、迷惑がっていたのに、死ぬとわかっているのに、演出家・石井は石松になりきり、おふみを守ろうとする。何かを守るために自分の命を賭ける、という行為に、私は感動した。獅童迫真の演技もあいまって、涙さえにじんできたのである。残念ながら、2年前の「丹下左膳」は見ていないが、きっとそれもはまり役だったに違いない。役者・獅童、ここにあり。

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2006年10月 5日 (木)

よっ、男三津五郎!!!

三津五郎さん、歌舞伎界初の1000万円獲得、おめでとう!!

最後の答えは、私も「牛車」だという記憶はありましたが、あの場でなかなか自信をもって答えられるものではありません。まずは、リタイアなど考えずにスパッと挑戦したこと、そして自分の信念で答えを決めたこと、カッコよかったです!! 素晴らしい!!!

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歌舞伎界のIT革命や~(???)

以前の歌舞伎座メルマガで連絡を受けたとおり、今月19日からのメルマガが「歌舞伎美人」と名前が変わる。「なんで<歌舞伎びじん>なの? <不細工>は見るな、ってか? と思っていたら、なんと「かぶきびと」と読むんだそうな。そりゃ、読めませんわ。でも文字は<美人>だものなあ。まだ、そこに引っ掛っている私は美人? 不細工?

「ほうおう」11月号を見て、これもビックリ。歌舞伎チャンネルを視聴すると、歌舞伎会のカウント対象になるって! う~ん、どういうことだろう。歌舞伎チャンネル加入者に一定のポイントをくれるのか、それともポイントの付くプログラムを特別に設定したりするのだろうか。それなら、見ちゃう見ちゃう。今でも歌舞伎チャンネルはかなり頻繁に利用させてもらってますから。どういうことなのか、早く知りたいわ~。

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2006年10月 4日 (水)

花と馬

10月に入ってから、梅之さん辰巳さんのブログがちっとも更新されないなあと思っていました。辰巳さんは1日が初日だし、梅之さんも「勧進帳」があるし、お疲れでブログをアップするのは大変なんだろうなあと、勝手に納得していたのですが、2日も3日もお2人ともしめし合わせたかのようにアップがないのはおかしいと、ふっと気付いてサイドバーを見ると、10月のカレンダーがちゃんと出ているではないですか。しかもお2人ともちゃんと毎日更新されているではないですかぁ! 私の知識が不足していて、アクセスしてもトップページが開かないようになっていたんですね(ドジ踏んじまったぜ)。

ここで一気に3日分のお2人のブログを拝読(うん、やっぱり面白いぜ)。

梅之さんは、「元禄忠臣蔵」で簀の子から梅玉さんの動きに合わせて花を散らすそうです。この動きに合わせるのが難しいんだとか。役者さんがそんな高いところに上ってそういうお仕事をされるとはビックリ(そんなこと、ちっとも知らなかったぜ)。しかも、梅之さんは高い所はお好きらしいのですが、私にしてみれば梅之さんとそういう高い所とのイメージが合わず、しばし目を白黒。簀の子って、舞台から何メートルくらいの高さにあるんでしょうね。いやはや高所恐怖症の私にはとてもとてもできません。さすがの梅之さんもちょっとスリルを感じていらっしゃるとか。さもありなん。

辰巳さんの話で面白かったのは馬の脚。いつだったかTVで「馬盗人」を見て以来、すっかり馬の脚に魅せられてしまいました。まさに脚の動きひとつで馬の表情が変わる。圧巻だったのは国立の「小栗判官」の碁盤乗り(やんややんや!!)。人間業(馬業?)とは思えない。「近江のお兼」の馬もよかったわぁ。馬は当然前後の役者さん同士、また人間役の役者さんとの息が合わなくては、生き生きした動きが出ないでしょう。観客にお顔は見えないとはいえ、非常に重要なお役だと思います。ところで、馬の上に人を乗せると、やっぱり重いのかなあ。それとも、人が乗る部分は脚の役者さんには負担がかからないようにできているのかなあ。馬が前脚を上げるときの中での動きは…とか、馬に対する興味は尽きません。

今月はお馬さんは残念ながら拝見できませんが、「髪結新三」は見られますし、「忠臣蔵」ももちろん見に行きます。楽しみ楽しみ。

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2006年10月 2日 (月)

DS狂騒記--DS liteや~い

DS liteがほしい、と思い始めたのは、つい最近のことである。発売されてから半年もの間、それほどの関心もなく、まああったら面白いかもね、くらいの気持ちだった。それが、2週間ほど前、ある必要があって息子が買い、例の「脳トレーニング」を一緒に始めることになった。だいたい普段、「脳トレ」ソフトにあるような計算も人数数えも単語記憶もやることはないから、最初はあまりうまくいかない。それが毎日挑戦していくうちに、少しずつアップして、22歳、24歳と20代の脳になり、昨日はついに最高年齢の20歳が出た。

まあ、現代人の脳に対する不安を衝いてうまく作ったソフトではある。果たして、これで本当に脳年齢が若返るのかどうかは分からないし、出た結果も必ずしも信頼できるものではないと思うが、まずトレーニングが単純でゲーム感覚で実践できる。結果を見れば次回の励みになる(実は、もう20歳になってしまったことで、かなりの達成感はあるのだが、やはりこれを維持していこうという次の目標ができる)。川島教授のコメントがそれなりに面白い(1日サボると、ちゃんと「昨日はお会いしませんでしたね」といったメッセージが出る。逆に1日に何度もやると、そのトレーニングはもう今日は済んでいるから、万遍なくやりましょう、とか言われる)。20問計算を終えるとラジオ体操のように、その日のカレンダーにハンコが押される。ハンコは一定の条件を満たすと自分でデザインできたりもする。

音声や手書き文字の認識に問題はあるものの(音声認識はまずムリみたい。文字も計算の答えが別の数字として認識され、×がつくことがある。これは、すっごくハラが立つ)、1日わずか15分くらいで脳が訓練できるのもいい。多分、やっていくうちに慣れが出てきて、成績が上がる部分もあると思うが、それはそれでいいのではないだろうか。

と、「脳トレ」の面白さにはまりかけてきたのだが、なにぶん自分の所有物ではない。いちいち借りなくてはならないのが不自由だ。こうなるとmy DSがほしくなる。ここでやっと、売り切れ続出でどこにもないというDS liteを探し求める羽目になった。息子もあちこちまわって、たまたま入った小さなショップで見つけたという。私はズボラだから、ネットで探すことにした。ないない、とは言われているけれど2万円出せば、あちらでもこちらでも買えそうではないか。しかし定価は16,800円。ちょっともったいない(だいたい、価格ドットコムで定価より高く売っているなんて、世の中おかしいよ~)。DSの情報をまとめて出しているサイトで定価販売を探すと、時間限定で売っているショップがあった。だけど、あっという間に完売。やっぱりどこかに買出しに出かけなくては無理かしら。ほしいのはやっぱり人気のブラックかピンクだから、難しいかもしれない。焦らず粘り強く探すべきか・・・。ただ、人間、ほしいとなったら、すぐにでもほしいのが人情。おまけに、ないとなれば余計ほしくなるのもまた人情。子供のようなこの感情を今、理性で必死に抑えているところである。

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2006年10月 1日 (日)

もったいない話

新聞で見たちょっと面白い話。「引窓」裏話のようなものである。以下に私の言葉で要約する。

「引窓」は人形浄瑠璃「双蝶々曲輪日記」全9段の8段目にあたる。普通は人形浄瑠璃がヒットするとすぐ歌舞伎でも演じられるのだが、この芝居は明治になるまで上演されなかった。それは、なぜか?

実は南与兵衛は3段目で、ある幇間と争って小指を食いちぎられてしまうのだそうだ。そうなると、南与兵衛最大の見せ場である8段目でちょいとマズイことになる。小指1本なければ生活が大変不自由であろう。人形と違って人間が演じる場合、演技に影響が出る。それにカッコよく濡れ髪を逃がしてやる主役がつまらぬ幇間との争いで・・・というのではサマにならない。通し狂言が普通であった江戸時代には、そのジレンマから歌舞伎にされなかったということなのだ。

明治に入り、狂言の中の面白い幕を独立させた上演方式が好まれるようになってきた。そこで、初代雁治郎が3段目をまったく無視して、8段目を独立させた「引窓」という演目を歌舞伎に登場させた、らしい。

以上が「引窓」誕生秘話(?)のようだが、こういう話はきっと他にもたくさんあるんだろうなあ。

この「引窓」の話をしてくださったのは、小山觀翁さん(東京新聞930日夕刊)。イヤホンガイドとTVの副音声の違いというテーマで、イヤホンガイドでは説明できない話として紹介されている。小山觀翁さんは、その飄々とした語り口の中にも歌舞伎の良さを伝えたいという熱意が溢れ、私は大好きである。これまでも、月に1回、東京新聞にコーナーをもたれて歌舞伎に関するさまざまな話を紹介して下さっており、私にとって土曜夕刊を読む大きな楽しみであった。それが今回で終わってしまう。非常に残念である。今後、イヤホンガイドはガイドとして、またどこかで觀翁さんの博識ぶりに接したいものである。ああ、觀翁劇場も昨日が千穐楽だとは、本当にもったいない。

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